真氣光で通じ合える心を増やそう

 昨日22 日は「良い(4)夫婦(22)の日」だとか・・・、確か11 月22 日も夫婦の日だったと思いながら調べてみると、両方存在するのですね。
語呂合わせからこのような日がつくられているのですが、良い夫婦になるために意識する日が多くなるのは結構なことです。
 昨年の夫婦の日にあわせて、既婚者を対象にしたアンケート調査があって、夫婦円満のために大切だと思うことは何ですか?との問いに ①話をする・聞く、②信頼する、③言葉にして感謝を伝える・・・との順で回答があり、コミュニケーションのあり方が大切だと考えている人が多いと分析されていました。
 我が家の場合、時々私が余計なことまで言ってしまい失敗することが多く、コミュニケーションの質を上げるのが課題というところでしょうか。
とりたてて言葉で説明せずとも心が自然に通じあうことを以心伝心と言いますが、心と心で通じ合えると便利だと思うのですが、なかなかそうはいかないようです。
 氣は目には見えないエネルギーの総称です。
人の心も氣であり、その状態により、いろいろな種類の氣を発しているということになります。
怒っているとき、悲しんでいるとき、辛いとき、楽しいとき、それぞれに発している氣のエネルギーが違うのです。
ところで氣の性質として、電波や音のように波動的な性質があると私は考えています。
伝わってくる氣が感じられるか、感じられないかは、氣を受ける受信側の人がとても大事なのです。
他人の悲しむ姿を見て自分まで悲しくなる、もらい泣きという現象がありますが、自分に他人の悲しさが分かる体験があるから、そのようなことが起こるわけです。
誰でもが悲しいと感じる共通した体験なら、受信側の用意ができているから、氣を感じられて「以心伝心」が成り立つというわけです。
 しかし、自分と周りの人との間で、同じ体験はなかなかありません。
仮に同じ体験があっても、立場が違うと同じようには思えない場合もあります。
ですから、「何も言わなくても、私の気持ちがわかるだろう」ということは、実際にはなかなかあり得ないことであり、言葉を使って分かってもらおう、分かろうとする努力は、とても重要なことになるわけです。
 ところで、研修講座を一緒に受講したご夫婦に、「お互いの気持ちが通じ合えた気がする」との感想をいただくことがよくあります。
真氣光のエネルギーを受けることで、お互いの間を壁のように邪魔していたマイナスの氣が消えて、受講中特に言葉を交わしたわけではないのにお互いの氣を感じやすくなったのだと思います。
真氣光は言葉に加え、心と心で通じ合える機会を増やしてくれるのかもしれません。
(中川 雅仁)
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樹齢2000年の桜を観に行きました

先週、山梨県の実相寺の樹齢2000年の神代桜(じんだいざくら)を観に行って来ました。
園内の桜もちょうど満開で、あちこちでカメラで撮影している方も多くいらっしゃいました。
奥まで歩きお目当ての桜に出合えた時は、枯れそうな幹もありましたが、支えも設置されて、見事に立派な花を咲かせてくれていて、ありがたさが湧いて来ました。
立て看板には、国宝である事、昨年宇宙ステーションに苗が運ばれ地球を周った事等色々説明がありました。
今年は長く桜を楽しめ、有難い年ですね。
寒い地方の開花宣言が待ちどうしいですね。
(東京センター 両角まゆみ)
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氣力も真氣光が後押しする

