プレゼントに迷い・悩む?

昨日は新宿で無料体験会があり、久しぶりに街中を歩きました。この季節、どこもクリスマスの飾り付けが賑やかで、デパートのおもちゃ売り場も活気があります。私には子供がいないのでわかりませんが、プレゼントを買うのは大変だろうなと思うのです。先日新聞を見ていて「ペットにクリスマスプレゼントを贈る飼い主は全体の6割」を発見。食べ物やおもちゃのほか、「長い時間遊んであげる」という飼い主もいるそうです。「遊んであげる」程度であれば出来そうですが、私には何かを買うというのは難しいかもしれません。お恥ずかしい話ですが、私は一番身近な家族である妻にもプレゼントをあげたことがありません。これを分析してみると、物を買うのが苦手なのだとわかります。その時に何を買ったらよいか「迷う」ことが原因で、だんだん「悩む」のが面倒になるのだとわかります。電気製品など性能を比較できるようなものは問題ないのですが、感覚的な要素が入れば入るほど悩みは増大し、結局その難問に耐えきれなくなって「面倒だから最初から考えない」というふうにしているのだと思います。ちなみに私の父である先代は、「迷う」ということとは正反対な、大胆な買い方をしたものでした。記憶にあるところでは、和菓子屋に行き「ここからここまで全部くれ」と言ったり、トラックで青森から鉢植えを売りに来ていたおじさんから「トラックにあるもの全部」を買ったり、庭にちょっとした家庭菜園を作ろうとしていた母を見て、大変そうだからと近くの農家のおじさんに頼んで庭全部にトラクターを入れてしまったり(畑が広くなりすぎて後で野菜の世話が大変に…)「もう少し考えれば良いのに」と思うことが度々ありました。周りの人は大変なんですが、本人にはなんの迷いも無く気楽なものです。私は、よくいろいろな悩みの相談を受けます。洗心の御法度の心に、「迷い」という項目があります。私は、どこから考えて良いかも分からなくなり「迷う」のは御法度だと思うのですが、よく考え悩むのは決して悪いことではないと思うのです。筋道を立てて考えれば考えるほど「迷う」ことがなくなり、自分のとるべき姿がはっきりしてくるから決心できるということになります。そして決心できると、迷わせて邪魔をしていたマイナスの氣は完全に浄化され、その分だけ上からの応援も届きやすくなるのです。氣を知る以前、私は迷ってばかりいて先に進めないタイプでした。しかし真氣光のおかげで、だんだんそれがなくなり、考え、決心し早く行動できるようになったと思うのです。しかしプレゼントの件では、まだまだ悩みが足りない(笑)ということでしょう。

メンバーズの集いを終えて…

先週8日のメンバーズの集いには、たくさんの方々にご参加いただき、ありがとうございました。今年は先代の十三回忌にもあたりましたので、当日午前中には月刊ハイゲンキ誌ではお馴染みの小原田先生にお話しいただき、私も先代の偉業を称え感謝の思いを込めて、お話と真氣光の時間には氣を送らせてもらいました。そして午後2時から、今年の真氣光の変化を振り返り、新しいホワイトセラミックヘッドとペンダントについて30分ほどお話しし、質疑応答、さらには午後3時に合わせて全国のセンターやご自宅、外出先で、一斉に参加者全員による遠隔真氣光の時間とさせていただきました。全国で600人弱の方々にお申し込みいただきましたので、強い真氣光のエネルギーを受けることができ、おかげさまで来年に向け、さらに飛躍の一歩が踏み出せそうです。私は、その後東京、沖縄と会長セッションでしたが、皆さん新しいヘッドとペンダントにずいぶん興味を持ってくださったようでした。ヘッドのほうは、初期ロットが完売となり、すぐにメーカーに注文したのですが、この商品はセラミックを磨くのに多大な時間を要するため、2月までお待ちいただくことになります。どうしても一度にたくさんの数が作れないという材料的な問題なのですが、ご購入いただいた順に発送となりますのでご了承願います。さて新しいヘッドは魂ばかりではなく、身体にも作用すると説明したのですが、真氣光は氣づきのエネルギーであり、それが変わってしまったということではありません。新しいヘッドが放つ今までの波動にプラスされた波動は、身体に作用することで氣づきを与えるというものであり、単に良くない波動や病気を取り除くというものではありません。例えば身体が楽になることで気持ちに余裕ができ、日々の生活の中で今まで見えていなかったことが見えるようになるかもしれません。私達は身体を通して氣づくことがたくさんあります。気持ちよい、軽くなった、柔らかくなった、伸びるようになった等々、それはちょっとした身体からの感じ方の変化かもしれません。しかし、そんな変化にも氣づきのチャンスがあり、それに基づいて行動できることで、人の魂は大きく光を増し、それがさらに身体にも大きく作用するのです。新しいヘッドとペンダントは、そういうわけで従来のヘッドに比べ身体にも作用することで氣づきのチャンスを増やすものです。しかし重要なことは、自ら氣づこうと洗心の指標にそって努力できると、より一層効果を発揮する物であり、その点においては従来のヘッドと何ら変わりはないのです。

