(40)この世への執着2

たましいの話(40)この世への執着2<先月399 号の続き>自らの意志で深く潜行する魂は、皆同じように「ここがいい」と言います。「他には行きたくないから、そっとしておいてくれ」と言うのです。彼らの「そっとして…」と言う言葉の裏に、氣を受けて何らかの影響を受けていることがわかります。今まで出会った数多くの魂の話しを総合すると、光という真氣光のエネルギーが届くことにより、本来身体を持っている人の魂と、潜んでいる魂との間に波動のズレが生じ、苦しくなってくるようです。そして少しでも楽に感じられるものを探すうちに、その魂にも光が届くようになり、自然に次に行くべき光の世界の良さに気がつくのです。こ の世への執着を捨てるには、光の世界の良さを知ることです。潜んでいる魂達に少しでも早く気がついてもらえるように、私はここで光の世界の素晴らしさをアピールしておこうと思います。以前「いいところだと言うけれど、行ったこともないオマ工が何故わかる?」と、私はある魂に言われたことがあります。全くそのとおりなのです。こればかりは死んであの世に行かなければわかりません。しかし、この世に居る限りわからないのでは埒があきませんから、私は既に光の世界で仕事をしている先代に聞いてみることを思いついたのです。しかし、あの世の人ですから直接聞けるわけもありません。そこで私のとった方法は、息子だからどうにかなるだろうと、先代に波長を合わせるつもりになって氣を受けてみたのです。すると最初はよくわかりませんでしたが、何回かやってみるうちに、ある感じが伝わってくる(心に浮かんでくる)ようになりました。それは、自由と言うのでしょうか、身体はもちろん全ての事柄に拘束されない、何とも清々しい感覚だったのです。身 体を失った魂達が光の世界に行くことが嫌だと思う背景には、別の所に追いやられる、この世での楽しみが奪われる等と感じるようです。ところがあちらには、先に逝かれた自分の先祖など、光に満ち溢れた人たちが待っていてくれるのです。洗心の指標を参考にするとわかりやすいかもしれませんが、そこに居る人はマイナスの感情を持つ必要がありませんから、周りの人にもマイナスの氣を与えることもありません。皆が他を愛し育む気持ちを持ち、人の喜びが自分の幸せであり、身体を持つ私達を見守ることで、自からも学び魂を成長させているのです。そのような世界は、この世とは、また一味違った幸せで一杯だと思うのです。光の世界の素晴らしさは、まだまだあるでしょう。少しでも多くの既に身体を無くした魂達に、分かって貰いたいものです。それには、しっかりと真氣光を充電することであり、光の方向に向かって(プラスの心を持てるよう)努力することなのです。

(41)家族をとがめていた

私が真氣光を送っていると、氣を受けている人から全く違う人の声で、ご本人とは別の人格が出てくることがあります。氣を受けている人が身体を失った魂さんの代弁をするような形になるのですが、私は宿を借りて出てくるのでそれをヤドカリさんと言ったりしています。また私が7 時や10 時の真氣光の時間に氣を送っていると、話す事はないのですが、私の意識の中で感じられる魂さんもいらっしゃいます。先月のこと、夜10 時の真氣光の時間に氣を送っていると、お腹が苦しそうな女性のイメージを感じました。彼女の言わんとしていることはこんな感じでした。「自分がもっと家族に真氣光を知らせればよかった。最初は良かったけれど、だんだん苦しくなってきて、家族に真氣光をやって欲しかった。真氣光をして貰えないということで、家族をとがめていた。とがめ、それにこだわることが自分を苦しみの方に向かわせていた。自分の死を受け止めるのに家族はたいへんだったろう。私がもっと説明することをしなかったから悪かったんだ。たくさん光をもらって今私は光を送れるようになった。もう大丈夫。この先主人が亡くなると、娘は一人きりになる。この光に導きたい。」その日はA さんの命日だったので、私は直ぐに彼女だと思いました。A さんが生駒での研修講座に参加したのは5 年ほど前のことです。末期の子宮ガンでしたので、規定上一人での受講はできないことから、当時やっとの思いでご主人を説得し、ご夫婦での参加となりました。念願が叶って受講できたのですが、受講途中にA さんの容態が急変し急遽病院へ移ることになったのです。その後、病院でよく調べるとガンの進行が予想以上に進んでいて、結局その後残念なことに亡くなられたのでした。私は、A さんの生駒に来たかったという思いに強く打たれ、その時一生懸命に氣を送りました。私は、A さんはご主人を真氣光に導きたかったのだと感じ、ご主人にも出来るだけの氣を送らせていただいたのでした。ハ イゲンキができて真氣光が始まりましたが、当初すでに亡くなった家族をハイゲンキで供養できるなどとは、考えも及びませんでした。しかし、氣を受けて出てくる、いろいろな魂の話を総合すると、自分自身にハイゲンキをすることが、自分を通して生きている家族にも亡くなっている家族にも光を送れるという事が良く分かります。あの世で光を待ち望んでいる人がたくさんいます。その人達が、皆さんを真氣光に巡り合わせてくれたとも言えるでしょう。

