(39)噂をすれば影

 以前、妻と話をしていて妻の友人A さんの話になりました。
私の仕事に必要なことが、A さんの会社でやっていることだったからです。
私は妻に「ちょっと電話して聞いてみてよ」と言っていたのですが、その時丁度Aさん本人から妻のところに電話が掛かって来たのでした。
いろいろと話がわかり、その後早速注文したのですが、電話が終わり「噂をすれば・・・」と妻と顔を見合わせたのでした。
ところで「噂をすれば影」には、二つの意味があるようです。
調べると『1.(ことわざ)他人の噂をすると、その人が現れて影がかかる、即ち、噂をすると、すぐその人の耳に入りやすいので、他人の噂はしないか、注意してする方がよい。2.(慣用句)ある人の噂をしていたら、その当人が登場した状況を表わす慣用句』とあります。
さらに、ことわざ辞典を調べると『陰で人のことをあれこれ話題にすると、その話の主が偶然のように現れることのたとえ。現代常用されているが常用と言えるのは江戸後期からのことだが、安土桃山時代のことわざ集に「噂言えば主来る」という異表現がある。同義のものは世界にも多く「悪魔のことを話すと悪魔がやってくる」(イギリス)、「狼の話をすると狼はすぐそこ」(チェコ)、「虎の話をすれば虎が現れ、人の話をすれば当人が現れる」(朝鮮)』とのことです。
 この言葉に表されることは、偶然のような現象で科学では全く説明はつかないけれど、昔から世界中の人々が経験的に知っていることなのだと思います。
私は人の思いや意思というものは、氣という科学的には証明出来ない、目には見えないエネルギーだと思っています。
それがどんな人からも出ていて、人を呪ったり、妬んだりするなどネガティブの思いからはマイナスの氣が、人を思う優しい気持ちからはプラスの氣が出るのだと思うのです。
さらには、氣を向けられた人が、それを第六感のように、何となく感じるということがあるものです。
 真氣光という宇宙からの見えないエネルギーも氣の一種で、これを受けようと人が意識することで集まってくるものです。
他の人を思いやる優しい気持ちに宇宙からの真氣光のエネルギーを組み合わせたものが、遠隔真氣光です。
ハイゲンキや氣グッズを利用して誰にでも、強いプラスの氣を送れるのが真氣光の特長です。
日頃から、周りの人には「いいとこ探し」をして「悪い噂」ではなく「良い噂」をするとともに、必要な人には遠隔真氣光を送りたいものです。
(中川 雅仁)
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(38)習うより慣れよ

 今年は地上デジタル放送に切り替わるということで、古いテレビが観られなくなると随分宣伝しております。
いろいろなものがアナログからデジタルに移り変わります。
テレビ放送の録画も昔はビデオテープを入れて、テープに録画する方法が普通でしたが、今ではそれも必要なく、全て録画機の中のハードディスクに簡単な設定で録画されるようです。
我が家ではテレビ放送の録画は妻の仕事です。
たいていの番組は、2台の録画機を駆使し一旦録画されたモノをコマーシャルの部分を飛ばして観ています。
妻の番組録画技術?には感心させられます。
取説も見ることなく、あれこれ使いながら学習しているようで、私の知らない機能なども使いこなしているようです。
妻に聞くと、最初は、間違った使い方をしたら壊れるのでは?などと心配だったようですが、録画しないと大好きな番組が観られないということがあって、何とか使っているうちに今のように使いこなせるようになったということなのです。
本来、まったく機械音痴の妻なのですが、変われば変わるものです。
 「習うより慣れよ」ということわざがあります。
ことさらに学習するより、自分の肌で直接感じ、体得する方が有効だということで、体験学習とでも呼べることわざです。
ことわざ辞典によれば、「学ぶ時は力まず肩の力を抜いて、とにかく回数を重ねてみることだと示唆している。Practice makes perfect.(練習によって完成する)という英語の訳語として使われることがあり、ほぼ同義であるが英語の方が実践にだけ目を向けているのに対して、日本語の方は理論より実践の回数だと、理論と実践を比較して実践の重要さを言っている」とあります。
 このことわざは氣の観点からも重要なことを教えてくれています。
私たちは誰でもマイナスの氣の影響を受けているもので、初めての事には心配や不安がつきまとい、なかなか上手く出来ないことがあるものです。
