房総に行ってきました

先週の初雪、大寒を挟んで昨日は東京でも若干の積雪があり、雪を楽しんだ方もいらっしゃったのではないでしょうか?北国育ちの私にとって、小さい頃には「雪が降って嬉しい」という感覚があったにも関わらず、それをすっかり忘れ、「寒い、寒い」とマイナス気分になっていたところを、逆に楽しそうにしている人にお会いして、思い出させていただきました。
ところで先週、私は東京湾アクアラインを通り房総半島を縦断して太平洋側にまで足を伸ばしてきました。3月号の月刊ハイゲンキ「新紀行」というページで、皆さんに一足早い春を感じていただきたいと、房総の花の写真を撮りに行ったのです。当日、快晴ではありましたが、「初雪降る」のニュースとともに幾分冷たい強めの風が吹いておりました。中には心なしか凍えている様子の花もありましたが、そんなことは諸ともせず大方の花たちは、あちらこちらで、色とりどりに咲いておりました。彼らのおかげで取材は無事終了、この様子は誌面でゆっくりご紹介したいと思います。
ところで、かつて日本史上の大きな変わり目で、ここ房総の果たした役割は非常に大きなものがあります。1180年に源頼朝は、石橋山の合戦で数にまかせる平家の大群に敗北を喫し、ひとまず房総半島に逃れるべく三浦半島から海を渡ります。そしてわずか40余日という短期間で関東の武者を束ね、巨大な反平氏勢力のリーダーとして、その存在をきわだたせたのでした。もし、この地の武士達が居なかったら、歴史は一体どうなっていたのでしょう。
源平の時代から戦国時代にかけて、たくさんの武士達の戦いがありました。武士ばかりではなく、巻き込まれた家族や農民に至るまで、数えきれないほどの悲しみや憤り、さらには無念の思いがあったことでしょう。私が氣を送っていると、その頃の魂たちが、氣を受けている人の口を借りて出てくることがあります。昨年は「たくさんの武士達に光を与えて欲しい」という魂もあり、何百年経っても辛い思いは変わらずに残り続けることを痛感しました。
観光とは「光を観る」と書きますが、その地の素晴らしいところ、つまり光の部分に触れるということがあるのだと思います。さらに私は、氣を知るようになってからは、その地の歴史に触れることも大事だとつくづく思うようになりました。当時の人々の気持ちを感じることで、「その時に生きてくれていた人々があったから今がある」という感謝や畏敬の念を抱くことができ、それが良い氣(光)となって、かつてそこに生きた人々を輝かせるのです。そういう意味では今回、短い旅でしたが良い観光ができました。