事故物件実態調査から思うこと

 先日、不動産・住宅情報サイトを運営する会社が、「事故物件実態調査」の結果を発表したというニュースを目にしました。
同調査は『6月6日~8日、「現在事故物件に住んでいるもしくは住んだことがある」20代から50代までの男女458人を対象に行われ、事故物件に住んでいる間何かおかしなことはなかったか尋ねたところ、半数以上(54.4%)の人が「あった」と回答。
最も多かったのは「誰もいないのに物音がした(ラップ音)」(13.8%)で、「誰かがいる気配があった」(13.5%)、「体調が悪くなった」(11.6%)となった。
こうした出来事を受け「事故物件で行った対策」を聞くと、「部屋や玄関先に塩をまいた」(23.6%)、「部屋や玄関先に塩を置いた」(19.4%)、「部屋に入る前に塩を振った」(18.1%)「お線香をたいた」(15.3%)、「清めのお酒をまいた」(12.7%)』というものです。
 事故物件とは何かと思い、調べてみると①殺人、自殺、火災(放火ないし失火)などの刑事事件に該当しうる事柄で死者の出た物件、②事件性のない事故、災害(地震による崩壊など)や孤独死などで居住者が死亡した物件、ということで「契約前から分かっていたら、契約(購入)をしなかった。」ということがあるので、大家さんは出来る限り全てを説明し了承してもらうということが必要だそうです。
日本全国の情報を集めた事故物件公示サイトというものもあるそうで、引越の際には参考にする人も多いようです。
 しかし、高齢化が進んでいる日本では、どんどん事故物件は増える一方です。
さらには、ある場所で過去に人が事故等で死亡した実例全てを考えれば、古戦場周辺や大規模災害、無差別爆撃などの戦災が原因で、地域全体の住人が全滅した歴史のある場所全てが事故物件ということになるでしょう。
 この記事から、多くの人が目には見えない霊、霊魂、魂というものの存在を感じ、それらに何らかの気持ちを向けているということが分かります。
私は、霊や魂などマイナスの氣は事故物件など特別な場所に限らず、私たちの身の周りの環境に存在していて、恐い物ではないとお話ししています。
そして、私たち生きている人の氣のエネルギー(光)が、彼らに与えられている、逆に言えば彼らの影響を受けている、例えば疲れたり、イライラしたり心配・不安になったり等マイナスな気持ちになる時です。
そのような時私たちは、気持ちを切り替えプラスの心を持とうと努力すること、行動することで、氣という見えない光のようなエネルギーを作り、そのエネルギーが周りのマイナスの氣をプラスに変えるのです。
また宇宙からの真氣光のエネルギーは、それを促進します。
なかなか思うようにならない時こそ、真氣光を利用していただきたいと思います。
(中川 雅仁)
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小さな“いいとこ探し”を増やそう

 6/25~28、ボストンとニューヨークで、私はセミナーとセッションを行いました。
ボストンでは60人ほど、ニューヨークでは20人ほどの方々に、氣という見えないエネルギーの存在についてお話しし、その中でも真氣光というプラスの氣のエネルギーを体験していただきました。
個人セッションでは、一人ひとりの抱えている問題点から、その背景となっているマイナスの氣を知り、真氣光を利用することで、それらを光に変えられるということに気づいて欲しいと、氣を送って来ました。
 渡米して毎回のように感じる事ですが、米国が日本と大きく違うところは、やはり人種の多様さです。
その先祖を遡れば、地球上のあちらこちらから集まっているということなのですが、今回は特にヨーロッパや中東、ロシアなどからの移民という人が多かったように感じました。
抱える問題の種類は、日本とあまり変わらないようですが、その問題の深さは、より深刻なもののように思いました。
関係しているマイナスの氣をずっと掘り下げていくと、そこには単一民族の日本にはない、長い年月をかけて増大した民族間の争いによる強いマイナスの氣が関係しているようなのです。
 どんなにマイナスの氣の影響が強くても、真氣光のエネルギーは浸透していきます。
どんな方にも、私はまず出来るところから真氣光を毎日の生活に取り入れて貰うことをお薦めしています。
小さな一滴の水でも時間をかけることで、硬くて大きな岩にも穴を空けてしまうほどになるものです。
小さなエネルギーの氣グッズでも、毎日の生活の中で利用して、自分自身に光を充電することで、やがては暗い塊のマイナスの氣をも光に変えられるのです。
そしてもう一つ大事なことは、マイナスの氣を退け、プラスの氣の応援を得やすくする為の「いいとこ探し」です。
マイナスの氣の影響が強い時には、なかなか良いことが起こらないものですが、どんなに些細なことでも良いことを見つけようとする努力、つまり小さな「いいとこ探し」を増やすことが、大きな良いことに繋がるきっかけになるのです。
 真氣光のエネルギーを受けるということは、外からプラスの氣を取り入れるということであり、それに加えて自らプラスの氣を発しようとする「いいとこ探し」ができることで、マイナスの氣がプラスに変わる効率が上がるのです。
ですから、強いマイナスの氣の影響を受けているときはもちろん、そうではない時にも、真氣光を始めて間もない人も、昔から真氣光をやっている人も基本に戻り、小さな「いいとこ探し」を心掛けてほしいのです。
(中川 雅仁)
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自分には、いろいろな面がある

