アクアの季節

昨日から、つくばみらい市での真氣光研修講座が始まりました。
今月も、ご縁のある皆さんと共に、私の三泊四日の研修所生活が始まりました。
私も受講生の皆さんと一緒で、普段家にいるときとは、いろいろなところが違う日々となります。
今朝のいいとこ探しで受講生のお一人が、「お風呂にアクアリフレッシャーが入っていたので、出た後も不思議なことにしばらくは体がぽかぽかと温まっている感じがしました」という発表をしておられました。
私もバスタイムは、家の環境とは全く違います。
研修講座も、あちらこちらの施設でできるようになりましたので、時には温泉だったりと、私自身変化のあるお風呂が楽しめております。
施設によってはアクアリフレッシャーを浴槽に入れられない場所もあるのですが、ここつくばみらい市で開催の場合は、入れさせてもらっていますので、真氣光をたっぷりとお風呂の中でも受けられます。
 最近は出張先のホテルにも大浴場が付いていたりサウナがあったりして「出張の疲れを癒しましょう」というお風呂好きの日本人に効きそうなウリがあるようです。
私も家に居るときよりは、大きなお風呂で少しゆっくりと入れるのが嬉しいです。
そうは言っても私の場合は、カラスの行水で、20分も入っていれば長いほうなのですが、それでも広くゆったりと入れるお風呂には癒されます。
 ある調査によると、お風呂の時間は平均22.4分・夏に「浴槽に入らない」は3割、冬場の平均入浴時間でも25.5分と、忙しい現代人は長くお風呂に入らないのが普通のようです。
長くお風呂に入る人には、歯みがきやストレッチ、読書をする人もいらっしゃるとか、さらにはお風呂の中でもケータイと一緒の人が意外に多いということです。
もう少しゆっくりと湯船につかって日本人の良さをじっくりと堪能してみてはいかがだろうかと、現代人の忙しさを憂う内容の記事でした。
 我が家の場合も、妻はゆっくりと入っていますが、私は何やら時間がもったいない感じがして、ついついせかせかモードとなってしまいます。
忙しい毎日だからこそ、いろいろなストレスやマイナスの氣による疲れ(憑かれ)が知らないうちに溜まるものです。
必ず入るシャワーやお風呂ですが、次の日にマイナスの氣を持ち越さないためにも、お風呂の時間を有効に利用したいものです。
短い時間でも真氣光に波動を合わせることで、強いエネルギーが受けられます。
アクアのシリーズには、最も強力なアクアリフレッシャーG型の他に、一人暮らしのお子さんの為にとアクアリフレッシャーミニB型も人気ですので、ぜひお試しください。
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ストレスには真氣光を

 先日新聞を読んでいたら、2003年1月に月刊ハイゲンキ誌の対談でお世話になった藤田紘一郎先生(現:人間総合科学大学教授)が面白い話を書いていました。
「ピロリ菌は五万八千年前のアフリカにいた人類にも見つかっており、今日まで人類と長い間共生してきた。
昔の日本人はほぼ100%がピロリ菌に感染していたのに、なぜ今ほど問題にならなかったのか。
ピロリ菌は胃の粘膜を柔らかくし、胃酸が食道に逆流するのを防いでいた。
胃にいいピロリ菌が、悪者にされるようになったのは、現在がストレス社会になったからだ。
ストレスが絶えず胃に加わり、胃壁が荒れてくると、ピロリ菌が悪さをし始め、慢性胃炎や胃かいよう、胃がんまでを引き起こすという。
ストレスがなく、胃に何ら症状のない人からピロリ菌を完全に除菌すると、かえって弊害が出ることになる。」というのです。
ストレスというものは本当にやっかいです。
 当時、先生の研究室にお話を伺いに行ったときのことが、私の頭の中によみがえってきました。
私は、13年以上にわたって毎月一人ずつ対談させていただいているので、これまで150人以上の方とお会いしてきたことになります。
それぞれの方に思い出がありますが、その中でも1,2番に入るほど愉快な先生でした。
先生は、人間もバイ菌も寄生虫も、すべてのものは共生しており、世の中が無菌状態になったからアレルギー性疾患が増えたと言われ、先生ご自身がサナダ虫を体内に飼っていると豪語しておりました。
正月号の取材だったので、新年からこんな汚い話をして良いのかと笑って心配してくれたのです。
 先生のように愉快に過ごしていれば、ストレスとは無縁でしょう。
私も先生のそんなお人柄にすっかり癒されたのでした。
共生が大事だと分かっていても、今の世の中、なかなか先生のようなことはできません。
 どちらにしてもストレスが諸悪の根源であることははっきりしています。
ストレス社会ですから、職場にも家庭にもあちらこちらにストレス源があります。
私は、昔よりもマイナスの氣が多くなってしまったので、ほんの小さな事まで大きなストレスになってしまい、影響を受けやすくなったのだと考えています。
 真氣光のエネルギーは、マイナスの氣をプラスに変えるので、ストレス対策にはとても有効だと思います。
さらには宇宙から伝えてくることには、真氣光の波動が進化して、たとえ、どんなに周りが変わらなくても、真氣光のエネルギーを受けていると幸せな気持が湧いてくるようになるとのことです。
真氣光も、このたいへんな時代に合わせて変化しているのだと思います。
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進学就職のシーズンですね