あまりマイナスの氣の影響を強く受けていると、心配が強くなってしまい、何も出来なくなってしまったり、あらぬところで失敗に繋がったりしてしまいます。
そうするとまた自信を無くし、さらにマイナスの氣の影響をより強く受けてしまうという繰り返しになるのです。
慣れるまで実践の回数を増やすということは、何も出来ないように邪魔しているマイナスの氣に、実行する度に少しずつ魂からの光が当たり、「もう邪魔はできない」と諦めを促すことに繋がります。
さらには真氣光のエネルギーを受けながら「実践の回数」を増やせることは、心配や不安を取り除きやすくして、いろいろなことの体得を早めてくれるのです。
(中川 雅仁)
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(37)好きこそものの上手なれ

 先日、古いデータを探すために、物置に埋もれていた古いパソコンを掘り起こすことになりました。
結局データは見つからなかったのですが、当時を思い出し懐かしいものでした。
仕事で使ってきたパソコンですが、使い始めたのは25年以上前のことです。
どうしても使わなければいけなくなり、マニュアル片手に始めたのですが、突如動かなくなり何時間もかけて修復することも一度や二度ではありませんでした。
当時の私はパソコンやワープロなど、キーボード機器のアレルギーで、私は頭から「こういうものは苦手だ」と決めつけていたように思います。
結局、いろいろ試行錯誤を繰り返すうちに仕組みが分かってきて、理解できることで苦にならなくなり、だんだん思った以上の結果を引き出せる便利な道具になったことで、使うのが好きになったのです。
 「脳に悪い7つの習慣」林成之著によりますと、脳内にはA10神経群という感情をつくる中枢があり、そこが「好き」「嫌い」「感動した」などレッテルを付けるそうです。
そこでマイナスのレッテルをはられると、脳はその情報に対して積極的に動かなくなり、しっかり理解できず、思考が深まらず、記憶もしにくくなってしまい脳を退化させるというのです。
著者は、『「嫌いだ」と言い続けて何も変えようとしない態度は、自分の脳をダメにし、結局、勉強でも仕事でも良い結果を残すことはできません』と言っています。
 「好きこそものの上手なれ」ということわざがあります。
ことわざ辞典によると「好きであることが物事の上達の道だということ。一般に芸事や習い事は、好きになると関心が深まり、それに割く時間も長くなり、結果として腕前があがるものである。江戸時代中期からのことわざ」とあります。
昔の人は、脳科学はわからなくても、このことを経験的にわかっていたのでしょう。
 私は、脳内のA10神経群にマイナスの感情を起こさせるものの中の一つに、周りにあるマイナスの氣も関係しているのではないかと思っています。
先祖の代から、もしくはいろいろな体験で引き寄せてしまったマイナスの氣の影響を受けると、マイナスの感情が生じやすくなり、その人が良い方向に変われないようになってしまうのです。
私たちは、人や物あるいは物事に対して「嫌い」「苦手」「ダメ」等とマイナスのレッテルをはりがちです。
良くないことはわかっていても、そうなってしまいます。
ですから真氣光を受けることで、マイナスの氣の影響を少なくするとともに、ある程度それができたなら、自らもマイナスの先入観を持たないように工夫する努力をしてみることなのだと思うのです。
(中川 雅仁)
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(36) 大事は小事より起こる

 沖縄での研修講座では参加者の皆さん、ありがとうございました。
たくさんの方々の笑顔で、すっかり私の方が良い氣をいただきました。
ところで研修前日、施設の体重計にのってびっくり、2キロも増えていたのです。
このところ外食が増えておりました。
さらには先週妻と買い物に出かけたのですが歩き疲れたとコーヒーショップに入り、丁度おやつの時間帯だったことも災いして、コーヒーのみならずケーキも頼んでおりました。
「昼が早かった」「夕飯を軽くすれば良い」「今日は随分カロリーを消費した」と、二人で言い訳し合っておりました。
最近の氣の緩み、「塵も積もれば山となる」式で少しずつ私のお腹は小山の三段重ねのようになり、メタボ体質から成人病に発展しないとも限りません。
氣をやっているからと安心することなく、日頃から過度な食欲は“よろしからぬ欲”と認識し、体に感謝の気持ちを持って適度な運動を心掛けることだと反省した次第です。
