<先週より続く>「話してくれてよかったですよ。」と私は言いました。彼女は話し続けます。「女に生まれたことを恨んでいるのではありません。勤めを全うできなかった事への申し訳ない思いだけなのです。私のような者はたくさんいる。なぜそうなってしまったのか。自分の運命を呪うしかない。命を繋げることが出来なかった女の悲しみ。なんと罪深きこと。なぜ私はこの世に生まれてきたのか。そのような運命(さだめ)を受け入れて耐え抜くしかできないのです。しかし耐えたところで…。」私 は、少しでも楽になってほしいと思い一生懸命に光を送りました。少しして「光は届きますか?」と聞いてみました。「少しだけ前を向くことができた気がします。もう過ぎてしまったことです。決して死ぬまで口にしまいと思っていましたが、死んでから口にしてしまいました。なぜ死ぬまで言わなかった事を死んでから言ってしまったのか…。」全てを自分の中だけに留めておくことは、とても苦しいものです。口に出来ることで、益々真氣光の光が届き楽になれるのです。「辛かった事、苦しかった事。確かに私は子を持つことができなかった。家を繋げなかった。しかし、子を持った多くの母親は、我が子を戦場に奪われていった。そのたくさんの悲しみがあったはずです。私はそれに気がつかなかった。そこには女としての別の悲しみがあったのです。ああなんと女は悲しいのでしょう。」自分の辛さを乗り越え、他の人にも目を向ける。私はなんて素晴らしいことだろうと思って聞いていました。「私にも何か出来ることがあるのでしょうか。ぜひ何かさせていただきたい。今までの事は過ぎた事です。ああ、心が晴れやかになり娘時代に戻ったようです。」みるみるうちに顔が変わっていきます。最期に彼女は言いました。「私に出来ることは何でしょう。私でもお役に立てることを、人として精一杯出来ることを…、何ができるでしょう。女としてではなく、他の人のために役に立てること、人として生きること。…。人として役に立てる、他の人を幸せにできる。そのために一生懸命生きること。女としての生き方に苦しむことなく…。それを皆が、わかってくれれば女としての悲しみを背負うことはない。人としての幸せ、周りの幸せ、それを信じて強く生きる心。わかりました。その事をお伝えすることですね。これは光なのでしょうか?この光をどうすれば…。この光とともに、私が行けば良いのですね。」昔から女には女の、男には男のたくさんの辛さや悲しみがあったことでしょう。私は心から、よろしくお願いしますという気持ちで彼女を見送ったのでした。
(45)耐えてこそ武士の妻(1)
天皇家に40 年以上男の子が生まれていないということで、今年に入って皇位継承問題がテレビや国会でも議論されていました。天皇家ばかりでなく、昔から家を継ぐということでは、その蔭にたくさんの人々の辛さや悲しさがあったことでしょう。特に武士の社会では、家を維持・繁栄させるということが一番の大きな課題だったようです。今のように安定した社会ではありません。男も女もそれぞれの置かれた立場で、その時々を一生懸命に生きたことでしょう。今回は、そんな事を垣間見ることができる、武将の妻だった一人の魂さんのお話です。私 が氣を送っていると、ある女性が苦しそうに顔を歪めながら話し始めたのです。「耐えてこそ、耐えてこそ武士の妻。妻たる者、決して弱みを見せたり、泣き言を口にしてはなりませぬ。」私はすぐに、これは氣を受けている本人ではなく、その人の口を借りて出てきた女性の魂だとわかりました。どうも武士の家で、相当厳しい教育を受けているようです。私は、彼女が苦しそうなので、どこか身体が悪いのかと思い、いろいろと尋ねて見たのですが、「決して弱音を吐いてはいけない。苦しいと言ってはいけない。しょせん女の身、たわごとを殿方に聞かせてはならない。強く耐え抜くのが武士の妻の勤め。」と、自分自身に言い聞かせるように繰り返すのです。私は少しでも何か話せれば、光が入りやすくなり楽になれるだろうと思い「何かに耐えて、辛かったのですか」と聞いてみたのです。彼女は「耐えることなど、私には何も辛くはなかった。」と言います。私は、どういう事なのかよくわからず、ただただ氣を送るしかありませんでした。やがて少しずつ氣が届いたのでしょう。