真氣光を受けて特に何も感じない人もいますが、中には気持ちがよくなる、眠くなる、有り難い感じがする等のプラスの反応が出る人、涙が出る、あくびが出る、咳が出る、苦しくなる、痛くなる、声が出る、悲しくなる、イライラする等のマイナスの反応が出る人がいます。最初は特に何も感じなくても、真氣光を継続的に受けているうちに、次第にプラスの反応やマイナスの反応が出てくる人が多いようです。仮にマイナスの反応が出てきた人も、それは一時的なもので、さらに氣を受けるうちに必ずプラスの反応に変わっていきます。
なぜ氣を受けているうちに、自分の気持ちとは関係のない反応や気持ちが出てくるのか? よく考えると普段の生活の中にも似たような現象があります。例えば、カッとして言いたくないことまで言ってしまったとか、泣いている人を見て自分まで悲しくなるとか。ふと、とんでもない事を思いつくとか。私たちは多かれ少なかれ、自分とは違う気持ちを持った何か別の意識体の影響を必ず受けているのではないかと、私は推測しています。それが魂です。身体とは別のものですから、身体が無くなってもそれは単独で存在します。 これまで亡くなった人は相当な数に上りますから、生きている私たちの周りには、既に身体を失った魂がたくさん存在していることになるわけです。
そのように言うと、「取り憑かれたらどうしよう?」と、怖く不安に思う人がいるようです。よく聞いてみると、「悪霊ならば怖い」とのことですが、「守護霊なら歓迎する」ということのようですが……。一口に魂と言っても、生きている我々も千差万別ですから、亡くなった人もいろいろな気持ちを持っていると考えた方がよいでしょう。恨んでいる人もいれば、有り難く思っている人もいるし、死んだことを嘆いている人もいれば、未知の世界への旅立ちを前に希望にもえている人もいるのではないでしょうか? さらには人の心は、一時的には忘れていても心の深い奥底には温かいものが必ずあり、それは亡くなった人も同じだということです。
氣を受けることにより、マイナスの反応が出ていてもやがてプラスの反応に変わるということは、真氣光というエネルギーが魂に届き気持ちが変わったと考えてよいでしょう。
魂にもいろいろな状態があり、そのエネルギーが増えていく過程で、その魂の気持ちが表面化して我々の意識下に出てくるようです。ですから、マイナスに傾いていた魂は、一時的にマイナスの反応を強く出すことがあるのですが、それもやがてプラスの反応に変わるのです。
(1)たましいの話を連載するにあたって
魂(たましい)という言葉を岩波国語辞典で調べてみると、「身体に宿って心の働きをつかさどるとされるもの。古来、肉体 から独立したものと考えられた。」とあります。意味からすると、「心の働きをつかさどる」という、とても重要なものです。しかし、意味の最後の部分「とされるもの」という言が、単にその存在は一説であって、「医学や科学が発達した現在の世の中では必要がないものだ」ということを表現しているかのようです。
しかし何故、昔からこの言葉があるのでしょうか。どこの国にも、同じ意味をもつ言葉が存在するのはどうしてなのでしょう。日常の生活では使う言葉な
のに、私自身、学生時代に深く教えてもらった経験はありません。もしかしたら昔から人にはとても重要なものなのに、宗教的ということや、よくわからな
いからということで、だんだんそれについて触れたり考えなくなってしまったのではないでしょうか。私には、現代の生活で生じるいろいろな不具合が、こ
のことををよく知らないために生じているような気がしてなりません。
職業上、私はあちらこちらでいろいろな人に氣を送っていますが、中には氣を受けると自分の意識とは無関係に泣きたくなったり、苦しくなったり、話を
始める人たちがいます。そのような人たちが口を揃えて言うことは、自分の意識はしっかりしていて、「何故、意味不明な言葉が自分の口から出るのかわからない」ということなのです。
そのような人たちの話を総合すると、魂という何か違う意識体があり、それが出てきて、その人の口や体を使っているとしか考えられないのです。そうい
うものを信じない方には、それは本人の過去の体験がもたらす潜在意識や妄想、さらには幻聴幻覚の類だと言われるかもしれません。それらを妄想の類として片づけることは容易にできますが、その魂らしきもの達の話を聞き、理解しようとすることにより、私は多くの事を学びました。魂の有無を議論しても、真実は死んでみないとわかりません。信じないという方も、体がある私たちにはちょっと考えられない、体の無い側からの視点も参考にしてほしいのです。
