明日からメンバーズの集いを開催します

 毎月開催している真氣光研修講座ですが、先月は広島・沖縄と2回開催しておりますので、今月はありません。
その代わり今月は、年に一度の大きなイベント・真氣光メンバーズの集いを3日間にわたって開催します。
真氣光のエネルギーも研修講座の開催に合わせて強くなりますので、今月は明日からの3日間に併せて強力になります。
ぜひ多くの方に参加していただきたいと思います。
 ところで研修講座では、石井光(あきら)先生の内観の講義に、自分が臨終を迎えるとき誰に何を伝えるかを想像する時間があります。
氣の観点から言っても、大事なことなので、今日は氣という側面からその話をしましょう。
 もし自分の命が今日一日限りで、明日からは魂の状態で旅立たなければならないと想像してみてください。
いったい自分の魂は、どのような場所へ旅立てるのでしょうか?それは自分が望む、キラキラとした苦しみのない清々しい所でしょうか?残してきた家族や友人達に十分な光の応援が出来るだけのエネルギーを持っているでしょうか?明日、もし地球が無くなり、全ての人類が一緒に魂の状態になったとしても、一人ひとり旅立てる場所は違っているのです。
一人で死んでも、大勢の人と一緒に死んでも、行く先はその人の今までの生き方や、その時の魂のエネルギー状態で全く変わってきてしまうのです。
だから一度、「もう自分にはあまり時間が残されていない」ということを真剣に考えてみるのも必要なことなのです。
なぜなら、もうあまり時間が無いのに「誰かにこうしてほしい」とか、「今いる環境が悪いから自分は良くなれない、幸せではない」、「許せないことがある」、「どうしようもない過去や思いがあって、なかなか抜け出せない」等と思っている余裕がないことに気がつくでしょう。
やはり、いかなる場合でも自分自身の思いで今の自分を変えていく、その決意と行動にしか救われる道はないことに、否が応でも気づかされるでしょう。
何事も永遠と思ってはいけません。
今という状態は、そう長くは続かないのです。
できるだけ早く気づいて少しでも魂のエネルギーを向上させなければいけません。
マイナスの思いや状況は誰のせいでもなく、自らがプラスに変えなければ道は開かれないのです。
もしその方法を知っているのなら、たった今からそれをやることなのです。
 明日からのメンバーズの集いは、ちょうど良い機会です。
多くの方が参加していただけることで強いエネルギーを受けることが出来ます。
十分に真氣光のエネルギーを充電し,自分自身を見つめ、さらには遠隔真氣光で光のエネルギーを身の周りの人に分けていただきたいと思うのです。
(中川 雅仁)
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ほんの少しだけ

 『2013年を表す「今年の漢字」は「輪」』清水寺で発表され、テレビニュースが伝えていました。
東京五輪の開催決定や、富士山の世界文化遺産登録、サッカーW杯への日本代表の出場決定など「日本中が輪になって歓喜にわいた年」であり、台風など相次ぐ自然災害にも支援の輪が広がったことなどが理由に挙げられたようです。
文字を書き上げた森貫主は「『輪』には、大勢の人が手を握りあい円滑に回転していくという意味がある。
皆が譲り合い支え合って、来年も震災復興など輪のつながりに努力していきたい」と話したということです。
また今年の世相を映した言葉を選ぶ「2013ユーキャン新語・流行語大賞」も発表され、年間大賞には「じぇじぇじぇ」「今でしょ!」「お・も・て・な・し」「倍返し」が選ばれたということです。
私はやはり、滝川クリステルさんの五輪招致でのスピーチが印象的でしたから、「お・も・て・な・し」が今年一番の流行語ではないかと思っています。
 ところで、「輪」にも「おもてなし」にも、共通することですが、人はほんの少し心が通い合うことで、幸せを感じることができるものです。
これは家族、友人に限らず、誰とでも、ほんの少しだけ分かり合えたと思うことで、心が穏やかになるのです。
ここでのポイントは、「ほんの少しだけ」というところにあります。
人は時に多くのこと、たくさんのものを求めて落胆し、憤り、怒りを覚え、悲しむのです。
そして、それをいつまでも持ち続けてしまうのです。
さらに、それ以上の幸せがやって来なければ、絶対に幸せでは無いとまで思ってしまうこともあるでしょう。
しかし、大きな幸せを掴むのには、とても時間がかかるものですし、努力も必要です。
