休みに脳をリフレッシュ

5月に入りました。ゴールデンウィークということもあり街も、いつもと少々賑わい方が違います。私は3日から6日まで真氣光研修講座を予定していますので休日とは無縁なのですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?先日ある雑誌を読んでいたら、神経内科医で作家の米山公啓氏による「リフレッシュ脳で翌週を迎えるにはプチ緊張が必要」という記事に目が行きました。忙しく働いて、休日をただボーッと身も心も緩んだまま過ごしてしまうと、かえって脳の疲れは取れないというのです。例えば数字を使う仕事で普段左脳を酷使している人は音楽を聴くなど右脳を使うと良いなど、異種体験による緊張が必要、つまり普段使っていない脳パーツに刺激を与え、その緊張が緩んだときに脳はより深いリラックス状態に入れるとのことなのです。よく研修講座で龍村先生が、緊張と弛緩のポーズを組み合わせることで深くリラックスできることを、ヨガの実習で教えてくれていますが、脳の場合バランス良くやること、つまりいつもの行動パターンとは違うことというのがポイントのようです。しかし記事を途中まで読みながら、さて私のような仕事の場合は、どうすればよいのだろうと考えてしまいました。誰かと話すことは多いのですが、上司がいるわけではないので緊張ということとは縁遠いですし、右脳も左脳も頭を使っているような気はしません。しかし、計算などということを仕事ですることはあまりないので、強いて上げれば休みには左脳を使うことでしょうか。あまり買い物に行くことはないけれど、頭のトレーニングとしてスーパーに行ったらレジ計算を暗算でやってみるくらいかと、考えていたのでした。しかし記事を読み進むうちに最後に「有難〜い」ことが書いてありました。「自分の考えだけに固執せず、ポジティブに人の意見に耳を傾けることも脳のリフレッシュには効果的だ。・・・時には妻の遠慮なしの小言などに向き合うのも脳にとって大きなプラスとなる週末の過ごし方です」そういう考え方もあるのかと少々衝撃を受けた次第です。私などは、たまの休みだから自分の世界に浸りたいと自分の好きなこと、仕事も趣味の一部のようなものなので、つまり脳の同じ所をいつも使って脳もリフレッシュできなかったかもしれません。小言ばかりではなく今まで苦手だった妻のショッピングのお供や他にもいろいろなことが、いつもは使わない脳の緊張につながり脳全体がリフレッシュするのだと捉えれば前向きにチャレンジできそうです。ただその際、私にとっての救いは記事中

為せば成る・・・

日曜日、初めての地方開催「岡山」での真氣光研修講座を無事に終え、いろいろな事を思い出しては何だか嬉しいような気持ちで東京に戻りました。参加者の皆さんのお蔭です、ありがとうございました。ゴールデンウィークには次の研修講座がありますので、週末のセッション以外は原稿書き中心の仕事です。どちらかというと月末にいろいろな仕事が集中する傾向にあり、工夫しているつもりなのですが、なかなか上手くは行きません。しかし昔に比べると少しずつ出来ることも増えてきているように思います。たとえば私は、この真氣光ニュースと月刊ハイゲンキの記事などを合計すると少なくとも月に8000 字は書かなければならず、特にハイゲンキ誌の原稿は月末に集中するのですが、(内容の事は横に置いておいても)自分の中では案外何とかなっているということです。書くには題材が必要なのですが、私の場合まだ氣を知らない時代には、題材・話題というものが生活の中に無く、書くこともそうですが人と話すこともあまりありませんでした。その結果あまり人と関わらないようにしようという意識が強かったように思います。それが今ではすっかり変わってしまったというわけです。しかし、ただ何となく書けているわけではなく、毎回「書こう」というそれなりに強い意思力があり(苦労もあるわけですが)、それが文字になっていくように思うのです。やはり意識の力、氣というものは凄いですね。 話 は変わりますが、米沢藩主、上杉鷹山が「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」という言葉を遺しています。『「やろう」と強い意思を持って行動することで、「成る」という結果が得られる。願いの成就は勝手にやってくるものではなく、自らの力で作り上げるもの、思い通りの結果が得られていないのは、自分自身が実現に向けた努力をしていないからだ』ということでしょうか。私たちの強い意志と行動は、魂の輝きになります。
それは邪魔をしようとするマイナスの氣に光を与え、それを浄化し取り除く結果になります。その分だけ私たちの守護霊のような存在のプラスの氣は、力を貸してくれやすくなるのでしょう。 一 生懸命に努力してもできないこともありますし、失敗もあるでしょう。初めての事は不安もありますし、最初の感覚で「駄目だ・・・」という事もあるかもしれません。しかしその時に、為せば成る・・・の精神で何か出来ると、その途中経過も大きな学び、魂の輝きにできるわけです。真氣光のエネルギーも力を貸してくれています。そう考えると、一番の失敗は考えるだけで何もしないことかもしれません。

