先週はイラクへの爆撃が始まり、「私と一緒に皆さんも氣を送ってください」と、お願いしました。お便りをいただいた皆様、そして協力していただいた皆様、本当にありがとうございました。一部の人達のエゴのぶつかり合いは終わっておらず、まだまだ解決には遠いという感じですが、これからも変わることなく平和を祈る気持ちを持っていきたいものです。真氣光では、まず自分が変わること、自分の発する波動(氣)を変えることをお伝えしています。相手を非難したり咎めたりする心をもつことは、マイナスの氣を発することになり、それが相手にマイナスの氣をもたらすばかりでなく、自分にもさらに多くのマイナスの氣をもたらします。一方、相手の喜びや希望に満ちた顔を思い、願う心(自分のエゴを捨てる心)は、プラスの氣をもたらすのです。自分の身体の調子が悪かったりすると、どうしても人の幸せなど考える余裕がありません。また、どうしても嫌いな人がいたりすると、その人の幸せなど祈れません。しかし、少しでもそれができれば、事態が変わるのです。いろいろな状況があるでしょうが、それを可能にするエネルギーが真氣光です。まず真氣光を受けて自然に自分が変われると、次に周りが変わっていくのです。ちなみに、今日はクリスマスイブです。最近のクリスマスというと商業的な側面ばかりがクローズアップされますが、誰かに喜んでもらおうと思い、食事を作ったりプレゼントをあげることは幸せな気分にさせるものです。プレゼントをもらった人も幸せですが、あげた人も実は良い氣に包まれるのです。楽しいクリスマスを!
投稿者: 中川雅仁
(5)氣を中継するモノーその2
11月5日号のこの講座で、ハイゲンキやグッズというモノが真氣光という氣を中継すること、それには素晴らしい点が3つあり、そのうちの1番目について話をしました。今回は、その続きをします。第2に、いつも一定のエネルギーを受けられる点です。人が氣を中継するという場合、注意しなければならないことがあります。それは人には心があり、それがマイナスになったりプラスになったり、始終変わる可能性があるということです。心から氣が出るのですから、これは人格者でなければ常に良質の氣が中継できないことを意味します。また、人格者という人にも必ず氣づきのためにマイナスの事柄がやってきますから、その時、その人自身がどうやって氣づくのかという問題があります。私は毎日、音氣やハイゲンキを利用しています。なかなか自分のことはわからないものです。気がつかないうちに、ズレてしまう危険性があるからです。自分を常に基準に合わせ、しっかり見つめることが重要でしょう。その基準がハイゲンキやグッズたちです。先代は基準からズレないように、そのようなものを残したとも言えるでしょう。 第3に、視点を変えて宇宙から見た場合、地球に良い波動を早く大量に送れる点です。昔から、宇宙から地球上の人や場所などに向け、良い氣(光)が注がれています。しかし、地球上の全てが聖人や聖地ではありません。その光により、さらにたくさんの人の意識が変われば、よりたくさんのサポートがあるという仕組みです。しかし、出会いやご縁には限界があります。そこで今、普通の人が最も手に入れやすい「モノ」を媒介にすれば、氣の光は地球に早く大量に広がるのです。これらの事を考えると、我々が変わらなければならないこの時期に、何者かが与えてくれた真氣光のグッズたちには、重要な役割があることがわかるのです。
(4)氣を中継するモノーその1
真氣光は、先代が夢で白い髭のお爺さんからハイゲンキの作り方を教えられて始まりました。そして先代は、いろいろなモノからも真氣光の氣を中継するようにできることが分かったのです。これは氣を溜めて放射するものでもなく、電気などで作って発生するものでもありません。どこかわかりませんが、宇宙からハイゲンキや真氣光グッズ等のモノに向かってエネルギーが注がれているのです。それが写真などに光として写ることがあり、先代は神(真)の氣の光(真氣光)と名づけたのです。そしてこの真氣光の氣は、自然に人の魂に作用し氣づきを促進し、マイナスの事柄をプラスに変えてしまうのです。しかし、人が氣を出すのであればなんとなくわかりますが、モノが氣を中継し発光するという点は、普通の常識ある人であれば疑いたくなるようなことです。しかし、良く考えてみると素晴らしい点がたくさんあることに気がつきます。ここでは3つのポイントにまとめてみました。第1に、誰でも簡単に氣を受けられる点です。第2に、いつも一定のエネルギーを受けられる点です。第3に、宇宙から見た場合、地球に良いエネルギーを早く大量に送れる点です。まず第1の点についてですが、ある特殊な人が氣を出し、それを受けるのであれば、毎日のように氣を受けるというわけにはいかないでしょう。グッズを使えることで、毎日の生活の中で良い氣が手軽に利用できるようになっているのです。
(3)真氣光と氣づきのシステム