さらに、信じている方には、私が出会ったいろいろな魂の思いをもっと深く知ってもらうことが、自らの魂に磨きをかけるための参考になると思うのです。そんなわけで、不定期に連載を組もうと思います。私の思いつくままに、「たましいの話」をするつもりです。〈つづく〉
(19)自分自身を変えていく
先日、「会長には嫌な人、合わない人はいないのですか」とお便りいただきました。私の場合、職場に上司や同僚がいるわけでもなく、逆にスタッフは私の事をいろいろ考えてくれるという特殊(?)な立場ですから、一般的ではないかもしれません。ですから、マイナスの感情が出るという悩みよりも、「分かって(気づいて)くれるには、私がどう努力すればよいのか」というのが悩みでしょうか。 私は、「真氣光を利用して、まず自分自身を変えることが必要です」と、よく言っています。それは当たり前の事のようですが、なかなか難しく、私たちは、つい人のせいにしてしまいます。「職場にとても自己中心的で嫌な人がいます」とか、「父がすごく頑固で、私は本当に嫌いなんです」といった相談です。そのようなマイナスの人は、たくさんのマイナスの氣を周りに出していて、その影響でマイナスの感情がたくさん浮かんでくるかもしれません。 しかし真氣光では、自分が変わるということをお薦めしています。まず、マイナスの感情を取り除き、それから冷静に自分ができることを見つけるのです。その人の嫌な面(マイナス)がとても気になるというのは、自分の中にその人が出すマイナスと同調するマイナスの氣を持っているからです。同じ人に接していても、マイナス因子を持っていない人は、あまり気になることもなく平静を保って生活できるものです。さらに、自分のマイナス因子が、相手のマイナスをあぶり出させるようになっていることも多いものです。つまり、自分の霊性を向上させ、マイナス因子を浄化して、気にならないようにするのです。一般に、自分にマイナスがあることや欠点があることを、きちんと把握できていないと、それを材料にして自分自身が向上することは難しいものです。自分は完璧だと思っている人には、成長はないのです。 そういうふうに考えると、周りにいる人は、自分の中にマイナスの因子があることを気づかせてくれる大事な人です。もしかすると、神という存在が、魂の向上のために、その人を身近に配置したのかもしれません。そのような場合、魂が向上してその人が気にならなくなった時、嫌な人がマイナスを出す理由もなくなるので、自然に嫌な人ではなくなってしまったりして、周りからいなくなるのです。つまり、すべては自分の発している氣により、周りの現象は起こっているということです。ですから、まずは真氣光を受けながら、自分の気持ちに浮かんでくるマイナスの気持ちに焦点を当て、「何故、嫌なのか?」を冷静に掘り下げて考えると良いでしょう。あまりマイナスの感情が気にならなくなったら、今度はその人の気づきのために、自分はどんな工夫ができるのかを考えるとよいのです。
(18)お祈り行法と遠隔真氣光
私たちは他の人の幸せを思い祈ると、プラスの氣が発せられ、それはもちろん相手に伝わるのです。私は、「病気が治りますように」と祈るよりは、「○○さんの魂が輝きますように」と祈るほうが「より自然なカタチです」と話しています。研修講座のお祈り行法では、祈りという人が出すプラスの氣に加えて、真氣光の強力なエネルギーを足し合わせて実習しています。真氣光を利用する、いわば遠隔真氣光になるわけですが、その方法に2つあります。1番目は、グッズやハイゲンキを使って物理的に氣を送る方法です。これは、真氣光を遠く離れた人に送りたいという方に、以前から説明していた方法ですが、グッズ(ピラミッド、水晶など)やハイゲンキを送りたい方の写真や名前(生年月日・住所なども)の上に置いて、そこからの光が送る人に届くようにするのです。2番目は、もっと意識的にイメージする方法です。まず、ハイゲンキやグッズからの光が自分にどんどん入ってきて、自分自身が光り輝くようイメージします。そして、今度はその光が、氣を送りたい方をもどんどん包み込んでいき、その方も一緒に輝くようにイメージするのです。まず自分が輝くという点で、この方法は少し難しいかもしれませんが、自分の中で増幅された光が、よりたくさん相手に伝わります。以上二つの方法を一緒にやれば、さらに良いでしょう。皆さんも遠く離れた家族や親戚、職場や身の周りの氣になる人に送りたいときに試してみてください。相手が氣が来るのを知っていると、より一層調子を合わせられ良いのですが、知らなくても結構届くものです。