(42)この子に分かって欲しかった

昔からどこかに調子が悪いところがあって身体が弱かったという30代のA さんが、真氣光を知ったのは1 年ほど前、知り合いの方から紹介されたのがきっかけでした。氣を受けると少し楽になったということでしたが、仕事がとても忙しいので、家では音氣で氣を受けていましたが、なかなかセンターを利用できなかったそうです。それがある日、身体がとても辛くなって久しぶりにセンターを訪れたとき、スタッフから会長セッションがあると聞いて参加してくれました。そ れ以来、月一回定期的に来てくれるようになったのですが、その会長セッションも3 回目ぐらいの時です。いつもは眠たくなって寝てしまうA さんが、突然苦しそうな表情になりました。「ウー、ウー」と低い呻き声を上げるのです。私は、何か苦しく辛い人が関係しているような気がして、手を頭のところに当てて氣を送りました。最初は苦しくて、ただ呻くだけだったのですが氣を受けるうちに涙が出て、激しく咳き込み始めたのです。私は、苦しかった魂さん達にたくさんの光が届くよう一生懸命に氣を送りました。そのうちに咳も止み楽になったようなので、私が「苦しかったね」と聞くと、彼女はお婆さんのような声で「苦しかった。何とかこの子にそれを分かって欲しくて、ずいぶん永いこと待ったんだ。やっと光が見えてきた」と言うのです。「A さんのご先祖の方ですか?」と聞くと、うなずきながら「まだまだ苦しんでいる者がいる」と私の手を握るのです。私が「あなたも光になって力を貸してください」と伝えると、A さんの身体からフッと力が抜け、その魂は光の世界に旅立ったのでした。気 がついたA さんは、「自分が話していたのは分かるのに、何故あんな事を話したのかが分からない」と言うので、「あなたが小さい頃から、何とか分かって欲しかったご先祖さんが居たのです」と説明しました。A さんの先祖は、たくさんの人から恨みをかってしまったようで、その真っ黒い固まりによってどんどん苦しさを増していたのです。A さんがなかなかセンターに来られなかったのも、そのせいだったようです。もう何百年も前から、何とか分かってくれる人は居ないかと待ち続けていたご先祖は、力を振り絞ってA さんをセンターに向かわせたのです。彼らは子供が生まれるたびに、「この子なら私達を救ってくれるのでは…」と思っていたかもしれません。ハイゲンキは家に光を送ります。それは使っていなくても、一定の光が徐々に持ち主を通してご先祖に光を届けるのです。そうやって代々家に続いて来た辛い歴史の繰り返しを取り除きます。先祖が苦しいからA さんも苦しいことが多くなり、子供が出来れば、その子も苦しむことになったかもしれません。私はA さんにハイゲンキをお勧めしたのでした。