「私は子供を宿すことができなかった。唯一の女の勤めを果たせなかった。耐える事など何でもないこと。子供を産み育てることができなかった。家を守り、次の世代に繋げる事なくして、武士の妻の勤めを果たしたとは言えぬ。」苦渋に満ちた顔で、静かに話すのです。「さりとて男のように戦をするわけにもいかず。私に何ができたのでしょうか。武士の家に生まれ、武士の家に嫁ぎ、唯一のお役目も果たせず、私の人生は何であったのか?申し訳ない。申し訳ない。」私も何と声をかけたら良いかわからず、氣を送ることしかできませんでした。すると「殿方に決してこのような事を聞かせてはいけない。そして、言ってはいけない。このような事を口にした事を恥じております。後悔しております。このまま人知れずいられれば…。」真氣光の光が自然に彼女の心を開かせたのです。 <次週に続く>
(44)い つも見守ってくれている
先日、「会長は苦しかったマイナスの魂さんの話はしますが、プラスの魂さんの話はないのですか」という質問を受けました。確かに私は、苦しかった辛かったと言われる魂が、氣を受けている人の口を借りて出て来て、だんだん楽になり光の世界に消えて行く話をずいぶんしています。それはその際、貴重な気づきをくれ、それが多くの人にも参考になるものですから、できるだけ紹介しようとしているのです。光り輝く魂さんも、本当に必要なことがあれば出てくる時もあります。しかし、たいていはその人自身を尊重し、自然なかたちで見守ってくれているのです。そして何か、ふとしたところで、力になってくれているのです。時には一言、「見守っているよ」とか「一生懸命やってるね」「ありがとう」などの話が出ることがあります。いつも力になってくれていることでしょうが、それをいちいち恩着せがましく長々と「私は○○をしてあげた!」とは言われないものですから、この紙面を埋めるほどの話にならないのです。今回は質問に答えるため、A さん母娘の話しをしてみたいと思います。会 長セッションでの事ですが、お母さんと大学生の娘さんが氣を受けにいらしたのです。親元を離れて生活している娘さんのことは、お母さんも気になるようで、前から氣グッズをいろいろ持たせていました。その日は帰省していた娘さんが戻らなければならないので、氣を受けさせたいとセッションに連れて来られたのでした。セッションがもう終わるころでした。そばにいた方から、A さんのご先祖様が出て来たのです。手を伸ばして娘さんに触れようとすると「おお冷たい、おお冷たい」と言います。私は何のことだろうと思いながら、お二人に集中的に氣を送りました。「一生懸命守ってるんだけど、冷えるからたくさん集まってくるんだ」私は、「冷える???」と思いながら娘さんを見ました。彼女は若いですから、最近のファッションです。よく見ると、まだ寒いのに裸足です。ズボンも今風の股上が短いタイプで、かがむと腰が出てしまいます。私たちの身体は冷えるとエネルギーを失うようにできていて、そこにマイナスの魂さんが集まる傾向にあります。私はピンときました。彼女のファッションがマイナスを集めていて、ご先祖様がそれらから一生懸命に娘さんを守ってくれていたのです。私がそれを説明すると、お母さんもそれが気になっていたらしく、彼女もその意味がわかり、皆でありがたいご先祖様に感謝したのでした。どんな人にも、どんな時にも、光溢れる魂たちが私たちを見守ってくれています。決してそれを忘れてはならないのです。
(43)光が弱いところ
3月も今日で終わりです。4月からは、新学期、新社会人と新しい生活を始める人も多いことでしょう。中には入学や就職で、親元を離れた人もいるのではないでしょうか。今日は、この時期に思い出される魂の話をします。2 年ほど前のことですが、A さんが久しぶりに会長セッションにいらっしゃいました。A さんには、就職して親元を離れた息子さんがいるのですが、最近体調が悪いので、母親として何かできることはないかと言うのです。私は遠隔真氣光の話をして、息子さんの名前を聞き、氣を送ってみましょうとお話してセッションを始めました。すると、すぐにA さんが苦しそうに唸り始めたのです。先ほどまでは苦しい様子はみせていなかったので、私はすぐに霊的なものの影響だとわかりました。