(2)はじめに

真氣光を受けて特に何も感じない人もいますが、中には気持ちがよくなる、眠くなる、有り難い感じがする等のプラスの反応が出る人、涙が出る、あくびが出る、咳が出る、苦しくなる、痛くなる、声が出る、悲しくなる、イライラする等のマイナスの反応が出る人がいます。最初は特に何も感じなくても、真氣光を継続的に受けているうちに、次第にプラスの反応やマイナスの反応が出てくる人が多いようです。仮にマイナスの反応が出てきた人も、それは一時的なもので、さらに氣を受けるうちに必ずプラスの反応に変わっていきます。
 なぜ氣を受けているうちに、自分の気持ちとは関係のない反応や気持ちが出てくるのか? よく考えると普段の生活の中にも似たような現象があります。例えば、カッとして言いたくないことまで言ってしまったとか、泣いている人を見て自分まで悲しくなるとか。ふと、とんでもない事を思いつくとか。私たちは多かれ少なかれ、自分とは違う気持ちを持った何か別の意識体の影響を必ず受けているのではないかと、私は推測しています。それが魂です。身体とは別のものですから、身体が無くなってもそれは単独で存在します。 これまで亡くなった人は相当な数に上りますから、生きている私たちの周りには、既に身体を失った魂がたくさん存在していることになるわけです。
 そのように言うと、「取り憑かれたらどうしよう?」と、怖く不安に思う人がいるようです。よく聞いてみると、「悪霊ならば怖い」とのことですが、「守護霊なら歓迎する」ということのようですが……。一口に魂と言っても、生きている我々も千差万別ですから、亡くなった人もいろいろな気持ちを持っていると考えた方がよいでしょう。恨んでいる人もいれば、有り難く思っている人もいるし、死んだことを嘆いている人もいれば、未知の世界への旅立ちを前に希望にもえている人もいるのではないでしょうか? さらには人の心は、一時的には忘れていても心の深い奥底には温かいものが必ずあり、それは亡くなった人も同じだということです。
 氣を受けることにより、マイナスの反応が出ていてもやがてプラスの反応に変わるということは、真氣光というエネルギーが魂に届き気持ちが変わったと考えてよいでしょう。
魂にもいろいろな状態があり、そのエネルギーが増えていく過程で、その魂の気持ちが表面化して我々の意識下に出てくるようです。ですから、マイナスに傾いていた魂は、一時的にマイナスの反応を強く出すことがあるのですが、それもやがてプラスの反応に変わるのです。