 Facebookの中で、いいとこ探しなど真氣光メンバーの交流に活用していただこうとshinkikoという非公開グループ(メンバーのみが閲覧投稿できる)を作ってもらいました。(Facebookのアカウントをお持ちの方なら、参加申請いただけるとメンバーに追加します)
その中で、ある方、Aさんの「人生の大先輩の皆様の考え方をご教授して頂きたいです」という投稿から、同じような人の話が今週は多かったので、私の感じたことを書いてみます。
Aさんの投稿は、お客様・友人・家族に「最近調子どう?」って聞かれると、仕事の調子がいい時でも悪い時でも必ず「いやー、大変ですよー」とか「いや~キツイですよー」っていう返しをしてしまうそうです。
そして「キツイ」とか「大変」とか口に出すと、キツイし大変になり、そんな自分に嫌気がさすというのです。
Aさん曰く『確かに仕事はキツイ事が大半で、大変な事も大半です。だけど、大変だと思ってるのは自分であって、捉え方を変えたらキツイ事もキツイ事じゃないって事も氣づいてますし、わかってます。・・・例えば色々苦しんでる人から、「最近調子どうさ?」と聞かれると「いやー最近調子いいよ!」とも言いたくないし、「いやーキツイよ!」とも言いたくない。自分は相手の受け取り方をどうしても考えてしまいます。・・・』とのことで、先輩の皆さんはどのように考えますかということです。
 私は、相手に合わせていろいろ変化するのが本来の自分と捉え、苦しんでいる人の前では、その人のことを考えて「キツイですよ」もいいと思います。
本当に分かり合えている友人の前では、「絶好調」と本音を言っていいし、あまり考えないときには「ボチボチです」もいいです。
苦しんでいる人でも、その人との関係が深くなり、苦しみを越えて喜びを一緒に経験できれば言い方も変わっていくものでしょう。
自分が人によってコロコロ変わると、「嘘・偽りの自分、もう一人の自分」等と考え、本来の自分を通せない駄目な奴だと考えてしまいます。
でも、嘘とか本当ではなくて全てを合わせて自分であり、それらは自分の違う面でいいと思います。
このような考え方は、芥川賞作家の平野啓一郎さんの本『私とは何か――「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書)という本で「分人主義」と書かれています。
 私は、学生時代に人付き合いが苦手と思い込んでいましたので、営業職ではなく研究職のサラリーマンになりました。
しかしそれは、真氣光を始めて、人によって違ういろいろな自分が見えて来て、ある時「そう苦手でもない」と思えるようになりました。
真氣光のエネルギーが、多くの氣づきを促してくれたのです。
(中川 雅仁)
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結果より過程や経験が大事