何の関係だろうと思っていると、A さんとは別の魂が「こいつらは許せない。俺たちはひどい目に遭わせられたんだ。絶対に許さない。」とA さんの口を借りて話し始めました。話をまとめると、A さんの先祖が地位のある武将で、戦を指示して女・子供に至るまでたくさんの人たちを苦しみに陥れたので、その恨みを何代にも渡って晴らしてきたと言うのです。私は、彼の言うことをよく聞きながら、気持ちが変わってくれるよう、集中して真氣光の光を送り続けました。すると口調が少し柔らかくなってきたので、恨むと余計に苦しさが増すことを説明し、光が届いて少しずつ楽になることを告げました。最初はとても苦しそうに話していた魂も、ずいぶん苦痛が薄れてきたようなので、「A さんから光が来るから楽になる」ということを教えました。するとそれが感じられたらしく、「本当に申し訳ないことをした」と繰り返します。そして、「ここは(A さんの事)光が強くて狙えなかったから、光の弱い息子を苦しめた」と言うのです。私は「迷惑を掛けたなら、その分もこれからよろしくお願いします。」と言って光の世界へ見送ったのでした。セッションが終わって、びっくりしていたA さんですが、すべてが腑に落ちた様子です。氣のことをよく知らない息子さんにも少しずつ教えるつもりだと話して帰られました。誰 でも、肩や腰に疲れが出やすい等、ウィークポイントがあるもので、そのようなところは光が弱くなっている部分です。家族や親戚、職場・会社などというグループも同じように全体を包む光があり、その中に光の弱い部分があるものです。そこにマイナスの氣つまり影たちが同調して集まることがあるのです。ですから気がつける人によって、光を強める心配り・氣配りがとても大事なのです。
シンキコーモイスチャーミルクの話
1 日からシンキコーモイスチャーミルクという化粧品を発売しました。すでに使っていただいている方もいらっしゃるかもしれません。今日は、この化粧品発売にまつわるエピソードを話したいと思います。私 は、昔から男性化粧品も使わないほうなので、SAS の化粧品つまり真氣光アロマシリーズについては、昔から口を挟むこともなく家内がいろいろ試作と改良を加えておりました。私の場合、化粧品を常用するというよりは、身体の痛みなど何かあったときに集中的に使うタイプでした。(氣の出る化粧品は肩こりに良いですよ)それが、昨年の冬の出来事です。我が家はマンションなのでエアコンによる暖房のせいでしょうか?私の体調の変化からなのでしょうか?私の身体(特に足)が乾燥による皮膚の痒みを強く訴えたのでした。それまでは、乾燥時期になると、ちょっと痒いぐらいだったのですが、その頃は知らないうちにボリボリ掻いてしまい、気がつくと足が流血しているという有様だったのです。いろいろ我が家の湿度対策はやってみたのですが出張の多い私には効果なく、家内の話しを聞いて真氣光の化粧品シリーズを使い始めたのです。しかし日頃から、あまりクリームも常用したことがないものですから、使用感といいますか、身体全体に塗ると何かベトベトする感じで、私には心地よくなく、結局ひどくなったら塗ってみるという程度だったのです。そこに、前々から乳液を作ろうかと思っていたらしい家内が、私のこんな様子を見て決心し、サンプル作りを始めたのでした。ちょうど昨年の寒くなるころ、乾燥して血を流している身近なサンプル相手にいろいろ試し、出来上がったのが今回のシンキコーモイスチャーミルクという商品なのです。氣 グッズとして真氣光の化粧品シリーズの歴史はとても古く、’91 年に先代が皮膚疾患の人達になんとか皮膚から氣を取り入れて貰うことはできないかと、開発を始めたものです。結局、原料を吟味しその中に金粉も使用して、それに氣を入れるというスタイルで氣の入った化粧品が、たぶん世界で初めて商品化されたのでした。その後この基本的なコンセプトを受け継ぎ、さらに香りの持つエネルギーもブレンドして現在のアロマシリーズという化粧品になったのでした。このシリーズは’98年の発売以来、クリーム、ローション、オイルと石けんの4 種類だけでしたが、そこに今回乳液のモイスチャーミルクが加わったのです。女性ばかりでなく男性にも、日頃のお顔のお手入ればかりでなく皮膚疾患などにも使いやすいようです。ぜひお試しください。