(17)真氣光は使うもの
毎回真氣光研修講座では、受講生の方々がそれぞれの氣づきを得て、家庭に戻ります。各々が、自分にちょうど良い氣づきを得るとは、すばらしいことです。当たり前に思えるかもしれませんが、一人一人の氣づきが違うということが、実はとっても重要なのです。講座で得られるのは、プラスのことには違いなくても、みんな違う氣づきであり、その人のその時にちょうど良い氣づきです。だから、しばらくすると、もっと違う思いがわいてくるかもしれませんし、一つの正解など無いのでしょう。ある人は肩の力を抜いて生きる必要があるかもしれませんし、ある人はもっとしっかり頑張って生きる方が良いかもしれないし、みんな違っていいのでしょう。以前、ある人が私に相談してくれたことがあります。「プラスの考え方が良いということは分かっているし、そうしようと頑張っています。だけど、一生懸命やってもまだ出来ない自分が居て、ついついマイナスの言葉が出てしまうのです。そうすると、周りの人に、『あなたはだから駄目なのだ』と言われて、結局何も言えなくなり、どんどん苦しくなるのです」と。私は「真氣光を受けていくうちに、マイナス自体が徐々に無くなるから、そんなに心配しなくてもいいですよ」と答えました。ここで少し真氣光の歴史について、お話ししておきましょう。真氣光は高次元からのエネルギーですが、先代が夢で教えられた当初は、エネルギー的に弱いものだったのです。しかし、だんだんとその強さが増し、95年に先代が病で倒れたあたりから、大きな成長期となりました。ですから、最初の頃は(治療哲学というものがありましたが)、プラスに向かう強い心をたくさん足してやらなければならなかったのだと思うのです。ですが、真氣光のエネルギーが増した今では、真氣光を受けているうちに、おのずと氣づきが促されるものになったようです。「明るく生きなさい」とか、「プラスに考えなさい」とか、「こういうふうに生きなさい」というアドバイスを耳にしますが、なかなか思うようにならないものです。真氣光は道具です。真氣光を受けることによって、自分にあった答えに氣づき、ちょうど良い方向に導いてくれる、便利な道具なのです。
(16)意識の力―その2
前回、真氣光のエネルギーは、氣グッズやハイゲンキから、使う人の意識に同調して入ってくるというお話をしました。例えば、「信じて使うのと疑いながら使うのとでは、前者の方が効果的ですよ」という事です。一口に意識と言ってもいろいろあります。今回はもう少し、その意識の持ち方を説明しましょう。あまりよく氣のことを理解していない人が、何も考えずにハイゲンキを当てても氣は入ってきますが、本当はもっと効率的に集中して氣を受ける方法があります。それは、「氣がどんどん入ってくる」という意識になること つまり、そうイメージする(思い浮かべる)ことによって、ますます氣が入りやすくなり、短時間でも集中して氣が受けられるのです。痛みがあったり身体がたいへんな人も、辛い部分はちょっと横に置いておいて、氣が入ってくることに集中してもらうとよいでしょう。ここで氣と言っているのは、真氣光という氣であり、それは言い換えれば光です。ですから、どんどん自分の中に光が入ってくると思ってもよいのです。その時ハイゲンキや氣グッズなどが身近にあれば、「それら全てから氣(光)が出て、自分の中に取り入れられる」と思えば、さらに良いでしょう。つまり、自分がそう思い、意識をそちらに向けることにより、まさしくそうなっていくのです。ずっと思い続けていなくても、ある時点から意識のスイッチが入ると、どんどん氣が入り始めます。また最初は、なかなかそういう気持ちになれなくても、だんだん氣を受けて、自分自身の中に真氣光のエネルギーが充電されていくうちに、その感じがつかめたりするものです。それは、真氣光と、それを受ける人の調子が自然と合って来て、同調できるようになるからです。そして、自分が光に包まれている感じになれれば、かなり充電が進んできた証拠です。プラスの氣(光)が、その人自身の魂に充電され、気持ちが良く、心地良い感じにしてくれるのです。しかし、いつもそのような気持ちの良い状態になれるとは限りません。時には、マイナスの氣(影)の影響で、暗い感じに襲われることもあります。そのような時は、特にたくさん真氣光を受けて、プラスの氣を充電していただくと良いでしょう。
