小さな嫌なことを無くす努力をしよう

 私は、身近なご縁こそ、自分自身の魂を磨くのに必要な人だと、よく話しております。
かく言う私も、最も身近な家族である妻からは、いろいろ教えられることがある毎日です。
教えられると言うと聞こえは良いのですが、ムッとしたり、カチンときたりなど面白くない気持ちにさせられることがあり「これはマイナスの氣が自分にあった」と気がつくことができるということなのです。(もちろんプラスの気持ちにさせられることもそれ以上にあるのですが)
妻の言葉を借りれば、どうも私が「思いやりがない」「デリカシィーがない」ということらしいのですが、こちらは全く気がつかないでやっていることばかりです。
険悪になった所から、私も反省、妻は妻で少しは反省しているようですから、徐々にでも成長出来ているのでしょうか。
成長のピッチが遅いと、叱られそうですが・・・。
 ところで、小さな嫌な事をためないようにすることも、心をいつも穏やかに過ごすことができるためには必要なことです。
これは嫌に思うことが、例え小さなことでも無くならない限りは、いつもその思いに自分の気持ちがマイナスの影響を受けてしまっているからです。
小さなことなので、すぐに忘れてしまったり、たいしたことではないと特に問題意識もなく過ごしていたりするのです。
これは誰にでもあることで、我が儘とはまた違った少しのこだわりだったり、ちょっとだけ許せないことだったり、自分の価値観と合わなかったりといった理由から、それが自分の心の中で小さな嫌なこととして、確固たる地位を築いているのです。
そしてそれには、あまり気づくことなく日々生活しています。
これを全てなくすことは難しいかもしれませんが、今一度自分の中の小さな嫌な事を見てみるのが良いかもしれません。
ずっと今まで自分が思っていたことが、とっくにそうではなくなっているということもあるかもしれません。
もしそうだとしたら自分の思い込みで、マイナスの思いを、時々ではあっても作り出していたとしたら、とても残念でもったいない時を過ごしていたことになります。
体を持っている時間は無限ではありません。
できるだけ有意義に使わなければいけないのです。
嫌な思いからも何かを学び、気づいて光に変えていかなければいけません。
いつまでも同じ事でマイナスを作り出していては、本当に時間がもったいないのです。
自分自身にも言い聞かせなければいけないような問題ですが、皆さんの参考になればと思い、今月の氣配り画像に入れることにしました。
(中川 雅仁)
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大阪・造幣局の桜の通り抜け

 寒さが和らぎ、チューリップ等、一気にお花が咲き始め、大阪城公園の桜が満開になりました。
今年も花見客で駐車場は順番待ちの列が出来ましたが、私もお休みに桜の木の下でお昼を食べたりお昼寝をして、春を楽しませて頂きました。
大阪春の風物詩の代表:造幣局さくらの通り抜けがいよいよはじまります。
131品種 350本のうち今年の花は松前琴糸桜です。
「松前琴糸桜」は、北海道松前町の浅利政俊氏が昭和34年北海道松前町で毬山家の庭にあった無名の八重桜の種子から作り出した桜です。
花弁数は40~45枚で、開花後は紅色から淡紅色となります。
日没後はライトアップも実施します。(八重桜が有名な「造幣局の桜の通り抜け」は、4月11日~17日です。)
(大阪センター 両角)
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伝えたいと口から出る言葉と氣の関係

