私は、今月の気配り画像に「先祖に感謝の氣をおくろう」と書きました。先祖とは、○○家のような家系的な先祖もそうですが、もう少し広く考えて過去に生きた日本人、さらには国籍も取り払って単に「先人」とでも言いましょうか、自分が思える範囲でよいのですが、そのような先祖に感謝の気持ちを持つことで、プラスの氣を送ろうということなのです。特に今週、私の場合は、‘45年(昭和20年)8月6日午前8時15分広島での原爆で亡くなった人々(同年12月末で14万人が死亡と推定)、9日午前11時2分長崎での原爆で亡くなった人々(同年12月末で死者7万3884人、負傷者7万4909人)に氣を送りたいと思っています。私が氣を送っていると、被爆した魂さんたちが、氣を受けている人の口をかりて出てくることがあります。苦痛に喘ぐ低い唸り声で、ただただ辛くて身の置き場が無いという感じです。先日などは、真氣光が届いていくと「もう苦しまなくてよいのか?」と私に聞いた後、「さぁ、みんなで逝こう」との言葉を最後に光の世界に行かれたのでした。62年経っても終わること無く、まだまだたくさんの人々が、苦しみの中にいるようなのです。今の日本の平和は、犠牲になっていただいた方々のおかげです。私たちが少しでも苦しみを理解し平和への思いを強くできること、さらには真氣光の光が少しでも届くことを祈ることで、たくさんの人の心が癒されるのです。今日の新聞によりますと、『安倍首相は被爆者代表らと、6日に広島市で開かれる原爆死没者慰霊式・平和祈念式の出席に先立ち、5日夕に同市内で会談する意向だ。歴代の首相は、原爆の日に合わせて被爆者代表らと面会してきたが、01年を最後に途絶えていた。首相も当初「スケジュール上の都合」で欠席する考えを示していた。6月に久間章生前防衛相が原爆投下を「しょうがない」と発言したことで、被爆者団体は首相との面会を強く求めていた。』とありました。とても良かったことです。私は、‘02年に米国ニューメキシコ州サンタフェ市近郊でセミナーを開催したときに参加してくれた母と子を思い出します。(本紙296号2002.10.3付参照)男の子は甲状腺の病気でした。母親のおじいさん達が、日本に落ちた原爆を作った近くの研究所で働いており、彼らも体を悪くして亡くなったとのことでした。当時原爆は3発作られ、一つはニューメキシコ州での実験で、残りは広島、長崎で使われたということです。真氣光は宇宙からのエネルギーです。その真氣光が、先代の時代からチェルノブイリ原発事故や原爆で「ヒバク」した人達と深いご縁があるのは、何か宇宙の大きな意思が働いているとしか思えないのです。
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ラベンダー畑から
月刊ハイゲンキのカラーページ「新紀行」の取材で富良野に行って来ました。花々が見頃で、観光客でたいへん賑わっておりました。私は以前にも行ったことがあるのですが、ラベンダーで有名なファーム富田は、ずいぶん大きくなって変わっておりました。もう20年ぐらい前になりますから、当たり前のことですが・・・。ラベンダーの栽培は約50年前からとのこと。一時は天然香料が合成香料に押され栽培を断念する農家が続出。「生かしたい一心が、物づくりの道を教えてくれた」と言うことですが、国鉄のカレンダーで紹介されたのをきっかけに訪れる人が多くなり、オイルの抽出から化粧品や石けんの製造を手がけ苦境を脱したとのことです。ラベンダー畑に辿り着くと、目に奇麗な色彩が飛び込んでくるとともに、何とも言えない良い香りがしてきます。ハーブ効能事典を調べてみると「ラベンダーティーとして飲用すれば頭痛緩和、リラックス効果、失神やめまいも緩和する。またエッセンシャルオイルは消毒、鎮痛、沈静(例えば虫刺されや小さな火傷、凍傷、刺し傷)等に有効。マッサージオイルに混ぜたものは、炎症、皮膚のただれ、喉の痛み、リューマチ、不眠症、うつ病などの芳香療法の際に使われる。」とあります。真氣光の化粧品オイルと石けんにも使われています。普通いい香りを嗅ぐとリラックスしストレスは解消され、いやなにおいを嗅ぐと不快になりストレスは増幅されると信じられていますが、一概にそうともいえないようです。