(43)光が弱いところ

3月も今日で終わりです。4月からは、新学期、新社会人と新しい生活を始める人も多いことでしょう。中には入学や就職で、親元を離れた人もいるのではないでしょうか。今日は、この時期に思い出される魂の話をします。2 年ほど前のことですが、A さんが久しぶりに会長セッションにいらっしゃいました。A さんには、就職して親元を離れた息子さんがいるのですが、最近体調が悪いので、母親として何かできることはないかと言うのです。私は遠隔真氣光の話をして、息子さんの名前を聞き、氣を送ってみましょうとお話してセッションを始めました。すると、すぐにA さんが苦しそうに唸り始めたのです。先ほどまでは苦しい様子はみせていなかったので、私はすぐに霊的なものの影響だとわかりました。何の関係だろうと思っていると、A さんとは別の魂が「こいつらは許せない。俺たちはひどい目に遭わせられたんだ。絶対に許さない。」とA さんの口を借りて話し始めました。話をまとめると、A さんの先祖が地位のある武将で、戦を指示して女・子供に至るまでたくさんの人たちを苦しみに陥れたので、その恨みを何代にも渡って晴らしてきたと言うのです。私は、彼の言うことをよく聞きながら、気持ちが変わってくれるよう、集中して真氣光の光を送り続けました。すると口調が少し柔らかくなってきたので、恨むと余計に苦しさが増すことを説明し、光が届いて少しずつ楽になることを告げました。最初はとても苦しそうに話していた魂も、ずいぶん苦痛が薄れてきたようなので、「A さんから光が来るから楽になる」ということを教えました。するとそれが感じられたらしく、「本当に申し訳ないことをした」と繰り返します。そして、「ここは(A さんの事)光が強くて狙えなかったから、光の弱い息子を苦しめた」と言うのです。私は「迷惑を掛けたなら、その分もこれからよろしくお願いします。」と言って光の世界へ見送ったのでした。セッションが終わって、びっくりしていたA さんですが、すべてが腑に落ちた様子です。氣のことをよく知らない息子さんにも少しずつ教えるつもりだと話して帰られました。誰 でも、肩や腰に疲れが出やすい等、ウィークポイントがあるもので、そのようなところは光が弱くなっている部分です。家族や親戚、職場・会社などというグループも同じように全体を包む光があり、その中に光の弱い部分があるものです。そこにマイナスの氣つまり影たちが同調して集まることがあるのです。ですから気がつける人によって、光を強める心配り・氣配りがとても大事なのです。

(44)い つも見守ってくれている

先日、「会長は苦しかったマイナスの魂さんの話はしますが、プラスの魂さんの話はないのですか」という質問を受けました。確かに私は、苦しかった辛かったと言われる魂が、氣を受けている人の口を借りて出て来て、だんだん楽になり光の世界に消えて行く話をずいぶんしています。それはその際、貴重な気づきをくれ、それが多くの人にも参考になるものですから、できるだけ紹介しようとしているのです。光り輝く魂さんも、本当に必要なことがあれば出てくる時もあります。しかし、たいていはその人自身を尊重し、自然なかたちで見守ってくれているのです。そして何か、ふとしたところで、力になってくれているのです。時には一言、「見守っているよ」とか「一生懸命やってるね」「ありがとう」などの話が出ることがあります。いつも力になってくれていることでしょうが、それをいちいち恩着せがましく長々と「私は○○をしてあげた!」とは言われないものですから、この紙面を埋めるほどの話にならないのです。今回は質問に答えるため、A さん母娘の話しをしてみたいと思います。会 長セッションでの事ですが、お母さんと大学生の娘さんが氣を受けにいらしたのです。親元を離れて生活している娘さんのことは、お母さんも気になるようで、前から氣グッズをいろいろ持たせていました。その日は帰省していた娘さんが戻らなければならないので、氣を受けさせたいとセッションに連れて来られたのでした。セッションがもう終わるころでした。そばにいた方から、A さんのご先祖様が出て来たのです。手を伸ばして娘さんに触れようとすると「おお冷たい、おお冷たい」と言います。私は何のことだろうと思いながら、お二人に集中的に氣を送りました。「一生懸命守ってるんだけど、冷えるからたくさん集まってくるんだ」私は、「冷える???」と思いながら娘さんを見ました。彼女は若いですから、最近のファッションです。よく見ると、まだ寒いのに裸足です。ズボンも今風の股上が短いタイプで、かがむと腰が出てしまいます。私たちの身体は冷えるとエネルギーを失うようにできていて、そこにマイナスの魂さんが集まる傾向にあります。私はピンときました。彼女のファッションがマイナスを集めていて、ご先祖様がそれらから一生懸命に娘さんを守ってくれていたのです。私がそれを説明すると、お母さんもそれが気になっていたらしく、彼女もその意味がわかり、皆でありがたいご先祖様に感謝したのでした。どんな人にも、どんな時にも、光溢れる魂たちが私たちを見守ってくれています。決してそれを忘れてはならないのです。