 福岡・志賀島での真氣光研修講座に参加していただいた50名あまりの皆さん、ありがとうございました。
先週は出会いの話を書きましたが、以前、研修講座の参加動機を聞いていたら、たまたま初めて会った人から真氣光の話を聞き、ハイゲンキを買うことになって研修講座にも参加したという方がいました。
真氣光を薦めてくださった方も偶然同時受講されていたので話を伺うと、その方に体験ギフトカードを差し上げたというのですが、これまで初対面の人にあげたことはなかったけれど、その時何故だか分からないけれど、そういう流れになって・・・と言っておりました。
そんな出会いがなかったら、私もその方と会うことなどなかったはずで、ご縁の不思議さ、見えない力を感じたのでした。
 ところで人に何かを伝える時、話をする時に、何気なく口から出てしまうことがあるかもしれません。
また自分では、それは言いたくないと思っても何か言わなければ心が苦しくなってしまい、言ってしまうということもあるかもしれません。
どちらも自分ではない何か違ったものが、言わせているのかもしれません。
そのことでは同じなのかもしれませんが実は意識の使い方という観点で見た時に、この二つは全く違った行動ということになるのです。
前者は相手のことはあまり考えずに自分以外の少し強めのエネルギーに体を使われている状態です。
だから、もし口から出てしまい自分でもどうすることもできなくて、さらにそれが真実であり正しい事だったとしても相手を傷つけてしまったら、それは言うべきではなかったということになります。
なぜなら、それを伝えたことにより相手からもマイナスのエネルギーをさらに受け大きくしてしまうからです。
後者の方は相手のことや自分の立場を分かった上で、伝えることを躊躇している状態で、やがてこれは何か大きな力によって伝えてほしい、伝えなくてはいけないという思いが強くなり、決心して伝えるという行為に移すということになります。
この場合は、その人が思い悩んでいる間のエネルギーが相手にも少しずつ伝わって知らず知らずのうちに受け入れる体勢が出来ているということがあるのです。
だから本人にとって一大決心のようにして言った言葉が、案外あっさりと理解してもらえることがあるものです。
純粋に相手のことを思って行動することがプラスの氣を集め、理解されるということなのです。
 ところで前者にしても、思いやりのある高い次元のプラスのエネルギーの応援を受けての言葉であれば、結果は良い方向に行くでしょう。
ですから、どちらにしても日頃からの真氣光をしっかりと受けることを忘れてはいけないのです。
(中川 雅仁)
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出会いと氣の関係

 昨日から縁あって初めての開催地、福岡は志賀島(しかのしま)での真氣光研修講座が始まりました。
私が、いつも最初にお話ししているのは、皆さんが何かしらの縁をもって集まって来ているということです。
ここに来ないと会えないような、いろいろな人や見えない存在との出会いから、たくさんの氣づきがあるというお話です。
 私たちは、人が出会うということは偶然のように思ってしまいがちですが、自分のエネルギーつまり氣で引き寄せていることが殆どです。
そのエネルギー(氣)も時にいろいろなものの影響を受けて変わるので、出会いに一貫性がないため、全くそうとは気づかずに、ただの偶然が出会いを作っているのだと思ってしまうのです。
ですから、良い出会いをしたいのなら、自分の氣のエネルギーを良いもの、プラスの氣に同調しやすくしておくことが重要です。
しかし、自分がマイナスの状態、マイナスの氣の影響を強く受けている時に出会った人たちが、すべて良くない人達なのかというと、そうとは言えないこともあります。
ものすごく落ち込んでしまい、とても自分一人ではどうしようもない時に、ふと手をさしのべてくれる人がいることもあるでしょう。
それはまさしく、誰の中にでもあるプラスの氣のエネルギーに引き寄せられて、あるいは誰でも応援してくれているはずのプラスの氣のお蔭で、助けにきてくれるということなのです。
ですから表面上では何もかも駄目で絶望的だと思えても、諦めずに生きることを止めなければ、その奥のプラスの氣に同調して、必ずプラスの状態になり得る出会いがやってくるのです。
 また、その逆もあります。
例えば何事もうまく行き、マイナスの出来事も、あるいはマイナス材料もないからといって良い出会いがやって来るとは限らないのです。
そういう時には思ってもみないマイナスの氣の縁を引き寄せてしまうことがあるものです。
なんとなく上手く行っていることで油断してしまい、強くプラスの氣を意識できていない状態ですから、自分の中にあるマイナスの氣が、表に出やすくなってしまうのです。
早くそれに気づいて、自分を修正していく必要があるでしょう。
プラスの縁、マイナスの縁、いずれにしても人との出会いによって、自分のエネルギーをより強いプラスへと変えていくことに意識を向けていくことです。
 強いプラスの氣が作用する真氣光研修講座という場では、たくさんの真氣光のエネルギーを受けられることに加え、プラスの氣のご縁という作用により、効率良く自分自身の氣のエネルギーをプラスの方向へ変えられるのです。
ぜひ皆さんの参加をお待ちしております。
(中川 雅仁)
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ひとくち歳時記「復活祭(イースター)」