 東京は、お花見の季節になりました。
あいにく今日は天気が悪いのですが、会社の近くの公園にも桜の木があり、綺麗な花をつけておりました。
今月の氣配り画像は、先日撮った桜の写真です。
進学、就職のシーズンですが、新しい生活に胸躍らせている人、家族が新生活を始める人も多いのではないでしょうか。
真新しいスーツに身を包んだ新入社員らしき若者が先輩と一緒にカバンを持って会社周りをしており、それを眺めながら私も、25年以上昔の新入社員時代を思い出しておりました。
 私は学生時代の成績から判断して優秀なタイプではなかったので、「体力で勝負」と自負する新入社員でした。
しかし配属先は忙しいところだったので残業、残業の毎日で、3年程そんな生活をしていたら、だんだん疲れが溜まってきたのか体力が低下し、さらに数年で気力も落ちてしまいました。
私の上司、当時はまだ課長でしたが、今思うと気力の人でした。
問題山積みのところを、どんどん突き進むというタイプで、随分いろいろな事を教えてもらいました。
今、氣のことを仕事にしているのですから、当時教わった気力も、必要なことだったのです。
 気力とは、辞書で調べると『困難や障害に負けずに物事をやり通す強い精神力。気持ちの張り、気合い。』とあります。
つまり心が持っている見えないエネルギーですから、氣の一種であり、氣力とも言えるでしょう。
 5月号の月刊ハイゲンキ誌の対談ページには、その氣力で突き進んでいるアートディレクター水谷孝次氏に登場いただきました。
北京オリンピックの開会式に、ご自分の笑顔の傘の企画を、中国政府がなかなか許可を出さないところ、氣力で実現させた経験をお持ちの方です。
 また、先代も氣力の人だったように思います。
どんなに逆境に陥っても持ち前の精神力で乗り越えて、真氣光の基礎を作りあげました。
 私は、自分の性格を分析すると、氣力で・・・と言うよりは、すぐ気弱になりがちです。
洗心の指標の「いつも心に持つべき感情」(強く、明るく、正しく、我を折り・・・・)一番目にある「強く」が、いつもテーマです。
 しかし、真氣光をやることで、“常に”というわけには行きませんが、どうしても必要な“ここぞ”という時には、何とか心を強く持つことができて、ピンチも切り抜けられているような気がします。
これから新生活を始められる方も、そうでない方も、人生にはいろいろな困難な事があるかと思います。
真氣光を利用して、ピンチに陥った時にも氣力で乗り切ってほしいと思います。
(中川 雅仁)
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思いやりで良い氣を

 愛知での真氣光研修講座では50 名ほどの方と、貴重な時間を共有できました。
参加者の皆さん、さらには研修中の遠隔真氣光で参加いただいた方、誠にありがとうございました。
おかげさまで、‘90年3 月17 日に始まった研修講座も20 周年を迎えることが出来ました。
偶然にも3泊4日の講座最終日22 日は、先代の74 回目の誕生日でした。
氣は心、良い氣を出せる人を養成したいと始めた研修講座ですが、この20年間にのべ一万四千人の方に受講していただき、先代もあちらの世界から喜んでくれていることと思います。
 ところで愛知の研修では施設に温泉が付いておりました。
私は研修講座を終えて出張したのですが、そこのホテルにも温泉があったものですから、先週からすっかり温泉三昧です。
でも仕事ですから、せっかくの温泉ものんびりゆっくりというわけには行かず、やはり私の場合は温泉効果よりも毎日の真氣光の効果の方が、リラックスにはずっと効いているような気がしています。
出張先のホテルでの温泉では、たくさんの人が入るからでしょうか、桶などが散乱しておりました。
「後に入る人のことを考えると片付けておくのはマナーでしょう」と、つい咎めの心が沸いてしまいます。
しかし、私自身よく考えると、‘92 年に初めて研修講座を受講して他の人の気持ちを思いやることの大切さを学ばせてもらったようなものですから、人のことをとやかく言えるような立場にもないと気がつきました。
まだまだ毎日たくさんの気がつかないマナー違反をしているでしょうし、他の人への配慮が足りない言葉使いや振る舞い・行動をしていることに、あらためて反省です。
 ところで数年前から「江戸しぐさ」が、テレビや新聞で話題に上るようになりました。
雨の日に互いの傘を外側に傾げ濡れないようにすれ違う「傘かしげ」、腰をこぶし分浮かせて席を詰め空席をつくる「こぶし腰浮かせ」、人様の足を踏んでしまったら素直に謝り、踏まれた方もこちらこそと言う「うかつあやまり」等々・・・当時人口百万人の大都市江戸の町方のリーダー達が互いに気持ちよく共生するために築き上げた人付き合いの心構えを形にしたと言われています。
他の人を思いやるという心くばりの深さには、終わりがないように思います。
その心が周りの人、そして自分自身を幸せにする、つまり真氣光の氣のエネルギーとは違いますが、良い氣をお分けすることで良い氣が戻ってくるという氣の原理は同じです。
現代の方が進んでいる点もありますから、昔が全て良いということではないでしょう。
だからこそ私達それぞれに他を思いやる、さらに深い氣づきが必要な時代なのだと思うのです。
(中川 雅仁)
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真氣光から学ぼうとする真剣さ