ストレスの原因を身体の酸化ととらえ、唾液中の抗酸化物質が増えているとストレスを解消でき、逆に低下していれば身体の酸化が進みストレスがたまっていくと考えた実験が「においと香りの正体」(外崎肇一著)に紹介されていました。アロマテラピーで使われる芳香を嗅がせると抗酸化物質は徐々に増えていくが、嗅ぐのをやめると以前の数値にすぐに戻ってしまい、逆に不快なにおいを嗅がせると抗酸化物質の量はそれほど減らず、嗅ぐのを止めると抗酸化物質が一気に増加するということです。においには慣れがあり、いやなにおいから解放されてホッとするのが、抗酸化物質の増加につながっているということで、この実験での結論は、人にとってストレス解消の良い方法は「変化」だというのです。そういう意味では、短い時間でもホッと一息できた今回の取材は効果があったのかもしれません。来月の月刊ハイゲンキでは、できるだけ写真をたくさん掲載します。良い香りはお届けできませんが、良い氣をお届けします。リラックスのための「変化」になりますでしょうか。お楽しみに。
ムッときたら氣の充電
4月26日付のこの紙面で、私はある新聞の特集記事「夫に言われて傷ついた一言」(1位は「君も太ったね」)について書きました。先日その新聞に今度は「妻に言われてムッとした一言」という記事が載っていました。どうも妻の言葉への夫の不満も取り上げてほしいという声が新聞社に多数寄せられたようです。結果は、1位「うちにはお金がない」「生活費が足りないわ」274人、2位「あなたはいつもそうなんだから」220人、3位「おなかが出てきたわね」203人…と、アンケート結果は15位まで続くのですが、我が家でも時々耳にする言葉が入っております。一方、妻に言われてうれしかった一言は、1位「ありがとう」411人、2位「いつもご苦労さま」「お疲れさま」300人、3位「いってらっしゃい」266人、4位「さすが!」183人、5位「早く帰ってきてね」180人…と、感謝や労いの何気ない一言が続きます。記事によりますと、短い一言は「長い言葉と違って、夫側が『本音は何だ?』など裏読みをせずに済むので素直に聞ける良さがある。妻が自分の味方であることが口調からも伝わり効果的」だそうです。男性も女性も嫌な言葉の中には、体型のことが入っていたり、「一生懸命やっているのに、これ以上どうすればいいんだ」という自分の気持ちをわかってもらえない事への不満が根底にあるようです。私は、妻の言う事に対して、つい「ごもっともです」と思ってしまう癖がついてしまったのか、滅多にムッとすることはないのですが、やはり疲れているときなどに聞くと嫌味の一言でも返してやろうかという気になるものです。マイナスの言葉にはマイナスの氣が集まり、プラスの言葉にはプラスの氣が集まります。言葉について、できるだけお互いに気をつけることが望ましいのですが、なかなか行動に移すのは難しいものです。私は、同じような事を相手から聞いても聞き流せるときと、やけに心に引っかかるときがあるということから、そのことを自分自身の状態に気づけるチャンスととらえるべきだとお話ししています。ムッとしたときには自分自身の波動を変えるよう、一呼吸置いたり、相手を思いやる気持ちを持てるよう努力することで、一つ魂のステップアップができるものです。もちろん、心に余裕を持つために少し多めに氣を受けることも忘れてはなりません。夫婦という身近な人との間で練習ができると、魂の成長も早くなるということでしょう。また、第三者に対してムッとしている相手を目の当たりにしたら、気づかぬうちにマイナスの氣をためてしまいますから、心に余裕を取り戻せるようお互いに注意し合えると最高ですね。
バカンス
