暑い日が続いております。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
こう暑いと、クーラーの効いた家に閉じこもり気味になります。
「昼間は外には出たくない」と、我が家の怠け者は言っております。
ところで、我が家の裏口は北向きで木陰になり床のタイルが冷たくて気持ちがいいのか、最近そこに一匹の猫が占拠しているのです。
野良なのか飼い猫なのかわかりませんが、どこからともなくある時間になるとやって来て、長く体をのばしたまま、全く動こうとしません。
なんと優雅な!
・・・私には原稿の締め切りが・・・。
少々気持ちにゆとりがなくなっている、そんな自分のマイナスな心に気がつかされます。
ところで、「猫の手も借りたい」ということわざがあります。
意味を調べてみると「忙しい時に誰でもいいから手伝いがほしいこと。農繁期などのきわめて忙しい時に、そばでのんびりと眠っている猫の様子を見た人間様の願望が、ことわざになったのだろう。」と、あります。
17世紀の文献にあったようですから、昔から同じように感じていた人は居たようです。
確かに、セカセカと落ち着きが無い猫は見たことがありません。
いつものんびりしていて、見ていると癒されますが、あまりにマイペースな姿に、私などは時には羨ましくなるものです。
氣とは見えないエネルギーで、どんなものからも、どんな人からも氣が発せられています。
そして自分の出している氣が、同調作用により周りから似たような氣を集めます。
忙しい時には、さらに忙しくなるように、いろいろなことが舞い込んで来るものです。
私は昔、「どうして自分ばかりが、こんなに忙しい目に遭うのか」と、上司に不満を訴えたことがありました。
しかし、研修講座に参加して氣の世界を知ってからは、考え方が大きく変わったのです。
不満を訴えたからといって直ぐに事態が変わるわけではありません。
氣の観点から考えれば、さらに学びが必要で、縁がある人に仕事が集まるのは当然なこと。
越えられないハードルは与えられないのであれば、自分が少しでもいろいろな事ができるようになれるよう頑張ろう、「出来ないという気持ちから、やってみようへ」と発想を180度変えられたのです。
猫の手も借りたい時には、マイナスの氣が集まりやすくなります。
マイナスの氣の影響を受けると、ネガティブなことに意識が引っ張られ、気づくチャンスから遠ざけられてしまうのです。
ですから、猫の手も借りたいような時には、真氣光をお忘れ無く。
そうすることで次第に、たいへんなストレスを程よいものにしてくれることでしょう。
(中川 雅仁)
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投稿者: 中川雅仁
少しずつ氣が変わる
久しぶりに休みがとれたので、映画を観に行ってきました。
この映画館では席を事前に選んでチケットを買うというシステムで、妻が列に並んで買っておりました。
私は全てお任せして横で待っておりました。
買ってもらったチケットを手に書いてある席を探していくと、一番上段の壁の横、つまり隅の方だったのです。
「こんな端のほうしか空いていなかったの?」と言いながら、「席は任せる」と、つい先ほど言った自分を思い出し、「これは不平不満かな」と直ぐに反省した次第です。
席に座ってみると壁が横にあるものですから、何か圧迫感があります。
しかし良く考えてみると、昔の私なら部屋の中でも端の方が気に入っていたものです。
隣に人が居ないのが良いのか、壁があるから良いのか分かりませんが、端の席は妙に落ち着いたものでした。
人には、時と場合によって、いろいろな定位置があるようです。
電車のシートには端の席に座りたくなる人、いつも真ん中に座る人など傾向があると言います。
何となくそこが定位置という人もいれば、後ろに柱があり頭をもたれやすいから真ん中だと理由があって決めている場合もあるでしょう。
頭で考えて決めている場合は、氣とはあまり関係ないかもしれませんが、「何となくそちらが気に入って」という場合は、氣の影響を受けている場合があります。
モノや人ばかりではなく、建物や場所にも氣があります。
そして同じ部屋でも真ん中と隅では氣が違います。
“雰囲気”というのがそれで、科学では測定できない微妙な感じを人は感じているのです。
明るい感じ、暗い感じ、ジメッとする感じなど、いろいろな感じを人は五感に加え第六感なども使って感じているのでしょう。
そして落ち着くところとは、自分の氣とその場の氣が似たような波動を持っていて共鳴するところです。
