ひとくち歳時記「紅葉狩り」

東を除く東日本ではすでに紅葉の見頃となり、これから紅葉前線は西日本へ南下していきます。
野山に出かけて紅葉狩りを楽しむことは、日本では古くから行われていたようです。
紅葉狩りの「狩り」は、もともとは鳥や獣を捕まえる意味でしたが、狩猟をしない貴族の世になってからは草花を眺め自然を愛でることを狩りにたとえるようになったと言われています。
ひとくちに紅葉といっても、赤や黄色や茶色などがあるのは、光合成によって葉に蓄積された糖が酵素の働きによって変化する色素の量によって生じるそうです。
ところで、昨今は各地でクマが出没し人が襲われることが相次いでいます。
紅葉狩りに行ったのに、クマ狩りになっては大変です。
クマが出そうな所へは近づかない方がよさそうです。
(本社 加藤)
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ストレスと腰痛の新聞記事から

 先日新聞を読んでいると「ほどほど健康術 腰痛、ストレスも引き金」なる記事が目を引きました。
新潟大学の岡田教授が健康のコラムに書いている記事で、腰痛について考えてみようというものでした。
記事の内容は「腰痛のきっかけは無理な姿勢、重いものを持ったなどいろいろあるが、最新の画像診断装置を使った研究によれば、腰痛があっても85%の人には異常がまったく見つからず、研究が進むにつれ、腰痛がなぜ起こるのか、分からなくなってきた」というものでした。
さらには、腰痛は決め手となる治療法がなく、湿布剤、鎮痛薬、神経ブロック注射、手術などが一般的に行われるが、治療を受けた人と受けなかった人を追跡調査すると、どの方法も治るまでの期間に差が認められなかったということらしいのです。
最後に、この記事のまとめの言葉として「腰痛のきっかけはさまざまだが、骨折や特殊な病気を除くと、ストレスが背景にあることも多い」と結んでいました。
 ところで真氣光を始めることになったきっかけを、いろいろな人に聞くと、肩こり・腰痛は、かなり上位に位置するものです。
最初は症状が酷いのですが、氣を体験するうちに「楽になりました」という声をよく聞きます。
私は、もちろん病気で痛みが出ることもありますが、前述の記事のようにストレスが痛みに関係することも多く、さらにこのストレスと氣は非常に関係性が強いと考えています。
例えば、毎日の生活の中でマイナスの氣の影響を受けていて、それが蓄積していき、あるしきい値を超えた結果、体に痛みという異変が生じるというようなことです。
また私が、いろいろな人の話を聞いて分かったことは、マイナスの氣が溜まりやすいのは、腰ばかりではなく、首の後から肩にかけて、背中など、体の表側よりは実際には目が行き届きにくい後ろ側なのです。
表側に来るマイナスの氣については、私たちは無意識のうちに払い除けているのではないかと思います。
またマイナスの氣の中には、目につきにくいところを知っていて、体の後ろ側に回り込むのではないでしょうか。
 最近、ストレスと病気の関係について、各方面のいろいろな先生方が研究をされているようです。
同じようにストレスを受けていても氣を受ける(プラスの氣を取り入れる)ことで、その影響を小さく出来るのが真氣光です。
まず病院で看てもらうことですが、症状が長引く、どうしても原因がわからない、そのようなものの中には氣の影響も考えられるでしょう。
身の回りの方に、そんな方がいらっしゃったら、ぜひ真氣光をお薦めください。
(中川 雅仁)
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出来ていることに目を向けよう