(42)この子に分かって欲しかった
昔からどこかに調子が悪いところがあって身体が弱かったという30代のA さんが、真氣光を知ったのは1 年ほど前、知り合いの方から紹介されたのがきっかけでした。氣を受けると少し楽になったということでしたが、仕事がとても忙しいので、家では音氣で氣を受けていましたが、なかなかセンターを利用できなかったそうです。それがある日、身体がとても辛くなって久しぶりにセンターを訪れたとき、スタッフから会長セッションがあると聞いて参加してくれました。そ れ以来、月一回定期的に来てくれるようになったのですが、その会長セッションも3 回目ぐらいの時です。いつもは眠たくなって寝てしまうA さんが、突然苦しそうな表情になりました。「ウー、ウー」と低い呻き声を上げるのです。私は、何か苦しく辛い人が関係しているような気がして、手を頭のところに当てて氣を送りました。最初は苦しくて、ただ呻くだけだったのですが氣を受けるうちに涙が出て、激しく咳き込み始めたのです。私は、苦しかった魂さん達にたくさんの光が届くよう一生懸命に氣を送りました。そのうちに咳も止み楽になったようなので、私が「苦しかったね」と聞くと、彼女はお婆さんのような声で「苦しかった。何とかこの子にそれを分かって欲しくて、ずいぶん永いこと待ったんだ。やっと光が見えてきた」と言うのです。「A さんのご先祖の方ですか?」と聞くと、うなずきながら「まだまだ苦しんでいる者がいる」と私の手を握るのです。私が「あなたも光になって力を貸してください」と伝えると、A さんの身体からフッと力が抜け、その魂は光の世界に旅立ったのでした。気 がついたA さんは、「自分が話していたのは分かるのに、何故あんな事を話したのかが分からない」と言うので、「あなたが小さい頃から、何とか分かって欲しかったご先祖さんが居たのです」と説明しました。A さんの先祖は、たくさんの人から恨みをかってしまったようで、その真っ黒い固まりによってどんどん苦しさを増していたのです。A さんがなかなかセンターに来られなかったのも、そのせいだったようです。もう何百年も前から、何とか分かってくれる人は居ないかと待ち続けていたご先祖は、力を振り絞ってA さんをセンターに向かわせたのです。彼らは子供が生まれるたびに、「この子なら私達を救ってくれるのでは…」と思っていたかもしれません。ハイゲンキは家に光を送ります。それは使っていなくても、一定の光が徐々に持ち主を通してご先祖に光を届けるのです。そうやって代々家に続いて来た辛い歴史の繰り返しを取り除きます。先祖が苦しいからA さんも苦しいことが多くなり、子供が出来れば、その子も苦しむことになったかもしれません。私はA さんにハイゲンキをお勧めしたのでした。
(14)蒔かぬ種は生えぬ
「蒔かぬ種は生えぬ」ということわざがあります。ことわざ辞典を調べてみると二つの意味があるようで『1 .原因なくして結果はありえないこと。2 .何もしないで良い結果を期待しても叶わないことというたとえ』と書いてあります。この二つの意味の両方が、真氣光を実践するうえで参考になります。以 前、交通事故に遭ったので直ぐに生駒での研修講座を申し込んだという人がいました。よく先代は「良くない出来事は氣という見えないところに原因があるから、真氣光でそれを解決しなければだめだ」と言っていましたので、氣の事を良く理解している人だなぁと思ったものです。たとえば同じ所を何年かおきに痛めるような場合は、原因となっているマイナスの氣が浄化されていないということになるでしょう。
先ほどの交通事故に遭った人の場合などは、軽くて済んだと安心していると、マイナスの氣という原因は消えていないので何かの災いに遭ったり、再び事故に巻き込まれたりするということがあるということなのです。一般には悪い出来事が起きないように氣をやっているという人が多いかもしれません。逆に悪いことが起きると「氣をやっているのに.…」と氣を信じられなくなったりするものです。しかし、原因が完全に消えていないから出てくる一見マイナスの出来事というものが実に多いのです。