人は、もともと基本となっている氣に加え、一日のうちでも氣が変化します。
例えば、昼間は清々しく明るい空間が気持ちも良く心地よいでしょうし、疲れた日の夜には少々暗いバーなどが落ち着くというのがこれに当てはまるでしょうか。
私は、もともと自分には陽よりは陰のほうが合うと思っていました。
楽曲でも激しくエキサイトするものよりは、おとなしくどちらかというと寂しい感じが好きだとか・・・。
しかし落ち着くところを無理に変えてもストレスになるものです。
「何となく段々と変わっていく」真氣光で氣を充電すると、その人の基本となっている氣が変化することから、そのように変わっていくものです。
それは、嫌なことやストレスに感じることを無理なく減らすとともに、心地よく思える世界が広がっていくのだと思います。
(中川 雅仁)
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笑顔になる時間をつくろう
先日、私たちがレストランの順番待ちをしていると私の携帯が鳴り、少々込み入った話になったところに、3才ぐらいの男の子がやってきました。
私のことを不思議な生き物でも見るかのように興味津々という感じで観察しています。
親御さんが遠くから呼んでも、なかなか立ち去ろうとはしません。
後になってから、その様子が可笑しかったと、妻がその子の真似をして笑うのです。
私もつい可笑しくなってしまいましたが、後で考えるとその子に良いものをいただいた気がしました。
先日の新聞に「笑顔なのは1日2時間です」という記事が載っていました。
住友生命保険のアンケート結果ですが、『1日のうち笑顔になっている時間を全国の男女各1000人に聞いたところ平均は118.4分、年代別では20歳代以下が最も長い151.8分となったのに対し、40歳代は97.6分、男女別では、男性の75.6分に対し、女性は161.8分となっていた。
また「笑顔にしてくれる人は」の問いに、全世代で「子ども」がトップで全体の34.3%、「家族」と答えた人も14.8%に上った。』というものです。
私のような40歳代の男性が、最も笑顔が少なくなっているのでしょう。
いろいろ仕事が溜まると心に余裕が無くなるもので、記事を読んで私も反省しました。
氣はどんな人も持っていて、誰もが心に応じた+や-の氣を出しています。
そして重要なことは、知らないうちに同調することによって周りから同じ種類の氣を集めているということです。
怒っている人やイライラしている人からは-の氣が出ているので-の氣が集まり、笑顔の人からは+の氣がでているので+の氣が集まるというわけです。
アンケート結果からわかることは、一日のうち大半は-の氣が集まりやすくなっている状態だということです。
ですから、真氣光を受けるなど、いかに+の氣で満たすか?ということが重要になるのです。
先代がよく「笑っていればいいんだよ」と言っていました。
しかし、いつも笑ってはいられません。やらなければいけないことを、テキパキとこなさなければ溜まる一方ですから、ますます自分の首を絞めることに・・・。
時間は限られていて、それに追われるように毎日が動いていきます。
しかし良く考えると、時間は無くても笑顔になる心は持てるはずです。
ついつい忙しいと、たいへんではない時にまで心配やイライラなど-の心に引きずられているものです。
慌ただしく電車に飛び乗っても、乗っている間は楽しいことを考えていてもいいはずです。
笑顔になれる心をつくろうとする気持ちが大切です。
これには真氣光を受けることの他にも、アンケート結果にあるように家族や子供がキーパーソンのようです。
(中川 雅仁)
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妻の顔のお手入れがヒントに
前号でご案内しましたが、今週からホワイトセラミックヘッドのローラータイプを発売することになりました。これは従来からあるホワイトセラミックヘッドに回転機構を取り付けるように改造して、白いセラミックの部分を体に接触させ、コロコロと転がせるようにしたものです。今までのハイゲンキヘッドとは、少し視点を変えた氣の受け方ができますので、興味を持っていただいている人も多いようです。「誰が考えたのですか?」という質問もありました。もちろん私が考えたのですが、大きなヒントをくれたのは、妻でした。
