「皆さんに宜しくお伝えください」ということでした

 札幌センターのスタッフ大沢賀仁さんが、4/12火曜日午後10時50分に亡くなりました。
大沢さんは昨年6月、急性骨髄性白血病と診断され、休職して治療に専念しておりました。
月刊ハイゲンキの巻末にあるスタッフ便りに、真氣光的に病気を捉えた前向きな闘病生活の様子を毎月寄稿してくれていましたので、知っておられた方も多かったことでしょう。
昨年12月骨髄移植をして、かなり体に負担があったことだろうと思われます。
2月下旬には病気が進行し、大きな決断を迫られることになったようです。
先月10日、月刊ハイゲンキ宛に最後のメッセージをもらっておりましたので、掲載させていただきます。
 「私の癌は強力でまた大幅に増え始めました。
治る可能性のとても低い再移植治療を受けるか?緩和ケアを受けながら人生の最期を迎えるか?の選択を迫られ、私は後者を選びました。
今までの治療で蓄積されたダメージ、現在の私の体力と気力、再移植治療の過酷さ等を熟考しての結論です。
死とは、体から離れて生きることと信じているので死に対する恐怖はなく解放感や充実感を感じています。
お陰様で学び多き幸せな今生でした。
余命は1カ月との見立てです。
皆さん、たくさんの応援本当にありがとうございました。
今生はお先に失礼させて頂きます。
またいつかお会いしましょう。」
 最後は、残された時間を、できるだけ家族と共に過ごす時間として大事にしたいということでしたが、私にも貴重な時間を分けて貰い、今までのお礼を伝えられました。
その時の彼は、会員の皆さんや仕事のこと、周りに対する「感謝」の言葉に溢れており、しっかりと覚悟を決めて、あちらの世界に飛躍する準備をしているように私には見えました。
 大沢さんは、1997年5月にエスエーエスに入社し、当時あった仙台センターにて2002年8月まで勤務、その後、札幌センターに異動、東北や北海道の各地を気功体験会で回ってくれていましたので、地方の方にもお世話になっているかもしれません。
私宛の最後のメールには
「…応援して下さっていた会員さんたちに何卒宜しくお伝え下さい。
19年間大変お世話になりました。
心の底から御礼申し上げます。」
と、ありました。
私も、いろいろな懐かしい思い出があります。
そんな彼に、もう会えないというのは本当に寂しいことですが、仕方がありません。
人がいつ生まれ、いつ死ぬかということは神様にしかわからないことです。
誰だって、いつか体を失う時がやって来ますが、その時に輝きを増して旅立てるかどうか、残された側は良い氣をお送りできるかどうかです。
彼もあちらに行って、さらに違う役割を担っていることでしょう。
4/17日曜日13時~14時半、私は札幌で無料体験会を予定していましたが、急遽予定を変更して「大沢さんを偲ぶ会」を開催することにしました。
年度初めのお忙しい時期とは思いますが、お集まりいただければ幸いです。
なお、毎月の真氣光レッスンと同様にライブ配信で中継しますので、当日札幌センターに来られない方はパソコンやスマホで視聴してください。
(中川 雅仁)
(4月17日10時、15時からの真氣光セッションは、通常通り行います。)
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震災から5年