岡山での研修講座から

今月は、つくばみらい市を離れ岡山で真氣光研修講座です。私は昨日水曜日15時の便で一日早く羽田空港から岡山にやって来ました。こちらは小高い山の上、まだ少し桜の花が残っていて、そこにツツジが咲き始めており、日本のエーゲ海と言われるそうですが、眼下には朝日百選に選ばれる絶景が私たちを待っていてくれました。今日は昨晩からの強い雨にもかかわらず、地元岡山を始め四国、中国、関西地区から61人の受講生が無事時間通りに集合し、熱気に包まれる中、一日目のスケジュールを終えたところです。
ところで私はと言えばこちらに来る際、予約していたはずの羽田→岡山の飛行機チケットが、何を間違ったのか次の日の予約になっていてドキリとする一幕がありました。私の場合、交通宿泊関係は全部自分で予約しているので、誰に文句を言えるはずもなく、私のうっかりミスであることは明白です。滅多にこのようなことは無いのですが、カレンダーの読み間違いとしか言いようがありません。結局は飛行機に空席がありましたので無事に乗れたのですが、来月の連休など旅行シーズンであればまず無理だったでしょう。念を入れて日時のチェックをしているつもりでしたが、チェックの仕方を変えた方がよいようで、早速自分なりに対策を立てたのでした。
ところで念とは(1)思い・気持、(2)心くばり・注意ですから、念を入れるとは、まちがいがないよう気を配って物事をする。つまり強く意識することにより自分自身の魂の光が増え、それは自分にとってプラスの氣となり作用することになり、マイナスの氣が邪魔をしようと狙っていたとしても、それを浄化する力を有するものです。真氣光研修講座は参加者とそのご縁のある方々の魂に、たくさんの光が届きます。光が増えることで今まで存在してこられた魂の中には、もう居られなくなって、より次元の高い世界に旅立たなくてはならないものもいます。研修講座は始まる前から、好転反応のように一見マイナスなことが出て来ることがありますと、皆さんに話しているのですが私にも当てはまるわけで「研修講座に行かせたくない」、いつまでも止まっていたい、そのようなマイナスの氣の抵抗ともとれるわけです。念には念を入れるというスタンスを忘れてはいけないということでした。しかし、そんな状況でも事なきを得られたのは、いろいろ守ってくれているプラスの氣のお蔭です。今回たくさんの受講生の皆さんが無事に来られたのも、その大きな力のお蔭であり、感謝するとともに、この4日間期待に応えられるよう精一杯光を送りたいと思ったのでした。