そして、それを成し遂げるまでには、いろいろな不幸があるでしょう。
そのように考えると、なかなか幸せにはなれないことになってしまいます。
だからこの少しだけということを思い出し、少しだけの幸せをできるだけ多く集める、感じられる生活をするということなのです。
現在の生活を今一度、見直してみるのも良いでしょう。
身の回りに多すぎるものや事柄は無いか、もっともっとと思って満足できていないものはないか、他の人にとても大きな期待をかけてはいないか、いつも不満げな物言いや態度はとっていないかなど、細かく見てみることです。
何か見つけられたなら、それを「ほんの少し」に変えてみることです。
全てをやめなければいけないということではないので、誰にでもできることだと思うのです。
(中川 雅仁)
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ビジョンを持って進もう

 今年もあと20日あまり、今月の氣配り画像には、「ビジョンを持って進もう」という言葉を選びました。
皆さんにとって今年は、どんな年だったでしょうか?良い年だったという人もいれば、あまり良くなかったという人もいるでしょう。
来年に向けて、いいえ今からでも良いものにしていくために、ビジョンというと少し大げさかもしれませんが、どんな人にも、どんな場合にも、身近なことでも良いので将来的な方向性を考えていただきたいと思うのです。
 話は変わりますが、先月小泉元首相が日本記者クラブで会見し、原発事故を踏まえ、「安倍首相が決断すれば『原発ゼロ』ができる」「原発を再稼働すれば、核のゴミが増えていくので即ゼロの方針を打ち出すべき」「政府が方針を出せば、専門家や官僚も含めて、必ずいい案を作れる、国民も協力するとの認識を示した」との考えを強調したそうです。
 人が目先の利益しか考えられなくなったら、地球の環境など良くすることはできないでしょう。
生きるために仕方がないと、言い訳をしながら、今まで来てしまったのですが、この辺で大きく方向転換しない限りは、やがてその生きることすら、できなくなる時がやってくるかもしれません。
人は生きることで気づき、魂が成長し、宇宙の一員としての役割も担っているのですが、それができなくなると、また一からやり直さなければならなくなります。
この地球という星に人類が誕生して、どれほどの時間が経っていたとしても、それは一瞬のうちに消え、また違う星として一からやり直すことになってしまいます。
それは一生懸命に生きて命を繋いできた人達にとってみれば、とても受け入れがたいことであり、光になることなど、とうてい無理なことになってしまいます。
経済や文明の成長を止めることはできませんが、その進む方向を変えることは、いつでもできることです。
ただ過去の実績だけを見て、それを取り戻そうなどと、時を逆行するような考えは捨てることだと思うのです。
 環境問題という、とても大きな問題の話をしましたが、どんな人にも、どんな状況でも未来というものがあります。
ですから、その進む方向を考えるということは、とても大事なことだと思うのです。
未来とはまだ誰も見たことがない、経験したことがない世界のことであり、新しいエネルギーで満たされるものです。
だから理想を、ビジョンをまず掲げることだと思うのです。
過去は教訓にするべきもので、元に戻るためにあるのではありません。
良くなれるように現実をよく見て、将来を考えるということだと思うのです。
(中川 雅仁)
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出来ないことが気になった時には

 先週のこのニュースでは、「報われない思い」を抱えた魂の話を書きました。
自分を認めてもらえなかったり、「報われない」と強く思うことで、このような魂を引き寄せてしまうことがあります。
また、そのような人が先祖にいたりすると、誰にも認めてもらえない、理解されない、自分のしてきたことが何の意味もないなどと、ますます自信を無くしてしまうものです。
マイナスの心になるから、マイナスの氣が周りから集まるという、マイナスのループに陥るのです。
そのような時は、ついつい出来ないことについて目を向けがちになりますが、そういう時こそ出来ていることに目を向けてみましょう。
そして、その出来ていることをもっと、より良くするために少しだけ努力をしてみてください。
