(48)側に居るようだ

ある日の会長セッションでの出来事です。セッションも終わりに差し掛かったころ、氣を受けていた女性が違う口調で話し始めたので、私はすぐに身体を無くした魂が何かを言いたいのだと思って耳を傾けました。彼(その魂はお爺さんのようだった)は「この人は、死んでしまった私のことを『側に居るようだ』と言ってくれた。なんと嬉しかったことか。それまでは何の役にも立てそうになくて、諦めていたけれど、私にも何かしてあげられる、何でも出来るような気がしてきた。本当にありがとう。大きな希望をもらった。」と言ったのです。私はその時、身体を失った人の気持ちが伝わってきて、とても心に残ったのでした。セッション前に、氣を受けに来たその女性は私に「既に亡くなっている知り合いのお爺さんが側に来ているような気がして」と話してくれていたのです。何の根拠もないのですが、何となく、その人だと思ったそうです。それにしても、この魂のように既に亡くなった人達にとって、思い出してもらえる・気づいてもらえるということは、とても大きな喜びになるようですが、私たちはなかなかそれに気づいてあげられないものです。私は、15 年ほど前に話題になった「ゴースト〜ニューヨークの幻」というデミ・ムーアの映画を思い出しました。身体を失い幽霊となった彼が、彼女を危険から守ろうと、何とか気がついて欲しくて、あの手この手で知らせるのですが、生きている彼女にはわかりません。彼は手の限りを尽くし、そして最後には気がついてもらえ彼女を守ることができて、別れを告げて天国に昇っていくというストーリーです。セッションで出てきた魂さんも、気づいてもらえず、すっかり自分には何も出来ないと諦めていたのかもしれません。ど んな人の周りにも、先祖を始め見守ってくれている目に見えない存在がたくさん居ます。良いことがあると、それを感じて有難いと思えるものです。しかし、辛いことや苦しいこと、運が悪いことが続いたりすると、「神も仏もない」と嘆き、希望を失ってしまいます。黒いマイナスの氣の中で、懸命に私たちを支えてくれているかもしれない、そのような存在のことを忘れてしまうのです。真 氣光は、辛いときにも心に少しの余裕を作ります。ポカポカと暖かい陽射しを感じた時、キラキラと輝く自然を見た時、誰かとおしゃべりをしている時、ホッと一息ついた時等々、ふとした瞬間に、見守ってくれる魂達を感じられるように促してくれるのです。