 「大事は小事より起こる」ということわざがありますが、これは氣の性質を適確に捉えているものだと思います。
ことわざ辞典で調べてみると『どのような大事でも、はじめはごく小さなことが原因で生じるということ…「老子」に出典があり、日本でも室町時代の「金句集」などに収録されている古い部類のことわざ』とあります。
氣は波動的な性質がありますから、プラスの氣とマイナスの氣は水と油のように混じりにくいのですが、マイナスの氣同士であれは、どんどん引き合って大きくなりやすいのです。
例えば私を邪魔しようとしているマイナスの氣が最初は気づかれないような小さな氣の緩みを誘い、少しずつ体を蝕むようにして勢力を拡大することだって考えられます。
逆に言えば、プラスの氣も少しずつ繰り返し取り入れることで、強いマイナスの氣にも対抗し得るような、強大な力を有するようになるのです。
ですから毎日ハイゲンキで真氣光というプラスの氣を取り入れることは、どんなに大きな問題であろうと解決に導く可能性があるのです。
さらには日頃から真氣光を取り入れるということは、大事に至る前に早めにいろいろなことに氣づけるということでもあります。
まずは「小さな氣づきと行動が大事」ということでしょう。
 ところで12月4日はメンバーズの集いを開催します。
自分自身が一見マイナスな出来事には直面していなくても、来年に向けてさらなる飛躍の為に、早めにいろいろなことに氣づくチャンスとなるよう氣を受けてみませんか。
当日、センターに来られない方も遠隔真氣光を受けるという方法がありますので、ぜひ参加していただきたいと思います。
(中川 雅仁)
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(35)猫の手も借りたい

 暑い日が続いております。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
こう暑いと、クーラーの効いた家に閉じこもり気味になります。
「昼間は外には出たくない」と、我が家の怠け者は言っております。
ところで、我が家の裏口は北向きで木陰になり床のタイルが冷たくて気持ちがいいのか、最近そこに一匹の猫が占拠しているのです。
野良なのか飼い猫なのかわかりませんが、どこからともなくある時間になるとやって来て、長く体をのばしたまま、全く動こうとしません。
なんと優雅な!
・・・私には原稿の締め切りが・・・。
少々気持ちにゆとりがなくなっている、そんな自分のマイナスな心に気がつかされます。
 ところで、「猫の手も借りたい」ということわざがあります。
意味を調べてみると「忙しい時に誰でもいいから手伝いがほしいこと。農繁期などのきわめて忙しい時に、そばでのんびりと眠っている猫の様子を見た人間様の願望が、ことわざになったのだろう。」と、あります。
17世紀の文献にあったようですから、昔から同じように感じていた人は居たようです。
確かに、セカセカと落ち着きが無い猫は見たことがありません。
いつものんびりしていて、見ていると癒されますが、あまりにマイペースな姿に、私などは時には羨ましくなるものです。
 氣とは見えないエネルギーで、どんなものからも、どんな人からも氣が発せられています。
そして自分の出している氣が、同調作用により周りから似たような氣を集めます。
忙しい時には、さらに忙しくなるように、いろいろなことが舞い込んで来るものです。
私は昔、「どうして自分ばかりが、こんなに忙しい目に遭うのか」と、上司に不満を訴えたことがありました。
しかし、研修講座に参加して氣の世界を知ってからは、考え方が大きく変わったのです。
不満を訴えたからといって直ぐに事態が変わるわけではありません。
氣の観点から考えれば、さらに学びが必要で、縁がある人に仕事が集まるのは当然なこと。
越えられないハードルは与えられないのであれば、自分が少しでもいろいろな事ができるようになれるよう頑張ろう、「出来ないという気持ちから、やってみようへ」と発想を180度変えられたのです。
 猫の手も借りたい時には、マイナスの氣が集まりやすくなります。
マイナスの氣の影響を受けると、ネガティブなことに意識が引っ張られ、気づくチャンスから遠ざけられてしまうのです。
ですから、猫の手も借りたいような時には、真氣光をお忘れ無く。
そうすることで次第に、たいへんなストレスを程よいものにしてくれることでしょう。
(中川 雅仁)