(15)意識の力-その1
真氣光というエネルギーは、氣グッズやハイゲンキを使う事によって、次第にその人の魂に充電されます。たとえば、ペンダントを身につけたり、音氣をBGMとして流す事などは、生活の場で無意識のうちに氣を受けられる簡単な方法です。日頃から氣グッズを身の周りに置いて、魂にどんどんエネルギーを充電すると、いろいろな氣づきが起きるのです。では、さらに効率よく、より強く真氣光のエネルギーを利用するには、どうすれば良いのでしょうか? それは意識の力を利用することです。たとえば、テレホンカードをプレゼントされた人が、氣が出ていることを知って使うのと、知らないで使うのとでは差が出ます。ハイゲンキも「なんだか怪しい」という疑いの気持ちで使うのと、「何か出ているのかもしれない」という肯定的な気持ちで使うのとでは、後者の方が効果的です。 これは、氣を受ける人の意識状態によって、中継量に差が生じるために起きることです。つまり、使う人の意識に同調してエネルギーが中継されるのです。しかし、無理に信じる必要は有りません。氣が出ている効果を体験すれば、自然に理解できるようになります。私は、その効果を見つけるために〈いいとこ探し〉をお勧めしています。その場合、真氣光によって効果がどこに出るかは分かりません。自分ばかりではなく、氣で繋がっている家族や親戚に出ることもあるのです。ですから、幅広くいいとこ探しをすることがポイントです。 さらには、たくさんの人が同時に意識を合わせて真氣光を受けることによっても、中継されるエネルギーが大きくなります。先代が朝の7時と夜の10時から、15分間を真氣光の時間にしたことにも、深い意味があったのです。一人でハイゲンキをするよりはグループで、家よりはセンターで真氣光を受ける方が、より効果的です。私が各地で行っている真氣光セッションをグループでやっているのも、こういった理由からです。真氣光研修講座では、このような氣の性質を使って、より効果的に氣を充電していただいているのです。
(14)洗心と真氣光
関英男先生の高次元科学という本で紹介されていますが、洗心の為の指標というのがあります。これは「心の持ち方によって、どういう氣が発せられるか?」ということを分類しています。発せられた氣に対して、周りからも氣が同調して集まって来ますので、ちょっとした心の持ち方で、どんどんプラスやマイナスの氣が多くなるのです。つまり、いつも持つべき正しい心(強く・明るく・正しく・我を折り・宜しからぬ欲を捨て・皆仲良く相和して・感謝の生活をなせ)が持てるとプラスの氣が集まって来て、心の中からなくすべき感情(憎しみ・妬み・嫉み・羨み・呪い・怒り・不平・不満・疑い心配心・咎めの心・いらいら・せかせか)を持っていると、マイナスの氣が集まってくるのです。例えば小さな心配事がきっかけで、次から次へと心配事が増えてきて、夜寝れなくなったりする人もいます。知らない間にいろいろなマイナスの氣がたまってくると、いつしか病気になったり、生活も円滑に運ばなくなるのです。しかし、最初から完璧にマイナスの心を起こさないようにするのは難しいことです。解っていてもなかなか出来ないのが普通です。かえって「また失敗してしまった」と、出来ないことでストレスが溜まってしまいます。では、どうすればよいのでしょうか?私は「毎日、真氣光を受けて下さい。特にマイナスの心が起きた時には、しっかり受けて下さい。」と提案しています。真氣光のプラスの氣のエネルギーが、マイナスの氣が集まってくるのを防ぐのです。心の中のマイナスの感情が自然に薄れてきて、氣にならなくなっていきます。そして繰り返し真氣光を受けていくうちに、マイナスの心が自然に無くなっていくのです。洗心の為の指標は、ちょっと頭に入れておくと良いでしょう。何か一見マイナスの現象が起きた時に重要なことは、まず自分がマイナスの心になっていることに氣がつくことです。 次に、ハイゲンキや氣グッズで真氣光のエネルギーを受けることです。これを毎日の生活の中で繰り返し行うことを、私は<真氣光の実践>と、とらえています。一つ忘れてはならないことは、魂はマイナスの氣が取れる事により輝きを増し、その際に好転反応が起きるのですから、大なり小なり身体が無くなる時まで出てくる可能性があるという事です。