 5年前の3月11日も金曜日でした。
あの日私は、午後2時から始まる仙台での会長セッションのために、真氣光ニュースをお昼までに書き終えていたのです。
あの大地震があったのは、セッションが始まって暫くしてからのことです。
私達は2階に居ましたが、突然建物が大きく縦に揺れたのを思い出します。
今まで経験したことがない地震でした。
揺れが収まってから、皆さんと無事に建物の外に避難し、早々に解散したのでした。
私と2名のスタッフは交通手段もなく、私達が東京の家に帰宅できたのはそれから2日後のことでした。
雪がちらつく寒い日でしたが、セッションを行った会場で、暖を取らせて貰い、毛布を借りたり、炊き出しを受けることができて、本当に有難かったです。
 今週に入り新聞やテレビでは特集も組まれ、この大震災の津波の被害と、原発事故にまつわる記事や番組が多く報道されています。
犠牲になった方々へ、ご冥福をお祈りするとともに、今生きる人のために、どんな取り組みがなされているかに目を向ける必要があります。
たくさんの方々の死と環境の犠牲を無駄にするわけにはいきません。
 特に原子力発電所の事故については、その後いろいろな事が分かってきて問題山積ですが、少しずつ事故処理の取り組みがなされてきています。
前代未聞のたいへんな事故でしたが、もし全ての原子炉が同時に爆発を起こしていたら、どうなっていたのか?福島第一原子力発電所の故吉田所長が「髪の毛一筋の幸運」という言葉を遺しています。
事態が“最悪の最悪”にならずに済んだのは、何か大きな力に守られていたのではと感じるのは、私だけではないでしょう。
 当時私は、度重なる余震と原発事故の影響を鑑み、急遽その月開催の真氣光研修講座を中止し、代わりに遠隔真氣光の無料イベント「震災に向け心を合わせて真氣光」を4日間に渡って開催しました。
さらには、それまで研修は毎月つくばの研修施設で開催していましたが、いろいろな場所での開催にしようということで、まず翌月に安曇野の施設で開催しました。
それから、縁が広がるように、あちらこちらの施設で開催できるようになり現在のようになったのです。
 安曇野という地名は、大昔にここにやって来た安曇族に由来があるそうです。
さらにその昔、彼らは大陸から福岡地方に上陸して日本の各地に渡ったとの話もあります。
今月、研修講座は、福岡県の志賀島で開催します。
今日の夜の真氣光タイムばかりではなく志賀島からも、東日本大震災で犠牲になった多くの方々に、さらには被災した方々が一日も早く心穏やかに生活できるよう、光を届けたいと思うのです。
(中川 雅仁)
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映画紹介 『アーロと少年』

 明日から公開予定の最新のディズニー映画です。
臆病な恐竜アーロと怖いもの知らずの勇敢な少年スポットの「言葉を越えた絆」をテーマにしたストーリーです。
弱虫で父親に甘えてばかりだったアーロは、激しい嵐で最愛の父親を亡くし、川に流されて見知らぬ土地で目覚めます。
迷子のアーロを救ってくれたのは、人間の少年スポットでした。
言葉も通じないのに、アーロを小さい体で一生懸命に守るスポット。
最初は反発しながらも、やがてアーロはスポットに少しずつ心を開いていきます。
そしてふたりは、アーロの家族が待つ家を目指し冒険の旅に出ます。
道中、行く手には想像を絶する大自然の脅威や敵が待ち受けていますが、力を合わせて困難を乗り越えていく二人。
いつしか言葉を超えた心で通じ合う、人生初の友だちになっていく…という勇気と友情の物語です。
アーロと少年
(C)2016 Disney/Pixar. All Rights Reserved.
(東京センター 高橋)
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真氣光の仲間

 いよいよ明日から、12/19(大阪)・20(名古屋)・23(東京)の期間で「真氣光メンバーズの集い」が始まります。
真氣光メンバーズとは、真氣光のエネルギーを利用している一人ひとりが真氣光のメンバー、つまり仲間という意味です。
宇宙から得られる真氣光のエネルギーは、一人よりも二人と、この氣を利用しようとする人の数が増えることで、引き出せるエネルギー量も増えることが分かっています。
ですから皆さんが時を同じくして集まって、意識を合わせることで、強力な真氣光のエネルギーを集められる可能性があり、それを利用して来年に向け良いスタートが切れるように準備しようというものです。
 私達はどんな人も、体の中に見えない光のような、生命エネルギーともいえる氣を持っていて、その光のような氣を外に向かって放ち、周りからも何らかの氣を受けています。
私達の周りには、人や動物、植物、いろいろなモノがあり、さらには目に見える存在ばかりではなく、既に亡くなっている人や動物の魂という目には見えない存在もあります。
それらは氣の観点から大別すれば、光を与えてくれるプラスの氣と、光を吸収してしまうマイナスの氣になります。
これらの中で、私達は誰もが「生きる」ということをしながら、自分自身の光を増やし、周りに与えることができる光を強くしているのですが、マイナスの氣の影響を強く受けてしまうと、なかなか自分だけでは、光を増やせなくなるものです。
 ところで先代は1988年12月23日夜に白髭の老人の夢を見て、「おまえの手から氣が出る」と教えられ、気功家になりました。
そして再び夢で「皆ができるから、それを教えなさい」と言われ、’90年から研修講座を始めました。
先代は、ハイゲンキを発明して外から光を取り入れる方法をみつけ、さらには自分自身に真氣光のエネルギーを十分に充電し記憶させれば、外から光をホースのように中継して周りにも与えられるという画期的な方法も発見しました。
先代は、自分自身でそれを体験し、実践した結果を、私達にもできると遺してくれたのです。
 人類は、誰かの発見・氣づきが他の人に影響を与え進歩・発展していますが、真氣光を利用する上でも同じです。
先代に限られたことではなく、真氣光の仲間が、お互いの経験を分かち合えることで、誰かの発見・氣づきになり、他の人の大きな進歩に繋がる可能性となるわけです。
順風満帆な人も一見マイナスな状況に陥っている人も、真氣光メンバーズの集いは、真氣光の仲間によって強いエネルギーが受けられ、氣づきのチャンスが広がる、年に一度のチャンスです。
ぜひご参加下さい。
(中川 雅仁)
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きょうは先代の命日です