次から次にそれが出てくると、つい希望を失い暗い気持ちになったり、氣のことも信じられなくなるものです。しかし、原因となるものが何処かにあるはずです。氣の観点から考えると、自分ばかりでなく先祖が蒔いた種という事もあり得ます。真氣光を続けるうちに必ずそれは浄化されプラスに変わっていくのです。その証拠に、以前に比べて今の方が、プラスの事が多くなっているはずなのです。ま た真氣光を続けていると、氣さえ受けていれば特に何もしなくても、良い結果を期待してしまうということがあります。確かにいろいろなマイナスの氣がプラスに変わりサポートしてくれるスピリチュアルな存在が増えて、身の周りに良いことが多くなります。私は「魂を成長させるには洗心と真氣光の二つが大事です」とよく言っていますが、生きているからには皆この世で修行している身であり完璧な人などあり得ません。ですから心の持ち方のどこかに注意を要することで、まだまだ飛躍できるはずなのです。真氣光を一生懸命受けると同時に、プラスの心が持てるよう小さなことでも行動することで、自然に良いことが増え、自分も周りもますます幸せになれるのでしょう。
(41)家族をとがめていた
私が真氣光を送っていると、氣を受けている人から全く違う人の声で、ご本人とは別の人格が出てくることがあります。氣を受けている人が身体を失った魂さんの代弁をするような形になるのですが、私は宿を借りて出てくるのでそれをヤドカリさんと言ったりしています。また私が7 時や10 時の真氣光の時間に氣を送っていると、話す事はないのですが、私の意識の中で感じられる魂さんもいらっしゃいます。先月のこと、夜10 時の真氣光の時間に氣を送っていると、お腹が苦しそうな女性のイメージを感じました。彼女の言わんとしていることはこんな感じでした。「自分がもっと家族に真氣光を知らせればよかった。最初は良かったけれど、だんだん苦しくなってきて、家族に真氣光をやって欲しかった。真氣光をして貰えないということで、家族をとがめていた。とがめ、それにこだわることが自分を苦しみの方に向かわせていた。自分の死を受け止めるのに家族はたいへんだったろう。私がもっと説明することをしなかったから悪かったんだ。たくさん光をもらって今私は光を送れるようになった。もう大丈夫。この先主人が亡くなると、娘は一人きりになる。この光に導きたい。」その日はA さんの命日だったので、私は直ぐに彼女だと思いました。A さんが生駒での研修講座に参加したのは5 年ほど前のことです。末期の子宮ガンでしたので、規定上一人での受講はできないことから、当時やっとの思いでご主人を説得し、ご夫婦での参加となりました。念願が叶って受講できたのですが、受講途中にA さんの容態が急変し急遽病院へ移ることになったのです。その後、病院でよく調べるとガンの進行が予想以上に進んでいて、結局その後残念なことに亡くなられたのでした。私は、A さんの生駒に来たかったという思いに強く打たれ、その時一生懸命に氣を送りました。私は、A さんはご主人を真氣光に導きたかったのだと感じ、ご主人にも出来るだけの氣を送らせていただいたのでした。ハ イゲンキができて真氣光が始まりましたが、当初すでに亡くなった家族をハイゲンキで供養できるなどとは、考えも及びませんでした。しかし、氣を受けて出てくる、いろいろな魂の話を総合すると、自分自身にハイゲンキをすることが、自分を通して生きている家族にも亡くなっている家族にも光を送れるという事が良く分かります。あの世で光を待ち望んでいる人がたくさんいます。その人達が、皆さんを真氣光に巡り合わせてくれたとも言えるでしょう。
(13)馬の耳に念仏
私 が氣の世界が面白くなり自分で知りたいと思うようになったのは、’92 年6 月に先代である父が当時下田でやっていた研修講座に参加してからでした。仕事のストレスで疲れがたまり、「皆が良いと言う氣でもやってみようか」という程度の軽い気持ちからでした。それまでは家にハイゲンキや氣グッズがあり、父からも氣のことを聞いていたのですが、自分は健康だから必要無いと全く興味が有りませんでした。私よりは家内が、’89 年より父の会社を手伝っていたので、氣についての知識も豊富でした。父も家内も私に、あれこれ教えてくれていたのですが、当時の私は聞いてはいたものの、その良さが心に響かなかったのです。
