会長セッションが終わった後、何人かの方で集まって一人の方にハイゲンキをしてあげておりました。
どうもその方は、ご主人のことが、とても嫌なようです。
本心からではないとは思いますが、「最初から好きではなかった」とか、「結婚するべきじゃなかった」という話まで飛び出します。
皆さんでハイゲンキをしながら、「そういう所は理解があるんじゃないの」から始まり「私のところなんか・・・」まで、それぞれのご主人の話で盛り上がり、その方を慰めているような、勇気づけているような話題で持ちきりになりました。
皆、いろいろあるけれど、一生懸命やっている、そのお蔭で、その人の魂は光を増し、周りに放たれた氣のエネルギーが、ご先祖のような魂たちに光を与えているのだと思うのです。
しかし、これは家庭だけの話ではなく、学校や職場、どんな所、つまり環境にも関係していることなのでしょう。
私たちは、日々何となく違和感を感じて、ここが本当の居場所ではないと感じることがあるかもしれません。
「もしかしたら自分は、こんな所ではなく、もっと自分に合った良い所、希望通りの居場所があるのかもしれない」と、思うことがあるかもしれません。
では人はいつも、誰でも、自分の思い通り、希望通りの生き方ができるものでしょうか?むしろそうでないことのほうが、大半なのかもしれません。
だから人は、そうなれるために努力するのです。
では、何となく違和感を感じながらそこに居て、生活をしているということはどういうことなのでしょうか?もし、とても辛くたいへんな状況ではないとしたら、それは自分がすべきことがまだ見つからずに、行動に移せていないからではないでしょうか?「何か違う」と、足りないものだけに目を向けていては、その違和感は埋められることはないでしょう。
今、居る所で、自分は何が出来るのかを考えてみることです。
絶対に何かが、まだ出来ていない何かが、あるはずです。
それを少しずつできることで、その違和感は消えていくのです。
そしていつの間にか、そんなことは心に浮かばなくなるでしょう。
自分の居場所は、自分で作るのです。
与えられた場所で自分の居場所を作るのです。
それには、そこにあるエネルギーを味方に付けることです。
自分のためだけではなく、そこにある物や人たちのために何ができるのかを考え、行動することです。
それにはもちろん、真氣光のエネルギーを利用して既に体をなくしている方達のためになるということも、とても大切なことなのです。
(中川 雅仁)
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投稿者: 中川雅仁
(70) 許せない心
私が氣を送っていると、時に氣を受けている人の口を借りて出てくる魂がいます。
彼らの中には、もう何百年も前に生きていた人達がいて、その多くは裏切られたこと、やられたことが「許せない」と、子孫に矛先を向け「思い知らせてやる」とばかりに、良くないことを次々に起こすのです。
しかし私が真氣光を送るうちに、その人達にも目には見えない光のようなエネルギーが届き、そのうちに許せない気持ちが少しずつ変わって、申し分けなかったと最後には「光のほうに行く」と消えていくのです。
ところで、許せないと思うことが、もし何のわだかまりもなくすっきりと許せたのなら、どんなに良いかと思うことは、誰にでもあることでしょう。
そして、その許したいことの重さは、人によって違っているのです。
とても酷いことをされ、どうにもならない程の心の傷、そして体の傷まで負ってしまって許せるはずなどない場合は、どうすれば良いでしょうか。
本当に、本当に辛いことではありますが、冷静になって考えてみるのです。
その許せない気持ちは、あなたにとって今を生きるのに、そしてこれからの未来に必要なものなのでしょうか。
それがあなたに幸せやプラスの思い、プラスのエネルギーを与えてくれるものなのでしょうか。
少しでも違っているかもしれないと思うなら、許せない気持ちとは、すぐにサヨナラするべきなのです。
でも、これからが難しいのですが、忘れたくても忘れられない、許したくても許せないというのが実際の気持ちで、誰でもがそのことで苦しんでいるのです。
では、この辛い思いは、どこから来るのかを少し考えてみましょう。
「過去に起きてしまった出来事で辛く忘れられない体験をしてしまった、それも自分のせいではなく誰かのせいで・・・なぜそうなってしまったかは、わからない。自分の側に少しの落ち度があったかもしれないが、そのようなことになる程の原因とは思えない」みんながそう思うでしょう。