今年も半年が過ぎ、7月に入りました。ニュースによりますと「成田国際空港会社は5日、夏休み期間中(7月13日?9月2日)の空港利用者が、過去最高の427万人に達するとの推計を発表した。9月2日が日曜日で小学校などの夏休みが長くなるため、前年比で約5万人増えるとみている。」ということです。この推計、休みが2日長くなると、こんなに増えるの?という感じですが・・・。旅行会社など夏の観光についての宣伝が目を引きます。インターネットで検索してみると、フランス政府観光局のサイトには「頑張った自分にごほうびするなら、フランスでのバカンス!」と銘打って、あちらこちらの美しい風景や食べ物の写真が掲載されています。ちなみにバカンス、バケーションを百科事典で調べてみると、「欧米では労働者の休暇の過ごし方の形として頻繁に使われるもの。平素の煩瑣な仕事の世界から解放されて、完全な休暇を楽しむライフスタイルのこと。休日とは違い、長期にわたり仕事や普段の生活の場所から離れ、田舎やリゾートに出かけて、そこに滞在型の休暇を楽しむもので、日本人の団体や家族での海外旅行のような周遊、回帰型の移動旅行とは異なったもの。」とあります。長期で留守にすると、いろいろなことが気になってしまい、私などにはもしかしたら無縁のことかもしれません。フランスでは景気回復策として、60年以上前からバカンス法を制定して国が奨励してきたという歴史があります。近年、日本でも徐々に言われていることなのですが、なかなか現実には難しいものがあります。バカンスについて、フランス人ジャーナリスト、ドラ・トーザンさんが書いている文章を見つけました。『人生を前向きに生きるためにバカンスは欠かせません。精神的ストレスを癒すには、日常から離れることが必要。仕事も肩書きも年齢も忘れ、素の自分を取り戻すのです。いいエネルギーと新しいものの見方を身につける事で、周りの人にもいい影響を与えます。大切なのは「今この瞬間を味わう」こと。翌日のことは気にせず、ひたすら今を楽しむ。そして偶然の出会いを楽しむこと。・・・日常生活では得られない新鮮な時間を、親子で共有することもできます。』これを読んでいて、まるで真氣光研修講座のことを言っているように思いました。バカンスのように何週間もの長い休みをとれない方に、真氣光のエネルギーが短い時間でも癒しを与えます。この夏、日常を離れ、思い切って3泊4日の研修講座を受講してみませんか。
携帯電話に氣を
私は、うっかり忘れものをするということがあるらしく、家を出るときに家内が必ず「「財布持った?鍵は?携帯は?」と声をかけてくれるのです。有り難いことです。いつぞやは、財布は持っていたけれど中身が何も無いということもありましたが(笑)・・・。この、家を出るときの点検はサラリーマン時代からですから、もう20年近くになります。携帯電話がチェック項目に入るようになったのは、いつからでしょうか?おかげさまで私の場合忘れることは滅多に無いのですが、持っていても充電されていなくて使えなくなっていることがしばしばありますので、こちらは要対策というところです。今や携帯は、必需品になりました。公衆電話が街中から姿を消していますから、電話をしなければいけないときにはこれが無いと本当に不便です。私はあちらこちらからメールが来るので、メールの送受信機能も重宝しております。さらには出張のための飛行機や電車の予約、最近では、電車やバスに乗るのも、コンビニでちょっとしたものを買うのも「おサイフ携帯」ということで、ますます依存症になりつつあるのです。ある調査会社が街頭で『あなたは1日に携帯電話の画面を何回見ますか?』と、100人にアンケートを取ったそうです。結果は10回以上が46人、30回以上39人、50回以上9人、中には100回以上の人も・・・。私は時計の代わりに携帯で時間を確認しますから、それを入れると私も30回以上になるかもしれません。電車に乗っていても、携帯を見ていない人は居ないくらいです。現代人にとって、とても必要なものになってしまいました。肌身離さず使われる携帯電話に何とか良い氣を・・・と考えてできた一番最初の氣グッズが真氣光チタンゴールドシールだったのです。氣グッズばかりではなく本紙も2003年10月からファックスに加え、携帯電話にも配信するサービスを始めました。また昨年4月からは氣配り画像を待ち受け画面用に毎月一回配信し、氣を受ける道具にしてもらうというサービスも始めたのです。最近の携帯は音楽を聞くこともできるので、音氣を録音して聞けるようにしたいという要望もありました。そこで従来のチタンゴールドシールを小さく改良して、さらには音氣の音の波動に合わせて真氣光の氣が中継されるよう、ミニチタンゴールドシールを今月発売しました。これだけ大人から子供まで携帯電話が生活の一部になった今、少しでもそこから良い氣を受けていただけるように、これからも考えていきたいと思うのです。