馬の耳に念仏ということわざを辞典で調べると、『有益な価値あるものに対して何の反応もせずに聞き流す』とありますが、私はまさにその状態でした。氣が向かないと入らない、逆に言うと一生懸命に求める心が良いものを外から引き込むものです。私もその後いろいろ氣の体験をしてきてわかったことは、全てではないですがマイナスの氣である霊的なものが邪魔をして、本人の意識がそちらに向かないようにすることがあるようです。当時の私には、もしかしたらいろいろな邪魔が入っていたのかもしれません。し かし周りの家族は、こんな私にも押しつけがましいことを言うこともなく、事ある毎に氣の話をしてくれました。温かく見守っていただいたという感じです。日本語はうまくできているものです。影響を受けるということがありますが、温かい心から発せられるプラスの氣があると、自然に何かが変わるようです。影であるマイナスの氣に少しずつプラスの氣である光が届いて行き、“影に響き”始めるようになると、もう大丈夫。黒っぽい影に光の粒子が少しずつ入り外からの光に同調できる準備が整うことで、少しずつ聞く耳ができてくるのです。“感化する”という言葉を辞書で調べると、影響によって自然に変わることとありますが、氣を感じることで自ら変われるようになるのです。実 際には気が付くまで“待つ”という事が難しいものです。「あいつは分からないのだ」と諦めたり咎めたりしがちですが、もしマイナスの霊的な者の仕業であれば、それは相手の思うつぼであり、自分の波動を下げてしまいます。そのように考えると忍耐強く待ちながら、どうしたら気がつくか分かるまで氣にかけるという事は、周りの人にとっても大きな成長になることです。馬の耳に念仏とは良く言ったもので、念仏を唱えるのは馬のためと思いがちですが、自分のためとも言えるのです。
(12)思い立ったが吉日
先 日のこと、家内に電話をしようと思って携帯電話を手に取ったら突然、当の本人から電話がかかってきました。このようなことは良くあることですが、これを数学的に算出したらどのぐらいの確率になるのでしょう。私は、ついそんなことを考えてしまいます。思いついて行動に移すということは、何らかの氣を感じて思い出し、さらには行動するときにその人を意識し氣を発しているのでしょう。私の場合で言うならば電話をしようと思いついた時、家内から連絡したいという氣が電波のように私に届いたのでしょう。そういう意味では、よく「思い立ったが吉日」と言いますが、この諺は氣の性質をうまく表現しているのかもしれません。この諺をいつものようにことわざ辞典で調べてみると『物事は思い立ったらすぐにとりかかるのがよいというたとえ。現代でも結婚式は大安の日を選び葬式は友引を避けるように、暦で事を選ぶ慣習は根付いているが、それにこだわりすぎると機会を逃しかねない。物事を行うには用心深く慎重にやれということわざが多い中で「善は急げ」とともに積極的な色合いのものだ。江戸時代にもよく使われ現代も定着していることわざである』とあります。
私 は、15 年ほど前には物事を思い立ってもなかなか行動に移せない性分でした。辞典にあるように、いろいろ慎重になりすぎて機会を逃していたのかもしれません。それについて少し分析してみると、良くない出来事が身の周りに多かったので自分の考えに自信が持てず、また失敗するのではないかという恐怖から、慎重に考えすぎたり誰かの同意を必要としたのだと思うのです。
人 は頭で理解して行動しますが、失敗するのも大きな学びですから、行動してみないと本当に自分のものにならないことが多いものです。そのように考えると、最適な事を思い立ち、すぐに行動できることで学びの早さが増すということになり、かつての私のように慎重に考えすぎる事が学べるチャンスを遅らせていたということになります。
親 子ではありますが、先代は全く逆の性格で、思いついたと思ったら行動に移すタイプでした。当時私は、「もっとよく考えればよいのに」と思っていましたが、今の自分を振り返ると、思いついたらやらないと気が済まない性格になっているようです。年をとって先代に似てきたのか?真氣光を続けているとそのようになるのか?私には、どうも真氣光のエネルギーが、無駄な思いつきを除いてくれているように思うのです。皆さんはどうでしょう?