きょう12月11日は、先代・中川雅仁の命日です。
1995年に亡くなりましたので、ちょうど20年が経過したことになります。
本当に年月の経つのは早いものです。
先代の本名は中川一(はじめ)ですが、雅仁という名前は当時懇意にしていただいた宮司さんに、「そのような仕事をするなら、この名前を使いなさい」と付けて貰ったそうです。
誰にでも不思議なくらい縁がある数字というものがあるものです。
そういう意味でのマイナンバーがあるなら、やはり先代の場合は、亡くなった日ばかりではなく、長男である私の生年月日が1月1日ということからも、数字の「一」と言えるでしょう。
「一」は最初とか始まりを意味します。
真氣光の創始者としての役割も生まれた時に決まっていたのかもしれません。
よくフリージャーナリストの小原田さんが話してくれますが「誰でも氣が出せる」と言って真氣光研修講座を始めたことは、当時前代未聞の出来事だったそうです。
先代の真氣光に関する偉業を振り返ると、誰も言ったことがない、やったことがないということの連続なのですが、その始まりであり最たるものが1986年の氣中継器ハイゲンキの発明と、各種氣グッズの開発だったように思います。
夢で白髭の老人から教えてもらったとおりに作った機械がハイゲンキです。
そして、それを使ううちに「機械から出る氣のエネルギーで、気功が受けられる」そして「この氣は宇宙から集まって来るのだけれど、機械は氣を発生するのではなく、氣を中継している」と、次々にいろいろなことを発見しました。
さらには、このハイゲンキをたくさんの人の為に毎日のように使っているうちに、自らも氣を中継できる気功師になり、さらなる発見・氣づきへと繋がっていったのです。
先代は昔、社員への訓示で「ハイゲンキを販売することは娘を嫁に出すような思いだ」と言っていたことがあります。
氣中継器ハイゲンキも2型から3型へと代わり、各種氣グッズも改良が進んでいますが、一つひとつの氣を中継するモノには、生みの親としての先代の思いがしみ込んでいます。
真氣光はどんどん進化していますが、始まりが無ければ今も未来もありませんから、先代への感謝の気持ちを忘れるわけにはいきません。
今月は、先代のメモリアルセミナーから始まった真氣光メンバーズの集いを開催します。
来年は真氣光が始まって30年目にも当たります。
この2015年の年末という節目に、ぜひ多くの方に参加していただき、たくさんの真氣光のエネルギーを受けていただきたいと思うのです。
(中川 雅仁)
[menu][次へ]