 もう今日から10月になりました。
今年も残るところ三ヶ月ですが、いま私は来年のカレンダー作りに追われています。
来年のカレンダーも今年同様に、私が氣を送っている写真に加え、あちらこちらで撮った風景や花の写真に、氣配り画像で過去に配信した言葉を載せる予定です。
「カレンダーを作る」と言っても、私の担当は写真を用意して、画像を編集するソフトを使って言葉を写真に上書きすれば良いのですが、この写真を7枚ばかり用意するのが結構たいへんな作業なのです。
「これは、ここがちょっと駄目」だとか、「こっちは、明るさが足りない」とか、あまり上手く撮れているものが無いだけに、少しでも良いものをと考えれば考えるほど、決められないのです。
 特に、私が氣を送っている写真については、その選別は“特殊事情”が絡んでいますから大変です。
実は、月刊ハイゲンキ誌でもそうですが、一部の対談やセミナーの写真を除いて、私が写っている写真の全ては妻が撮影しているのです。
誰かカメラマンに撮っていただけば、こんなことにはならないのでしょうが、私も忙しいところにもってきて、写真撮りは天候と場所が複雑に絡みますから、スケジュールに入れていても予定通りに事が進まないということで、結局は「今日は少し暇があるし、晴れているから写真を撮っておこう」とばかりに妻の機嫌を伺いながら出かけるという始末です。
撮影中も写り具合について、いろいろと注文を付けようものなら、「モデルのあなたが悪いから、これ以上どうしようもない」とばかりに、やめると言い出しかねないので、極度の駄目出しはできません。
私も良いモデルではありませんから、結局いつも「今日はこれで終わりにしよう」ということになるわけです。
 しかし、彼女も最初から比べると、かなり慣れてきたようです。
私は日頃からいいとこ探しの重要性を皆さんにお話ししていますが、なかなか身内のいいとこ探しができません。
いつも妥協してばかりではいけませんが、時には周りの人や自分自身について出来ているところに目を向けるということも大切なことでしょう。
 今月中旬には、来年のカレンダーについて販売のお知らせができることと思います。
このようにいろいろな事情がある中で出来ているカレンダーですが、他のカレンダーにはない良い氣、つまり真氣光のエネルギーは確実に中継してくれていると思います。
写真に氣は写りませんが、「出来ているところに目を向けよう」の言葉とともに、見えるところよりも感じていただくことを重視していただければ有り難いと思います。
(中川 雅仁)
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真氣光の進化に遅れない

 私は無料体験会を各地で開催しております。
真氣光という名前が何かの宗教のように聞こえたりするものですから、皆さんも先入観なく氣のことを聞いていただくには苦労があることと思います。
人に氣のことを理解していただくことは難しいもので、私はできるだけ、何でもよいですから体験して理解が進むよう工夫することを心掛けています。
 先代は「氣は光だ」と言い、写真に写ることがあると説明しておりました。
実際に、当時は写真に白や黒の氣が写ったものです。
しかし真氣光の光は、10年ほど前から、どんどん白い光から透明な光に変わっているようなのです。
光の粒子が細かくなって、私たちの魂に浸透しやすくなっているということです。
ですから、最近は氣が写真に写らなくなりました。
目には見えない、つまり一見分かり難くなっているけれど、宇宙から伝えて来ることには「分かる人は増える」ということです。
ただし自動的に真氣光にご縁のある方が広がるのではなく、皆がこの氣を広げる努力を怠らないという“前提条件付き”ということでしょうから、私もさらに心して努力しようと思っています。
 ところで、この氣というものが理解できる人のグループがあるようで、それは「ハイゲンキから見えないエネルギーが出る」ということを信じられる人であり、そういうものに価値を感じられる人です。
これは一般的な宝石や金など物理的な価値ではなく、家電製品などのように性能や仕様があって簡単に他と比較できるものでもありません。
ですから見えないところに、つまり自分の人生を豊かにすることにお金を使いたくない人には、この氣の理解は難しいようなのです。
 さらに真氣光のエネルギーが進化していることで、ハイゲンキを持っている私たちも「光の価値」を見失わないよう注意しなければならないことがあります。
例えば暗い部屋に居るとしましょう。
窓の外は明るくて、暗い部屋の中からいつも明るい窓を見ていたら、自分の部屋が暗く汚いのがよくわからなくなります。
だから自分の行いや心がどういう状態にあるのか、いつも謙虚に見ていなければなりません。
光が強くなっても自分でまだまだ向上できる部分(一見マイナスの部分)、つまり影の部分を見つけ、そこに光を当てる(氣を受ける)努力が必要なのです。
「自分はもう幸せだ」「変わる必要も無い、完璧だ」などと出来上がってしまっていると、成長がなくなるものです。
氣のことをただ信じているだけでは、何も変わりません。
光が強くなるから、いっそう自分の努力が求められ、それに応じて光が届き「真氣光が良く分かる」ということになるのでしょう。
(中川 雅仁)
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仏壇をとおして氣を送る