もの凄く低い確率

よく考えると、もの凄く低い確率で物事が起こる場面に出くわすことがあります。そういうときには、私は少しぐらいマイナスの出来事でも「珍しい」ということを優先に考え「いいとこ探し」の良い出来事の一つと捉えることにしています。先日、妻と戸外テラス席のあるレストランでランチをいただきました。そこに雀が1羽飛んできて欄干にとまりチョンチョンと走って(?)来たかと思ったら、ちょうど私の目の前で糞をして、こちらをチラッと見てから飛んで行ったのです。食べることに忙しかった妻は気がつかなかったらしく、たった今こんなことがあったと話をしたところ、「運(ウン)が付く」つながりで彼女が以前にカラスに受けた仕打を話し始めました。話はこうです。「妻が朝、バルコニーのガラス戸を開けたところ、カラスが飛んで来て、いきなり目の前で大量の糞をした。すぐにカラスは飛び去り、彼女は『きれいに始末しなければ』と気が重くなりながら、用事があったので出かけた。ところが、その日は夕方から激しい豪雨になり、横殴りの雨のおかげで、翌朝見るとすっかり綺麗になっていた」というのです。もの凄く低い確率で起こったことを自慢しあうサイトがあるのですが、その中では例えば、テストで二択の問題を20/20個はずしたという人もいれば、彼女と誕生日が一緒で今日が誕生日だった人等々いろいろです。一般に宝くじに当たるような良い出来事は神計らいと感じられるけれど、もの凄く低い確率で悪いことが目の前に現れると、「とっても運が悪い」「神も仏も無い」と思ってしまいます。しかし自然界においては、数字では計り知れない出来事が容易に起こるのです。プラスやマイナスの氣が作用するという氣の観点から考えると、確率的には非常に希に起こる良いこと・悪いこと、どちらもあっけなく現象となることは不思議ではありません。不運な出来事は、マイナスの氣の影響で出てきた現象かもしれませんが、そのことで「なんて運が無いのだ」と悲嘆していては、同調によってマイナスの氣が集まる結果になります。少しでもプラスな出来事として心に残すことで、良い方向に切り替わるきっかけになるのです。前述の私に起こったことは軽い出来事で、実際に大きなマイナスの出来事がやってくるとなかなか余裕は持てませんが、少々の出来事ならその偶然性に着目して、興味深い話・面白かった話になるものです。毎日忙しい生活をしていると、ついつい一生懸命仕事をこなすだけで、繰り返されることが同じになり、心に残ることが無くなってしまいます。しかし、ちょっとしたことでも確率を考えてみると、心に残る出来事になるのかもしれません。

日本人はお風呂で氣を受けていた!