 私は、真氣光研修講座のために、一昨日の夜から岡山県は総社市に来ています。
今回も参加していただいた三十数名の方と一緒に、私も勉強しております。
というのも、真氣光を送っていると氣を受ける人の口を借りて、既に身体を失ったいろいろな魂が出てくることがあり、毎回そのような人たちの話を聞くことで考えさせられること、学ぶことが多いからです。
 今日は二日目ですが、戦で負けたことが悔しいという魂がでてきました。
昔の武将のようで、「こいつらに負けた、それが悔しい」と言うのですが、さらに聞いていると、ただ負けたのではなく「相手が姑息な手を使った、騙された」と言います。
正々堂々と戦って負けたなら諦めもつくが、そうでない場合には、相当な悔しさが残るのだということでしょう。
相手側にしてみたら、どんな手を使ってでも勝ちたいということだったと思うのですが、その為に何百年も根深い恨みを買うことになったわけですから、当時そこまでして勝たなければいけなかったのだろうかと思ってしまいます。
 今の時代でも、結果が重視されることが良くあります。
生死をかけなければいけない戦いであれば、仕方がないことはあると思いますが、結果さえよければ、その過程はどうでもよいという風に考えがちです。
また逆に、悪い結果になりそうだから、あるいは結果が目に見えているから、何もしないほうが得だと考えがちです。
しかし氣の観点から考えると、結果よりも、その過程や経験がとても大事なことなのです。
極端な話、結果だけ重視するなら魚釣りという趣味は存在しません。
魚が欲しいのであれば魚屋に行って買えばよく、魚釣りをする必要はありません。
つまり魚を捕る過程や経験が楽しいから、魚釣りという趣味が存在するわけです。
 結果も良いに越したことはありませんが、結果に至る過程の中で経験することが、魂に光をもたらします。
つまりそれは、たいへんなことでも、面倒なことでも、あるいは苦手なことでも、悩みながらも自分で考え、決めて行動するという経験の一つひとつが、魂の輝きを増すということなのです。
中には失敗もありますが、失敗も経験しないと分からなかった大きな学びの一つであり、貴重な経験の一つになるわけです。
そのとき後悔は、「次にそれを生かすためだけ」にするのがポイントです。
それ以上、後悔してもマイナスの氣を集め、さらに失敗を助長するだけですから、ほんの少しで良いのです。
結果ばかりが気になってしまい、なかなか前に進めない人は、マイナスの氣の影響が考えられますので、それを意識して真氣光を受けてみると良いでしょう。
(中川 雅仁)
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前会長のはなし

 こちらは生駒の研修講座5日目で、ちょうど、私の妹、中川貴恵と仙波修子さんが音感行法をやっているところです。
それをモニターで観ていると、「大きなのっぽの古時計・・・」と歌っていました。
どうやら、二人はその歌を前会長の歌と呼んでいるようです。
 前会長である私の父は、時計屋を20年ほどやっていました。
妹は6月10日(時の記念日)生まれなのですが、時計屋をやっていた父は駅前で無料修理のイベントをやったり、お店でセールをやったりして、いつも大忙しの日だったのです。
 そんなことを考えながら歌を聞いていて、思い出したことがあります。
その頃、日曜になると朝早く起きて、父が近郊をよくドライブに連れて行ってくれました。
ある天気の良い日、我が家から札幌の北側にある石狩の浜に行ったのです。
6時ごろですからまだ誰も居ないはずなのですが、砂浜に車が一台、身動きがとれなくなっています。
近寄ってみると、30代の男性が一人、にっちもさっちもいかなく、困り果てていました。
事情を聞いた父は、すぐに国道まで行き、何台も大きな車を止めては、運転手さんを説得したのです。
そして、ついに大きな1台のトレーラーに来てもらい、牽引してやっと脱出することができたのでした。
 困っていた男性は、ずいぶんお礼を言っていました。
父が帰りに車の中でにこにこしながら言った言葉をはっきり覚えています。
「いいことをしたら、気持ちがいいだろう!」。
私はその時、何と返事をしたか覚えていませんが、そのことが父の生き方の根底にあった気がします。
 良い氣をだすと、良い氣が帰ってくる。
氣は心に作用します。
人に親切にできると、うれしくなるというのも、良い氣が心に気持ち良さ、つまり光を運んでくるのだと思います。
平成10年(1998年)6月18日 発行 真氣光ニュース073号 再掲)