氣になる本 『念ずれば花ひらく』
世の中には良い詩集がたくさんあり、ふとしたときに目にできることで、とても心が緩むものです。今日は、我が家の本棚にあって思い出深いものを、紹介したいと思います。坂村真民さんの「念ずれば花ひらく」(サンマーク出版)という詩集です。先代が亡くなり私が会長になったばかりの‘96年10月から‘98年にかけての話です。当時ご本人に快諾いただいたと聞いておりますが、月刊ハイゲンキに詩を掲載させていただいていたのです。 昨年12月に97歳で亡くなられたのですが、いつかどこかで紹介し、感謝の気持ちを伝えたいと思っていたのですが、今になってしまいました。真民さんは熊本に生まれ、8歳の時、小学校の校長をしていた父親の急逝によりどん底の生活に落ち、5人兄弟の長男として母親を助け、幾多の困難と立ち向かい、甘えを許さぬ一徹さを身につけたと紹介されています。 続けますと、「昭和6年、神宮皇学館(現皇学館大学)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につき、36歳、全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩作に専念する。四国移住後、一遍上人の信仰に随順して仏教精神を基本とした詩の創作に転じる。」と、あります。斎藤茂太著『プラス思考がその人を強くする』という本の中で、斎藤氏は真民さんが挫析と劣等感をバネに詩をつくって来たことに共感し、心から敬意を表し、次のように言っています。「真民さんの詩や文章には、人を包み込むようなあたたかさがある。それは真民さん自身が本物だからなのだ。」「どん底を見てきた人は、人間に対する眼差しに慈愛が満ちるのだろう。」 私も先代が亡くなった直後の、右も左もよくわからない時でしたから、真民さんの詩にはずいぶん励まされました。氣の観点から読んでも、共感できる詩がたくさんあります。ハイゲンキ誌での初回を飾ったのが、この「念ずれば花ひらく」ですが、いつかこの紙面でも紹介しました先代の「治療哲学」にも通じるものがあります。さらには次号に掲載された「すべては光る」という詩ですが、まさしく万物に宿る氣というものを表現しています。「光る/光る/すべては/光る/光らないものは/ひとつとしてない/みずから/光らないものは/他から/光を受けて/光る」詩を読んでいると、真民さんがきらきらと輝いているようです。私は詩集を開くたびに、ご縁をいただけたことに感謝し、ますます光り輝きますようにと、お祈りするのでした。
アメリカ、メキシコを回って来ました
私は、先月25日の大阪でのセッションを終え、翌日朝早く成田を出発、米国、バハマ、メキシコを回って、火曜日の夕方帰国しました。今年で12回ほどになるでしょうか。恒例になりましたが、龍村和子さんが米国で沖道ヨガと真氣光のセミナーを企画しており、それに参加するためです。今回は、米国マイアミからバハマ、フリーポートを往復する船中での3泊4日のセミナー、その後メキシコでの2泊3日のセミナーが主な目的でした。参加者は船でのクルーズがニューヨークやボストン、サンフランシスコなどから30人ほど、メキシコがニューヨークや現地メキシコの人を中心に15人ほどでした。限られた日程でしたが、今回は受講生とともに、私も現地での観光を少々楽しむことができました。 このような船中でのセミナーや、米国を離れメキシコでのセミナーは初めての企画です。私自身は十年ほど前にバハマやメキシコには行っており、いろいろ懐かしい思い出がありますが、今回もまた新たな体験ができました。その一つは3千人が乗った大型船でのクルーズです。船での生活は、食事や娯楽など至れり尽くせりの豪華なもので、乗客はゆったり船旅を満喫している様子でした。それを横目で見ながら私たちは朝6時から夜9時過ぎまで貸し切りの部屋でセミナーをやっていたのですが、時には船長が主催するディナーパーティーや寄港地でのフリータイムなどがあり、いつものセミナーとはちょっと雰囲気が違いました。 もう一つはメキシコでのセミナーです。