 例えば、あれも出来ない、これも出来ない、時間がないから、今日はこんなことがあったからまた出来なかったなどと、いろいろ言い訳を頭の中で考えてしまい、やがてすんなりと出来ていることさえ面倒になってしまうことがあります。
だんだんとマイナスの氣の影響を強く受けてしまうようになる状態ですが、このような時は自分の出している氣を変える必要があるのです。
ですからそんな時は、まず出来ていることをあげていき、その中でももっと良くしたいと思うものを選んで工夫してやってみることです。
するとかなり達成感が出てくるはずです。
とても良い気分になったところで、そのプラスのエネルギーを使い、出来ていないこと、やらなければいけないのにやれずに嫌な気持ちになっていることに着手するのです。
これは仕事、勉強、家事など、どんなことにも活用できるでしょう。
人に褒めてもらえなくてもいいのです。
自分が出来ている喜びと充実感をまず味わうことです。
人の評価などは後からやってくるもので、それもかなり時間のズレがあるのです。
だから、そのことを期待していては、とても時間がもったいないことだとも言えるのです。
だから是非ここでやって欲しいことは出来ていることをしっかりと把握して、それをさらに工夫して良くしていくこと、それが出来たら、なかなか出来ずにいること、課題となっていることを少しでも・・・という順番です。
そして「自分は良くやっている」と自信を持つことができたなら、さらに忘れてはいけないことがもう一つ、「いや、まだまだです」という謙虚な気持ちを持つことです。
この二つのプラスのエネルギーを常に持ち続けることが、日々の生活を続ける上で、大切なことなのです。
(中川 雅仁)
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(68)報われない思い

 私が真氣光を送っていると、氣を受けている人の口を借りて、その人とは全く別の魂が出てくることがあります。
私は、既に体を失っている彼らから、いろいろな事を学んできました。
そこでわかったことは、どのような気持ちになっていると魂が光を失い、苦しみのまま暗いところに存在しなければならなくなるのかということです。
だから、今のうちに少しでも、そのような気持ちを少なくしていくことが大事なことであり、その一つの目安として洗心の指標を紹介するようにしています。
先日会長セッションで、ある女性に氣を送っていた時のことです。
洗心にはない心の状態ですが「一生懸命やって来たのに誰も分かってくれなかった」と言いながら出てきた魂がいました。
憎しみや怒りなどの強いマイナスの氣ではないのですが、なかなか光が届かず直ぐには楽になれないようです。
誰にも理解されない、自分のしてきたことが何の意味もない、そのような気持ちが、激しさはないのですが魂の輝きを大きく失わせるのです。
氣を送るうちに、だんだんと自分で自分を認められるようになり、光が見えて来たと言って消えていったのです。
 報われない思いとはどういうものでしょうか?
人は何かを一生懸命にやったのにもかかわらず、周囲から認められなかった時、そのような思いにかられるのではないでしょうか。
それでは、その思いのまま亡くなってしまったらどうでしょう。
ずっとその思いは続き、さらに報われない時を過ごすことになるのです。
たとえ自分の思い通りの結果、生き方だったとしても誰かに認めてもらえなければ何か寂しく、すっきりとした気持ちにならないものです。
それはあまり意識することはないかもしれませんが、誰にでもあることで、また不満とも違っていて、少し悲しみを含んでいるのです。
ですからマイナスの思いではあるものの、非常に表に現れにくく、内に秘めた思いとして奥深くに持ち続けてしまうことになるのです。
そしてこれを現すことは、一つの恥であるという思いからも決して現そうとしない人達も多くいます。
しかし、このような現れにくいマイナスの思いにも光をあてなければいけません。
ともすれば激しいマイナスの思いに意識がいきがちですが、こうした良識あるものたちが陥りがちなマイナスの思いも、まだまだたくさんあり、光になる時を静かに待っているのです。
このような謙虚さゆえのマイナスの思いにも、もっと目を向けるべきであり、この思いに苦しんでいる人達はたくさんいます。
これからは、このような現れにくいマイナスの思いにも意識して光を送らねばと思ったのでした。
(中川 雅仁)
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与えられた環境でどう生きるかが大切

