(22)心頭滅却すれば火もまた涼し

先週末は金曜日から日曜日までの三日間で名古屋、大阪、福岡、熊本を真氣光セッションで回って来ました。寒い日が続いたせいか、風邪を引いたという方、体調を崩したという方もいらっしゃいました。皆様、“氣を付けて”、ご注意ください。私も、その前からオーバーワーク気味だった為か、日曜日の深夜には自宅に戻ったのですが、翌日の月曜から何だか風邪を引いたように胸の辺りが重い感じになり、変な咳が出たかと思えば首の下が重くなり、そのうちに左の肩が痛くなるやら、しばらく体調不良が続きました。しかし、やらなければならないことは目白押しでしたから、「気合いを入れて」と思うのですが、なかなか身体が言うことを聞きません。「風邪にやられたかな」と妻に話すと、すかさず「大丈夫よ、氣が足りないだけ」のひと言。いつも私が言っている台詞をとられましたが、自分のこととなると氣のせいだとは思えず、出来ないことがでてきてもあきらめモード、「仕方がない」と言い訳ばかりを唱える始末で、我ながら少々おかしな状態でした。しかし、氣を受けているうちに火曜日には「心頭滅却すれば火もまた涼し」とまではいきませんが、かなり近い境地まで気持ちを切り替えることができました。身体は疲れていてもやはり氣の持ちようですね。 と ころで、このことわざですが、辞典で調べてみると『気持ちの持ちようで、いかなる苦難でも凌ぐことができるということ。「心頭」とは心の中。心の中から雑念を払えば火も熱くないということから。出典は中国・唐代の杜荀鶴(とじゅんかく)の詩。日本では甲斐・恵林寺の僧・快川が織田信長勢に焼き討ちされた時に唱えたと伝えられる有名なものだが、なぜか、近代以前には用例が見当たらない。』とあります。昔の人は凄いものです。修行によって、身体にいろいろな苦痛があっても精神力でそれを克服することができる、つまりそこまで心を強く出来たのですね。洗心の指標の一番目に「強く」とありますが、私にとっては最重要課題の一つです。心を強く持つことで、魂に光が増し、足を引っ張るいろいろなマイナスの波動が浄化されるのです。真氣光を受けることは外から魂に光を注ぐことで、自らの心を強く持つことは内部から光を増すことですから、両方同時に行えると良いのです。しかし、修行の無い現代の世の中で、心を強くするにはどうしたらよいのでしょう?よく考えると、毎日の生活の中でストレスを強く感じるような時が、心を強くする絶好のチャンスです。どうやら私の場合は、疲れたときに楽をしようとばかり考えがちですが鍛錬の時と捉える必要もありそうです。