会場のホテルはメキシコシティから1時間半ほどのテポストランというところにあったのですが、この辺りにはよくUFOが出没するという、ちょっと面白い不思議な街なのです。古い街並みに世界遺産に指定されている修道院などがあり、周りには切り立った山が散在しています。切り立った崖のような山の頂上には、古いピラミッドがあるのです。私たちは、3kmほどの道のりを登ったのですが、たまたま全員がピラミッドに着くとちょうど夕方5時(日本時間6/2の朝7時)で、ピラミッドの上から世界に真氣光を送る事が出来ました。これらの内容は来月の月刊ハイゲンキ誌面で紹介する予定です。 毎回、海外でのセミナーで感じることは、セミナーや旅行を通じて不思議なご縁でお会いする人たちです。それぞれの祖先を遡れば、いろいろな国がルーツになり、その数は計りしれません。真氣光は本人を通してご縁のある人や祖先に光を送り、苦しみや悲しみを取り除きます。短い時間にあちらこちらを周りながら、ますます全世界に光が行き渡りますようにと、祈ったのでした。
研修講座通算200 回
‘90年3月から始まった真氣光研修講座ですが、次回2007年6月で通算200回を数えることになります。講座の開催場所は伊豆下田市、奈良県生駒市そして今の茨城県つくばみらい市と変わって、講座の内容も少しずつ変化し17年が経過しました。はじめは医療気功師養成講座ということで始まった真氣光研修講座です。当初医療に関心のある人、携わる人のための講座だったのですが、講座に行くと病気が治るということから、いろいろな人が参加するようになり、健康回復講座も同時に開催されるようになりました。私は‘92年に研修講座を受講し‘93年後半にはスタッフとして参加するようになりましたから、私自身も13年以上になりました。下田の時代には今とは内容がずいぶん違い、朝にマラソンの時間があり、途中息が続かず朝食に遅れると味噌汁の具が無くなってしまったなどということも思い出されます。しかし、開講当初から変わっていないことは、「健康な人も病気の人も真氣光のエネルギーをたくさん受けて自分自身の波動を変えよう」ということです。それによって周りにも良い氣が届くようになるわけで、先代は周りに良い氣を送れる“氣光師”をたくさん養成して氣の環境を少しでも改善したいと願ったのだと思います。下田の時代には気功師養成・健康回復と二つの講座が存在しておりましたが、‘94年にはそれらが統合され真氣光研修講座となりました。氣を送らせていただくことが自分自身の成長に繋がります。真氣光のエネルギーもより一層高まり、‘97年からは、受講生全員で真氣光の発光練習をするようになりました。私は、この通算200回を記念して、受講していただける方に何か記念品をプレゼントしたいと、あれこれ考えていました。記念の品ですから直ぐには手に入らない物が良いし、もちろん真氣光の氣を中継する物でないと意味がありません。何か無いものだろうかと、いろいろ探した結果、ガラス製の卓上型写真入れ(フォトフレーム)に決めました。ガラスの表面に私が「ますます光り輝きますように」の文字を刻印して、裏面にはSAS3連マークが100個エッチングされているパワーシートの小さいものを貼ります。家族やご縁のあった場所などに写真を使って氣を送りたい、つまり遠隔真氣光をする時には便利なものです。受講した方々が氣光師として益々活躍していただくにも最適かと思います。多くの方々の参加を、お待ちしています。
池袋の森に行ってみました
先日、会議の合間の雑談で「会長、池袋駅北口から徒歩5分、池袋の森って知ってる?」と新聞の切り抜きを見せられたのです。記事には森のように木が茂っており、確かに森と書かれています。池袋北口付近は、25年ほど前に先代が北海道から初めて東京に出てきて事務所を構えた場所で、私がこの会社に入社した’93年には、事務所もその近辺にありました。ですからその界隈は詳しいつもりでおりました。住所から推測するに、風紀上あまり好ましくない店が建ち並んでいるようなところです。家に帰ってから「森」という響きが気になって調べてみたところ、平成9年4月に開園した約454坪の区立の公園でした。元々は、東京大学名誉教授であり、林政学博士の島田錦蔵博士の住宅だったとのこと。早速次の日、行ってみることにしました。