あるとき、ホワイトセラミックヘッドを使っていた妻が、顔のたるみ?が気になったらしく、ヘッド側面のセラミックの部分で頬をコロコロし始めたのです。ところがヘッドにはストラップを取り付ける突起がついていますので、「顎などに引っかかり危ないから取り除いてほしい」と私に注文したのです。世の中には顔をマッサージするものがいろいろ出回っていて、人気があるのだとか。それで私は、どうにかして回転させる部品が取り付けられないかと試してみた結果、今までの構造を少し変えるだけで今回のローラータイプができたのです。これですと、電気を入れて使いたいときには通電して振動させられますし、ローラーとして使う時にもハンドルをネジで止めるだけでコロコロと転がせます。以前のものと変わる点は、ストラップを取り付けるための穴が無くなるだけですので、思い切ってこの販売からローラーとしても使えるタイプに変更したわけです。
ヘッドはシングルとダブルの2タイプがあります。シングルは腕や顔などに使いたいときに便利ですし、ダブルにすると少し重くなりますが、背中や腰、首から頭などは使い勝手が良いようです。使い方のポイントは、ヘッドをコロコロと体の上で転がして氣を取り込むということ、つまり転がすことで意識をそちらに向けさせ、氣の吸収力を上げるという点です。整体など体のマッサージとは違い、力を加えて揉みほぐすということではありませんから、体に押しつけて使うよりは、ヘッドの自重を使い優しく横にコロコロと撫でるように転がすほうが良いでしょう。さらには一度にたくさんの部分を転がすよりは、狭い部分をゆっくり転がす方が良いようです。
誰かにやってもらうと気持がよいので、これまでのヘッドを当てるだけではハイゲンキの良さがよくわからないお年寄りや男性の方にも、氣を継続的に取り入れやすいでしょう。10月末まで、この新しいヘッドを幅広く知っていただくためのキャンペーンを開催していますので、ぜひたくさんの方に体験していただきたいと思います。
(中川雅仁)
(13)真氣光は宇宙からの応援です
私は、これまで何回か先代の夢を見たことがあります。
ニコニコしながら、いつものように何食わぬ顔をして会社に戻って来たのです。
私は、少し変ですが、やはり亡くなっていなかったのかと思いながら嬉しい気持の反面、どこかで困ったと思っているのです。
今頃出てきてもらっても会社では使えないとか、訳の分からないことを言われても困るなぁとか・・・そんなことをしきりに考えている奇妙な夢なのです。(笑)
先代は‘95年12月に亡くなりましたが、その時私は35才の誕生日を迎えるところでした。
突然、会社も真氣光も引き継ぐことになったのです。
私が以前の会社を辞めてエスエーエスに入社したのが‘93年10月でしたから、わずか2年2ヶ月の間しか先代とは一緒に仕事をしていません。
それも先代は海外も含め忙しく各地を飛び回っておりましたので月に数日しか顔を見ることがなかったわけで、真氣光研修講座には参加しており「氣を中継できる」のはわかっておりましたが、氣や真氣光のこと、会社の運営など、殆ど教えてもらったことは無かったもので、当時何もわからないというのが実情でした。
そんな状況の中で、会社と真氣光の代表として、よくやってこられたものだと考えてみると、会員の皆様や社員など支えてくれた周りの人たちの存在と、ハイゲンキをはじめとする真氣光があったからなのです。
決して順調に事が運んできたのではなく、いろいろな問題や一見マイナスな出来事に直面しながら、何とか乗り越えてきたという感じでしょうか。
どんなにたいへんな時も真氣光のエネルギーが応援してくれていると感じられたから、やってこられたと言ってもいいでしょう。
真氣光のエネルギーは氣づきを促す作用があります。
それによって、体が良くなったり、心が変わったり、人生が好転するような結果が生じるのです。
ついつい結果の方を重視しがちですが、その人にその時に丁度良い氣づきをもたらしくれるのです。
それが意識や生活を変えてくれたことで、先代が目の前に居なくても私も少しずつ成長できたということでしょう。
今日は広島に原爆が投下された日です。
長崎にも、東京にも、あちらこちらに戦争によって苦しめられた魂たちが、日本ばかりではなく世界中にたくさん存在します。
彼らがどうしたら救われるのかと言えば、私たちが気づくことによって魂のエネルギーを増やし、その光が縁のあるところから周りに少しずつ届くことによってであり、それを促してくれるのが宇宙から送られてくる真氣光のエネルギーなのです。
(中川 雅仁)
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気づきが人を変え光を増やす