氣の滞りを改善する

 昨晩は、高校時代の同級生二人と渋谷で飲み会をしました。
一人は30年ぶりでしたが、二人とも変わることなく「まだまだ若い」、私も大いに影響されました。
さて、私の場合、自分の仕事を一言で説明できないのが困ります。
「氣の会社」「氣の滞りを改善する」というと人によっては「???」、もっと一般的な表現「健康器具販売の会社をやっている」と、これまたよくわからない答えになってしまいます。
氣という目には見えないエネルギーは、まだまだ世の中には通じない言葉です。
 この機会に、まとめてみますと、身体の内部には生体(生命)エネルギーつまり氣のエネルギーがあり、これが身体と心の状態と非常に関係しています。
つまり身体や心の調子が悪いと氣が下がり、調子が良いと氣が上がるわけです。
氣が上がる・下がるとイメージし難いので、私は氣を光みたいなものとして、見えない光が明るくなる・暗くなると考えると分かりやすいとお話ししています。
そしてどんな人も、この見えない光が身体に沿って一様ではなく、明るい所もあれば暗いところもあるという状態で、この暗い部分というのが「氣の滞り」と呼ばれるところです。
そこの光を吸収する暗い(エネルギーの低い)マイナスの氣があるからで、一つが二つと重なり合ってだんだん増えていくと、なかなか離れなくなっていく、影響を受けるようになってしまうのです。
では、なぜそれがそこに存在するのか?
 一つには自分の心の状態、例えば心配のような暗い心に同調して引き寄せられるようにして集まるマイナスの氣があります。
もう一つは、その人の家系にもともとあったマイナスの氣というものがあります。
それは自分の上の世代が(もしかすると代々)影響を受けてきた、その家に生まれたことで影響をうけやすくなるというタイプのものです。
このようなマイナスの氣の影響によって、いつも身体の一部分の氣が吸収されてしまうのが氣の滞りです。
 この氣の滞りを改善していけると、自分の弱点が克服され、幸せに近づくということなのです。
真氣光というエネルギーを外から取り入れるということは、氣の滞りを改善する、つまりマイナスの氣をプラスの氣に変えていくということです。
継続的に光を入れられるモノがあるからこそ可能になるのです。
真氣光は30年、この氣の滞りに光を与えるということをしてきました。
その結果、氣を受ける人を通して、周りの氣の環境を光に変えてきたのです。
私は、真氣光のエネルギーを効率良く取り入れられるモノを、いろいろな人の体験を聞きながら少しでも良くするべく、20年のあいだ開発を続けてきたということになるわけです。
(中川 雅仁)
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緊張と弛緩そして集中しよう

 私のラジオ番組「中川雅仁の今日も一日い氣い氣ラジオ」ですが、明日5/28放送予定の30分特別番組では、帯津良一先生をお迎えしてお話を伺いました。
この内容は、月刊ハイゲンキ7月号・巻頭対談のページでもご紹介する予定です。
先生には、久しぶりにお会いしたのですが、80才にも関わらず、ますますお若くなっている・・・つまり先生の氣が若さを感じさせるということだと思いますが、お話を伺い私も見習うべき事がたくさんありました。
番組でいろいろ話してくださっていますが、特に夕方からの晩酌が先生の生きる源になっているとのことでした。
これがあるから仕事も頑張れる、また仕事がしっかりとできると、さらに旨い酒になる、それが先生にとってはメリハリのあるバランスのとれた生き方になっているということなのでしょう。
 真氣光研修講座では、龍村先生がヨガを通して、緊張と弛緩ということを教えてくれます。
簡単に言うと、身体は休めようとしてもなかなか休まらない(筋肉も緩まない)けれど、適度に緊張させて力を抜くと筋肉が緩みやすくなるということです。
日頃から音氣やハイゲンキで氣を受けるなど真氣光を取り入れた生活をしていると、この弛緩と言いましょうか、特に精神的な緊張を緩めるということが上手になるものです。
しかし、いくら氣が良いからと言って、いつも緩みっぱなしでは、これもまた魂の成長には繋がりません。
「ここぞという時」には、しなければならないこと、目の前の課題にしっかりと向き合って、全力投球したいものです。
私たちには真氣光があり、“弛緩は得意”だとすれば、緊張とも言うべき「ここぞという時」が多くなっても良いし、また自ら多くすることも必要です。
その「ここぞという時」に、最大限に効率を上げるには、いかに自分がそのことに集中できるかということがポイントになるのではないかと思います。
まず一つずつ、順番に、取り敢えず目の前にあることに一生懸命になることです。
例えば忙しい時には、忙しくなるようなことが舞い込んで来るもので、その時にあれもこれもと焦るばかりではどうにもなりません。
いつまでも側に居たいマイナスの氣が邪魔をするように、その人に一つの課題に集中させないということもあるのです。
まず一つずつ、自分の頭でしっかり考えることで、マイナスの氣を遠ざけるのです。
自分の頭を使うという点では、さらにもう一つ、取り組む前に“いつ、どこで、どのようにやるか等”できるだけ具体的に頭の中でイメージすることです。
これもマイナスの氣にとっては嫌なことです。
緊張と弛緩、真氣光と集中力で魂をますます輝かせていきましょう。
(中川 雅仁)
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何もする気が起きないときに