でも自分の知らないところで、見えないところで、いろいろな事が関係して物事が起きているとしたら、全く受け入れられないことでもないのです。
見えない氣の領域まで拡大して考えると、いろいろなことが見えてきます。
前述した魂達のように、あなたの先祖に強い許せない気持ちがあることで、同じような気持ちをわからせたいと仕向けられていることかもしれません。
だから大変かもしれませんが、それはそれとして受け入れ、自分の人生にとって良い方向に行けるように気持ちを切り替えることが、とても重要なことなのです。
さらに真氣光を利用しながら、努力してみることで、関係している魂達にも氣が届き、気持ちも切り替わりやすくなるのです。
(中川 雅仁)
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小さな嫌なことを無くす努力をしよう
私は、身近なご縁こそ、自分自身の魂を磨くのに必要な人だと、よく話しております。
かく言う私も、最も身近な家族である妻からは、いろいろ教えられることがある毎日です。
教えられると言うと聞こえは良いのですが、ムッとしたり、カチンときたりなど面白くない気持ちにさせられることがあり「これはマイナスの氣が自分にあった」と気がつくことができるということなのです。(もちろんプラスの気持ちにさせられることもそれ以上にあるのですが)
妻の言葉を借りれば、どうも私が「思いやりがない」「デリカシィーがない」ということらしいのですが、こちらは全く気がつかないでやっていることばかりです。
険悪になった所から、私も反省、妻は妻で少しは反省しているようですから、徐々にでも成長出来ているのでしょうか。
成長のピッチが遅いと、叱られそうですが・・・。
ところで、小さな嫌な事をためないようにすることも、心をいつも穏やかに過ごすことができるためには必要なことです。
これは嫌に思うことが、例え小さなことでも無くならない限りは、いつもその思いに自分の気持ちがマイナスの影響を受けてしまっているからです。
小さなことなので、すぐに忘れてしまったり、たいしたことではないと特に問題意識もなく過ごしていたりするのです。
これは誰にでもあることで、我が儘とはまた違った少しのこだわりだったり、ちょっとだけ許せないことだったり、自分の価値観と合わなかったりといった理由から、それが自分の心の中で小さな嫌なこととして、確固たる地位を築いているのです。
そしてそれには、あまり気づくことなく日々生活しています。
これを全てなくすことは難しいかもしれませんが、今一度自分の中の小さな嫌な事を見てみるのが良いかもしれません。
ずっと今まで自分が思っていたことが、とっくにそうではなくなっているということもあるかもしれません。
もしそうだとしたら自分の思い込みで、マイナスの思いを、時々ではあっても作り出していたとしたら、とても残念でもったいない時を過ごしていたことになります。
体を持っている時間は無限ではありません。
できるだけ有意義に使わなければいけないのです。
嫌な思いからも何かを学び、気づいて光に変えていかなければいけません。
いつまでも同じ事でマイナスを作り出していては、本当に時間がもったいないのです。
自分自身にも言い聞かせなければいけないような問題ですが、皆さんの参考になればと思い、今月の氣配り画像に入れることにしました。
(中川 雅仁)
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伝えたいと口から出る言葉と氣の関係
福岡・志賀島での真氣光研修講座に参加していただいた50名あまりの皆さん、ありがとうございました。
先週は出会いの話を書きましたが、以前、研修講座の参加動機を聞いていたら、たまたま初めて会った人から真氣光の話を聞き、ハイゲンキを買うことになって研修講座にも参加したという方がいました。
真氣光を薦めてくださった方も偶然同時受講されていたので話を伺うと、その方に体験ギフトカードを差し上げたというのですが、これまで初対面の人にあげたことはなかったけれど、その時何故だか分からないけれど、そういう流れになって・・・と言っておりました。
そんな出会いがなかったら、私もその方と会うことなどなかったはずで、ご縁の不思議さ、見えない力を感じたのでした。
ところで人に何かを伝える時、話をする時に、何気なく口から出てしまうことがあるかもしれません。
また自分では、それは言いたくないと思っても何か言わなければ心が苦しくなってしまい、言ってしまうということもあるかもしれません。
どちらも自分ではない何か違ったものが、言わせているのかもしれません。