今週の水曜日は鹿児島市のたぬき湯をお借りしての気功体験会でした。
平日の開催ながらたくさんのご参加有り難うございました。
当日は早咲きの桜が綺麗でした。
今回は私自身とても勉強になることがありました。
女性の会員さんが月刊ハイゲンキを持って来たのですが、その紙面はまるで受験生の参考書のように随所に蛍光マーカーで線が引いてあったのです(彼女曰く「会長は自分が直面している問題について2ヶ月にも渡って書いているがまだ答えが見付からない」とのこと)。
彼女の真氣光から学ぼうとする真剣さに自分の甘さを思い知らされました。
昔から本が汚れるようで抵抗があったのですが思いきってやってみることにします。
Uさん教えて下さって有り難うございました。
(熊本センター 八木)
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思い出せることでさらに氣が届く

きょうは熊本行きの飛行機の中です。
機内から下界を眺めると眼下には雪を被った山々が広がっていますが、東京では少しずつ温かい日も多くなってきました。
春ですね・・・いい季節なのですが、困ったことに沢山の花粉が私たちを刺激するので、電車の中でもマスクをした人を多く見ます。
この時期は、沖縄を除いては時間差で「花粉症で困っています」という話を聞きます。
私も家系的に鼻は弱い方なので、この季節は氣をしっかり受けようと思っています。
 ところで先日、中学から大学まで一緒だった旧友が訪ねて来て、昔話に花が咲きました。
友人は私よりも結婚が遅かったので、新婚当時いつも週末には我が家に泊まりに来ていたのです。
当時の失敗談などで盛り上がり妻も一緒に大笑いでした。
それで思い出したのですが、その頃私は鼻水の症状が出て止まらなくなった時期でした。
朝起きるとティッシュが山のようになるのです。
私は、電機会社の社宅の新築12戸3階建てアパートの一階に住んでいました。思い出すと引っ越してしばらくして父である先代が我が家にやって来て言ったことには「こりゃ、お化けの通り道だ」と、でも当時の私は、まったくそんなことは信じていなかったのです。
何も知らない妻は、いつも「体がだるい、微熱が出る」と言っていましたが、私は毎日暇にしているから怠け病だろうと・・・そのうちに「金縛りにあう」などとも言いましたが「昼間から寝てなんかいるからだ」と話をよく聞きませんでした(昼夜関係なくだったようですが)。
偏頭痛がしたり肩が異常にこったり急に歯が悪くなったり等々、妻のそのような症状を私はそのうちに治るだろうと思っていたのです。
しかし、さらには顎がガクガクする症状が出て病院へ行くと顎関節症だと言われ、矯正が必要だから85万円かかりますとの診断です。
安月給で生活している私たちにはすぐに支払える額でもなかったので、父に相談したところ「すぐ来なさい」といわれ、何回かのハイゲンキ治療ですっかり治ってしまったのでした。
そんなこともありましたが、氣なんて私には関係ないとずっと思っていたのです。
しかし、だんだん私自身もストレスと疲れが取れずに蓄積するといった体調不良により、氣というものに次第に興味が湧いて来たのでした。
今思えば、マイナスの氣がずいぶん邪魔をしていて、光である真氣光を嫌がっていたのでしょうね。
 私が、その土地に行くことになったのも、理由があり、そして今またそれを思い出せることで、その時にご縁のあった魂たちにも光が届くということなのでしょう。
その後私は、研修講座に、友人は今の奥さんにご縁があり、人生がガラッと変わったのでした。
(中川 雅仁)
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スピード時代を生きるために