連日猛暑続きですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は、北海道での真氣光研修講座を終え連休明けに東京に戻りました。
北海道も暑かったのですが、やはり東京は違いますね。
今回の受講生の皆さん、ありがとうございました。
今年で2回目の北海道開催ですが、今回は私にとっても、より深い氣づきがあった研修講座になりました。
講座では私が皆さんに真氣光を送る時間が一日に4回あるのですが、真氣光は中継するものですから氣を送っている私も真氣光を受けているわけで、いろいろとその影響がありました。
2,3度でしたが頭がクラッとして目が回ったような感覚になったのです。
気持ちが悪いこともなく、すぐに収まりますので、ちょっとおかしな感覚です。
昔、私は先代から氣を受けているときに目が回り、椅子に座っていられなくなったことがありましたが、あの感覚のような・・・、何か深いところにあったマイナスの氣が消えていくのだろうと思いました。
私はよく真氣光は氣づきのエネルギーだと言っていますが、氣を受けることで何かに氣づきやすくなったり、時には身体に変調があり何かに気づきなさいと促されることもあります。
私は大学卒業まで札幌に居ましたが、就職とともに東京に移りました。
サラリーマンを10年ほど経験するうちに根本にあった心配性がストレス源となり調子を崩して真氣光を体験するようになったのです。
今ではすいぶん心配性は消えてしまいましたが、それは母から受け継いだものかもしれないと思ったのです。
母の家は樺太で小さな事業をやっていましたが、終戦とともにロシアに攻められ、幸運にも家族は誰も欠けることなく北海道に移ることが出来たのです。
祖父はシベリアに抑留されたのですが、言葉ができたことで有り難いことに人より早く日本に帰ることが出来たと聞いています。
小さいときにそんな経験をしていますから母はもともと心配性で、そんなところに父と結婚したものですから、真氣光を始めるまでの父の波瀾万丈な人生に付き合って、「明日はどうなるのだろう」などと不安や一種の恐怖などマイナスの氣を相当に貯め込んでいたはずです。
そんな母の影響を多分に私も受けていたようです。
それは母ばかりではなく、過去にいろいろな事情で北海道に渡らなければならなかった人たちの共通の苦しみかもしれません。
それに比べ私は何と恵まれていることか。
気づくことで人は変わり、魂のエネルギーを増やします。
それを促すのが真氣光のエネルギーで、周りの身近なところから氣の環境を変えていくことになるのです。
今回の研修でもたくさんの光が受講生の皆さんを通して北海道の地に眠る人たちに届いたことでしょう。
(中川 雅仁)
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ご縁が広がる真氣光
今日から7月の真氣光研修講座が始まります。
今月は北海道での開催ということで、昨日夜、私も準備のために東京からこの新篠津村にやって来ました。
札幌からJRとバスで約1時間、周囲を見渡すと点在する農家と畑さらには緑、石狩平野のど真ん中というところにありますから広い大地を十分に感じることができます。
今日はまた良いお天気で暑すぎず寒すぎず、私は北海道を満喫しながらこの原稿を書いています。
今回の研修もどんな感動があるのか、今からワクワクしているところです。
ところでスタッフと話をしていて、先代が生まれた深川市多度志町が、ここ新篠津からそう遠くない所だと誤解している事がわかりました。
ここから約100km、車で2時間はかかる山の中になります。
北海道に住んでいる人は近くとは言いませんが、確かに道外の人から見れば隣村ぐらいの感覚なのかもしれません。
北海道にたくさんの炭鉱があったころは、人もあちらこちらに多かったのでしょうが、その辺りもかなり前から過疎化が進み、我が家の親戚も早くから札幌に引っ越しましたので、私も何回かしか行ったことがありません。
交通の便が悪い、かなりの山奥といった印象です。
そんなところから先代は中学を卒業し深川市の時計店に単身出てきたところから、いろいろな歴史が始まったわけです。
本人は「農家が嫌で」と言っておりましたが、当時友達も親戚もまだ村に残っていたでしょうから、かなり勇気のいったことでしょう。
さらには独立して店を出すために札幌へ移り、真氣光を始めるようになって東京に移ったわけです。
真氣光を始めてからは、東京を拠点に日本全国ばかりではなく世界各地を飛び回るようになりました。