 つい先日お盆だったと思っていたのですが、来週はもうお彼岸とは早いものです。
ところで日本には、既に亡くなった人、つまり先祖の霊を弔う行事がいろいろあります。
人が亡くなると通夜、お葬式、さらには四十九日に始まって何回忌などと、だんだん間隔が開いていきますが、家族や親族が集まりお坊さんにお経を上げてもらったりします。
さらには終戦記念日や慰霊祭、事故や災害などでも亡くなった人々に黙祷を捧げたりなど、どれもが死者を意識してのことであり、私は人の心から発せられる氣というものを亡くなった人々に送っているものだと思っています。
人の心から発するもの、体が無くなったあとに残るもの、その本質は何ですか?と言えば、氣という見えないエネルギーのような存在です。
氣は電波や音などのように波動的な性質があり共鳴したり同調したりしますから引き合うということがあるもので、人は意識することで死後の世界の人たちとの距離を縮め、見えない氣のエネルギーを送れるのです。
逆に既に亡くなっている人たちも、エネルギー的余裕ができた分だけ、生きている人にいろいろな応援を送ってくれるというものであり、特にお盆やお彼岸、法事法要などは、何かを伝えやすいということがあるかもしれません。
そういう意味では、お墓や仏壇という物があることで、生きている側が亡くなった家族を意識しやすくなり、それを通して氣の交流がしやすくなっているとも言えるでしょう。
 私も長男なので、中川家の仏壇が家にあります。
父が亡くなりそのあと祖父が亡くなったときに先祖からの仏壇と一緒にしたのです。(先祖と言っても、北海道では歴史が浅く明治からになります。)
その時に我が家では仏壇の大掃除をしたのですが、誰がいつ何歳で亡くなったのかが分かるよう書き記したものが出てきました。
昔ですから、十分な医療も受けられず亡くなることもあったでしょう。
先に亡くなった人も残された人も無念の思いがたくさんあったかもしれません。
また仏壇には古いものがいろいろしまってありました。
その中には先代自身が集めたものや頂いたものなど、置き場所に迷い母がしまっていたものもありました。
どんなものにも、繋がりのある縁があります。
それは先代だから、必要だった縁やものということがありますから、私が思い切って菩提寺にお納めしたり、本当に不要な物は処分したのです。
 チタンプレートや水晶など氣のグッズを利用すると効果的に氣が送れますが、このように仏壇も時には中を確認したり整理することで、縁が強いものに集中して氣が送られることになり良い供養になると思うのです。
(中川 雅仁)
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少しずつ氣が変わる

 久しぶりに休みがとれたので、映画を観に行ってきました。
この映画館では席を事前に選んでチケットを買うというシステムで、妻が列に並んで買っておりました。
私は全てお任せして横で待っておりました。
買ってもらったチケットを手に書いてある席を探していくと、一番上段の壁の横、つまり隅の方だったのです。
「こんな端のほうしか空いていなかったの?」と言いながら、「席は任せる」と、つい先ほど言った自分を思い出し、「これは不平不満かな」と直ぐに反省した次第です。
席に座ってみると壁が横にあるものですから、何か圧迫感があります。
しかし良く考えてみると、昔の私なら部屋の中でも端の方が気に入っていたものです。
隣に人が居ないのが良いのか、壁があるから良いのか分かりませんが、端の席は妙に落ち着いたものでした。
 人には、時と場合によって、いろいろな定位置があるようです。
電車のシートには端の席に座りたくなる人、いつも真ん中に座る人など傾向があると言います。
何となくそこが定位置という人もいれば、後ろに柱があり頭をもたれやすいから真ん中だと理由があって決めている場合もあるでしょう。
頭で考えて決めている場合は、氣とはあまり関係ないかもしれませんが、「何となくそちらが気に入って」という場合は、氣の影響を受けている場合があります。
 モノや人ばかりではなく、建物や場所にも氣があります。
そして同じ部屋でも真ん中と隅では氣が違います。
“雰囲気”というのがそれで、科学では測定できない微妙な感じを人は感じているのです。
明るい感じ、暗い感じ、ジメッとする感じなど、いろいろな感じを人は五感に加え第六感なども使って感じているのでしょう。
そして落ち着くところとは、自分の氣とその場の氣が似たような波動を持っていて共鳴するところです。
人は、もともと基本となっている氣に加え、一日のうちでも氣が変化します。
例えば、昼間は清々しく明るい空間が気持ちも良く心地よいでしょうし、疲れた日の夜には少々暗いバーなどが落ち着くというのがこれに当てはまるでしょうか。
 私は、もともと自分には陽よりは陰のほうが合うと思っていました。
楽曲でも激しくエキサイトするものよりは、おとなしくどちらかというと寂しい感じが好きだとか・・・。
しかし落ち着くところを無理に変えてもストレスになるものです。
「何となく段々と変わっていく」真氣光で氣を充電すると、その人の基本となっている氣が変化することから、そのように変わっていくものです。
それは、嫌なことやストレスに感じることを無理なく減らすとともに、心地よく思える世界が広がっていくのだと思います。
(中川 雅仁)
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笑顔になる時間をつくろう