思いがけない出会い

先週の土曜日に、熊本の方々が中心となって、鹿児島で「会長を囲む会」を開催していただきました。私は一年ぶりの鹿児島で、久しぶりにお会いする方もいらして、有意義な一日を過ごさせていただきました。皆様ありがとうございました。ところで帰りの飛行機での出来事です。私はパソコンなどを開いていたものですから、最後のほうになりながら慌てて搭乗したのです。座席を確認して座ろうと思ったら「会長!」と声がかかりました。「あれっ」と隣を見ると東京女子医科大学の助教授(今は同大付属青山自然医療研究所クリニックの所長です)川嶋朗先生がニコニコしながら座っているではありませんか。なんと奇遇なことか、通路を挟んで隣の席だったのです。川嶋先生は皆さんもご存じでしょうか?月刊ハイゲンキ2005年7月号での対談記事でご紹介しましたが、それ以前からハイゲンキ誌では連載をしていただいたり、真氣光を活用した結果を論文にしていただいたりと、ずいぶんお世話になっている方です。川嶋先生は女子医大元教授の阿岸先生の紹介で14年ほど前に生駒での研修講座を受講されています。その阿岸先生は、退官される前に『外気功が下肢閉塞性動脈硬化症(ASO)に及ぼす効果』という論文を出していますが、その研究にたまたま研修講座の卒業生が協力したという繋がりなのです。後で分かったことですが、お二人とも学部は違いますが私と同じ大学出身でした。私は対談の取材からお会いしていなかったので3年ぶりです。先生も鹿児島は一年ぶりとのことで、講演して日帰りとのことでした。私は先日ある会員さんと川嶋先生のことを話していたところだったので、「おうわさをしていました」とお話ししました。先生は一年前に「心もからだも「冷え」が万病のもと 」(集英社新書)という本を出されていますが、その関係で講演を頼まれることも多いようで土曜日もお仕事と、かなりお忙しいようです。お互いに、一年に一回行くか行かないかの場所から同じ飛行機に乗り、たくさんある座席から、通路を隔てたとは言え隣の席を選ぶ確率は、いったいどれぐらいになるのか?ちょっと見当がつきません。奇遇という言葉が日本語としてあるぐらいですから、このような偶然の出会いは、確率論では考えられないぐらいの頻度で、日常の場では起きているのでしょうね。私には見えない力(これも氣の一種でしょうが)働いているとしか思えません。川嶋先生は、お子さんやクリニックの皆さんにお土産をと…大きな荷物を持って「来週は韓国です」と言っておられました。「それでは、また」とお別れしましたが、私は後ろ姿をお見送りしながら、ご活躍をお祈りしたのでした。

(24)人のふり見て我がふり直せ

我が家の近所の桜は、そろそろ散り始めました。皆さんは、もうお花見に行きましたか?ところで先日、久しぶりに車で出かけましたが、途中から渋滞でノロノロ運転になってしまいました。約束の時間はとっくに過ぎていましたが、先の合流地点で詰まっていることがわかっていましたので、「もう少しだぞ、焦るな」とばかり辛抱強く車線を守っていたのです。すると後ろからブーンと来た車が、あっという間に私の前に割り込んだのです。こっちは20 分も掛かったというのに、「マナーが無い」と少々憤慨してしまいました。そうしているうちに合流地点を過ぎて流れが良くなり、どの車も制限速度を守っている私を追い抜いて行きます。私も・・・と、ばかりに先ほどの反動でアクセルに力が入ったとたん、前方にパトカーと数台の止められている車が見えたのです。「おお危ない、いかん、いかん、人のふり見て我がふり直せとは、このことだ」ちょっとした氣のゆるみに気づかせてもらったのでした。 そ んなことを考えていると、先ほどの割り込みに憤慨したことも反省させられました。私も今まで何回も割り込ませてもらっていたのです。車線を間違えてどうしようもなかったということもありました。その時には、入れてもらった車に感謝したものです。それを忘れて怒るとは、気がせきイライラしていたことが心の余裕を失わせていたのです。これも人のふり見て我がふり直せということ、昔の人は良いことを言います。このことわざは江戸時代から使われていて、人の行いの善悪を見て自分の行いを反省し改めなさいということ。善いところは参考にできるので案外問題ないのですが、悪いところはよく目に付くものです(反対に自分の欠点はなかなか見つけられないもの)。また、人からされてイヤな事は人様にもしないということも教えてくれます。マイナスの魂さんによくあるのですが、「自分と同じ目にあわせてやる」と、相手からされた以上にやり返す、その結果自分にも相手にも残るのは空しさや憎しみで、マイナスの氣に包まれるだけなのです。 氣 の観点から考えると大きなポイントが二つあります。まず自分の欠点(マイナスの氣が関係している)に気がつくことです。そして嫌悪感を感じ自分を変えようとすることで魂が輝き、影となっていたマイナスの氣が光に変わり離れていくのです。真氣光は氣づきの波動ですから、それが加速されるのです。周りの人は、ご縁があるから目の前に居てくれる「大事な人」です。善いことも悪いことも魂の輝きにつながるのです。