 きょう12月11日は、先代・中川雅仁の命日です。
1995年に亡くなりましたので、ちょうど20年が経過したことになります。
本当に年月の経つのは早いものです。
先代の本名は中川一(はじめ)ですが、雅仁という名前は当時懇意にしていただいた宮司さんに、「そのような仕事をするなら、この名前を使いなさい」と付けて貰ったそうです。
誰にでも不思議なくらい縁がある数字というものがあるものです。
そういう意味でのマイナンバーがあるなら、やはり先代の場合は、亡くなった日ばかりではなく、長男である私の生年月日が1月1日ということからも、数字の「一」と言えるでしょう。
「一」は最初とか始まりを意味します。
真氣光の創始者としての役割も生まれた時に決まっていたのかもしれません。
よくフリージャーナリストの小原田さんが話してくれますが「誰でも氣が出せる」と言って真氣光研修講座を始めたことは、当時前代未聞の出来事だったそうです。
先代の真氣光に関する偉業を振り返ると、誰も言ったことがない、やったことがないということの連続なのですが、その始まりであり最たるものが1986年の氣中継器ハイゲンキの発明と、各種氣グッズの開発だったように思います。
夢で白髭の老人から教えてもらったとおりに作った機械がハイゲンキです。
そして、それを使ううちに「機械から出る氣のエネルギーで、気功が受けられる」そして「この氣は宇宙から集まって来るのだけれど、機械は氣を発生するのではなく、氣を中継している」と、次々にいろいろなことを発見しました。
さらには、このハイゲンキをたくさんの人の為に毎日のように使っているうちに、自らも氣を中継できる気功師になり、さらなる発見・氣づきへと繋がっていったのです。
 先代は昔、社員への訓示で「ハイゲンキを販売することは娘を嫁に出すような思いだ」と言っていたことがあります。
氣中継器ハイゲンキも2型から3型へと代わり、各種氣グッズも改良が進んでいますが、一つひとつの氣を中継するモノには、生みの親としての先代の思いがしみ込んでいます。
真氣光はどんどん進化していますが、始まりが無ければ今も未来もありませんから、先代への感謝の気持ちを忘れるわけにはいきません。
今月は、先代のメモリアルセミナーから始まった真氣光メンバーズの集いを開催します。
来年は真氣光が始まって30年目にも当たります。
この2015年の年末という節目に、ぜひ多くの方に参加していただき、たくさんの真氣光のエネルギーを受けていただきたいと思うのです。
(中川 雅仁)
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ミニローラーヘッドでマッサージ

 「そうだやってみよう!」と、真氣光を受けていて閃きました。
私には課題があります。
それは乳癌手術をした際、リンパを数カ所切除しています。
その後遺症として左腕リンパ浮腫から発病する蜂窩織炎(ほうかしきえん)を度々発症しています。
発症したら症状を抑える為に入院をして点滴治療を繰り返していました。
お陰様で最近は高熱が出る症状はなくなり患部だけが腫れる症状となっていました。
しかし、何故発症がでるのか?氣を受けながら考えた時、心と身体のバランスが取れていない事にやっと気づきました。
そこで、身体の声を聞き、動と静のバランスを整える取り組みを始めました。
左腕にはシンキコーマッサージオイルアロマを使い、マッサージを続けていました。
そのマッサージをこのミニローラーヘッドでやってみたいと閃いたのです。
おまけにフェイスラインや首のリンパに沿ってマッサージも出来て小顔効果が現れる?!かもしれません。
これからの氣づきや効果が楽しみです。
(東京センター 佐久間郁)
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いつも光の方へvol.2