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(34) 教えるは学ぶの半ば

 私は、毎月各地で無料体験会や真氣光レッスン、さらには会長セッションを開催していますが、参加者からの質問に答えるなかで「勉強になるなぁ」と感じることがよくあります。
それは、質問に答えようと自分が考えることで、思ってもいなかった発見があるからです。
ときには、日頃一人で考えていては出てこないようなことまで頭に浮かんできて整理されるのですから、不思議なものです。
 「教えるは学ぶの半(なか)ば」ということわざがあります。
『人にものを教えることは、半分は自分の勉強にもなるという意。出典は古く平安時代の金言集“世俗諺文”に見られる』と、ことわざ辞典にはあります。
人にものを教えるには十倍の力がいると言われますが、単に知識面ばかりではなく適切な教え方やノウハウ、いろいろな力が必要とされます。
教える側にも曖昧な点や不確かな面があれば、自分自身で確認しなければならなくなり、謂わばその復習を通して自分が学ぶということにも繋がります。
そればかりではなく、実際には教わったことが単に知識としてだけではなく、その人自身にしっかりと身につかなければ本当の意味で教わったことにはなりませんから、そのようなところまで教えるためには、教える側の“いろいろな力”と弛まぬ努力が必要となるでしょう。
それによって教える立場にある人が、大きな学びを得るということなのです。
 宇宙に存在する生命は、身体を持つ・持たないに関わらず、他をサポートすることで自分が成長するという仕組みにあるようです。
例えば、親は子供が生まれて来てくれたことで親として成長できるし、御先祖様も「どうしたら子孫は気がつくだろう、ああかな、こうかな」と日々考えながら、私たちを支えてくれて、あちらはあちらで学んでいるということです。
 これは真氣光を送ってくれている宇宙も同じ事のようです。
私たちは、氣づくことで魂を大きく成長させることができるのですが、どうしたら氣づけるだろうかと遠いところから見えない光のエネルギーを送ってくれているのです。
ですから私たちは、時には一見マイナス的なことからも何かに氣づき、それを乗り越えることができるのだと思います。
私たちも、そのエネルギー的な応援を受けていますから、自分のことが大変な人も少しずつ余裕が持てるようになり、他への心配りに目が向けられるのです。
それができることで、自分自身のさらなる学びになるということで、これは“半ば=半分”どころではなく、自分の学びのうちの大きな割合を占めているのだと思うのです。
(中川 雅仁)
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(33) 後悔先に立たず

 私は、いろいろな人に真氣光という氣を送って、そろそろ15年 余りになります。
真氣光を受けると、その人に影響を与えてい た、体を失い魂だけになった存在が、氣を受けている人の口を借りて出てくることがあります。私はこれまでたくさんの魂に遭い気づいたこと は、「後悔」している魂がとても多いということです。
 自分には生きている資 格がないと思い自殺した人からはじまり、責任を取らされ切腹した武士や、采 配を誤り自責の念に駆られた武将まで、昔からたくさんの人達による後悔の念 というマイナスの氣が世の中に立ちこめています。
死んでしまうと何も出来な いと思うことで、余計に後悔の気持ちが強まるようです。
そして魂はどんどん エネルギーを失い、苦悩に苛まれるようになるのです。
 私たちは生きる上で 誰しも後悔はあるものです。
しかし、このような見えないエネルギーの影響を 受けると、知らないうちに後悔することが多くなり(後悔しなければならない ような事が多く発生することもある)、後悔することで余計に他のマイナスの氣を引き寄せてしまうという悪循環に陥ることもあるのです。
「後悔先に立たず」ということわざがありますが、昔の人はよく言ったものです。
このことわざを 辞典で調べてみると『物事がすんでしまってから、悔やんだり残念がってもど うにもならない意。「後悔」は文字通り、ある行為の後でその過ちなどに気づき 無念に思うことだから、前もって後悔はできない。ことわざの意味するところ は、後悔が先にできないのだから、物事をなす際には後悔の残らないようにす べきということ。古いものでは「保元物語」(巻中)に「後悔さきにたつべから ず」がある』とあります。
氣の事を知っていたのでしょうか、数百年も昔から 先人は「後悔」ということには注意を促していたのです。