 私は月曜日に広島・宮島での研修を終え、夜遅くに東京へ戻ってきました。
27名の参加者の皆さん、ありがとうございました。
今回もまた、縁のある御先祖様や開催した土地に関係する多くの見えない氣という存在の方々にも、たくさんの光が届いたであろうということを参加者の皆さんの最終日の表情から実感できました。
 私はこれまで多くの人に氣を送ることで、氣を受けている人の口を借りて出てくる全く別人格の魂たちの思いを知ることができました。
昔々たいへんな環境に置かれたことにより、怒りや憤り、憎しみや恨み、後悔等々、マイナスの思いに強く支配されて亡くなっていった人々。
そのような魂達も、生きている時には気づけなかったことが、真氣光というエネルギーを受けることで、現実を受け入れ、もっと違う生き方、考え方があるということに気づき、光の世界に旅立っていかれます。
 人は何かとても辛い状況にあるとき、また存在の理由がわからずに価値さえ見出せなくなっている時、なぜこの世に生まれて来たのだろうと思い悩みます。
しかし、どんな人も自分の意思で生まれて来ているわけではないのですから、それを考えても仕方がなく、それはあまり意味の無いことと言えるでしょう。
それよりも、その人が与えられた環境で、どう生きるかということ、それがとても大切で意味のあることなのです。
人は育っていく過程で生きる方法をたくさん知り、そして自分の意思というものも確立していきます。
さらにその意思は誰のものでもなく、皆平等に与えられている個人一人ひとりのものなのです。
だからたとえ自分の思いどおりの生き方、環境で生活ができなくても、自らの意思を使って、そこで自由に生きることはできるのです。
そして、その中で生まれて来る、いろいろな感情により、幸・不幸が決まってくるのです。
だから、今ある環境を生かすも殺すも自分次第ということなのです。
 病気や悪い出来事、さらには人間関係で受けるストレスなど、自分にとってマイナスな環境に置かれたことで、思い悩むことはたくさんあります。
また、たくさんの情報の中で、ともすれば自分の存在など、とてもちっぽけで、とるに足らず、いてもいなくてもいいのではないか等ということを思ってしまうことがあるかもしれません。
しかし、それもまた考え方一つで、どうにでも変われることなのです。
真氣光を受けながら、何に目を向けて、何に心を寄せて生きていけばよいのか、よくよく考え、観てみることです。
人は皆、生まれてきた理由、存在の理由にあまり意味はなく、どう生きて、死んでいくかが大切なことだからです。
(中川 雅仁)
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良いことを見つけながらマイナスをのりこえよう

 今日から、今年で2回目の開催になる広島県は宮島での真氣光研修講座が始まります。
私は昨日からこちらに来ましたが、宮島を前にして、昨年の研修を思い起こしておりました。
ここは歴史ある土地ですから、昨年は参加された方をとおして、たくさんの御先祖たちに真氣光のエネルギーが届きました。
宮島のシンボルでもある厳島神社は平清盛が社殿を造営していることから、平氏・源氏など武士同士の争い・権力争いによって生じた強い憎しみを持った人達、その後の戦国時代にも戦の地となっていますので、その戦で亡くなった人達、さらには対岸の広島には原爆も落ちていますから、それによって亡くなった多くの人達がいます。
これらの遠い昔から近代にかけての実に様々な人達の辛い苦しい思いは、魂だけの存在になっても、変わることなく続いてしまうのですが、そのような魂に真氣光のエネルギーは浸透していくのです。
 いろいろなことに折り合いをつけながら、前に進んでいくことは、時にはとても大切なことであり、生きている私たちだからできることなのです。
人は何か問題が起こったり嫌なことがあると、ついついそのことに気をとられてしまい、全てのことがそうなってしまう錯覚に囚われてしまうことが多かれ少なかれあるものです。
また、それが何か小さなことだとしても完全に解決するまで、または自分との関わりが無くなるまで、何となくすっきりとしない嫌な毎日を送ってしまうことがあるものです。
それは過去にマイナスの気持ちを持ったまま体を失ったマイナスの氣が影響しているということがあります。
 しかし、そんな毎日の中にでも、楽しいことや嬉しいこと、良かったと思えることは、たくさんあるものです。