(13)好転反応
どんどん真氣光のエネルギーを取り入れていくと、一見マイナスの反応が身体や心に現れることがあります。これはさらに良くなるために起きる現象で、好転反応と呼ばれています。一見マイナスの反応とは、例えば身体がだるくなったり、眠気が出たり、どこか痛みがある人はさらに痛みが増したりする反応です。反応が出るのは身体ばかりではなく、心に現れることもあります。何か気になっていることがどんどん出てきたり、イライラや不安感、不平不満など洗心でいうマイナスの心が出る場合もあります。真氣光を受けて出て来たこれらの反応は膿出しのようなもので、出てきたら更に真氣光のエネルギーを入れて出しきらないと、なかなかすっきりとしません。注意が必要なのは、良くないものだと蓋をしてしまうと長引いてしまうのです。この好転反応というのは、生命エネルギー体(魂)にプラスのエネルギー(氣)である真氣光が入ることにより、どこかに潜んでいたマイナスのエネルギー(氣)が浮き出して来るのですが、それが取れる直前に生じる反応なのです。しかし、人によってはマイナスの氣は取れていくのに、全くその反応が分からなかったり、1日ほどで治まる場合や、何日にもわたって続き、どんどん重くなっていく場合もあります。一口に好転反応と言ってもいろいろな場合があるのは、取れていくマイナスのエネルギーに強弱があるからです。簡単に取れるようなものは、弱いエネルギーのものです。しかし何十年も前から根を深く強くおろしているものもあり、そのような場合は好転反応が長引くのです。どんどん辛くなったり長期化すると、なかなか真氣光が続けられなくなります。しかし、グッズを組み合わせたりして強いエネルギーを継続的に入れることが必要で、どうしても長引く場合は生駒で集中的に氣を受ける事をお薦めします。ですから真氣光をやり始めた人ばかりではなく、何年も真氣光をやっている人にも出る可能性があり、根が深かった場合には長期化する事もあるのです。 しかし、それが取れたときは、芯からすっきりとするのです。
うまく出来ているとしか、いいようがない
こうやって毎週上手でもない文章を書いているのですが、たくさんの方が楽しみにしてくれている事は、本当に有り難いことです。
「会長さん、毎週大変ですね」と暖かい言葉をかけてくれる方もいます。
このFAXニュースはウチの社長が「是非やりましょう」ということで始まったのですが、話が持ち上がった時は、自分でも毎週書けるかどうか疑問だったのです。
時間がたくさんあれば良いのですが、私の場合地方に行ってしまうと何日も帰らないということがあるので、一瞬「無理かな」と思えたのです。
しかし常日頃から「やってみなければ何も氣づけない」と言っている手前、舞い込んできた話を断るわけにもいかず「無理をせずにやってみましょう」ということになったのでした。
実際やり始めると、けっこう楽しんでいる自分が発見できました。
もっと良いことは自分の考えが書くことで整理できることです(締め切りが無ければもっと楽しいのですが・・)。
以前勤めていた会社では定期的に研究報告書や論文などの執筆があったのですが、とても苦痛でした。
今は小さなパソコンを購入して、旅先でポチポチ打ったりしています。
私は小さい頃、暗くなるまで体を使って外で遊んでいた子供でしたが、小学4年生の時に転機があったのです。
当時、小学校高学年では必修クラブという時間が週に1時間あり、皆好きなものを選択するのです。
私は野球とか、バスケットボールを希望しましたが、まさか入ることはあるまいと軽い気持ちで第3希望に読書クラブと書いたのです。
そうしたところ、どこも定員一杯で見事<読書>をすることになってしまったのです。
このクラブは、好きな本を読んで良いのですが、読んだ本は必ず原稿用紙に感想文を書かなければならないのです。
さらに、最初の日教室に行ってびっくりしたのですが、30 人程の全員が女子生徒で先生までが女性だったのです。
当時、赤面恐怖症で女性に弱かった私にとって、この1時間はとても苦痛なものになりました。
一言も話すことなく、ひたすら図書室の本に集中せざるを得なかったのです。
おかげさまで、文字を書くことにも慣れたのかもしれません。
当時は考えにも及びませんでしたが、やはりどんなことにも意味があるのですね。
(中川雅仁)