 私は、8月の氣配り画像に「いつも光の方へ」という言葉を入れました。
これは、たまたま妻がこの言葉を考えて、私の撮った写真からヒマワリの花畑を選んだのです。
その妻、中川みどりが去る9月24日朝7:00に亡くなりました。
ちょうど京都で開催する真氣光研修講座初日にあたる日でしたが、私は妻の旅立ちを見送り、講座開催にも間に合うことができました。
妻の「真氣光をしっかりお願いします」という思いを感じましたので、受講生の皆さんには、講座をすべて終えた最終日の挨拶で、お知らせした次第です。
 妻は15年ほど前から、たびたび体調不良を訴えておりましたが、10年前に骨髄異形成症候群と診断されました。
この病気は血球を作れなくなる血液の癌で、妻の場合は血小板数が極端に低いという状態でしたが、輸血するなど特別な治療もすることなく定期的に受診する程度で、昨年夏まで何事もなく研修講座でのスタッフや「月刊ハイゲンキ」の制作などをしておりました。
しかし、病状が進み今年1月に骨髄移植、その後の経過は順調でしたが、8月中旬より感染症を併発し一時危篤状態に陥りました。
9月に入りその感染症を克服、会話ができるまで持ち直しておりましたが、臓器や血管のあちらこちらに負担が掛かっていたのでしょう。
最期は眠るように静かな旅立ちでした。
 「いつも光の方へ」は、私への言葉になりました。
毎日の生活には、楽しいこともあれば辛いことも、光もあれば影もあります。
真氣光のエネルギーを十分に受け、それを利用して光の方向をしっかりと選択していこうと努力すること、妻は先代のもと次の役割を担っていることでしょうから、私もこれからますます精進しなければなりません。
 生前、妻は研修講座やセミナーなどを通して、会員の皆様にはたいへんお世話になっておりましたから、一言お礼が言いたかったことと思います。
妻に代わりまして皆様に心からお礼申し上げます。
 そして最後に、約30年、公私ともに支えてくれた妻に、心からの「ありがとう」の言葉を贈ります。
 追記:「月刊ハイゲンキ」11月号の特別ページで詳しくお知らせするとともに、10/24(土)に「偲ぶ会」を東京センターで開催する予定です。
全国のセンターや会員の皆様にも映像を配信しますので、ぜひご参加ください。
(中川 雅仁)
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ひとくち歳時記「秋刀魚」

 秋刀魚(さんま)は日本では秋の味覚を代表する大衆魚です。
秋刀魚という漢字表記は、「秋に獲れる刀のような形をした魚」との意味と考えられ、大正時代の詩人、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」で広くこの漢字が知られるようになりました。
また落語の一つ「目黒のさんま」は、さんまという下魚(庶民は食べるが高貴な身分は食べない魚)を庶民的な流儀で無造作に調理したら美味かったが、殿様用に丁寧に調理したら不味かったという滑稽話。
殿様の「さんまは目黒に限る」という落ちです。
秋刀魚には、良質なタンパク質や脂質、そして血液をさらさらにするDHAが豊富で脳梗塞・心筋梗塞を予防し、脳細胞を活性化させ頭の回転を良くする効果もあるとされています。
最近のニュースで報道されているように、秋刀魚は中国や台湾などでも人気となり、外国漁船による公海での「先取り」により、日本の漁獲量は減少の一途をたどっています。
このままだと最早、大衆魚とは言われなくなるかもしれません。
(本社 加藤)
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ひとくち歳時記「重陽の節句」

 9月9日は「重陽(ちょうよう)の節句」です。
古代中国では、陽数の極である九が重なる意味から重陽と言い、大変にめでたい日として旬の菊の花を飾ったり、菊酒を飲んで祝いました。
日本には天武天皇の頃に伝わり、平安時代には菊酒を飲み長寿を祈る「観菊会」が盛んに行われ、江戸時代に五節句のひとつになりました。
また「重陽の節句」は、秋祭りと一緒に祝うことが多かったので、人々はこの日を非常に尊び、「お」をつけて「おくんち」と呼んでいました。
かつて五節句の中で最も盛大であった「重陽の節句」も今や忘れ去られようとしています。
昔を偲んで菊を飾り、菊酒を飲んで、初秋を満喫するのも一興かと思います。
(本社 加藤)
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