(45)耐えてこそ武士の妻(1)

天皇家に40 年以上男の子が生まれていないということで、今年に入って皇位継承問題がテレビや国会でも議論されていました。天皇家ばかりでなく、昔から家を継ぐということでは、その蔭にたくさんの人々の辛さや悲しさがあったことでしょう。特に武士の社会では、家を維持・繁栄させるということが一番の大きな課題だったようです。今のように安定した社会ではありません。男も女もそれぞれの置かれた立場で、その時々を一生懸命に生きたことでしょう。今回は、そんな事を垣間見ることができる、武将の妻だった一人の魂さんのお話です。私 が氣を送っていると、ある女性が苦しそうに顔を歪めながら話し始めたのです。「耐えてこそ、耐えてこそ武士の妻。妻たる者、決して弱みを見せたり、泣き言を口にしてはなりませぬ。」私はすぐに、これは氣を受けている本人ではなく、その人の口を借りて出てきた女性の魂だとわかりました。どうも武士の家で、相当厳しい教育を受けているようです。私は、彼女が苦しそうなので、どこか身体が悪いのかと思い、いろいろと尋ねて見たのですが、「決して弱音を吐いてはいけない。苦しいと言ってはいけない。しょせん女の身、たわごとを殿方に聞かせてはならない。強く耐え抜くのが武士の妻の勤め。」と、自分自身に言い聞かせるように繰り返すのです。私は少しでも何か話せれば、光が入りやすくなり楽になれるだろうと思い「何かに耐えて、辛かったのですか」と聞いてみたのです。彼女は「耐えることなど、私には何も辛くはなかった。」と言います。私は、どういう事なのかよくわからず、ただただ氣を送るしかありませんでした。やがて少しずつ氣が届いたのでしょう。「私は子供を宿すことができなかった。唯一の女の勤めを果たせなかった。耐える事など何でもないこと。子供を産み育てることができなかった。家を守り、次の世代に繋げる事なくして、武士の妻の勤めを果たしたとは言えぬ。」苦渋に満ちた顔で、静かに話すのです。「さりとて男のように戦をするわけにもいかず。私に何ができたのでしょうか。武士の家に生まれ、武士の家に嫁ぎ、唯一のお役目も果たせず、私の人生は何であったのか?申し訳ない。申し訳ない。」私も何と声をかけたら良いかわからず、氣を送ることしかできませんでした。すると「殿方に決してこのような事を聞かせてはいけない。そして、言ってはいけない。このような事を口にした事を恥じております。後悔しております。このまま人知れずいられれば…。」真氣光の光が自然に彼女の心を開かせたのです。 <次週に続く>

(45)耐えてこそ武士の妻(2)

<先週より続く>「話してくれてよかったですよ。」と私は言いました。彼女は話し続けます。「女に生まれたことを恨んでいるのではありません。勤めを全うできなかった事への申し訳ない思いだけなのです。私のような者はたくさんいる。なぜそうなってしまったのか。自分の運命を呪うしかない。命を繋げることが出来なかった女の悲しみ。なんと罪深きこと。なぜ私はこの世に生まれてきたのか。そのような運命(さだめ)を受け入れて耐え抜くしかできないのです。しかし耐えたところで…。」私 は、少しでも楽になってほしいと思い一生懸命に光を送りました。少しして「光は届きますか?」と聞いてみました。「少しだけ前を向くことができた気がします。もう過ぎてしまったことです。決して死ぬまで口にしまいと思っていましたが、死んでから口にしてしまいました。なぜ死ぬまで言わなかった事を死んでから言ってしまったのか…。」全てを自分の中だけに留めておくことは、とても苦しいものです。口に出来ることで、益々真氣光の光が届き楽になれるのです。「辛かった事、苦しかった事。確かに私は子を持つことができなかった。家を繋げなかった。しかし、子を持った多くの母親は、我が子を戦場に奪われていった。そのたくさんの悲しみがあったはずです。私はそれに気がつかなかった。そこには女としての別の悲しみがあったのです。ああなんと女は悲しいのでしょう。」自分の辛さを乗り越え、他の人にも目を向ける。私はなんて素晴らしいことだろうと思って聞いていました。「私にも何か出来ることがあるのでしょうか。ぜひ何かさせていただきたい。今までの事は過ぎた事です。ああ、心が晴れやかになり娘時代に戻ったようです。」みるみるうちに顔が変わっていきます。最期に彼女は言いました。「私に出来ることは何でしょう。私でもお役に立てることを、人として精一杯出来ることを…、何ができるでしょう。女としてではなく、他の人のために役に立てること、人として生きること。…。人として役に立てる、他の人を幸せにできる。そのために一生懸命生きること。女としての生き方に苦しむことなく…。それを皆が、わかってくれれば女としての悲しみを背負うことはない。人としての幸せ、周りの幸せ、それを信じて強く生きる心。わかりました。その事をお伝えすることですね。これは光なのでしょうか?この光をどうすれば…。この光とともに、私が行けば良いのですね。」昔から女には女の、男には男のたくさんの辛さや悲しみがあったことでしょう。私は心から、よろしくお願いしますという気持ちで彼女を見送ったのでした。