 後悔することによっ て人は、魂が持つ光(エネルギー)を失います。
ことわざが教えるように、後 悔の残らないように全力を尽くすこと、反省することはあっても後悔すること なく次に何ができるのかを具体的に考え行動に移していくことが大事です。
しかしそれは難しいもので、頭では分かっていてもなかなか身につきませんから、何回も失敗しながら少しずつ自分のものになるのです。
先代は「後悔」という言葉とは無縁の人でした。
後悔に打ち勝つ精神力を、若いときから人に騙されるなど大変な苦労をしながら培っていったのでしょう。
私たちには真氣光という氣の応援があります。
後悔よりも、氣を受けながら具体的に何ができるのか考え氣づき、光の方向を見失わないようにしたいものです。
(中川 雅仁)
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(32)早起きは三文の得

 私は、月あるいは週の間で、大きな生活のリズムがあります。
毎月一回やっている真氣光研修講座の間は、朝6時前に起きるものですから、その後数日は朝早く起きる生活が続きます。
そして週末は地方に出張しますので、移動して夜遅くホテルに入ることから夜遅く寝ることになってしまい少々寝不足気味になります。
朝7時から15分~20分ほど宇宙から真氣光を受け世界に向けて送っている時間がありますから、大きくリズムが狂うことはないのですが・・・。
私は、大学受験に一度失敗して浪人していますが、実はこのときの経験が今とても生きているようです。
一年間予備校に通っている間、家を出て新聞店の2階に住み込み、新聞配達をしながら生活していたのですが、当時毎日が4時起きでした。
体験することには、本当に無駄はありませんね。
夜は弱いけれど朝にはめっぽう強い体質に変わってしまったようです。
今でも朝の方が頭は動くようなので、夜は逆になるべく動かさないようにしています。
あまり考えすぎると興奮状態?になるのか、寝付きにくくなるからです。(笑)
 ことわざにも「早起きは三文の得」とあります。
辞典を調べてみると『早起きをすれば何かしら得があり、健康にも良いということ。電気の無い時代では、社会全体が夜明けとともに労働を開始する朝型だった。早起きは自然のリズム、体のリズムにもかなっており、仕事の効率もよくなり勤勉にもつながるので重要な規範であった。』とあります。
 先代も、自分が朝早かったためか早起きを奨励していたようなところがあり、新聞配達がいいという事も、私はよく聞かされていました。
研修講座では、開講当初から朝6時に起床して、6時半過ぎには朝の呼吸法を始めます。
先代の言葉を借りれば『夜は「あの世」と「この世」が近くなるから、早めに寝て霊的な影響を受けないようにした方が良い』ということだそうです。
 人間も昼型の動物で、それが「夜でも可能」になってきたのは電気が普及してきたここ数十年の話、遺伝子にはやはり「日が昇れば起き、日が沈めば休む」のが基本となる情報が書き込まれているから、早起きは利に叶っているということでしょう。
しかし、今の時代、世の中が円滑に回るように、夜どうしてもしなければならない大事な仕事もあります。
そのお蔭で私たちは幸せに暮らしていけるわけです。
またいろいろな事情で、夜、なかなか寝られない人もいることでしょう。
昼型、夜型、どのような人にも、宇宙からの真氣光のエネルギーが力を貸してくれるのだと思うのです。
(中川 雅仁)
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(31) 売り言葉に買い言葉

先日の夕方のことです。
妻と出かけるときには少々時間がかかるので、ついつい私はイライラモードになるのですが、その時はいつもに増してゆっくり用意をしているように見えたのです。
あまり時間がないのに化粧を始めて、ずいぶん時間がかかっているようです。
ついつい私は「そんなに念入りにやっても、誰も見ていないよ」と、嫌な言葉を口から出してしまいました。
妻の返答は笑いながら「分かってる!」とのことでした。
私は言ってしまってから、言っても言わなくても何ら事態は変わるはずがないのに、敢えて言ってしまったことを反省したのです。
これが10年も前のことでしたら、売り言葉に買い言葉で、次々とお互いに嫌な言葉の応酬が始まり、喧嘩しながら出かけなければならなかったでしょう。
しかし少しは二人とも成長したのか、はたまた慣れっこになったのか、その後も気まずい雰囲気にはならず、事無きを得たのでした。