有名な温泉地にある外資系ホテルに泊まったときのことです。ONSEWNと書いてある大浴場があったので、夕食の時間になりそうでしたが、急いで一風呂いただいたのです。大きなお風呂が一つあるだけのシンプルなつくりで、脱衣場で服を脱いでいるとガラス戸の向こうの風呂場の方に一家族すでに入っているような気配です。「先客が居るのかな」と思いながら軽く身体を洗って湯船に近づいたところ、スリッパが2足置いてあります。「???」よく見ると湯船には見た感じからインド人の親子が入っていました。優雅に湯船でタオルを流しています。さらにはそこにバスタオルを身体に巻いた東洋系の紳士が通ります。国際色豊かなバスタイムで面白いものだと思いながら私はマイペースでゆっくりしたのです。もう上がろうという時でした。無意識に私が頭にタオルをのせて湯船に浸かっていると、先程の東洋系の紳士も私のようにしているではありませんか。もう8?9年前になるでしょうか、真氣光研修講座にアメリカから20人程の人が来たことがありました。私達はお風呂の入り方がわからないのではないか、注意書きがいるのではないかと、スタッフの間でずいぶん打合わせをしたものでした。結局、心配には及ばず日本人と和気あいあい、何の問題もなかったのでした。大衆浴場というのは日本独特の文化で、特に欧米人にとっては分からないことが多いでしょう。身体を洗い単に綺麗にするだけではなく、くつろぎ安らぐ場としての浴場です。それだけにみんなが気持ちよく入れるようにマナーが出来上がっています。銭湯が少なくなった今でも、温泉は廃れないところを見ると、お風呂で何らかの氣を充電する、日本人に無くてはならないものだと思うのです。私は出張でホテルに泊まることが多いのですが、最近は大浴場の付いているホテルが珍しくありません。温泉でなくても広いお風呂に入り一日の疲れを癒したいと思うのは私ばかりではないようです。研修講座でも、生駒から、つくばみらい市での会場に移りましたが、氣の観点からはさらに強力になりました。アクアリフレッシャーC型を×2500にバージョンアップし、そこにG型(2500倍)を取付け、さらには女性用のお風呂は大きめですから、それを二組入れています。もしかすると、お風呂の時間が一日5回の真氣光の時間(生駒では4回でした)よりも強力に氣を受けられる時間になっているかもしれません。来週末には11月の研修講座が始まります。メインとなる会場や寝室にも氣の観点から様々な工夫をしております。真氣光三昧な3泊4日を皆さんにぜひ体験して欲しいと思います。

海洋環境映像展に行って来ました

きょうは横浜へ、みなとみらい線沿線の横浜赤レンガ倉庫まで、グリーンピース・ジャパン主催の海洋環境映像展「もうひとつの地球への旅?グリーンピースの見た海?」を見に行っていきました。広告で目にしたサブタイトル「私たちの目に見えない海洋ですすむ環境破壊。地球と海を愛する皆さま、ぜひご覧ください」に興味を持ち足を運んだのです。2005/10?2007/2までグリーンピースのキャンペーン船エスペランサ(希望)号が世界の海を巡り環境破壊の現状を映像に記録したものの上映を主に、海や生き物の写真が少し展示されていました。私は月刊ハイゲンキの取材で、グリーンピース・ジャパン事務局長星川淳氏にお会いしたことがあります。その際にも、いろいろな話を伺ったのですが、実際に映像フィルムで見るとリアリティが増します。特に、地球の70パーセントを占める海ですが、毎日の生活では目にできない汚染、乱獲、違法漁業などさまざまな環境破壊が進行していることがよくわかりました。映像では、目先の経済を優先する考え方では将来海洋生物は死滅してしまう。持続可能な海にするためにも陸地での国立公園や自然保護区のような海洋保護区をつくる必要があると結論づけていました。全世界の人口はこの10月に66億人との推計が出ています。開発途上国を中心に年間7千万人増えるということです。18世紀の産業革命以前には世界人口は約6億人ですから、この3世紀で10倍以上に増えたことになります。この先はいったいどうなるのか?食料やエネルギーの問題を考えると気持ちも暗くならざるを得ない状況です。人はすべての生き物の頂点に君臨していますから、人が生きるということは、いろいろな生き物を犠牲にする可能性があるわけです。短絡的に考えると、人の存在そのものが悪ということになります。しかし私は環境問題も、多くの人が洗心を学ぶための一つの材料ではないかと考えています。なぜなら、洗心により魂の輝きを増すことにこそ意味があると思うからです。つまり、厳しい環境にも屈することなく、強く明るく正しく、自分さえ良ければなどという欲やエゴを捨て、皆で知恵を出し合って仲良く相和し、もう十分で有り難いと満足し感謝あふれる生活ができることで、魂のエネルギーは光を増します。そして誰しも皆、身体を失い宇宙に戻るわけです。宇宙から地球に生まれ、この限られた世界で精神性を高め光を増して、再び宇宙に戻る。そのときに、より強くなった光が宇宙に必要なのでしょう。真氣光というエネルギーもそれを促してくれるのだと思うのです。前述の映像展は14日(日)まで開催しているようです。詳細はグリーンピースジャパン03-5338-9800にお問い合わせください。