この季節、私も希望に燃えておりました。今、“希望”が無いわけではありませんが、当時のようなワクワク感は若いとき特有のものだったと思います。私は父の影響もあり、機械でも電気でも技術的なことに非常に興味がありました。簡単に言えば学問というよりは利用して便利な生活を得るようなこと、つまり理学部というよりは工学部系だったのです。人類の明るい未来のためには、真に成熟した科学技術が必要だと思い、大学に行き就職もしました。父が時計の部品などを作るのを目にしていた影響で、机に向かって考えるよりは、手を動かすことが好きで、その意味では大学進学も電機会社就職も本当に自分の好きな道を選べたと思います。だからワクワクしていたのでしょう。
ところで今朝のことですが、原稿を書かなければと思い、朝早く起きましたが、なかなか良い題材が見つかりません。しばらく考えていたのですが、腹が減っては戦はできぬと思い、昨日の残りのカレーで一足早い朝食をいただきました。炊飯器が空っぽになったので珍しく洗ったのですが、今の家電製品は本当に便利です。炊けるのも申し分ないのですが、洗うときにもアッという間に綺麗になります。私は小さい頃、母が仕事をしていましたので、よくごはんを炊いたり洗い物をしたりしたものです。当時我が家は、電気釜ではなく、ガスコンロを使いごはん専用の釜で米を炊いておりましたから、失敗すると釜の底にはお焦げが残ります。今思うとそれも味があったのですが、時にはそれが取れないほど焦げ付き、たいへんな目に合うこともありました。ところが今は失敗するどころか、全く焦げることなく、洗うときにはほとんど水も要りません。一度炊けば、しばらく炊きたてのような風味で保存もしてくれます。日本人としての米への良いこだわりが、ここまで一つの物の完成度を上げたかと思うと凄いです。どれだけ快適な生活を送れるようになったか・・・そんなことが好きなんです。
今の私の仕事も、ちょっと対象分野は変わり、内容も人前で話したり書き物をしたりと拡がりましたが、実のところ本質は何も変わっていないのです。私は、真氣光という宇宙エネルギーを、この地球上で受けられる便利な物を開発している技術者だと思っています。それを分かってもらいたくていろいろなセミナーを開いたり、ときには氣を送らせてもらっています。私も、それを利用したくて開発しているし、自ら開発した物は誰よりも使ってみなければと思っています。‘86年そんな親子のところに、宇宙の何者かが白髭の老人の夢を見させたのですが、何でこうなったのか、私もよくわかりません。(笑)