入り口は、とても狭く見落としてしまいそうです。細い通路を抜けると、研究用に植えられた色々な樹木が植えられた森になっており、見上げると大きなユリノキも植えられてあります。森の奥には、井戸水を汲み上げた、トンボを繁殖させているトンボ池があり、ログハウスの観察室が置かれてありました。都会には木が貴重です。小さな森ですが、とても有難く思えたのでした。森という言葉には、何かわくわくするような雰囲気があります。私だけでしょうか?それは、小さい頃読んだ童話の世界の影響かもしれません。今の子供達はどうなのでしょう。スイスでは、十年ほど前から「森の幼稚園」が取り入れられたという記事を読んだことがあります。家にはたくさんのおもちゃやテレビ。山国のスイスには、目の前に森があるのに親が率先して連れて行くことが少なく、自分の子供を自然に触れさせたいと親が目覚めたというのです。秋には気温はマイナスにまで下がるとのことですが、子供達は防寒着をしっかり身にまとって、いろいろな遊びをするといいます。森の園児たちは怪我をしないし風邪もひきにくい。運動能力や創造力が高いという報告もあるそうです。木々をはじめ、いろいろな生き物たちの中での体験は、人が作り出せないものにたくさん接することで、自然や宇宙の偉大さを知り、大きな学びがあると思うのです。人も自然の一部ですから、良いエネルギーも受けられることでしょう。考えてみると、ハイゲンキを通して宇宙から降り注ぐ真氣光のエネルギーを受けることも、自然に接するということになるのかもしれません。これからアウトドアには良い季節です。外でも家でも、良いエネルギーをたくさん受けたいものです。
一言の難しさ
先週の土曜日、早朝から飛行機に乗っておりました。私はよく機内で新聞を読むのですが、その日は別刷りの特集記事「夫に言われて傷ついた一言」というタイトルが私の目を引きました。1位は「君も太ったね」403人、2位は、体調が悪いのに「ごはんはないの?」318人、3位「家にいるんだからヒマだろ」260人…と、アンケート結果は15位まで続くのですが、ここまで時々私が口にしていた(かもしれない?)言葉ばかりだったのです。1番目の体型については、妻自ら「太った、太った」と連呼していますから、私は「そうだ、そうだ」とばかりに言っていたものですが、考えてみれば「人からは言われたくない」ものですよね。このアンケートでは「夫に言われてうれしかった一言」も同時に調査されており、ちなみに1位「おいしいね」「ごちそうさま」710人、2位「家のごはんが一番おいしい」384人、3位「いつもありがとう」375人、このあたりまでは私も口にしている(と思う?)言葉ですが、4位「がんばってるね」304人…6位「君と結婚してよかった」283人…8位「えらいと思うよ」と感謝や労いの言葉がいろいろ続くと、感じてはいても実際に言葉にするのは難しいものがあります。10位の「今日は一段とかわいいね」には20代も50代も同様に喜んでいると新聞では分析していますが、我が家の場合、突然そんな事を言ったものなら「何か良からぬ事を企んでいるのでは…」と、紛争の種になりそうです。しかし、日頃から言葉の難しさを痛感し、特に感謝の言葉が足りないと反省する私にとって、この新聞記事はとても勉強になったのでした。真氣光研修講座では毎朝「いいとこ探し」行法をやっておりますが、受講生の中には家に帰り留守を守ってくれた家族に感謝の気持ちが伝えられたとの報告があります。氣を受け、いいとこ探しで発表するなどプラスの氣を発する努力が、素直になれないというマイナスの氣を浄化するのだと思います。マイナスの言葉にはマイナスの氣が集まり、プラスの言葉にはプラスの氣が集まります。私もその事は、よく頭の中には入っている事なのですが、特にいつも一緒にいる家族には甘えが生じてしまい、ついマイナス的な言葉をかけているものです。新聞にも「互いに言い返すなど思うことをぶつけたほうが、理解が深まるという。口をつぐみ、沈黙の貝殻に閉じこもるとよくない。」と結んでありましたが、一見マイナス的な事をお互いの氣づきにする事が大事ですね。深いご縁だからこそ、そうやって磨き合えるようになっているのでしょう。夫婦に限らず、ご縁を大切にしたいのものです。