今日は新幹線の中で、富士山を横目でやり過ごしながら、この記事を書いています。
「一日が短いなぁ」と感じているのは私ばかりではないでしょう。
今や、すべてのことが早くなっています。
この東海道は昔なら江戸から京都まで2週間ほど、それが今では2時間半です。
その間に新聞を読んで、コーヒーを飲んで、原稿を書いて・・・、それが当り前の時代ですから。
周りがそのようなテンポで進んでいると、自分までゆっくりとはできない状況になることもあるでしょう。
先日など、ファストフードのお店に入って、カタカナの品名ばかりでどれにしようか躊躇している間に列が出来、後ろの人に迷惑をかけてしまいました。
私も、急いでいるときには気が急いていますから、遅い人がいるとイライラしてしまいます。
氣を受けながら心に余裕が必要だと反省の毎日です。
この現代のスピード時代は、ストレス社会だと言われていますが、このような時代だからこそ先代の夢によって、真氣光のエネルギーがこの地球にもたらされたと私は考えています。
 以前、ある人に真氣光を送っていると、その人の口を借りて昔の修行僧のような人が出てきたことがあります。
「自分一人が山に籠もって修行をしても、どれだけの輝きを得られたのだろうか。苦しい修行と苦しい生活。しかし時として修行のほうが楽な場合がある・・・」その人は、体を失った後も、まだ苦しい修行を続けていたようでしたが、真氣光のエネルギーを受けて最後に「氣づくこととは、他から与えられるものではなく、自分の置かれた環境から感じていくことだ」と、言葉を遺して消えていきました。
私はこの時代で毎日生活をしていくことは、修行にも匹敵することだと思うのです。
昔とは全く違ったストレスの多い環境ですから、特定の人ばかりではなく、みんながそれぞれ苦しい状況に置かれている場面もあると言っても過言ではないでしょう。
そして、このような時に、生を受けて肉体を持って生きることになっているということは、誰もがそれに耐えうるべき、ある種の進化を遂げている魂とも考えられます。
ただ地球には、成長することを知らない魂が、暗い部分に閉じこもってしまい、生きている私たちに多くの影響を与えています。
真氣光の源は、「宇宙の法則から外れてしまっていることは、もったいない。一刻も早く宇宙の一員に戻って欲しい」とエネルギーを送ってくれているわけです。
スピード時代ですから、私たちはすぐに結果も求めがちです。
宇宙は「一生をかけて真氣光のエネルギーを貯めて欲しい」と伝えて来ます。
どんな時にも焦らず五分でも十分でも、じっくりとハイゲンキを利用して欲しいと思います。
(中川 雅仁)
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シンジュコウ石鹸で体を浄化

現在は治りましたが以前はアトピー性皮膚炎でしたので石けん選びにはデリケートです。
真氣光と出逢ってからはシンジュコウ石けんを常備しています。
お風呂でも顔や皮膚の柔らかいところは必ず使います。
先日、中川会長のお話でシンジュコウ石鹸は粗塩(あらじお)より浄化力が強いと聞き、最近疲れが溜まっている腰を石鹸を着けたボディスポンジで長めにマッサージしています。
数日続けていますが良い感じです。
また足裏・足首を洗うときに使ってみるのもおすすめです。
(熊本センター 八木貴久)
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おすすめ映画「ラブリーボーン」