ただ、それらに気を向けようとしていないだけなのです。
この世の中は全て、良いことと悪いこと、プラスとマイナスの両方が存在しています。
同じ時を生きるのならば、できるだけ良い方、プラスの方に意識を向け生きていきたいものです。
しかし、ここで間違ってはいけないのは、ただマイナスを見ないようにして、プラスだけで過ごしてしまうことです。
私たちの生きる目的は魂の成長で、そのためには、マイナスはなくてはならないものなのです。
だから、ここで大切なのは、良いことやプラスの出来事に意識をもっていき、自分自身の魂のエネルギーを増やしながら、そのプラスのエネルギーを使って、マイナスをクリアしてプラスにしていくことなのです。
真氣光のエネルギーも応援してくれています。
(中川 雅仁)
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わかりにくい咎めの心

 私は、研修講座などで洗心の指標を皆さんに紹介しておりますが、これは奥の深いもので、私自身なかなか卒業することができません。
どうしても人は、身近な人には、ついつい甘えが生じますし、マイナスの事柄に直面した時には、ついそれに同調してしまうものです。
イライラしたり、心配や不安になったり、その中でも一番厄介なのが、咎めの心を感じてしまうことでしょう。
何故なら、咎めの心はマイナスに同調していることがわかりにくいからなのです。
そうなっている時、自分自身はとても冷静で、客観的で、正しいと思っているのです。
しかし、その時の心の状態を見てみると、実際は少々の憤りに加え、心がざわついていることが多いのです。
そしてそこからは何もプラスを見つけられなくなっているのです。
だからそのような状態で人に対して何かを伝えても、マイナスの氣のキャッチボールにしかならないでしょう。
ここで大切なのは冷静にふるまうことでも、自分の正しいと思うことを伝えることでもなく、ただその事柄から良いことを見つけて伝えてあげることです。
 そして、どうして咎めの心が出てくるか、自分のことを少し振り返る必要があるのです。
悩みや問題が解決して、平穏な日々や、とても順調な生活を送っているときは、敢えて自分の状態がマイナスの状態になってはいないか、よく見てみることが大切です。
人は何か大変なことや悩み事がある時は、それを何とかしようと、いろいろ努力をしていますが、それがなくなると、ただただ幸せを感じながら、努力をせずに過ごしてしまうことが多いからです。
そして、その大変だった時のことをすっかり忘れてしまい、そのことを乗り越えたという優越感だけに浸ってしまい、人を咎めたりするのです。
そして、その咎めの心は、とてもわかりにくいモノなのです。
優越感という一見プラスの心のようなものから生まれてくる感情は、とても悪いこととは思えずに、そのわかりにくいマイナスの感情に集まってくる咎めという感情もそれが咎めであるとは思いもよらずに、それを当然のように他の人に表しているのです。
そしてまた少しずつマイナスの氣を集めてしまうことになるのです。
 だから、そうならないためには、自分が辿ってきた成長過程を時々思い出しては、忘れないことです。
自分はどんなことに気づき、どのようにして今があるのかをしっかりと覚えておくことが大切です。
そうすれば、優越感とか、おごり、高ぶった感情からはマイナスの氣を集めなくてすむ生活ができるのです。
(中川 雅仁)
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おかげさまで、良いことがあるものです

 今週の月曜日まで、私は富士山での真氣光研修講座のため富士山麓にいました。
空気もおいしく、木々の緑も美しい、さらに三日間雲一つ無い秋晴れで、朝昼夕の富士山が美しかったこと。
そして何よりも参加してくださった 24 名の皆さん、ありがとうございました。
このように天気に恵まれたのも皆さんと、さらにはいろいろな見えない方々のおかげと、心より感謝した次第です。
今週水曜日には強い台風が上陸しましたが、大丈夫でしたでしょうか?今年は自然災害が多くなっているような気がします。
「備えあれば憂いないし」常に気をつけて生活していきたいものです。
 ところで、私たちの毎日の生活では、思いがけず何か良いことがあったり、ひょんな事から何か良い方向に進んだり、今まで気になっていたこと、抱えていた問題などが解決してしまうということがあります。