足首用サポートの話

週末に真氣光研修講座を終え、数日ぶりに家に戻ってみると、もう桜の季節になっていました。神田川沿いには区政50周年を記念した800本あまりの桜並木がありますが、今年は幾分早いのでしょうか、見事に開花しすでにたくさんの人で賑わっておりました。3月も残り僅かとなり、来週の火曜日には4月1日、エイプリルフールです。
日本では「四月馬鹿」とも呼ばれ、罪のない嘘をついて良いとされる日です。昔から私には、特別に思い出らしいものはありませんので、どうしてこんな日ができたのだろうと調べてみたことがありました。引用すると「その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが、1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が4月1日を「嘘の新年」として位置づけ、馬鹿騒ぎをするようになったのがエイプリルフールの始まりとされている」とあります。私が面白いと思った説は、「インドでは悟りの修行は春分の日から3月末まで行われていたが、すぐに迷いが生じることから、4月1日を「揶揄節」と呼んでからかったことによるとする説」です。
私の場合、研修講座が毎月1回あることで、それがとてもよい修行の場となっているようです。迷いが生じるということよりは、研修講座の効果がしばらく持続します。講座中は、私もたくさんの氣を受けますから、身体に良い変化が現れたり、楽しそうに帰られた方々の顔が思い浮かび嬉しくなったり・・・等です。今週初めも、そのモードが続いていたのでしょうか?いいとこ探しがうまくなっておりました。妻がスカートをはいて外出したのですが、私の目には少しばかり細くなったように感じたのです。日頃彼女は太くなりがちな体型のことをあれこれ気にしているのですが、咄嗟に私の口から出た言葉が「あれ、足が少し細くなったかな」だったのです。彼女の話では、研修講座2日目から新しく発売されたヘルシー氣サポート足首用をずっと付けていたら、むくみがとれたようだと言うのです。私の目の錯覚かと思い、ちょっと言い過ぎだったかと思ったのでしたが、喜んでいる妻を見て「良かった、良かった」と一緒に喜んだのでした。新しいヘルシー氣サポートシリーズは、発売からあちらこちらで良さそうだという話を聞いておりましたが、私も確かに確認した次第です。「ずっと付けといたら」「ウォーキングの時にも付けたらいい」とか、我が家では、いろいろな活用法の話で持ちきりです。皆さんも何か良い話があれば、ぜひお便りください。

お彼岸に真氣光

今日から、つくばみらい市での真氣光研修講座が始まりました。3月の研修は、お彼岸に合わせて開講ということもあって、遠隔真氣光の申し込みには「ご先祖に氣を・・・」という方が多いのですが、研修講座の受講生の中にも、「ご先祖に氣を送りたくて毎年この月に受講しています」という方もいらっしゃいました。講座を受講することで、たくさんの氣を取り入れることができますので、それが周りの方々やご先祖にも届くのです。ついつい自分の目の前のマイナス的な出来事に心を奪われがちになりますから、そのように考えられることは本当に素晴らしいことだと思います。ご先祖と私たちは繋がっていますから、今自分に現れているマイナス的な現象は(それは身体に現れることだったり、心の悩みになって現れることだったりするのですが)、かつて先祖の誰かも苦しんでいたかもしれないということであり、そしてそういう場合、自分が癒されるのと同時に、その人達の魂も癒されるということなのです。
私は小学生のときに肝臓を患って一ヶ月ほど学校を休んだことがありました。病院に行くと「直ぐに入院」と言われたのですが、父や祖父の指導による家での食事療法と東洋医学で良くなったのでした。次の学年に上がる頃には、そんな病気をしたとは思えないくらい元気になってしまいましたが、氣を知るようになって分かったことは、私の母方の祖父が肝臓癌で亡くなっていますから、その繋がりがあったのかもしれないということなのです。さらには祖父のもっと上にも何か同じようなことが原因の人がいたかもしれません。私の病気がきっかけで、自然食や東洋医学などに興味を持った父が、我が家に一大健康ブームを持ち込み、それが二十年後にはハイゲンキの発明に繋がることになったとも言える一件だったのです。
皆さんの中には、身体の不調や心に悩みがあるから氣を知るようになったという方がいらっしゃるかもしれません。そういう一見マイナスの出来事から氣づき学べることで魂は輝きを増し、その光は周りにも及びます。さらには真氣光を受けることで、それが加速されるのです。ですから、ご先祖様の中には子孫の誰かがより一層光り輝くことを、今か今かと待ち望んでいることがありますし、さらにはご先祖や守護霊のような存在がハイゲンキに縁を持たせたいと導いていることも多々あります。生きている人、一人ひとりが光の入り口なのです。直接お墓参りに行けなかった方も、そんなことを意識しながら、まずは自分自身にたっぷりと真氣光を充電していただきたいと思います。