ツインヘッド改めソフトヘッドに

日曜日、私は愛知での真氣光研修講座を終え、参加者の皆さんのおかげで多くの人たちに光が届いたようで、何だか嬉しいような気分で東京に戻りました。
本当にありがとうございました。
4月の研修講座はつくばみらい市での開催となりますが、5月のゴールデンウィークは愛知に続きはじめて金沢で開催されます。
その講座の前準備ということで、今週末には金沢の地で真氣光セッションが予定されておりますので、そちらも楽しみです。
新しいことをするということは不安もあるのですが、後になってみるとそれらは全て計画されていることのようにも思います。
毎回、私はただ全力投球あるのみだと感じている次第です。
 話は変わりますが、こちらも新しいもののお話です。
昨年末から私は、通称ツインヘッドなるものを試作し、各センターや毎月の研修講座で会員の皆さんにお試しいただいております。
これまで実際に使われた方々から、「良いようだ」という声を多数いただきました。
少しずつ改良していますが、長さ20cmほどの円筒状のスポンジに最初はホワイトセラミックヘッドを二つ、両端から差し込んで封をしたというものでしたので「二つ入れた」という意味合いでツインヘッドと仮に名前を付けたのでした。
表面が柔らかいのでベッドなどに置き、その上に体をのせることもできますし、座りながらでも頭や肩・腰などに付け、振動させて氣を受けられるという少し変わったヘッドになりました。
ホワイトセラミックヘッドは、ダイヤモンドの次に硬いという特殊セラミックを使用しているために、従来にない波動を中継してくれるようになったわけですが、硬いセラミックの部分をつくる際、宝石を磨くようなものですので、どうしても値段が高くなり、各センターに配備するにも多数置けないという難点がありました。
私はホワイトセラミックヘッドの良い部分を残して、できるだけ安くできないかと少しずつ改良を続けた結果、ホワイトセラミックヘッド特有の新しい波動はなくても、良い物が作れることがわかりました。
結局、円筒状のスポンジの中に、ホワイトセラミックヘッドとは構造的に少々違うものが入っても良いようです。
ですから「ホワイトセラミックヘッドを二つ入れた」という意味のツインヘッドは名称的に合いませんので、スポンジを用いた柔らかいヘッドという意味で、外見上は変わりませんがソフトヘッドと名称を変えたいと思います。
まだまだ改良途中ですが、現在センターにあるものを順次改良版に置き換え、数を増やして各地の体験会などでも使えるようにしますので、どうぞお楽しみに。
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愛知での研修を開催中です

私は、19日~22日まで名古屋駅からJRとタクシーで2~30分「あいち健康プラザ」というところに来ています。
今年初めて愛知で真氣光研修講座を開催することができ、地元の方を中心に定員一杯50名ほどの受講生が参加してくださいました。
今回の研修講座は、お彼岸も近いということで、それを意識して先祖や家族に氣を送りたいと受講された方も多く見受けられました。
ところで、ご先祖様とは何代くらい前の人たちを言うのでしょう?私は、この真氣光を知る前は、出身地北海道は歴史が浅いこともあって、せいぜい4~5代前のご先祖くらいしか頭にありませんでした。
ところが氣の世界を知るようになってからは、どれくらい前に遡れば良いのか見当がつきません。(実際には過去に生きた方、全員ですから頭の中に規制をつける必要は無いのですが)
遠い昔に生きていた人が、氣を受けている人の口を借りて出てこられることがあります。
今回の講座開催地「愛知」というところは、時代が戦国の世であれば、日本の中心ともいえるべき土地です。
織田信長、豊臣秀吉をはじめ徳川家康と、時代の頂点に君臨した人たちが深く関わったところです。
そのような力ある人を出せた土地ということは、それだけ強い応援のエネルギーもたくさん味方したということでしょう。
しかし力で頂点を極めたということは、その蔭で多くの人たちが苦しみを味わったということでもあり、逆に恨みなどたくさんのマイナスの氣とご縁の深い土地でもあるわけです。
 戦国時代には、ここから多くの人が日本全国に出陣しているでしょうし、泰平の世・江戸時代に変わっても、ここを出身とした人たちが各地で要職についています。
まさしく愛知という土地で研修講座を開けるということは、氣の観点からいうと、光を日本全土に拡げることにも繋がるということなのです。
先月の研修講座が終わった後に、私が氣を受けていると「とうとう愛知の地に来るか、心せよ」と低い声が聞こえたのでした。
それは真氣光のエネルギーが強くなって、潜んでいる強いマイナスのエネルギーにもやっと打ち勝てる準備が整ったという意味でもありますし、「油断すると危ないぞ」という警告でもありました。
私も真氣光と洗心を心がけ、スタッフにも「精進して」と伝えたのです。
今回から一人一枚の大判プレート入りストレッチマットを用意しましたので、皆さん氣をより強力に受けられているようです。
図らずも最終日の22日は先代の73回目の誕生日です。参加者全員のより輝いた笑顔を見られるよう、この世での役割をしっかりと果たして、先代に良い報告をしたいと思っています。
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ホワイトデーですか?