それは本当にラッキーなことで、偶然のように思うかもしれませんが、それもまた見えないエネルギーによって起こっているということもあるのです。
私たちのことをいつも一生懸命見守ってくれていたり、私たちに氣のエネルギーを与えてくれている、プラスの氣という存在がどんな人にも存在しますと、私はよくお話ししています。
 そしてここで大切なことは、そうなったからといって、いつもそうなることを期待して、見えない御利益のありそうなものにすがってはいけないということです。
さらに「自分はそれに値する人間だ」などと調子にのるなどということは、もっての外なのです。
なぜなら、そのような心に付け込み、上手く利用してやろうとするマイナスの氣が寄ってくるからです。
 さらに、そのような心と態度は、人の妬みを買うことになります。
今生きている人と、既に亡くなっている人、両方から妬まれるのですから、並大抵のものではありません。
だから何か良いことが思いがけずに目の前に現れたときには、ただ良かった、嬉しいと思うのではなく、それと一緒にそうしてくれた自分以外のものに感謝を忘れてはいけないのです。
そして常に謙虚になることです。
そうすることで、余計なマイナスの氣を増やすことなく、今まで通りの生活ができるのです。
マイナスの氣との縁をできるだけ結ばない生き方をすることが、まず大切なことなのです。
 真氣光のエネルギーを受けるということは、真氣光のプラスの氣がマイナスの氣に届いて、その影響を少なくしていきますので、プラスの氣の影響のほうが強くなっていくということです。
つまり良いことが多くなる人もいるでしょう。
ですから、より一層、マイナスの氣に付け入る隙を与えないよう、感謝と謙虚さを身につけることが大切なのです。
(中川 雅仁)
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富士山での初めての研修が始まります

 昨日夜から私は、今日からの真氣光研修講座開催のため富士山麓に来ています。
昨日は雨模様でしたが、今日は朝から天気も回復し、真っ青な空をバックにした大きな富士山を目の前に、この原稿を書いています。
こちらの研修施設に来て『世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」』というポスターを目にしました。
こちらの研修施設も両隣が新屋山神社と北口本宮冨士浅間神社であり、この地もまた信仰の中心のようなところです。
富士山に限らず、日本人は八百万(やおよろず)の神と言いますが、いろいろなところに神様を見出しています。
富士山は、そんな日本人の心のよりどころであり、今回の世界遺産登録は本当に喜ばしいことで、この時期こちらで研修をさせていただくご縁を有難く感じるのです。
 私は小さい頃、悪いことをしたり、言われたお手伝いを分からないだろうと手を抜いたりしたときに、祖父母や両親から「神様が見てるよ」とか「罰が当たるよ」などとよく言われたものです。
昔は、本当に何処からか、いつも何かに監視されているのかと思ったものですが、氣をやるようになって、それも合点がいきました。
 私たちは、何かをすることで、その行動による経験で、魂のエネルギーを増やし成長していくのですから、何もしないとか適当にしてしまうことで、せっかくプラスになるはずのものが、ほんの少しのプラスまたはゼロになってしまうことにもなります。
さらには、分からないからといって蔭で悪いこと、自分の利益になることだけをしてしまうと、とんでもないマイナスの氣の影響を受けてしまうことになるのです。
それが仕事であれば、なおさらのことです。
仕事とは本来やるべきことをやり、さらに工夫・努力をして自ら成長させてもらいながら生活の糧となる、お金をいただけるわけですから、それができなければマイナスの氣のエネルギーから、なかなか離れられなくなるのは当然のことなのです。
見えないこと、自分の良心、他の人の気持ちを軽く扱うと、自らの心も何ものからも尊重して貰えなくなり、やがては何かに支配されたように落ち着きのない不安を抱えた心になってしまうのです。
ですから楽な方に流されるのは一瞬でも、その道から抜け出すのは、とても時間とエネルギー、心の強さが必要になるということを肝に銘じて、一つ一つのことを努力して生きていくのが大切なことなのです。
そのことが「神様が見ている」と言われた理由だったのです。
(中川 雅仁)
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