人との「ご縁」という視点で考えてみると、それは時間とともに飛躍的に増えています。
特に真氣光をはじめてからは、毎日、毎日いろいろな人との繋がりが出てくるわけですから、その人の先祖まで含めると多分「ご縁」の数は天文学的な数字になっていたことでしょう。
私も日々感じることですが、宇宙は応援してくれているということなのです。
真氣光のエネルギーを受けることで、自分の魂に浸透した光のようなエネルギーは周りにも及びます。
身のまわりの身体を持たない魂だけの存在に、エネルギーを与えることになるのです。
その結果、よく言う守護霊様のような存在、さらには私たちを陰から支えようとしてくれている先祖にもエネルギーが届くことで、より一層自由度が増し出来ることが増えるのです。
今回の研修も、いろいろな不思議な「ご縁」で集まってくれています。
ありがたいことです。
(中川 雅仁)
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(12)まずは氣を受けること
世の中には目には見えない氣、つまりエネルギーみたいなものがたくさんあります。
先代は、科学では測定も証明も出来ないけれど、そういう氣というものを大事にしないといけない時代だと、「氣」の文字をあちらこちらに使うようになりました。
それで真氣光を現すロゴとして古い字体の氣の文字を使うようになったのです。
この古い字体は、気がまえに〆ではなく米の文字です。
「お米にフワフワとエネルギーが漂っているのを昔の人は感じて、この文字ができたのだ」と、いつも説明しておりました。
ところで氣は、いろいろな場所にもありますし、物にもあります。
植物や動物、ペットなども氣を持っています。
人間にももちろんあるわけですが、人の場合、始終変わる心や意識というものも、氣として発したり受けたりしているのです。
電波や電磁波といった類も、科学が未発達な昔には、氣として捉えていたのかもしれません。
ところで、私の長年の経験から分かったことの一つに、氣には波動的な性質があるということがあります。
音波のように、目には見えませんが波のようにして伝わってくるということです。
波ですから、どこからか出て、どこかで受けられるということ。
氣の場合、出すことも重要なのですが、まず氣を受けるということをよく知ることが大事だと思うのです。
テレビの電波も放送局の違いにより空中にたくさんの種類の電波があって、テレビという受信機でチャンネルをあわせると、その放送局の番組が見られるように、上手に受けられると効果が表れやすくなるからです。
虫の音の小さな音でも「聞こう」と注意を向けると、どこに居るのかがわかるように、人の場合、注意を向けたり意識するということで、そこにある氣と同調作用が働き、受信感度が上がり、氣を吸収しやすくなります。
真氣光の場合、宇宙のどこからか発せられた氣のエネルギーが、たくさん地球にも降り注いでいます。
そして、それを受信できる氣中継器や氣グッズは、私たちがいつも利用できるように波長変換してくれています。
真氣光のエネルギーは私たちの氣つまり魂に浸透し、意識や身体を良い方向に変えてくれますから、誰でもがたくさん取り入れたいと思うものです。
波動的な氣の性質を理解したうえで氣を取り入れるコツを考えると、ポイントは度々受ける、意識を集中して受ける、ということになるでしょう。
各種のヘッドや氣グッズを持ち歩いて度々氣を受ける、その時に意識を集中することで効果が上がりやすくなるということなのです。
お出かけが多くなるこの時期、いろいろな氣グッズの携行をお薦めします。
(中川 雅仁)
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(34) 教えるは学ぶの半ば
私は、毎月各地で無料体験会や真氣光レッスン、さらには会長セッションを開催していますが、参加者からの質問に答えるなかで「勉強になるなぁ」と感じることがよくあります。
それは、質問に答えようと自分が考えることで、思ってもいなかった発見があるからです。
ときには、日頃一人で考えていては出てこないようなことまで頭に浮かんできて整理されるのですから、不思議なものです。
「教えるは学ぶの半(なか)ば」ということわざがあります。
『人にものを教えることは、半分は自分の勉強にもなるという意。出典は古く平安時代の金言集“世俗諺文”に見られる』と、ことわざ辞典にはあります。
人にものを教えるには十倍の力がいると言われますが、単に知識面ばかりではなく適切な教え方やノウハウ、いろいろな力が必要とされます。