ドライブの思い出

先日久しぶりに車で出かけたら、妻が「ドライブの思い出って何かある?」と聞くのです。「うーん、どんな話しをすればよいわけ?」と答えると、ラジオのテーマで聴取者から話を聞いていたというのです。その時の話が面白かったらしく、ラジオで紹介されていた話をいろいろ説明してくれました。『箱根で力一杯踏ん張ってアクセルを踏んだけど車の調子が悪く35km/hしかスピードが出ず、後ろは大渋滞、隣で主人に「もっとしっかりアクセルを踏め」と怒鳴られて、ハンドルを握りながら泣き出してしまった』という話など、今となっては笑えるのですが、実際にその時には冷や汗ものだったという話です。ドライブに関する話であれば何でもよいことになりますから、彼や彼女とドライブをして、とても印象に残った風景に出合ったなど、楽しかった話がたくさん出てきてもよいでしょうが、妻によると実際にはそうではなくて、一つを除いて残りは全て苦労話だったようです。私の場合はどうだろう?と考えてみると、今となって思い出されるのは、妻とのデートよりは「学生時代スキーの帰り道に大雪で前が見えず道路じゃないところを走ってしまった」などの失敗談です。今だから笑って話せるけれど、その時は必死で、今にも泣きそうになったことばかりです。以前にこんな話を読んだことがあります。「身体を危険から守らなければならないので、もともとヒトの脳は良くないことの方を良く覚えている」というものです。確かに良くない話ならたくさんありますから、私には妙に納得できる話なのです。良くない出来事つまり一見マイナスの出来事は、それをそのまま嫌なこと辛いこととして心に残しておくと、思い出す度にマイナスの氣の影響を受けますので、良い結果をもたらしません。そういう意味では、過去の辛い話を笑い話として話せることは素晴らしいのかもしれません。そんなことを考えながら妻の話を聞いていたのです。「ところで、あなたのドライブの思いでは?」と私が聞くと、しばらく考えて彼女が話したのは、これまで私がスピード違反でお巡りさんに捕まった話でした。どうも彼女がウトウトと眠って目を離すとすかさず、私はスピードを出しすぎて運悪く(?)捕まると言うのです。私としては、あまり面白い話ではありませんが、彼女がウトウトとするということは私も眠たくなっていたかもしれないということで、その時に「運良く」お巡りさんに捕まえていただいたということは、未然に事故を防げたということでしょう。妻は笑っていますが、私には少々苦い体験ですが有難いことだったのです。

9.11の日の小旅行

先月下旬、会員さんから私は一冊の絵本をもらいました。「おきなわ島のこえ」(丸木俊丸木位里‘84年小峰書店発行、第16回講談社絵本賞など受賞)です。この絵本は、家族と生き別れて戦火から逃れる姉弟の視線で、住民の集団自決や旧日本軍による虐殺などの悲劇が描かれています。私は毎月沖縄センターでセッションを行っていますが、いつも日帰りの日程です。昨年の冬に月刊ハイゲンキの取材で美ら海水族館に行ったのですが、なかなか時間をとって旅行できないのが実状で、その前は確か2000年、ひめゆりの塔にお参りしたのを記憶しているほどです。私は、今週沖縄セッションのあと休みをとって、雨がかろうじて上がった11日に、朝から読谷村と平和祈念公園を回って来ました。読谷村では、1945年4月1日米軍が沖縄本島へ上陸した翌日、避難していた住民約140名中、83名が「集団自決」をしたチビチリガマへ行きました。そして毎年6月23日の「慰霊の日」に沖縄全戦没者追悼式が行われ、“沖縄戦終焉の地”となった摩文仁の丘にある「平和祈念公園」、さらには「ひめゆり平和祈念資料館」に行って来たのです。ちょうどその日の朝刊には、集団自決体験者証言「軍命あった」という見出しの記事がありました。内容は『沖縄戦時に旧日本軍が住民に集団自決を命じたとする大江健三郎氏の著書「沖縄ノート」などで名誉を傷つけられたとして、戦隊長と遺族が出版元と著者に損害賠償などを求めた訴訟の出張証人尋問が行われ、沖縄県渡嘉敷島での集団自決を生き延びた沖縄キリスト教短大名誉教授金城重明さんが、被告側の証人として証言。金城さんは、「軍命があったとしか考えられない」と述べた』というものです。この訴訟は、来年度の高校日本史の教科書検定で、文部科学省が「日本軍の強制があった」とする記述を修正させた根拠の一つとなったものでした。前述の絵本は函館在住のカナダ人教師らによって英訳され、英語圏の図書館に寄贈して平和教育の教材に活用してもらうという計画もあるそうです。正しい歴史を知り、多くの人が「もし自分がこれを体験していたら」と想像できれば、戦争は無くなることでしょう。図らずも9.11米同時多発テロの日でした。私は、ガマ(壕)の中で亡くなった人々をはじめ、沖縄の人々、当時日本各地から沖縄に来ていた人々、国籍を問わずここで亡くなった人々すべてに真氣光を送りながら、地球上の悲しみの波動が少しでも減ることをお祈りしたのでした。

