先代の時代からSASでは「氣」の文字を使っています。
「氣」の語源には、いろいろな説がありますが、先代が、よく言っていたのは、「氣」は「米」と「气」から成り、米からフワフワと立ち上るエネルギー(米のオーラとも言える)を「气」の部分が表わすという説です。
何かはっきりしないけれど、確かに存在するエネルギーのようなものに氣という文字を使ったというのです。
つまり氣とは、科学では測定できないし目には見えないけれど、宇宙に存在する多種多様なエネルギーの総称です。
人や動・植物、物、土地などあらゆるものが、それぞれの氣を持っています。
私たちのまわりにも、私たちの体の中にも、氣は満ちています。
さらには、念力や呪い、祈りや祈祷など、見えないエネルギーとして氣を使った歴史が、日本ばかりではなく、世界の国々に存在します。
ですから氣にはいろいろな種類があるのですが、科学が発達した現代の世の中では、科学的に証明できないものは軽視されがちです。
しかし先代は、このような時代だからこそ、目に見えない氣というものが、とても重要になると言って、この文字を大事にしたのです。
私はサラリーマン時代、氣の世界を知りませんでした。
グループの責任者として仕事をしていましたが、部下の失敗、上司とのトラブル、仕事の遅れ、自分自身の体の不調など、なかなか改善しませんでした。
目に見える物理的なことを軽視して良いということではないのですが、見えない世界に原因があるのかもしれないと真氣光を受けるようになってはじめて好転したのです。
私自身、これまでの「プラスの氣」としての真氣光を上手く利用できるようになった歴史をふり返ると、そこには私の周りにある「マイナスの氣」をよく知ることでもあったわけです。
一言で言えば「周りのせいではなく自分のせい」、マイナスの氣に足を取られることなく、真氣光で自分自身のエネルギーを高めることでした。
真氣光を受けることで、私たちの周りに一見マイナスな現象を起こす「マイナスの氣」は、簡単なものから薄皮を剥がすように消えていきます。
最初は分かりやすい形で表面に現れ消えていくのですが、だんだん分かりにくくなり、周りの人やモノを使って私たちを巧妙にマイナスの心に傾けようとするものです。
人のことは分かっても自分のことはわかりにくく、ついその影響を受けてしまうのが私たちです。
しかし、見える世界にばかり氣をとられることなく、マイナスの氣を意識できたとき、真氣光のエネルギーは届きやすくなります。
氣の世界を深く知るとは、どんなマイナスの氣にも負けない強い心を持てるようになることだと思うのです。
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