氣とは、目には見えないけれど何となく感じられるものの総称であり、人や動物、物、土地などあらゆるものが、それぞれ固有の氣を持っています。真氣光という宇宙からのエネルギーも氣の一つであり、それらについて考えてみるとテレビやラジオの電波のように波動的な性質があることがわかります。例えば、イライラの波調がぶつかり合うと共鳴し大げんかになったり、悲しいテレビ番組の波長に合わせて自分まで悲しくなったりする現象です。現代の都会の生活には、心が安らぐ自然や、のんびりと芸術を楽しむ時間などが減っています。どちらかというと心や身体にマイナスに作用する氣が氾濫していますから、どんなに気をつけていても、“朱に交われば赤くなる”ではないですが、マイナスの方向に引っ張られてしまうようです。この諺が表すように、昔から人は氣の性質を経験的に知っていたと思います。
ちなみに、ことわざ辞典で調べてみました。『人は付き合う仲間によって良くも悪くもなるというたとえ。「朱」は赤の顔料。ちょっと触るだけでも染まってしまうことから、接する者の影響力の強さにたとえられている。安土桃山時代のことわざ集にも収載されており、現代では悪い感化力について言う場合がほとんどであるが、江戸時代には良い場合にも用いられていた。』と、書いてあります。「付き合う仲間」を周りの波動(氣)と考えれば、本当に氣の性質を的確に表現しており、これはこの宇宙の法則なのかもしれません。ここで私が着目したいのは、朱に交わって良くなる方向のものです。影響されて変わることができるのですから、良いものに強く影響されて良い方向に変わりたいものですし、マイナスの方向には影響されにくく、周りも良い方向に変えられる自分になりたいものです。
よく考えると、先代が夢で教えられて作ったハイゲンキや氣のグッズも、“氣入れ”という特別な事をして初めて氣が中継されるものに変わります。氣入れ室という強力な真氣光のエネルギーにさらされ変化するのですから、これらの現象と同じ性質のものでしょう。ところで、先代が夢で白髭の翁に教えて貰ったのは、どうしたら変化することなく真氣光を安定して中継させられるかということです。実際には特別な部品を使ったり、特別な文字を印して固定したりするのですが、私は宇宙に存在するとてつもなく大きな真氣光の後ろ盾を感じるのです。私は、ついマイナスの方向に引っ張られることがありますが、変わらないハイゲンキやいろいろな氣グッズが、少しずつかも知れませんが確実にプラスの方向に導いてくれると思うのです。