(14)蒔かぬ種は生えぬ

「蒔かぬ種は生えぬ」ということわざがあります。ことわざ辞典を調べてみると二つの意味があるようで『1 .原因なくして結果はありえないこと。2 .何もしないで良い結果を期待しても叶わないことというたとえ』と書いてあります。この二つの意味の両方が、真氣光を実践するうえで参考になります。以 前、交通事故に遭ったので直ぐに生駒での研修講座を申し込んだという人がいました。よく先代は「良くない出来事は氣という見えないところに原因があるから、真氣光でそれを解決しなければだめだ」と言っていましたので、氣の事を良く理解している人だなぁと思ったものです。たとえば同じ所を何年かおきに痛めるような場合は、原因となっているマイナスの氣が浄化されていないということになるでしょう。
先ほどの交通事故に遭った人の場合などは、軽くて済んだと安心していると、マイナスの氣という原因は消えていないので何かの災いに遭ったり、再び事故に巻き込まれたりするということがあるということなのです。一般には悪い出来事が起きないように氣をやっているという人が多いかもしれません。逆に悪いことが起きると「氣をやっているのに.…」と氣を信じられなくなったりするものです。しかし、原因が完全に消えていないから出てくる一見マイナスの出来事というものが実に多いのです。
次から次にそれが出てくると、つい希望を失い暗い気持ちになったり、氣のことも信じられなくなるものです。しかし、原因となるものが何処かにあるはずです。氣の観点から考えると、自分ばかりでなく先祖が蒔いた種という事もあり得ます。真氣光を続けるうちに必ずそれは浄化されプラスに変わっていくのです。その証拠に、以前に比べて今の方が、プラスの事が多くなっているはずなのです。ま た真氣光を続けていると、氣さえ受けていれば特に何もしなくても、良い結果を期待してしまうということがあります。確かにいろいろなマイナスの氣がプラスに変わりサポートしてくれるスピリチュアルな存在が増えて、身の周りに良いことが多くなります。私は「魂を成長させるには洗心と真氣光の二つが大事です」とよく言っていますが、生きているからには皆この世で修行している身であり完璧な人などあり得ません。ですから心の持ち方のどこかに注意を要することで、まだまだ飛躍できるはずなのです。真氣光を一生懸命受けると同時に、プラスの心が持てるよう小さなことでも行動することで、自然に良いことが増え、自分も周りもますます幸せになれるのでしょう。