 「売り言葉に買い言葉」とはよく言ったものだと関心してしまいます。
ことわざ辞典によると『異表現は狂言「入間川」のものだが、後ろが「買う言葉」と普通の表現になっている点から、当初は単なる物を売り買いする時の発語であったものが、売り手の口の利き方しだいで買い手を刺激することになり、買い手がそれに反発する、そんな言葉のあれこれを含めて言うようになったものであろうか』とあります。
 これは氣というものの特性をよくとらえた話です。
氣とは見えない波のように伝わる性質のエネルギーで、言葉をはじめ態度や雰囲気にも氣があります。
そして自分の出している氣に応じて、周りの氣が反応するわけです。
私がつい口を滑らせることで、妻が反発した言葉を発し、それを受けてさらに私がもっと嫌なことを言うと、どんどんマイナスの氣が増幅していき大喧嘩になるのでしょう。
そこまで行かなくても、こちらの気持次第で相手の反応が変わるという似たようなことは、私たちはいろいろなところで経験しています。
ついつい相手の悪いところばかりに目が行き、自分が良くない氣を出していたからでは?という、自分を省みることが少なくなりがちです。
こちらからはいつもプラスの氣を出せるようにしたいものです。
また周りの人の反応から、そうできるように工夫することは、自分を良い方向に変えてくれることなのです。
そういう意味では、たとえ人が見ていなくても綺麗にしておく、つまり良い氣を出すためには「化粧は念入りにする」べきかもしれません。(笑)
「分かってる」と言いながら丹念に化粧を続けた妻に、また頭が下がります。
(中川 雅仁)
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(30)石橋を叩いて渡る

 昔の自分をふり返ってみて今と明らかに違うのは、考えている時間が短くなったことだと思います。
忙しくなって、考える時間が無くなったということもあるでしょうが、以前の私は、良い頭でもないくせに考えて、悩んで、なかなか行動に移せないというタイプでした。
もう少し正確に言うならば、考えるよりは、どうしようかといろいろ迷っていたという感じでしょうか?まさしく「石橋を叩いて渡る」タイプだったのです。
 この諺を辞典で調べてみると、「用心の上にも用心を重ね、細心の注意を払って行動するたとえ。
木橋に比べ石造りの橋は堅牢で長持ち。
その橋までもしっかり叩いて堅固かどうかを確かめて渡るというのだから、臆病過ぎることを揶揄したり皮肉として用いられることも多い。
江戸時代後期から使われており、石橋を叩いても渡らないという言い回しも増えている」とあります。
私はまさしく「・・・渡らない」という性格だったのです。
 私たちは、考え行動して、その結果、大きなことを学ぶというしくみで、魂という氣のからだもエネルギーを増し大きく成長できるのです。
私の場合、小さい頃の体験からか失敗したくないという思いが強くなり、行動するよりは考えることが多くなったのだと思います。
もちろんよく考えることは大事なのですが、心配や不安が先に立ち行動に移せないようになってしまったのです。
今考えると、「自分が失敗したからオマエには成功させない」などという思いを持つ魂、まさしくマイナスの氣をたくさん引きつけてしまったという状態です。
そのようなマイナスの氣は、生きている人の魂のエネルギーが増えると一緒に居られなくなることから、迷わせたり決心を鈍らせたりするのです。
常にその人が上手く行かないように、邪魔をするように、いろいろなところで足を引っ張ります。
 しかし、私の場合がそうだったように、真氣光を受けることで、そのようなマイナスの氣は知らず知らずのうちに次第に消えていきます。
だんだん行動にも移せるようになるのですが、自分でも「石橋を叩いている」と思ったら、より積極的に行動できると早くマイナスの氣は消えていきます。
つまり、行動で増えたエネルギーが影響を与えていた魂にも届くわけです。
マイナスの氣も光になり、私たちも貴重な氣づきを得る、双方にプラスの結果となるわけなのです。
とかく私たちは、木橋よりも堅固な石橋だと気づかなかったり、分かっていても不安や心配などから、なかなか行動できないものです。
「案ずるより産むがやすい」とも言いますが、真氣光をしっかり受けてマイナスの氣に負けない心を持ちたいものです。
(中川 雅仁)
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