教える側にも曖昧な点や不確かな面があれば、自分自身で確認しなければならなくなり、謂わばその復習を通して自分が学ぶということにも繋がります。
そればかりではなく、実際には教わったことが単に知識としてだけではなく、その人自身にしっかりと身につかなければ本当の意味で教わったことにはなりませんから、そのようなところまで教えるためには、教える側の“いろいろな力”と弛まぬ努力が必要となるでしょう。
それによって教える立場にある人が、大きな学びを得るということなのです。
宇宙に存在する生命は、身体を持つ・持たないに関わらず、他をサポートすることで自分が成長するという仕組みにあるようです。
例えば、親は子供が生まれて来てくれたことで親として成長できるし、御先祖様も「どうしたら子孫は気がつくだろう、ああかな、こうかな」と日々考えながら、私たちを支えてくれて、あちらはあちらで学んでいるということです。
これは真氣光を送ってくれている宇宙も同じ事のようです。
私たちは、氣づくことで魂を大きく成長させることができるのですが、どうしたら氣づけるだろうかと遠いところから見えない光のエネルギーを送ってくれているのです。
ですから私たちは、時には一見マイナス的なことからも何かに氣づき、それを乗り越えることができるのだと思います。
私たちも、そのエネルギー的な応援を受けていますから、自分のことが大変な人も少しずつ余裕が持てるようになり、他への心配りに目が向けられるのです。
それができることで、自分自身のさらなる学びになるということで、これは“半ば=半分”どころではなく、自分の学びのうちの大きな割合を占めているのだと思うのです。
(中川 雅仁)
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便利な物を使いこなす
本の代わりになるとニュースでも取り上げられていましたipad(アイパッド)、我が家にも先週届いたのですが家を留守にしたり忙しかったりと、まだよく使っておりません。
先月ニューヨークに行ったときに、5番街にあるアップルストアに行ってみると、子供も大人もipadの前に群がっておりました。一足先にアメリカで発売になったのですが爆発的な反響から品薄になり、日本での発売予定日は私がアメリカに飛び立つ翌日だったのです。
私は実物も見ること無しに先行注文だけして、ニューヨークで初めて目にしたのでした。
紙の本に代わり電子書籍の時代になるのでしょうか。
本棚一杯の本が全部この中に入ると言います。
確かに、学生の頃は古語・漢和辞典、英語の辞書など教科書に加え辞書・辞典類がとても重かった記憶があります。
カバンを軽くしたいばかりに古語辞典などは学校のロッカーに入れっぱなしで家では勉強せず、そのおかげで文系学科はまったく出来の悪い生徒になってしまいました。
それが今では電卓ほどの大きさの電子辞書に英語も国語も他の言語も、百科事典みたいなものまで記憶されています。
本棚で大きなスペースをとっていたものがすっかり無くなってしまいました。
このipad、本ばかりではなくメールやインターネット、ゲームなど、いろいろなソフトを入れて楽しめます。
遠くない将来には、このニュースや月刊ハイゲンキも、このようなもので読んでいただくのが当たり前のようになるかもしれません。
今でも忘れませんが、私が結婚したばかりの安月給サラリーマン時代(20年以上前の話になります)、妻にやっとの思いで了解をとりつけ、ボーナスを叩いてノートブックパソコンを買ったときのことが思い出されます。
今のipadは値段が三分の一以下にも関わらず、記憶容量が3000倍もあり、いろいろなソフトが入るのですから物質文明の進歩は目を見張るものがあります。
ところで、ハイゲンキをはじめとする氣中継器も照射ヘッドのバージョンアップやスティックヘッドをはじめとする各種ヘッドなどハードの進歩にあわせて、送られてくるエネルギーつまりソフトも大きく進歩したと言えるでしょう。
ヘッドなどを身体に当てることで宇宙からのエネルギーが魂に浸透し、その結果身体ばかりではなく心にも変化を与えます。
私たち地球人は物作りが上手いということでしょうが、技術の進歩に比べ、心というものに焦点を当てた時には、どれだけの進歩が遂げられたのか・・・。
真氣光を利用して、もっともっと加速させていきたいものです。
(中川 雅仁)
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