真氣光の氣は、強力なプラスの氣で、それは氣づきのエネルギーと言ってもよいものです。人は誰でも生きている間に、思うように行かない事や困難な事、大変な問題や病気などが目の前に立ちふさがります。一見マイナスなそれらの出来事を通して、実は私達は成長させられるのです。しかし、実際にそのような場面に出くわすと、どうして良いか分からなくなり、悩み苦しみ心配するものです。例えば、失恋したときなど、時間が解決してくれるとよく言ったものですが、だんだん気にならなくなり、問題を乗り越えた最後には、あれもいい経験だった(実は有り難いことだった)と思えるのです。簡単に言えば、これが氣づきのシステムですが、心が不平不満や悩みといったマイナスの氣を出す状態から、いつしか氣づきというものによって、感謝というプラスの氣を出す状態に変化するのです。しかし、時が解決してくれると、ゆっくり待っているだけの時間が、私達には無くなってきました。今やどんどん効率よく氣づき・成長することが望まれているのです。また、氣づきは教えられて得られるものではありません。自分の心から沸き上がってくるものです。他人からどんなに慰めてもらっても、気が晴れなかった体験があるでしょう。氣づきはある時ひらめきとしてやってくる、宇宙からのメッセージでもあるのです。マイナスの感情が心を占領している間はなかなかキャッチできませんが、ハイゲンキやグッズで真氣光を受け、少しでもマイナスの感情を取り除き、気にならなくすることにより、容易に得られるのです。
(2)氣の種類と真氣光
「見る事も触る事も出来ないけど、何らかの作用のあるものが氣である」という話を前回しましたので、今回はもう少し詳しくお話しましょう。 氣にはプラスとマイナス、言い換えれば陰と陽とがあります。(これは善いもの、悪いものということではありません。マイナスも実は素晴らしいということは、後程説明します)。どんなモノにも空間にも氣がありますから、いろいろな場所や建物にも氣が存在しています。また、生きていれば、どんな人からも氣が出ています。ただし、人の場合は、心の変化によって出てくる氣がプラスになったりマイナスになったりします。そして、その発している氣に同調して、似たような氣が周りから集まってきます。心配ごとがある人は、一つ心配すると、次から次ぎに心配の種がやってきます。何かでちょっと腹が立ったのに、大喧嘩になってしまうこともあります。試験で「これは勉強してなかったかな」と思った瞬間に、「どうしよう」と不安がよぎり、頭の中が真っ白になって、出来るはずの問題も出来なかったという経験があるかもしれません。短い時間ならよいのですが、長い時間知らないうちに受けたストレスがマイナスの氣となり、自然に身体の中に溜まってしまうことがよくあります。そのマイナスの氣がまたマイナスを呼び、雪だるまのように増えていき、それがいろいろな病気や事故等の原因になることもあります。こういう場合、誰か(又は何か)から心が「ほっ」とするような強力なプラスの氣をもらえば、そのピンチから逃れられるのですが、自分一人で立ち向かうと、時間をかけない限りなかなか逃れられないものです。先代が夢で教えられた真氣光ですが、強力なプラスの氣です。自然に人の心の中にあるマイナスの氣を洗い流し、だんだん気にならなくしてくれるのです。
(1)氣のはなし
氣(気)という言葉は、例えば雰囲気、空気、湿気、殺気、運気などに使われています。昔から日本人は「何か解らない、見る事も触れることもできないけれど、確かに存在するもの」を氣と呼んでいたようです。空気や湿気等、その一部は今の科学では計測できるようになり、良く解るようになりましたが、雰囲気や殺気、運気などのように、まだまだ良く解らないものがたくさん有ります。実は、人の感知能力は素晴らしく、機械では計測できないものをたくさん感じているのです。今の科学信仰の世の中では、計測できないものは除いてしまい、無視しがちです。ところが、そのなんだか解らない、科学では議論できない部分の氣がとても重要なのです。例えば、偶然誰かにあったとか、知らない人が何人か集まると、同じ誕生月の人がいるとか。どんな科学信奉者でも不思議な事、確率的には考えられない(つまり偶然おきた)良い事や悪い事を体験しているはずです。人・動物・植物・モノ、さらには会社や学校等の団体からも、全てのものから氣という目に見えない波動が出ています。それらがミックスされ、我々の心に感じられたり、知らないうちに影響されたりしているのです。知らないうちに引き寄せられたり、引き寄せたり、それが「氣のせい」なのです。実は、氣は身体の健康のことばかりではなく、生活の全てに結びついているのです。そして、最も重要なことは、この氣は、良くも、悪くも、人がある程度、自由に変えられるということです。占いに凝っている人は、「運気はどうにもならないではないか」と言われるかもしれません。私は、この運というものでさえ、変えられると思っています。