 妹とランチを一緒にしました。
話をしていて、彼女が元は低血圧だったと初めて知りました。
そんな彼女が、昔々、朝、ボーッとしながら起きて来たところに、父(先代)が、「お前、なぜニコッと笑って、おはようって言わないの?」と、言ったそうです。
それから彼女は、出来るだけ笑うようにしたそうですが、一年ぐらい経ったら低血圧が治ってしまい、今では、その話をいろいろな人に話しているそうです。
父は、「自分がプラスの氣を出すから、周りからプラスの氣が集まる、だから自分次第」ということを感覚的に知っていたのです。
妹とのお昼は「そういう人が父親で良かったね」というところに話は落ち着いたのですが、そういう意味では、いろいろな場面での父の思い出があります。
 ところで、私たちには、何もする気が起きないという時があります。
そういう時も実は自分次第ということがよくあるものです。
例えば、「こんなに低血圧なんだから、体がこんな風になって当たり前」と体のせいにしてしまえば、そこから何も変わらないでしょう。
しかし、体も気持ちによって変わってくるということです。
たいへんな時こそ、できるだけマイナスの氣を集めずに、そしてプラスの氣の応援を受けやすくするということがポイントなのだと思います。
 気持ちがスッキリする、サッパリすることは、自分自身の氣を変えるのに効果を発揮します。
皆さんは、どんなことをするとそんな感じがするでしょうか。
妹のように、笑顔で挨拶をするというのも良いかもしれません。
相手から良い反応があれば良いですが、もし仮に無かったとしても自分からプラスの氣を出せたということが、良い氣を周りから集めることに繋がります。
私がちょっと探してあげてみると、朝起きてカーテンを開ける(朝日を浴びる)、顔を洗う、シャワーを浴びる、風呂に入る、洗い物を片づける、掃除をする、ベッドを綺麗にする、体を動かす、身だしなみを整える(おしゃれをする)、床屋に行く等々、まだまだありそうです。
 そして、もう何もできないという時には、氣中継器ハイゲンキのヘッドを体に当ててみたり、何か氣グッズを使ってみることです。
気持ちがどんなにマイナスに傾いていようとも、真氣光というプラスの氣が受けられます。
この気持ちに関係なくプラスの氣が受けられるということが、氣が出るモノがあるという真氣光の特長です。
普通であればマイナスの気持ちになるからマイナスの氣が集まってくるというマイナスのループになるところですが、マイナスの気持ちでもヘッドを当てることでプラスの氣が入りますので、良い方向に変わるのです。
(中川 雅仁)
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光の絆を大切にしよう