世界30ケ国で1000万部以上を売り上げたというベストセラーの映画化「ラブリーボーン」。
どこにもありそうな平凡で平和な家庭で幸せに育ち淡い恋心も芽生え始めた14歳の少女「スージー」が変質者に襲われ殺されてしまう。
そんな場面から始まるスクリーンなのですが・・・・。
突然天国へ召された「スージー」が家族へのメッセージも伝わらず、その不安と寂しさの感情は何とも言えない悲しみで胸をうたれます。
家族に自分を見て欲しい、恋もしたかった。
そんな思いの少女の天国での行動と地上での家族の犯人探しのサスペンスの同時進行が又ドキドキハラハラ。
現実世界では犯人は捕まらず少女の遺体も地中深く埋められ両親の元へは帰ることも出来ない酷なストーリーではあるのに映画は傷ついた家族の再生ドラマが描かれたり、好意を寄せてくれたボーイフレンドの新しい女友達の交流等。
又ヒロインの「スージー」が天国で犯人を恨み呪う事なく成長していく様が全編を通して暗さより希望を感じさせる位の感動を与え、なんとなく心が暖かくなるのも不思議です。
アカデミー賞の呼び声も高く必見です。
配給:パラマウントピクチャーズジャパン
(Sさん)
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結果が駄目でも成長している

 私は昨日から、神戸・須磨で真氣光研修講座を開催しています。
昨日までの雨が上がり、受講生の皆さんは、砂浜と松林を歩いて青空教室も楽しめたようです。
30数名の受講生と研修講座中の遠隔を申し込んでいただいた方々、さらには遠い昔から現在まで、この地域にご縁のあった多くの方々に、たくさんの光が届きますように、精一杯やりたいと思っています。
 ところで研修講座では氣づきのレポートと呼んでおりますが、3泊4日を通して一枚の用紙に体調の様子や一日一日感じたことなどを簡単に記入していただいております。
その中には「明日への誓い」という項目もあり、「きょうは10人の人とお話しする」等ちょっとした誓いを立ててもらっていますが、今日は二日目ですから、それについて朝のいいとこ探しで発表してくださった方もいらっしゃいました。
大きな誓いでなくても、自ら、「~しよう」という意思をもって努力することが、魂のエネルギーを上げマイナスの氣の影響を受けなくするコツなのです。
 先日、ある方から悩みの相談をいただきました。
話の要点は「自分は変わろうと思って努力しているのだけれど、結局何もできない。」ということでした。
やはり自分は駄目な人間で変われそうもないと、落ち込んでおられました。
良く話を聞いて見ると、ずっと考えていて、行動に移せそうだったのだけれど、ちょうどタイミングが悪くて結局自分から動けなくなり、何も行動できなかったということのようです。
私は、「行動できると良いですよ」というお話をよくしています。
思いついたり、気がついたら、「こうしよう、ああしよう」と目標を立てて、努力してみることで、魂の光が増えるものです。
真氣光のエネルギーを受けることでも魂の光は増えますから、行動しやすくなったり氣の吸収力が上がったり、つまり両方ができることで効率が上がるわけです。
しかし、目標を立てても全て出来るとは限りません。
また、出来なかった時に「なぜ出来なかったんだ」と自分自身を咎めてしまうとマイナスの氣が集まることにもなりかねません。
私は、出来た・出来なかった、合格・不合格だけではないと思っています。
この相談者の方のように、仮に出来なかったとしても魂の光は確実に増えているのです。
今回は出来なくても、必ずそれは次回につながるもので、今回の失敗はきっと次回の成功への糧となるのです。
すべてのことには意味があり、なぜ出来なかったかと悩んでいること自体も、意識されることで邪魔していたマイナスの氣に光が届き、「やってみよう、努力してみよう」という思いは結果によらず、少しずつ確実に氣の充電が進むということなのです。
(中川 雅仁)
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