 本日は祝日の「春分の日」で、日本ではお墓参りをするお彼岸の中日ですが、キリスト教では「春分の日」後の最初の満月の日の次の日曜日はイースターという祝日です。
イースターは、イエス・キリストが死後3日目によみがえったとされる日で、いわゆる「復活」を祝う日のことです。
キリスト教徒にとって、クリスマスとイースターは最大の祝日です。
キリストの復活とともに春の訪れを喜び合う意味もあり、春の女神イーアスターに因んで名づけられたものです。
日曜日が休日であることもイースターが由来と言われています。
昔キリスト教徒は土曜日を休日にしていましたが、イースターの日曜日に仕事を休んで礼拝に集まるようになったため、日曜日が休息の日になったと言われています。
因みに、モアイ像で有名なチリ領のイースター島の名の由来は、世界中を旅した艦長キャプテン・クックが、この島を発見して上陸したのが、イースターの日だったからと言われています。
(本社 加藤)
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心配させるマイナスの氣

 10日に東大の合格発表があったと報じられておりました。
幼稚園から大学まで、世の中の受験シーズンもそろそろ終わり頃でしょうか。
受験生ご本人も大変でしょうが、受験生を抱えたご家族の方々も気を使うことが多かったことでしょう。
私も「受験日に合わせて氣を送って下さい」という遠隔真氣光の申し込みをいろいろ受けていましたので、ご家族の気持ちが良く分かります。
受験や入学に始まり、クラス替え、就職、人事異動、引越と、この季節は心配や不安といったマイナスの氣が多くなる時期だと思います。
 私は、工学博士の故関英男先生の洗心の指標に基づいて、氣を下げない心の持ち方について真氣光研修講座で説明しております。
マイナスの氣の影響を受けてしまう感情の中に「心配心」があります。
先々のことを考えて、今できることを着々とやっていけることは、とても重要なことです。
しかし、先々のことを考えているようで、それがただの心配事になってしまい、今の生活もままならなくなってしまうことがあります。
人は生きる上で、この先何が起きるかわからない不安から、必要以上に心配したり、どうしても良い方に考えられないといったこともあるものです。
そして、その不安を打ち消すために、いろいろな事をしようとするのです。
しかし、その不安というマイナスの気持ちだけで動いてしまうと、その思考と行動もマイナスの氣の影響を受けているので、なかなかうまくいかずにプラスの結果にはなりにくいのです。
 事の始まりは、その心配であっても、それをプラスに変えることはできるのです。
その時にどうすることが良いのか、マイナスの感情だけで物事を判断していないか、自分以外の他のためになっているのか、などを客観的に見て考えられているかが重要なのです。
得てして、その人の為だから私はこんなに心配していると思っていても、よく考えてみると自分がこうして欲しいだけかもしれないし、自分が心配したくないだけかもしれないのです。
何が良いことなのかを少し冷静に考えることは、とても大切なことです。
そしてもう一つ、どうしてもそのように自分の感情がマイナスに傾いてしまうようなことがあれば、それは何か自分とは別のエネルギー(マイナスの氣)の影響を受けていることもあるのです。
そのような時には、何かが影響を与えているかもしれないと、真氣光を受けながらそれを意識してみることです。
それを続けることで少しずつマイナスの氣が消え、自分の気持ちも変化していることに気づくのです。
ただ心配するのではなく、それらのことをしっかりと考え行動することが大切です。
(中川 雅仁)
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自ら考え行動しよう