昨日の夕方のこと、用あってデパートに行きましたら、会社帰りのサラリーマンの男性3人がハンカチ売り場の前で固まっておりました。
「ん~」、「そうですね~」、「確かにエコバックもありですかね・・・」たまに発せられる会話をつなげ、私なりに推測してみました。
年齢の関係から同期ではなく同じ部署の所属長を含む男性陣、三人寄れば文殊の知恵と言いますが、どうやらバレンタインデーのお返しで、何か買わなければならないのですが、なかなか決まらないという感じです。
暗く悩んでいる風でもないのですが、売り場の前で会議中です。
どんなものが女性達に良いのか?ダイエットブームだから食べる物よりは使える物の方が良いだろう。
あれこれいろいろ考え、辿り着いた先がここだった、私も痛いほど気持ちがわかります。
男性は女性に比べて(注:私だけかもしれませんが)、特にこのようなプレゼントものを買うのが苦手というか下手なのだと思います。
どこに難しさがあるかを考えると、もらう相手の心の状態を推測しなければならないという、一種曖昧なところだと思うのです。
これが家電製品のように、製品の仕様を比較してまとめられた機能表から、どの機能が良いからこれを選ぶというのと訳が違う、それが困難にさせている点です。
相手が使っているところなどを想像して、「良さそうだ」という曖昧なところには、機能ばかりではない雰囲気、つまりある種の氣を感じる必要があるのです。
 人を思うということは、氣が届くということ、恨みや怒りではマイナスの氣が届いてしまい良くありませんが、喜んでもらえるようになどプラスの心であれば、プラスの氣が届きます。
自分が発している氣と同じものが同調して集まって来るのですから、自分にも良い氣が集まることになるものです。
この方々の職場は、さぞかし良い職場であろうと思って見ていたのでした。
 まだ、しばらくは時間が掛かりそうでしたので、結果がどうなったのかはわかりませんが、この三人の男性は偉いと思います。
「義理を感じて」ということかもしれませんが、普通なら「面倒だ」とか「適当に」と思ってしまうところでしょう。
心の余裕がなければ、なかなかできないことです。
以前聞いた話には
「宇宙から応援は来ていますが、自分のことだけしか考えていない人には、ひらめきは起こらない。自分のことだけで、他に余裕が無くなっている、そのような人にはひらめきのエネルギーを入れるのは難しい。」
三人の方々、良い買い物ができたことでしょう。
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春は縁が広がるシーズン

私が行きつけの近所の蕎麦屋ですが、先日も妻とのディナーにでかけました。
蕎麦の前にちょっとビールのつまみを頼んで待っていると、オーダーしていないワサビのおひたしが出てきたのです。
「?」二人で顔を見合わせていると、お店の店員さんが「私、卒業するので今週一杯なんです。いつも来てくれているので、お礼に」とのこと。
「えーっ辞めちゃうの」。
その蕎麦屋ではローテンションを組んで3~4人のアルバイトが日にちを変えて一人で店を切り盛りするかたちです。
小さい店ですが、お客さんが多い時はたいへんです。
それでも彼女は気が利いて、明るく、清々しく・・・そのことをいつも妻と話していたんです。
これまで何回も会いましたが、話したことはなかったので、まさか女子大生でそれも4年生、就職を控えていたとは、まったく分かりませんでした。
 3月は卒業のシーズンですね。
別れがあって出会いがある。
昔は、何だかワクワクするような感覚があったのですが、しばらく何だか寂しい感じだけが残っていました。
妻はそんな私を見て、それは年をとったということで、“おじさん”になった証拠だと言います。
 話は変わりますが、今週日曜の会長セミナーを最後に仙台センターが閉所になりました。
仙台センターは狭いので、真氣光の時間にも横になる空間もないほどでしたが、たくさんの皆さんが集まってくれたこと、本当にありがとうございました。
仙台では、今後も毎月の私の真氣光セッションとスタッフによる気功体験会で月に2回はお邪魔します。
ですから皆さんとはお別れということではないですが、センターの建物とはお別れになるわけで、‘95年の開所以来、いろいろなドラマを見てきたであろう建物にも、感謝の氣を送らせていただきました。
月刊ハイゲンキにも書きましたように、今回の閉所は人員の都合によるものですが、諸事情が解消し良い場所が見つかれば又再開できると、私は一時閉所の気持ちですが、やはり何となく寂しい。
 強くないアルコールの酔いとそんな気持ちも重なったので、蕎麦屋の彼女の話は、私の心にジーンと来ていたのかもしれません。
妻によれば「今日のあなたは“おじさん、みょうに黄昏れるの巻”」だということで、笑っておりました。
会えなくなることで縁が薄れるというわけでもありません。
さらにはまた違う出会いもある。
そうやってご縁は広がるものでしょう。
だから黄昏れもまた良しということです。
真氣光を受けていると、そんなふうに、いろいろな応援が感じられるのです。
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真氣光ビギナーズ(4)真氣光の進化

