(28) 紺屋の白袴

猫の手も借りたいほど忙しい日々が続いており、私は少々気持ちにも焦りが出ておりました。
原稿を書こうとパソコンに向かったのですが、何から手を付けて良いやらわかりません。
咄嗟に妻に、何かおもしろい話はないかと訊ねていたのです。
どうも苦境に立たされると、その台詞が口から出るらしく、妻からは「紺屋の白袴」との返答です。
妻曰く「焦るときはマイナスの氣の影響を受けているのだから、氣を受けてくださいと、あなたはいつも言っているではないですか」「音氣でもかけたら」とのこと。
私は痛いところをつかれ、早速音氣CDをセットして、パソコンに向い、このことわざの意味を調べてみたのでした。
辞典には『自分の専門のことや技量を自分には用いないことのたとえ、医者の不養生』とあります。
私にとっては何かの教典のようなお言葉です。
少々反省しながら、これは自分への戒めとして、似たようなことをずいぶん前に決心したことがあったと思い出しました。
この話は、研修講座ではよく皆さんにお話しているのですが、先代が亡くなり、私が会長になったばかりの頃です。
当時皆さんには「毎日ハイゲンキを使うと良いですよ」とお話をしていましたが、私自身疲れたり体の調子が悪いときにはハイゲンキをしていましたが、今のようにいつもは使っていなかった時期でした。
30代ですから、まだ今よりは若かったということもあり、疲れも一晩寝ると取れたような気がしていました。
ところがマイナスの氣は知らないうちに溜まるもので、あるとき右の腕がしびれて全く上がらなくなってしまったのです。
寝返りを打つのも痛くて熟睡できないという状態です。
私は、その時には、祈るような気持ちでハイゲンキを一生懸命に使ったのでした。
おかげさまで、その後順調に回復して一週間ほどで何事もなかったかのようになりました。
そして、これは「毎日ハイゲンキをやりなさい」と先代に教えられたと思ったのです
(先代も晩年脳溢血で倒れてからは、右側が不自由でしたから)。
私の場合、会長という立場ですから、真氣光については皆さんに向かって立派なことを言わなければならないわけですが、その分、自分自身の行動が上の方からも観られているような感じがします。
真氣光の波動が少しずつ強くなっています。
ですから、ますます私も精進しなければならない気持ちと、そうすることで、皆さんにもより強い氣を利用していただけると思うのです。
(中川 雅仁)
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