残暑お見舞い申し上げます

東京もまだまだ暑い日が続いております。皆様いかがお過ごしでしょうか?私は先日、千葉の方まで車で行かなければなりませんでした。場所はだいたいわかっていたのですが、面倒なので道案内は車に付いているナビにおまかせしたのです。途中、首都高を通るルートなのですが、暑い日ですから車で移動している人が多いのか非常に混んでいます。ナビはときどき「最新の渋滞情報を考慮して再検索しております」と言って、いろいろ考えているようですが、最初に選んだルートを変えるつもりはないようです。私はそれに従ったのですが、私の頭の中に浮かぶルートとはずいぶん違います。「大丈夫かなぁ」と思っていると、案の定、車は渋滞でストップです。「頭悪いなぁ、このナビは」私は、イライラが出ていたのか、ぶつぶつとそんなことを口走っていたようです。しばらくすると、運転の疲れか、今度は腰が痛くなってきました。それを口にすると、横で聞いていた家内がすかさず、「あなたはさっきから文句ばかり言っているわよ。洗心の御法度の心、咎めや怒りからくる腰痛じゃないの?」笑いながら続けて「あなたは、機械に向かってよく文句を言っているもの」、私は「???」。良く考えるといつぞやも、デパートのエレベータが何基もあるのに全部同じようにしか動けないから待ち時間が長くなると「無能呼ばわり」したところを家内に指摘されたばかりでした。私はサラリーマン時代、機械を改良する職種でしたので、そのときの性分が抜けないのでしょうか、機械ものに対しては悪いところばかりが目につくようです。ナビにしてもエレベータにしても、これらが無かったことを考えたら、とんでもなく不便を感じるはずです。いろいろ便利なものが出てくると、それが当たり前になってしまって、もっと便利になる方向にばかり頭が行き、まず満足し感謝するということを忘れてしまいます。「いかん、いかん」と少々反省したのでした。そんなことをあれこれと考えているうちに、腰の痛みもいつしか消えておりました。私の咎めや怒りの心がいけなかったのでしょう。新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原子力発電所が全面停止し、電力の供給余力が少なくなっている関東地方です。東京の8月いっぱいは残暑が厳しい見通しで、電力供給の綱渡りはしばらく続きそうだとニュースでは報じています。我が家でも微力ながらの節電をしていますが、家電製品はずいぶん節電型に置き換わっていても電気製品の数が増えていることに大きな反省をしているところです。