前回(2/6発行)、真氣光の源となる宇宙から「・・・あなたたちは、自分の心を客観的に見ることが苦手のよう。感情に流されるので、嬉しいことがないといけないのでは?・・・」と教えてもらったという話を書きましたが、今月真氣光に新しい波動が加わりましたので、もう少し説明したいと思います。
 例えば、私たちは嫌な人がいたり嫌なことがあると、何とか回避したいと、まず思ってしまうものです。また嫌なことが、辛くストレスになり体に悪いと理由を付けて取り除きたくなったり、自分は何も変わらないで、何も変えないで、それも良いことだとこじつけていたりします。
 私たちの周りの人や物事、起きる現象は、すべて「その人の魂をより強くする」という理由があって存在しているのですが、周りに存在するマイナスの魂の影響を多く受けてしまうと自分の心を客観的に見ることができなくなり、嫌だと思う心が先行し、ストレスだと感じやすくなるのでしょう。
 嫌だと感じるのはどうしてか?それを変えるには、自分がどうすればよいか?昔にも似たような事があったなど、自分の小さい頃からの課題がそこに隠れているかもしれません。自分の心の中をもっと分析してみる必要があるでしょう。そして自分が解決しようと行動したことでプラスに変わったというように結果に出すということが重要で、体に出ている現象などもプラスに向いていくことがあるものです。氣づきが出て、その人の魂の強さとなり、そうなれば、そこに来ている魂も本来の場所に行くことができるのです。見過ごさないということ、解決して欲しいと周りの霊的な存在も思っているものです。
 私はたくさんの魂たちに会ってきましたが、彼らは苦しみや恨みなどマイナスの感情はあっても、光が欲しい早く楽になりたいと必ず思うもので、それは魂の通り道なのです。それを分かって、生きているうちに強い魂になっていればよいわけで、そうすることで、死んでから行きたいところに行けるということになります。
 生きているときに、たまたまストレスが無く幸せだからといって、死んで楽になれるというものでもありません。ただ楽しいだけでは駄目なのです。時には難問が立ちはだかることもあるでしょう。越えられないハードルは与えられないのですから、それは、その人が以前よりも成長できた証ともとれます。真氣光を受け氣づいて行動できることでエネルギーが増えて、たとえ周りが何も変わらなくても“幸せと感じられる心が湧き上がる”のです。表面的には辛くても一生懸命に生き、人の為に何かできるのです。真氣光が進化し、それがより顕著になったのです。
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(27)昔取った杵柄