 先日、私たちがレストランの順番待ちをしていると私の携帯が鳴り、少々込み入った話になったところに、3才ぐらいの男の子がやってきました。
私のことを不思議な生き物でも見るかのように興味津々という感じで観察しています。
親御さんが遠くから呼んでも、なかなか立ち去ろうとはしません。
後になってから、その様子が可笑しかったと、妻がその子の真似をして笑うのです。
私もつい可笑しくなってしまいましたが、後で考えるとその子に良いものをいただいた気がしました。
 先日の新聞に「笑顔なのは1日2時間です」という記事が載っていました。
住友生命保険のアンケート結果ですが、『1日のうち笑顔になっている時間を全国の男女各1000人に聞いたところ平均は118.4分、年代別では20歳代以下が最も長い151.8分となったのに対し、40歳代は97.6分、男女別では、男性の75.6分に対し、女性は161.8分となっていた。
また「笑顔にしてくれる人は」の問いに、全世代で「子ども」がトップで全体の34.3%、「家族」と答えた人も14.8%に上った。』というものです。
私のような40歳代の男性が、最も笑顔が少なくなっているのでしょう。
いろいろ仕事が溜まると心に余裕が無くなるもので、記事を読んで私も反省しました。
 氣はどんな人も持っていて、誰もが心に応じた+や-の氣を出しています。
そして重要なことは、知らないうちに同調することによって周りから同じ種類の氣を集めているということです。
怒っている人やイライラしている人からは-の氣が出ているので-の氣が集まり、笑顔の人からは+の氣がでているので+の氣が集まるというわけです。
アンケート結果からわかることは、一日のうち大半は-の氣が集まりやすくなっている状態だということです。
ですから、真氣光を受けるなど、いかに+の氣で満たすか?ということが重要になるのです。
 先代がよく「笑っていればいいんだよ」と言っていました。
しかし、いつも笑ってはいられません。やらなければいけないことを、テキパキとこなさなければ溜まる一方ですから、ますます自分の首を絞めることに・・・。
時間は限られていて、それに追われるように毎日が動いていきます。
しかし良く考えると、時間は無くても笑顔になる心は持てるはずです。
ついつい忙しいと、たいへんではない時にまで心配やイライラなど-の心に引きずられているものです。
慌ただしく電車に飛び乗っても、乗っている間は楽しいことを考えていてもいいはずです。
笑顔になれる心をつくろうとする気持ちが大切です。
これには真氣光を受けることの他にも、アンケート結果にあるように家族や子供がキーパーソンのようです。
(中川 雅仁)
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気づきが人を変え光を増やす

 連日猛暑続きですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は、北海道での真氣光研修講座を終え連休明けに東京に戻りました。
北海道も暑かったのですが、やはり東京は違いますね。
今回の受講生の皆さん、ありがとうございました。
今年で2回目の北海道開催ですが、今回は私にとっても、より深い氣づきがあった研修講座になりました。
講座では私が皆さんに真氣光を送る時間が一日に4回あるのですが、真氣光は中継するものですから氣を送っている私も真氣光を受けているわけで、いろいろとその影響がありました。
2,3度でしたが頭がクラッとして目が回ったような感覚になったのです。
気持ちが悪いこともなく、すぐに収まりますので、ちょっとおかしな感覚です。
昔、私は先代から氣を受けているときに目が回り、椅子に座っていられなくなったことがありましたが、あの感覚のような・・・、何か深いところにあったマイナスの氣が消えていくのだろうと思いました。
 私はよく真氣光は氣づきのエネルギーだと言っていますが、氣を受けることで何かに氣づきやすくなったり、時には身体に変調があり何かに気づきなさいと促されることもあります。
私は大学卒業まで札幌に居ましたが、就職とともに東京に移りました。
サラリーマンを10年ほど経験するうちに根本にあった心配性がストレス源となり調子を崩して真氣光を体験するようになったのです。
今ではすいぶん心配性は消えてしまいましたが、それは母から受け継いだものかもしれないと思ったのです。
母の家は樺太で小さな事業をやっていましたが、終戦とともにロシアに攻められ、幸運にも家族は誰も欠けることなく北海道に移ることが出来たのです。
祖父はシベリアに抑留されたのですが、言葉ができたことで有り難いことに人より早く日本に帰ることが出来たと聞いています。
小さいときにそんな経験をしていますから母はもともと心配性で、そんなところに父と結婚したものですから、真氣光を始めるまでの父の波瀾万丈な人生に付き合って、「明日はどうなるのだろう」などと不安や一種の恐怖などマイナスの氣を相当に貯め込んでいたはずです。
そんな母の影響を多分に私も受けていたようです。
それは母ばかりではなく、過去にいろいろな事情で北海道に渡らなければならなかった人たちの共通の苦しみかもしれません。
それに比べ私は何と恵まれていることか。
 気づくことで人は変わり、魂のエネルギーを増やします。
それを促すのが真氣光のエネルギーで、周りの身近なところから氣の環境を変えていくことになるのです。
今回の研修でもたくさんの光が受講生の皆さんを通して北海道の地に眠る人たちに届いたことでしょう。
(中川 雅仁)
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便利な物を使いこなす