(46)氣がついてくれるかのぉ

暑い日が続いていますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。お勤めの方などは、これから夏休みを取られる人も多いのではないでしょうか?来週末あたりは、田舎に帰省したり、お墓参りに行ったりと、例年日本列島は移動する人で混雑する時期です。私のところにも、お墓に入れたり、仏壇に置きたいと、水晶の刻印依頼が多くなるときです。皆さんが、一年のうちでも一番ご先祖様を意識する季節かもしれません。それだけ良い氣も届きやすくなるときなのです。そ のご先祖様の気持ちを理解するうえで参考になる話がありました。先日の会長セッションでの出来事です。Aさん母娘が氣を受けに来てくれたのですが、お母さんのすでに亡くなっているお父さん(娘さんにとってはお爺さん)が娘さんのところに出てきました。その時のお話しをしましょう。セッションがもう終わる頃です。Aさんの娘さんが腕が痛いと言うので、私も少し集中して氣を送っておりました。すると彼女からお爺さんの声が出てきたのです。「何も財産を残してやれなかったのに、もったいなくて光を受けとれん。」A さんは日頃から真氣光を一生懸命してくれているので、お爺さんにもたくさん光が届きずいぶん楽になったようでした。「わしは頑固で何も笑わなかった。それが素直に笑いたいときに笑えるようになった。金や物が大事だ。だが今となっては何もしてやれん。」A さんたちにとても感謝しているようですが、何もしてあげられないから、これ以上良くしてくれなくてもいいと言うのです。私は「見える物ばかりが重要じゃないよ。お金はあっても不幸な人はたくさんいるし…。」と言ったのですがお爺さんには通じません。「いや、でもこの世は金が無いとだめだ。俺には何も力になれん。」と強く言うのです。私は「じゃ、このまま何もしないつもり?こんなに良くしてくれたのに何とか力になりたいでしょう?」と聞くと、お爺さんは「そうじゃのう…」と、しばらく考えていました。「できるよ、してあげられるよ」と私が言うと、お爺さんは「氣がついてくれるかのぉ。いろいろしてやっても、氣がついてくれんと寂しいからのぉ。」と言ったのです。どんな人にも、いろいろと気配りをしてくれているご先祖様がいます。身の周りに起きる良い事は、そのお蔭と言えるでしょう。生駒でも毎日の「いいとこ探し」をおすすめしていますが、それに氣がつく事とご先祖様に対する感謝の気持ちの重要性を私は再確認したのでした。最後に私は「よく話しておくから、すぐにわかってくれるよ。だからよ ろしくお願いします。」と言って、お爺さんを見送ったのでした。