私の父、先代は、元は時計技術者でしたが、‘86年に真氣光という宇宙からのエネルギーを集めるハイゲンキの作り方を夢で教わりました。‘95年に亡くなるまでのおよそ10年間、気功という分野に新しい風を吹き込むと同時に、医療ばかりではなく環境問題やエネルギー問題にも目を向け、氣づきの重要性と「すべて起こることには意味がある」と言い遺したのです。父は中学を出て時計技術を習得したのですが、その技術が無ければハイゲンキはできていなかったでしょうし、真氣光も無かったかもしれません。
私は、父が亡くなり突然この会社を引き継ぐことになりましたが、元は電機会社の研究開発部門で働くエンジニア、この会社に転職して3年ばかりが経過しているときで、35歳の経験も乏しい私が何故父の偉業を引き継ぐことになったのか、最初はわかりませんでした。そのうちに誰よりも自分が真氣光というエネルギーを体験しなければと思うようになり、一生懸命に真氣光を受けました。そして、ある時わかったのです。すべては理由があって起きていて、遙か昔から計画されていたということ。つまり宇宙がこの地球にエネルギーを送りたくて、父に氣の中継器をつくらせたこと。そして元エンジニアである私が、それを引き継ぎ、氣中継器の性能をさらに向上させて、たくさんの人たちに利用してもらうという役割があるということを。
「昔取った杵柄」ということわざがあります。辞典には『過去に鍛えた技量は年月を越えても十分に使うことができるというたとえ。「杵」は穀物などを臼に入れてつくための道具で「柄」は杵の手で持つ部分の呼称。つまり、若かりし時に餅つきなどで鍛え抜いて習得した腕前ということから。』と、あります。
私の場合、確かに昔の技量が活きました。当時はただ目の前の事に立ち向かっていたことが、点と点を繋げると線になって、さらには方向性を持つ矢印に変わるように、はっきりとわかったのです。サラリーマン時代の経験が無ければ、今の音氣CDや真氣光DVD、クリスタルマットに真氣光チタンプレートなど大半の氣グッズ、さらにはパワーユニットをはじめスティックヘッドやホワイトセラミックヘッドに至るまでの全てを思いつくことは無かったでしょう。
技量と言うと狭くなるので、経験という言葉で置き換えても良いように思います。どんな人にも無駄な経験はなく、年月を越えて、それが活きるのではないでしょうか。その時にはわからなくても、後になって全ては繋がっていると気がついたとき、私たちを生かしてくれている、この宇宙の大いなる存在に感謝せずにはいられないのです。
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気が向く・氣を向ける

毎年の友人との年賀状ですが「今年は会おう」と書いていてもなかなかお互いに時間が取れなくて先延ばしになり、気が向かないわけではないのですが、もう何年にも渡って実現しないことがあります。気が向くという言葉を辞書で調べると「ある事をしたい気になる」、つまり、意識がそちらに向いて、それがとてもしたい気になるということで、さらに「えぃ」と決心しないと行動できない、ただ考えているだけではいつまでも行動できないものです。先日、ある人が「何年間もずっとそのままになっていた倉庫を片付けました」と言っていましたが、「掃除は良いことなので、やろう」と思ってから随分時間がかかったとか…。
私たちは良いことをただ待っているだけでは、守護霊さんのようなプラスの氣の存在も応援の手だてが無いのです。たとえばある方の体験で「前日やっていた問題が入試問題にそのまま出ました」という人がいました。前日も勉強した、つまり努力できたから、それに向けて守護霊さんのような存在は応援できたのです。私たちは考えているだけでは、魂の輝きにならず、思うように成長できないものです。どんなに簡単なことでも、思っているだけとやってみるのは大違いです。やってみられることで、またその時の体を通しての体験から、違う氣づきにもつながるというものです。
私は、特にマイナスの氣が関係しているときには、行動になかなか移せないものだと思います。マイナスの氣にとっては、行動されるとその方の魂の光が大きく増え自分の居場所が無くなるので、何とかそれを阻止しようということが起こるわけです。やらなければならないことが意識に上ってから気が向き、決心して行動する。真氣光を受けていると応援が受けやすいのですが、これは、行動に移す前段階にも言えることです。気が向くような状態になるまで、意識して氣を向けていく、真氣光を受けながら実現に向けて必死になって考えてみることです。
しかし、その人にとってそうならないほうが良い場合には、守護霊さんのような存在によって気が向かないようにさせられているということもありますから、全ての出来事に当てはまるというものではありません。プラスかマイナスかは、日頃から真氣光をしっかり受けていくことによって、自然に最適な選択になるでしょう。さらには、真氣光を受けるということについても、何か「気が向かない」とか「忙しい、面倒くさい」という時がありますから注意してください。これはマイナスの氣の影響ですから、そういう時は、よりいっそう氣を受ける必要があるのです。
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