 昔から日本人は、人と比較したり、人に自分がどう映っているかを大事にしてきたところがあります。
他人に笑われたくない、恥をかきたくない、これが日本人の行動を規定する、つまり、正しいかどうかで行動を決めるのではなく、世間がそれをどう思うかで自分の行動を決めるというもので「恥の文化」とも言われます。
私は、それによってマイナスの氣となってしまった先祖も多いのではないかと思います。
 ところで客観的に自分を見ることと、人に自分がどう映っているのかを気にすることは似ているようで大きな違いがあります。
客観的に見るとは、自分の行動や判断がはたして正しいのか、人に迷惑をかけたり、人を傷つけたりしてはいないか、自分の良心に従っているのかなどと常に自分を主として他にどのような影響を与えているかを見つめることです。
 では、人に自分がどのように映っているかということを気にした行動はどうでしょう。
常に人の目を気にして、人の言動を基準にしたもので、すべてが周りの人や環境によって決まってしまうのです。
もちろんそこには、なりたい自分、こうあるべき自分があって、それが軸となり、人の目や言動を気にして自分の評価としているのでしょう。
それはとても前向きで努力をしているように見えますが、やがてなりたい自分ではなく人に良く思われたいだけの中身のない、他人任せの人生を送ってしまうことにもなるのです。
 氣の観点、つまり見えないエネルギーから見てそれはどういうことかというと、自らの魂のエネルギーがとても小さく萎んでしまい、他の魂のエネルギーをいつでも受け入れ可能な状態となっているということです。
それが良い氣(エネルギー)なら問題ないのですが、だいたいはその人につけ込んで何とかうまくやってやろうとする、マイナスの氣のことが多いのです。
なぜなら自らの魂のエネルギーが弱くなっているところに同調して入ってくるものだからです。
ですから大切なことは、まず自分が考え、自分が良いと思ったことを自らの責任において行うことを習慣とすることです。
大人も子供も、みんなに必要なことなのです。
 どうしても人目が気になってしまう場合には、マイナスの氣の影響を強く受けていることが原因ということもあります。
最初は小さな「人目を気にする」だったことが、どんどんマイナスの氣を引き寄せることで、その影響を強く受けてしまうようになるものです。
そのような場合には、自分の気持ちだけではなかなか改善し難いので、真氣光の氣のエネルギーを自分自身にとり入れ、自分のエネルギーを強くしながら気持ちを変えていくことをお薦めします。
(中川 雅仁)
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ひとくち歳時記「啓蟄」

 二十四節気のひとつ、啓蟄(けいちつ)は、毎年3月6日頃です。
「啓」とは開くという意味、「蟄」は土中で冬ごもりしている虫のことで、啓蟄とは寒さも緩み始め虫などが這い出してくる時候のことをいいます。
俳句の春の季語「初雷(はつらい)」は、立春後に初めて鳴る雷のことを言いますが、啓蟄の頃に鳴ることが多いので「虫出しの雷」あるいは単に「虫出し」とも言われています。
また啓蟄の頃の言葉に「山笑う」「桃はじめて笑う」という言葉があり、春の到来とともに山や桃の木が青々と茂り出す様子を笑っている姿に例えた表現です。
また「鷹化して鳩と為る」という言葉もあり、厳しい表情をしている鷹も、春の気候によってやさしい鳩のようになるという意味です。
人もまた寒さが和らいでくると表情も緩んで、体も軽やかになってきます。
今冬は寒さが厳しく雪も多いですが、春はもうそこまで来ています。
(本社 加藤)
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少しでもプラスになる行動を心がける

