私は、いろいろな人に真氣光という氣を送って、そろそろ15年 余りになります。
真氣光を受けると、その人に影響を与えてい た、体を失い魂だけになった存在が、氣を受けている人の口を借りて出てくることがあります。私はこれまでたくさんの魂に遭い気づいたこと は、「後悔」している魂がとても多いということです。
自分には生きている資 格がないと思い自殺した人からはじまり、責任を取らされ切腹した武士や、采 配を誤り自責の念に駆られた武将まで、昔からたくさんの人達による後悔の念 というマイナスの氣が世の中に立ちこめています。
死んでしまうと何も出来な いと思うことで、余計に後悔の気持ちが強まるようです。
そして魂はどんどん エネルギーを失い、苦悩に苛まれるようになるのです。
私たちは生きる上で 誰しも後悔はあるものです。
しかし、このような見えないエネルギーの影響を 受けると、知らないうちに後悔することが多くなり(後悔しなければならない ような事が多く発生することもある)、後悔することで余計に他のマイナスの氣を引き寄せてしまうという悪循環に陥ることもあるのです。
「後悔先に立たず」ということわざがありますが、昔の人はよく言ったものです。
このことわざを 辞典で調べてみると『物事がすんでしまってから、悔やんだり残念がってもど うにもならない意。「後悔」は文字通り、ある行為の後でその過ちなどに気づき 無念に思うことだから、前もって後悔はできない。ことわざの意味するところ は、後悔が先にできないのだから、物事をなす際には後悔の残らないようにす べきということ。古いものでは「保元物語」(巻中)に「後悔さきにたつべから ず」がある』とあります。
氣の事を知っていたのでしょうか、数百年も昔から 先人は「後悔」ということには注意を促していたのです。
後悔することによっ て人は、魂が持つ光(エネルギー)を失います。
ことわざが教えるように、後 悔の残らないように全力を尽くすこと、反省することはあっても後悔すること なく次に何ができるのかを具体的に考え行動に移していくことが大事です。
しかしそれは難しいもので、頭では分かっていてもなかなか身につきませんから、何回も失敗しながら少しずつ自分のものになるのです。
先代は「後悔」という言葉とは無縁の人でした。
後悔に打ち勝つ精神力を、若いときから人に騙されるなど大変な苦労をしながら培っていったのでしょう。
私たちには真氣光という氣の応援があります。
後悔よりも、氣を受けながら具体的に何ができるのか考え氣づき、光の方向を見失わないようにしたいものです。
(中川 雅仁)
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