震災から5年

 5年前の3月11日も金曜日でした。
あの日私は、午後2時から始まる仙台での会長セッションのために、真氣光ニュースをお昼までに書き終えていたのです。
あの大地震があったのは、セッションが始まって暫くしてからのことです。
私達は2階に居ましたが、突然建物が大きく縦に揺れたのを思い出します。
今まで経験したことがない地震でした。
揺れが収まってから、皆さんと無事に建物の外に避難し、早々に解散したのでした。
私と2名のスタッフは交通手段もなく、私達が東京の家に帰宅できたのはそれから2日後のことでした。
雪がちらつく寒い日でしたが、セッションを行った会場で、暖を取らせて貰い、毛布を借りたり、炊き出しを受けることができて、本当に有難かったです。
 今週に入り新聞やテレビでは特集も組まれ、この大震災の津波の被害と、原発事故にまつわる記事や番組が多く報道されています。
犠牲になった方々へ、ご冥福をお祈りするとともに、今生きる人のために、どんな取り組みがなされているかに目を向ける必要があります。
たくさんの方々の死と環境の犠牲を無駄にするわけにはいきません。
 特に原子力発電所の事故については、その後いろいろな事が分かってきて問題山積ですが、少しずつ事故処理の取り組みがなされてきています。
前代未聞のたいへんな事故でしたが、もし全ての原子炉が同時に爆発を起こしていたら、どうなっていたのか?福島第一原子力発電所の故吉田所長が「髪の毛一筋の幸運」という言葉を遺しています。
事態が“最悪の最悪”にならずに済んだのは、何か大きな力に守られていたのではと感じるのは、私だけではないでしょう。
 当時私は、度重なる余震と原発事故の影響を鑑み、急遽その月開催の真氣光研修講座を中止し、代わりに遠隔真氣光の無料イベント「震災に向け心を合わせて真氣光」を4日間に渡って開催しました。
さらには、それまで研修は毎月つくばの研修施設で開催していましたが、いろいろな場所での開催にしようということで、まず翌月に安曇野の施設で開催しました。
それから、縁が広がるように、あちらこちらの施設で開催できるようになり現在のようになったのです。
 安曇野という地名は、大昔にここにやって来た安曇族に由来があるそうです。
さらにその昔、彼らは大陸から福岡地方に上陸して日本の各地に渡ったとの話もあります。
今月、研修講座は、福岡県の志賀島で開催します。
今日の夜の真氣光タイムばかりではなく志賀島からも、東日本大震災で犠牲になった多くの方々に、さらには被災した方々が一日も早く心穏やかに生活できるよう、光を届けたいと思うのです。
(中川 雅仁)
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