(47)戦後60 年と平和への祈り

私が会長セッションで氣を送っていると、氣を受けている人を通じて、苦しんでいる魂が出てくることがあります。先日、会った二人の魂の話をしましょう。初めの人は「苦しい、苦しい」と、呻き声を上げながら最初は、かなり辛そうでした。「俺達は日本人に頭を踏み付けられて、土に埋められて死んだんだ。お前達のことを、決して忘れない。俺達を苦しめた、この恨みは決して忘れちゃいけないんだ。」話を聞いていると、どうも中国人のようです。私は「いつまでも苦しませておけないよ。今までずっと苦しんできて…。私は、どうにかしてあげたいんだ。だから光を送るよ。」と言いながら氣を送り続けました。彼は「痛い、痛い」と呻いていたのですが、氣が届きだんだん楽になって来たようで、最後には「許すということが、どんなに大切か、気持ちを楽にするものか。それを初めて知った」と、言って光の世界に逝ったのです。もう一人は原爆で亡くなった人でした。初めは随分苦しそうでしたが、氣が届き楽になったのでしょう。「私達は何もしていない。突然爆弾が降ってきて、こんな目に遭ったのです。誰が過ちを犯したと言うのですか。誰が過ちを繰り返さないと誓っているんですか」と、私に強い口調で聞くのです。私は答える言葉も無く、一生懸命氣を送りました。そうするうちに氣がどんどんと浸透したのでしょう。その人は「誰が、ということはないのですね。一人でも多くの人が、それを心に刻んでくれればいい。私は、そのお手伝いができる」と言って光の世界に逝きました。戦 後60 年ということで新聞やテレビなどでは、いろいろな特集が組まれているのを目にします。私も各地で氣を送っていると、特に今年は、先の大戦で犠牲になった魂が出てくることが多いと感じています。2000 年にも20 世紀最後の年ということで、世紀中のいろいろな戦争や紛争で犠牲になった、たくさんの魂達が出て来て、光になりました。年月には、節目というものがあるようです。人々の記憶が薄れ、思い出されなくなることが、辛く悲しい魂達に光を届き難くするのです。逆に、何十周年ということで、人々があらためてそれらの問題に関心を持って目を向け、二度と過ちを犯さないよう決心したり行動できることで、辛く悲しい魂達も犠牲にならなければならなかった本来の意味に気がつきます。光に満ち溢れ、光の世界から今度は私たちを見守ってくれるのです。戦後60 年、節目の年の節目の時期です。ちょうど生駒での研修講座が始まりました。そういう意味で今週末からお盆にかけては、私もそれを意識し、集中して氣を送ろうと思っています。

(48)側に居るようだ

ある日の会長セッションでの出来事です。セッションも終わりに差し掛かったころ、氣を受けていた女性が違う口調で話し始めたので、私はすぐに身体を無くした魂が何かを言いたいのだと思って耳を傾けました。彼(その魂はお爺さんのようだった)は「この人は、死んでしまった私のことを『側に居るようだ』と言ってくれた。なんと嬉しかったことか。それまでは何の役にも立てそうになくて、諦めていたけれど、私にも何かしてあげられる、何でも出来るような気がしてきた。本当にありがとう。大きな希望をもらった。」と言ったのです。私はその時、身体を失った人の気持ちが伝わってきて、とても心に残ったのでした。セッション前に、氣を受けに来たその女性は私に「既に亡くなっている知り合いのお爺さんが側に来ているような気がして」と話してくれていたのです。何の根拠もないのですが、何となく、その人だと思ったそうです。それにしても、この魂のように既に亡くなった人達にとって、思い出してもらえる・気づいてもらえるということは、とても大きな喜びになるようですが、私たちはなかなかそれに気づいてあげられないものです。私は、15 年ほど前に話題になった「ゴースト〜ニューヨークの幻」というデミ・ムーアの映画を思い出しました。身体を失い幽霊となった彼が、彼女を危険から守ろうと、何とか気がついて欲しくて、あの手この手で知らせるのですが、生きている彼女にはわかりません。彼は手の限りを尽くし、そして最後には気がついてもらえ彼女を守ることができて、別れを告げて天国に昇っていくというストーリーです。セッションで出てきた魂さんも、気づいてもらえず、すっかり自分には何も出来ないと諦めていたのかもしれません。ど んな人の周りにも、先祖を始め見守ってくれている目に見えない存在がたくさん居ます。良いことがあると、それを感じて有難いと思えるものです。しかし、辛いことや苦しいこと、運が悪いことが続いたりすると、「神も仏もない」と嘆き、希望を失ってしまいます。黒いマイナスの氣の中で、懸命に私たちを支えてくれているかもしれない、そのような存在のことを忘れてしまうのです。真 氣光は、辛いときにも心に少しの余裕を作ります。ポカポカと暖かい陽射しを感じた時、キラキラと輝く自然を見た時、誰かとおしゃべりをしている時、ホッと一息ついた時等々、ふとした瞬間に、見守ってくれる魂達を感じられるように促してくれるのです。