昔から日本人は、人と比較したり、人に自分がどう映っているかを大事にしてきたところがあります。
他人に笑われたくない、恥をかきたくない、これが日本人の行動を規定する、つまり、正しいかどうかで行動を決めるのではなく、世間がそれをどう思うかで自分の行動を決めるというもので「恥の文化」とも言われます。
私は、それによってマイナスの氣となってしまった先祖も多いのではないかと思います。
ところで客観的に自分を見ることと、人に自分がどう映っているのかを気にすることは似ているようで大きな違いがあります。
客観的に見るとは、自分の行動や判断がはたして正しいのか、人に迷惑をかけたり、人を傷つけたりしてはいないか、自分の良心に従っているのかなどと常に自分を主として他にどのような影響を与えているかを見つめることです。
では、人に自分がどのように映っているかということを気にした行動はどうでしょう。
常に人の目を気にして、人の言動を基準にしたもので、すべてが周りの人や環境によって決まってしまうのです。
もちろんそこには、なりたい自分、こうあるべき自分があって、それが軸となり、人の目や言動を気にして自分の評価としているのでしょう。
それはとても前向きで努力をしているように見えますが、やがてなりたい自分ではなく人に良く思われたいだけの中身のない、他人任せの人生を送ってしまうことにもなるのです。
氣の観点、つまり見えないエネルギーから見てそれはどういうことかというと、自らの魂のエネルギーがとても小さく萎んでしまい、他の魂のエネルギーをいつでも受け入れ可能な状態となっているということです。
それが良い氣(エネルギー)なら問題ないのですが、だいたいはその人につけ込んで何とかうまくやってやろうとする、マイナスの氣のことが多いのです。
なぜなら自らの魂のエネルギーが弱くなっているところに同調して入ってくるものだからです。
ですから大切なことは、まず自分が考え、自分が良いと思ったことを自らの責任において行うことを習慣とすることです。
大人も子供も、みんなに必要なことなのです。
どうしても人目が気になってしまう場合には、マイナスの氣の影響を強く受けていることが原因ということもあります。
最初は小さな「人目を気にする」だったことが、どんどんマイナスの氣を引き寄せることで、その影響を強く受けてしまうようになるものです。
そのような場合には、自分の気持ちだけではなかなか改善し難いので、真氣光の氣のエネルギーを自分自身にとり入れ、自分のエネルギーを強くしながら気持ちを変えていくことをお薦めします。
(中川 雅仁)
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