その人の気持ちになって

 私が氣を送っていると、氣を受けている人の口を借りて「お前に、この苦しみがわかるか!」という魂(マイナスの氣)が出てくることがあります。
そういう魂たちは、昔生きていた武士だったり、農民だったりしますが、真氣光を送ると、どのような人も、やがて光が見えて来たと言って、光の方へ逝かれるのです。
この時、私はできるだけその人の気持ちを感じ、その人の身になって氣を送るようにしています。
 よくテレビのドラマでも、辛い・苦しいという人が訴えるセリフのなかに「健康な人に、病気の者の辛さはわからない」「子どものいない人に、親の気持ちなんて分からない」等の言葉を聞くことがあります。
言われた側は、突き放されたような気持ちになって心が暗く沈んでしまうというシーンです。
 誰にでもある氣のエネルギー、それは魂にある見えない光のようなものです。
それが前述のマイナスの氣のような存在の影響を受け、エネルギー(光)を極端に失うと、「誰にもわかってもらえない」という気持ちと、その裏に隠れている「少しでも誰かにわかって欲しい」という気持ちが増すのだと思います。
 想像することはできるけれど、実際に同じ体験をしていない以上、本当の意味でその人の苦しみは分からないのは当然のことです。
しかし、私たちは、辛い苦しいという人に寄り添うことができるし、少しでも理解し分かろうとすることができるものです。
 私は、「氣には波動的な性質がある」と言っているのですが、人の意識や気持ちといったものも氣であり、その人の気持ちを感じようとすることは、ラジオのダイヤルを回してチャンネルを合わせようとする行為に似ています。
その人の思いに近づこうと、限りなく気持ちの波長を合わせようとすることで、垣根となっていた両者の壁が低くなり、氣が合わせられるようになる、つまり氣の通りがよくなるのです。
氣のエネルギー(魂の光)は高い方から低い方へと伝わるから、誰かにわかってもらえると、何故か気持ちがプラスの方に変化するというわけです。
 ところで真氣光の場合は、強いプラスの氣のエネルギーなので、その人やマイナスの氣の気持ちに波長を合わせないと届かないものではありません。
しかし、そうは言っても、対象となる人の思いに近づくことができれば、さらに伝わって行きやすくなるものだと思うのです。
さらには、そうできることで、自分自身の気づきが増し、より深い所に存在するマイナスの氣にも光が届きやすくなるかもしれません。
ですから、ハイゲンキを当てる時も、そのようなことを頭に入れ、工夫していただければと思います。
(中川 雅仁)
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