 本の代わりになるとニュースでも取り上げられていましたipad(アイパッド)、我が家にも先週届いたのですが家を留守にしたり忙しかったりと、まだよく使っておりません。
先月ニューヨークに行ったときに、5番街にあるアップルストアに行ってみると、子供も大人もipadの前に群がっておりました。一足先にアメリカで発売になったのですが爆発的な反響から品薄になり、日本での発売予定日は私がアメリカに飛び立つ翌日だったのです。
私は実物も見ること無しに先行注文だけして、ニューヨークで初めて目にしたのでした。
 紙の本に代わり電子書籍の時代になるのでしょうか。
本棚一杯の本が全部この中に入ると言います。
確かに、学生の頃は古語・漢和辞典、英語の辞書など教科書に加え辞書・辞典類がとても重かった記憶があります。
カバンを軽くしたいばかりに古語辞典などは学校のロッカーに入れっぱなしで家では勉強せず、そのおかげで文系学科はまったく出来の悪い生徒になってしまいました。
それが今では電卓ほどの大きさの電子辞書に英語も国語も他の言語も、百科事典みたいなものまで記憶されています。
本棚で大きなスペースをとっていたものがすっかり無くなってしまいました。
このipad、本ばかりではなくメールやインターネット、ゲームなど、いろいろなソフトを入れて楽しめます。
遠くない将来には、このニュースや月刊ハイゲンキも、このようなもので読んでいただくのが当たり前のようになるかもしれません。
 今でも忘れませんが、私が結婚したばかりの安月給サラリーマン時代(20年以上前の話になります)、妻にやっとの思いで了解をとりつけ、ボーナスを叩いてノートブックパソコンを買ったときのことが思い出されます。
今のipadは値段が三分の一以下にも関わらず、記憶容量が3000倍もあり、いろいろなソフトが入るのですから物質文明の進歩は目を見張るものがあります。
 ところで、ハイゲンキをはじめとする氣中継器も照射ヘッドのバージョンアップやスティックヘッドをはじめとする各種ヘッドなどハードの進歩にあわせて、送られてくるエネルギーつまりソフトも大きく進歩したと言えるでしょう。
ヘッドなどを身体に当てることで宇宙からのエネルギーが魂に浸透し、その結果身体ばかりではなく心にも変化を与えます。
私たち地球人は物作りが上手いということでしょうが、技術の進歩に比べ、心というものに焦点を当てた時には、どれだけの進歩が遂げられたのか・・・。
真氣光を利用して、もっともっと加速させていきたいものです。
(中川 雅仁)
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ひとくち歳時記「夏越の祓(なごしのはらえ)」

「夏越の祓」とは6月30日に、魔除けや不浄などを祓う行事で、神社にある茅(ち)の輪をくぐり、頂いたお札を神棚に供えて無病息災を祈ります。
「茅の輪くぐり」は、蘇民将来(そみんしょうらい)が素戔嗚尊(すさのおのみこと)に宿を供して苦境を救った時に、「もし疫病が流行ったら、茅の輪を腰につけると免れる」と教えられ、疫病から免れ子孫共々栄えたことに由来します。
「茅の輪くぐり」は、左、右、左まわりと3回、8の字を描くようにくぐると、夏の疫病や災厄から免れると言われています。
 「夏越の祓」ともなると、早いもので今年1年の折り返しに近づいたことになります。
今話題のワールドカップのサッカーで言えば、前半戦終了間近でまもなくハーフタイムに入ろうというところでしょうか。
現代人には古来からの行事より、サッカーの戦況のほうが気にかかるようです。
(本社 加藤)
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