バイキングと洗心

私は真氣光セッションやセミナーなどで、北は札幌から南は沖縄まで全国8カ所のセンターを月に一度のペースで回りますから、だいたい週末は出張でホテル住まいをしております。このような生活を十年以上していると、すっかり当たり前のことになり、「出張がたいへん」だとか「旅ができて嬉しい」さらには「あそこに行ったら何を見よう、何を食べよう」などという感覚もあまりなくなってしまっています。人に言わせると「もったいない」ということかもしれません。しかし数年前あたりから苦悩?になっていることは、食べる時間と食べるものに氣を付けないとアッという間にメタボ体型になってしまうということです。夜遅くホテルに着くことが多いので、夕食は軽く適当になりがちですから、その分朝食はできるだけしっかりといただくようにしています。
ところで最近はどんなホテルでもバイキングが多く、ついつい朝から食事の量が多くなって困ります。バイキングについて調べてみました。食べ放題(ビュッフェスタイル)の飲食サービスを指す和製英語。日本で初めてビュッフェスタイルを導入した帝国ホテルの担当者が、‘57年のアメリカ映画「バイキング」に着想を得てその名をつけた。当時上映していたこの映画に出てくる船上での食べ放題、飲み放題のシーンを見た数人が「バイキング料理」を提案し、「インペリアルド・バイキング」という名前が採用されたということです。それから約50年、今ではランチバイキング、カレーバイキングにケーキバイキング、自然食バイキングと、人気があるのかどこでも順番を待つ列を目にします。
たくさんの種類に弱いのだと思います。あれも美味しそう、これも美味しそうと、いろいろなものがありますから、ついつい食べ過ぎてしまいます。経済学に「限界効用低減の法則」というのがありますが、おなかがすいている時に食べるご飯は、とてもおいしいけど、腹がふくれてくるとおいしさを感じなくなるものです。しかし気持のどこかに「値段以上に食べないともったいない」などという貧乏根性が潜んでいるのでしょうか、氣を許すと洗心の指標にある「よろしからぬ欲」に引っ張られ、それに負けない「強さ」を見失いがちになります。洗心の「強く」とは希望を見失わない強さでもありますが、誘惑に負けない強さでもあります。腹八分が実に難しい。そういう意味では私にとって朝食バイキングも精神修養の場になっているようです。