 人は何か行動することで、ふと氣が動き、その時から違ったエネルギーで考え行動することがあります。
例えば、誰かに話しかけられたり、電話がかかってきたりといった場合です。
また何か考え事や仕事でとても集中している時にも、ふと何か自分ではない何かが手伝ってくれているような感覚になることもあるでしょう。
 私は、見えないエネルギーである氣というものには、私たちにプラスあるいはマイナスに作用するプラスの氣・マイナスの氣があると説明しています。
どんな人も周りにあるプラスやマイナスの氣の中で生活しているのですから、できるだけプラスの氣の影響を受けやすくし、マイナスの氣の影響を受けにくくしたいものです。
せっかく真氣光というプラスの氣のエネルギーを受けていても、いつもマイナスの氣とたくさんのご縁を作っていては、良い氣の効果もなかなか現れないからです。
 そのような氣の観点から注意しなければいけない状態というのが、何も考えずに何の目的も持たずに、ただフラフラしたり、ボーッとしていることです。
この時は自分の意思や意識が非常に弱く、希薄になっている状態なので、他の特にマイナスの氣のエネルギーの影響を受け易くなっているときです。
ですから、そのような状態で、氣の良くない場所や、良くない人と一緒にいると、すぐにその影響を受けてしまうばかりか、どんどんと自分の体に入り込んでしまうのです。
 さらにもっと良くない状態は、強いマイナスの感情を表しながら氣の良くない所に居たりすることです。
さらに言えば、強い咎めの感情を持ちながらゴミに埋もれた部屋を掃除する、友達の不平・不満・愚痴につられて自分も人の悪口を言う、怒りを露わにした売り言葉にカーッとなって買い言葉で返す・・・等々。
マイナスの感情が、それらのマイナスと同調して、さらに強力なものにしてしまうからです。
 だから大切なことは、できるだけいつもしっかりと目的をもって生活することです。
それは自分自身をプラスの方向に成長させたいと強く思い、少しでもプラスになる行動をとることを心掛けることです。
何か格好を付けたり、斜に構えたり、冗談でも悪いことはしてはいけないのです。
マイナスに同調して何もいいことはないということを肝に銘じて生きてほしいと思います。
真氣光を受けているから大丈夫などと、そんなにマイナスの氣のエネルギーを甘く見てはいけないのです。
知らないうちに、マイナスの氣の強い影響を受けてしまうということもあるからです。
(中川 雅仁)
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意思や思いが価値観を育てる

 テレビや新聞では連日、ソチ冬季五輪の話題で持ちきりです。
特に今朝は、フィギュアスケートの男子ショートプログラムで、羽生選手が高得点をマークし首位発進したニュースで「100点超えは国際大会では史上初」とアナウンサーも興奮気味に伝えておりました。
インタビューでご本人は、高得点が取れて本当にうれしかったということに続いて、「脚が五輪ということもあってちょっと震えていて、まだ自分が思い描く演技にはほど遠い。きょうはまず喜んで、明日に向けてしっかり体を休めて、いい演技がしたい」と答えており、私は周りに影響されることなく自分の価値観に基づいて行動しようとする羽生選手の姿勢に感銘を受けました。
この羽生選手、幼少期にロシアのプルシェンコ選手を見て憧れを抱き、今回その両選手が初めて五輪の場で戦うという展開になったということで注目されているとの事前報道もありました。
 ところで憧れとは別に、人は他の誰かと比べるのを止めた時、本当の意味で成長できるのかもしれません。
でも自分一人では、どのように成長してよいかわからないので、そこから生じる不安などから、他の誰か、周りの人とついつい比べてしまうのです。
揺るぎのない絶対的な価値観を持っていれば、いちいち他と比べて、落ち込んだり、羨んだり、妬んだりしなくても済むはずですが、その自分だけの価値観もすぐには持てるものではなく、やはりいろいろ迷っては、わからなくなるのです。
では、どうすれば自分だけの価値観を見出すことができるのでしょうか。
すぐにこれだというものを見つけるのは少し難しいでしょう。
でも「自分はこうしたいのだ」という意思を持って物事にあたっていると、いろいろと気づくことがあるのではないでしょうか。
人に言われたことをそのまま素直に受け止め、その通りに上手にできることだけを考え行動していると、ふと我に返った時、自分は何故このようなことをしているのだろうと虚無感さえ覚えてしまうことがあります。
だからそこには自分の考えや思いがなくてはいけないのです。
それに基づく行動が、氣のエネルギーとなって自らの魂の輝きを促すのです。
そして周りにあるマイナスの氣を遠ざけます。
ですから、自らの意思があれば、何かフワフワとしたような不確実な気持ちのまま物事をすることがなくなってくるはずです。
そして物事の善し悪しを他と比べて決めてしまうことも少なくなることでしょう。
自分の考えで行動し責任をもって生きることで自分だけの価値観が成長し、やがて自らの魂の成長にも繋がっていくのです。
それには宇宙からの真氣光のエネルギーを是非活用してください。
(中川 雅仁)
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