私が会長セッションで氣を送っていると、氣を受けている人を通じて、苦しんでいる魂が出てくることがあります。先日、会った二人の魂の話をしましょう。初めの人は「苦しい、苦しい」と、呻き声を上げながら最初は、かなり辛そうでした。「俺達は日本人に頭を踏み付けられて、土に埋められて死んだんだ。お前達のことを、決して忘れない。俺達を苦しめた、この恨みは決して忘れちゃいけないんだ。」話を聞いていると、どうも中国人のようです。私は「いつまでも苦しませておけないよ。今までずっと苦しんできて…。私は、どうにかしてあげたいんだ。だから光を送るよ。」と言いながら氣を送り続けました。彼は「痛い、痛い」と呻いていたのですが、氣が届きだんだん楽になって来たようで、最後には「許すということが、どんなに大切か、気持ちを楽にするものか。それを初めて知った」と、言って光の世界に逝ったのです。もう一人は原爆で亡くなった人でした。初めは随分苦しそうでしたが、氣が届き楽になったのでしょう。「私達は何もしていない。突然爆弾が降ってきて、こんな目に遭ったのです。誰が過ちを犯したと言うのですか。誰が過ちを繰り返さないと誓っているんですか」と、私に強い口調で聞くのです。私は答える言葉も無く、一生懸命氣を送りました。そうするうちに氣がどんどんと浸透したのでしょう。その人は「誰が、ということはないのですね。一人でも多くの人が、それを心に刻んでくれればいい。私は、そのお手伝いができる」と言って光の世界に逝きました。戦 後60 年ということで新聞やテレビなどでは、いろいろな特集が組まれているのを目にします。私も各地で氣を送っていると、特に今年は、先の大戦で犠牲になった魂が出てくることが多いと感じています。2000 年にも20 世紀最後の年ということで、世紀中のいろいろな戦争や紛争で犠牲になった、たくさんの魂達が出て来て、光になりました。年月には、節目というものがあるようです。人々の記憶が薄れ、思い出されなくなることが、辛く悲しい魂達に光を届き難くするのです。逆に、何十周年ということで、人々があらためてそれらの問題に関心を持って目を向け、二度と過ちを犯さないよう決心したり行動できることで、辛く悲しい魂達も犠牲にならなければならなかった本来の意味に気がつきます。光に満ち溢れ、光の世界から今度は私たちを見守ってくれるのです。戦後60 年、節目の年の節目の時期です。ちょうど生駒での研修講座が始まりました。そういう意味で今週末からお盆にかけては、私もそれを意識し、集中して氣を送ろうと思っています。