 私の家のまわりでは、ちょうど今日あたり、桜の花が満開です。
たくさんの人が、お花見で春を満喫しているようです。
私は今朝も今シーズン何度目かのお花見散歩に行ってきました。
ところで桜の木には、平均して一体どれくらいの数の花が付いているのでしょうか。
一つひとつの花びらも綺麗ですが、木全体を眺めても、それぞれに特長があり見事に調和がとれていて美しいものです。
モノによって色が違って見えるというのは、太陽からの光がモノに当って反射される時、その表面で或る波長の光は反射し、或る波長の光は吸収されるという特性が物体の種類によって異なるからだということです。
たまたまのように、桜の花びらの場合は、淡いピンクという綺麗な色合いで、何とも可愛らしく目に映るということなのでしょう。
私達は、直接あるいは何かに反射して目に入ってくる光を見ているのですから、どんなものも光を発しているというわけです。
 ここまでは目に見える光の話ですが、私は20年以上に渡って、氣という目には見えない光に関わってきました。
誰もが持っている生命エネルギーのような氣は、その人から放たれる目に見えない光です。
明るい・暗い心と言いますが、心の状態によって氣の光も、明るくなったり暗くなったりするのです。
この氣の特筆すべき事は、意識することによって、その光に方向性を持たせることができるということです。
例えば、「あの人が好き」という場合、「好き」という心に応じた氣の光が、意識している人に向いていくのです。
 私は、一人ひとりが氣の光を持っているのと併せて、家族や会社・団体など人同士が複数集まったグループにも全体の氣の光があると考えています。
そして私達は、誰かの光が弱くなった時に、自分の氣の光をそちらに向けて発し届けることで、自分が所属するグループ全体の光を弱めることなく、逆に補い合うことでより強くできるようになっているのです。
家族の中で誰かが病気になった時には、その家族を思い看病したり、職場では新人さんに対して心くばりをするなど、温かい心で人を気遣ったり思いやりの心を持つことで、そこに見えない氣の光を向け、絆をつくることができるのです。
 誰もが光の絆の中に生まれ、支え、支えられて、さらに違う光の絆を作りながら魂を成長させていくのですが、真氣光という宇宙からのエネルギーを利用することで、大きくそれが促されます。
それぞれが自分の置かれた場所で、見えない光の絆を大切にし、自分自身の光を強めていきたいものです。
(中川 雅仁)
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赤ちゃんは光の存在

 月曜日に私は、福岡・志賀島での真氣光研修講座を終え、夜の飛行機で東京に戻りました。
この日は振替休日で連休だったこともあるでしょうか、機内は満席で、通路を隔てた隣には赤ちゃん連れの若いお母さんが座っていました。
赤ちゃんは抱かれているのですが、私の顔を見て笑うのです。
何が可笑しいのか?顔の作りがヘンなのか?何か違うものが見えるのか?知らないうちに、もっと笑わせたいと、こちらも「変顔」になっていたのです。
赤ちゃんに笑われると、どんな人も微笑んでしまい、幸せな気持ちになるものです。
研修講座でもたくさんの笑顔に接し、私は幸せな気分を味わっていた後だったので、さらにその日は良い日になりました。
 ところで言葉も分からない赤ちゃんが何故笑うのか?何に反応して笑うのか?という研究は、あまり進んでいないようです。
研究対象が、大人の思う通りにならない赤ちゃんですから、研究しようにも思うように進まないのかもしれません。
そんな中でロンドン大学の先生が、ネット経由で世界中1000人以上の赤ちゃんを持つ親から「いつ、どこで、なぜ赤ん坊が笑ったか」というアンケートを集めて分析するという研究をしています。
 調査結果によると、
『赤ん坊が初めて「笑顔」を作るのは生後6週間ごろで、声を上げて笑うようになるのは、歩いたり話したりする以前から。
世界的にも「いないいないばあ」や「くすぐり」は有効。
ただし、赤ん坊が笑うのは「他の誰かと一緒にいる時」「他の誰かが笑っている時」が多く、オモチャなどが見え隠れするだけでは笑いにくく、大人が見え隠れすると笑うようになる。
くすぐられて笑っている赤ん坊は、肉体的反応だけで笑っているのではなく、「大人が自分をくすぐっている」ということで笑いを得ていると考えられる。
赤ん坊は誰かが転ぶところを見るよりも、自分が転んだ時の方が笑いやすい傾向にある。
周りの人が悲しい・不愉快・びっくりしている時よりも、周りの人が幸せな時の方が笑いやすいという傾向にあることがわかっています』
とありました。
 このことから分かることは、赤ちゃんは氣に敏感で、周りのプラスの氣を感じているということです。
そしてもう一つ、人は生まれるということで、その家族に多くの喜びや希望をもたらします。
それは物理的なことばかりではなく、人は誰もが氣という見えない光を持っていますから、家族や、父方・母方の家系の御先祖までにも見えない多くの光をもたらしているのです。
つまり私達は、この世に光を持って生まれて来て、それを意識していなくても、いろいろな人に光を送っているということです。
真氣光を受けることで、それがより一層促されるのです。
(中川 雅仁)
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