(23)笑う門に福来たる

先日新聞を見ていると「笑い測定機を関西大の研究チームが開発した」という記事が載っていました。ほお、横隔膜、腹筋の周辺の皮膚にセンサーを張り付け、筋肉を動かすときに発生する微弱な電気をパソコンに取り込み専用ソフトで解析し、笑いの程度を判定するというものです。毎月の真氣光研修講座ではヨガの龍村先生により「笑いの行法」の指導があり、ハラを動かす練習をします。このセンサーも腹筋の筋電位を測定するとのことで、なかなかのものだと感心して読んでいると、笑いの度合いを数値化し、大笑いだと40 アッハ、くすくす笑いだと3 アッハなど、アッハ(aH )という単位で表すというのです。これには思わず笑ってしまいました。私の場合、今日は妻のちょっとしたジョークで20 アッハ位笑ったでしょうか。笑いが健康に良いと、多くの学者が着目しています。将来は携帯電話ぐらいの大きさにしたいということですから、万歩計のように一日身につけて、笑った量を計れる日が来るかもしれません。「人はなぜ笑うのか」(講談社ブルーバックス)によれば、笑いの存在が確実なのは霊長類であるサルやチンパンジー、ヒトにおいてのみということになっているようで、さらには私たちが上司に対して微笑んだりする社交上の笑いの起源は、動物が誤って口の中に入れた毒物を吐き出す動作が進化したものだということです。氣の観点から考えると、笑いというプラスの氣を外に向かって出すから波動の同調作用によって、身の周りからプラスの氣が集まるということですが、もう少し変えて言えば、魂に影となって邪魔をするマイナスの氣が笑いによって払いのけられるので、守護霊さんのようなプラスの氣の存在から何らかの応援が届きやすくなるというようにも言えるでしょう。その点では、毒物をはき出す動物の動作に似ています。 日 本には「笑う門に福来たる」ということわざがありますが、ことわざ辞典で調べてみると「苦難な状況にあっても希望をもって頑張っていれば、幸せをもたらすことができるということ。一言に笑いといってもさまざまだが、この笑いは楽しげな笑顔や笑い声で、にこにこしている人の家には、どこからともなく幸運がやってくるものだということ。」とあります。私たちは辛いときや悲しいとき顔つきもさえず、うつむきがちになるものですが、そんなとき上を向いて大股で歩いたりすることで少し気分が変わります。同じように些細なことにも笑うことで、健康がやってきたり幸せがやってきたりするようです。真氣光の力も借りて、笑えることを待っているのではなく、積極的に笑って暮らしたいものです。

よろこんで

ある居酒屋に入って注文したところ、「はい、よろこんで」と、店員皆が「よろこんで」を連呼しており、少々圧倒されてしまいました。言葉も言霊と呼ばれる氣のエネルギーを持っていますから、プラスの言葉が飛び交うことで、店員も店の氣も良くなることでしょう。先日私は妻に「廊下の電球を付けて」と言われて「んーっ」と生返事をしてから、まだ取り替えていないことを思い出しました。どうせやるなら「よろこんで」と引き受ければ、どんな反応をしただろうかなどと想像しておりました。それと同時に、昔父に言われたことを思い出したのです。確か小学生高学年の頃のことです。時々、私は父や母に用を頼まれると「え〜、勉強しようと思っていたのに」とか「嫌だな〜、僕じゃないといけないの」と、ひと言何か言っていたようなのです。ある時、父に何かを頼まれたのですが、その時も何だかんだと不平を言っていたら、「おまえ、どうせやらなきゃいけないのだから、気持ちよく引き受けなさい」と注意されたのです。父は笑いながら言っていたのですが今でもしっかりと思い出せます。洗心の指標の御法度の心の中に不平・不満という項目がありますが、私の場合、もう決まっていて、どうしてもしなければならないことなのに、ひと言何か不平不満を言っておかないと気が済まなかったようなのです。もちろん直ぐに気持が切り替わることはありませんから、頼まれたことをやっているときも、ずっと面白くない気持のままだったことを覚えています。その癖が大人になっても抜けなかったので、勤め始めても上司に対して不平不満の心がたくさん残り、だんだん調子が悪くなって当時下田でやっていた真氣光研修講座に行くことになったのだと思います。
氣の観点から言うと、自分から進んで「やろう、やってみよう」と思えると、その時に魂の光が増すのです。逆に後ろ向きの気持では、それがありませんから、上手く事が運ぶ確率も低くなるばかりか、不満のマイナスの氣が周りからたくさんのマイナスの氣を集め、足を引っ張るのです。当時、上司から私に声がかかったことは、いつも「私で、いいんですか」「私が、ですか」と言っていたように思います。しかし研修講座を受講して、そういう心がマイナスの氣となって自分に集まることを勉強して、来るものには理由がある、どうせやるなら「私で良ければ、よろこんで」という気持になったのでした。私も随分変われたようなのですが、まだまだです。やはり身近な人が一番手ごわいようです。