人の絆が強める光

先ほど私は真氣光研修講座を開催していた、つくばみらい市から帰宅したところです。今回は開催中に終戦記念日があるなど先の戦争で亡くなった人々、お盆の時期でもあったのでかつて苦労された先祖にあたる人々も、一緒に講座で真氣光をたくさん受けていかれたように思います。参加者の皆さんも毎日の生活で背負った重い荷物がどんどん取り外され、4日目には身も心もすっかり軽くなったようでした。毎朝の「いいとこ探し」行法での発表を聞いていると、話の内容の深さから、受講生同士の打ち解け具合がわかるものです。良かったこと、嬉しかったこと、そればかりではなく過去に起きた辛かったことや苦しかったことからの気づきを素直に話せることで、人と人との間にあった壁が取り払われていくのです。聞かせていただく私は毎回のように、大きな感動に包まれます。まるで大きな家族が、毎日一回食卓に集って、いろいろな話をしているような感じです。今年初めに上映された「幸福な食卓」(6/22DVD発売)という映画があります。あらすじは、次のようなものです。『中原家は、教師の「父さん」、専業主婦の「母さん」、兄の「直ちゃん」、佐和子の4人家族。母さんは家を出て、秀才の兄は大学に行かず、突然農業を始めた。ある朝突然、父さんは父さんをやめる。中原家は、必ず四人が顔を揃える毎朝の食卓の場で伝え合う……そんなささやかなルールを大切にしてきた家族でした。戸惑いながら生きる中学生の佐和子の前に、転校生の大浦が現れた。驚くほど単純な性格の大浦だが、いつしか佐和子にとっては心の支えとなっていた。2人はそろって同じ進学校に合格し高校生活を始める・・・・。一時は家族が崩壊していく危機に見舞われますが、あることをきっかけに家族の絆が強まります。』一人ひとりの魂は光をもっています。人と人との集合体にも、全体の光みたいなものがあり、誰かの光が弱くなるとそれを補い合うように周りから補填されます。つまり家族にも光があるのですが、心が通じ合い、絆が深まると、その光は大きく強さを増すのです。ですから、たとえばその家に恨みを持つようなマイナスの氣がはたらくと、それはまず家族をバラバラにして全体の光を弱めたいと思うのです。この映画で印象に残ったセリフ「気付かないところで守られてるから」ではないですが、いろいろな人達が家族の光を守ろうとしています。この映画の食卓のような、一同に会し氣を合わせることの重要性がわかります。そして、真氣光研修講座でのいいとこ探しのように、そのような場に真氣光を利用できると、さらに応援が強まるのだと思うのです。

心を強くする

広島に続いて長崎でも、今日、平和祈念式典が開かれ、原爆が投下された時刻に黙祷がささげられたとニュースでは報じています。前回の本紙面でもお話ししましたように今週、私はいつもよりは時間を多く割いて、真氣光をたくさん受け、原爆で亡くなった方々に氣を送り、冥福を祈りました。4月に当選した長崎の田上市長による平和宣言では、北朝鮮による核実験やイランの核開発疑惑など核をめぐる国際情勢には不安が募るなか、「被爆国のわが国においてさえも、原爆投下への誤った認識や核兵器保有の可能性が語られる」と現状を憂い、米国をはじめとするすべての核保有国が、自らの核兵器の廃絶に取り組むべきだと訴えたものでした。私が真氣光を送っていると、原爆で亡くなった人が、苦しみながら出て来たことが何度もありました。そのうちの一人の魂さんが最後に遺していった言葉を思い出します。「人の心は弱いものです。弱いから強くなろうとして、他を傷つける。一人ひとりが強くなれば、他を傷つけることも無くなる。」それを聞いて私は、核武装や戦争ばかりではなく、毎日の生活の中でも思い当たる事がたくさんあり反省させられました。洗心の指標の中にも、最初に掲げてあるのが「強く」であり、他への「咎め」は“心から無くすべき感情”に入っていますが、自分の心を強く持つということは、いざ実践となると本当に難しいものだからです。真氣光のエネルギーは、人の心を強くしてくれるものだと思います。自分自身の弱い心を発見したときに、音氣を聞いたり、ハイゲンキをすることで、少しずつ魂に光が入って、心が軽くなるのです。自分ではなく他のせいにしたり、他のほうに意識が向いていると、「気づきを得られずに、他を傷つける」ということになってしまうのだと思うのです。自分の弱い心のほうを見るのは、少々辛いことですが、焦点がそちらに定まれば光の応援が必ずあります。それを信じることなのです。また真氣光は、自分に取り入れ、さらには誰かに送れるのが特長です。私は今週、氣を送るという遠隔真氣光に集中してみて、「真氣光チタンプレート」という新しい氣グッズの効果を確認しました。それは2年目以上の正会員の方々に無料で配布しているハイゲンキ用パワーシートを改良したもので、縦7cm横10cm厚さ2mmのチタン板の裏一面にパワーシート同様の3連マークをエッチングにより千個彫り込んだものです。氣を送りたい人の写真、物などの上に置いて使うのです。これは水晶に代わる社内の波動調整用に私が試験的に作ったものなのですが急遽販売することにしました。一般価格36,750円、発売の時期についてはセンターにお問い合わせください。