そのことでは同じなのかもしれませんが実は意識の使い方という観点で見た時に、この二つは全く違った行動ということになるのです。
前者は相手のことはあまり考えずに自分以外の少し強めのエネルギーに体を使われている状態です。
だから、もし口から出てしまい自分でもどうすることもできなくて、さらにそれが真実であり正しい事だったとしても相手を傷つけてしまったら、それは言うべきではなかったということになります。
なぜなら、それを伝えたことにより相手からもマイナスのエネルギーをさらに受け大きくしてしまうからです。
後者の方は相手のことや自分の立場を分かった上で、伝えることを躊躇している状態で、やがてこれは何か大きな力によって伝えてほしい、伝えなくてはいけないという思いが強くなり、決心して伝えるという行為に移すということになります。
この場合は、その人が思い悩んでいる間のエネルギーが相手にも少しずつ伝わって知らず知らずのうちに受け入れる体勢が出来ているということがあるのです。
だから本人にとって一大決心のようにして言った言葉が、案外あっさりと理解してもらえることがあるものです。
純粋に相手のことを思って行動することがプラスの氣を集め、理解されるということなのです。
ところで前者にしても、思いやりのある高い次元のプラスのエネルギーの応援を受けての言葉であれば、結果は良い方向に行くでしょう。
ですから、どちらにしても日頃からの真氣光をしっかりと受けることを忘れてはいけないのです。
(中川 雅仁)
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出会いと氣の関係
昨日から縁あって初めての開催地、福岡は志賀島(しかのしま)での真氣光研修講座が始まりました。
私が、いつも最初にお話ししているのは、皆さんが何かしらの縁をもって集まって来ているということです。
ここに来ないと会えないような、いろいろな人や見えない存在との出会いから、たくさんの氣づきがあるというお話です。
私たちは、人が出会うということは偶然のように思ってしまいがちですが、自分のエネルギーつまり氣で引き寄せていることが殆どです。
そのエネルギー(氣)も時にいろいろなものの影響を受けて変わるので、出会いに一貫性がないため、全くそうとは気づかずに、ただの偶然が出会いを作っているのだと思ってしまうのです。
ですから、良い出会いをしたいのなら、自分の氣のエネルギーを良いもの、プラスの氣に同調しやすくしておくことが重要です。
しかし、自分がマイナスの状態、マイナスの氣の影響を強く受けている時に出会った人たちが、すべて良くない人達なのかというと、そうとは言えないこともあります。
ものすごく落ち込んでしまい、とても自分一人ではどうしようもない時に、ふと手をさしのべてくれる人がいることもあるでしょう。
それはまさしく、誰の中にでもあるプラスの氣のエネルギーに引き寄せられて、あるいは誰でも応援してくれているはずのプラスの氣のお蔭で、助けにきてくれるということなのです。
ですから表面上では何もかも駄目で絶望的だと思えても、諦めずに生きることを止めなければ、その奥のプラスの氣に同調して、必ずプラスの状態になり得る出会いがやってくるのです。
また、その逆もあります。
例えば何事もうまく行き、マイナスの出来事も、あるいはマイナス材料もないからといって良い出会いがやって来るとは限らないのです。
そういう時には思ってもみないマイナスの氣の縁を引き寄せてしまうことがあるものです。
なんとなく上手く行っていることで油断してしまい、強くプラスの氣を意識できていない状態ですから、自分の中にあるマイナスの氣が、表に出やすくなってしまうのです。
早くそれに気づいて、自分を修正していく必要があるでしょう。
プラスの縁、マイナスの縁、いずれにしても人との出会いによって、自分のエネルギーをより強いプラスへと変えていくことに意識を向けていくことです。
強いプラスの氣が作用する真氣光研修講座という場では、たくさんの真氣光のエネルギーを受けられることに加え、プラスの氣のご縁という作用により、効率良く自分自身の氣のエネルギーをプラスの方向へ変えられるのです。
ぜひ皆さんの参加をお待ちしております。
(中川 雅仁)
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心配させるマイナスの氣
10日に東大の合格発表があったと報じられておりました。
幼稚園から大学まで、世の中の受験シーズンもそろそろ終わり頃でしょうか。
受験生ご本人も大変でしょうが、受験生を抱えたご家族の方々も気を使うことが多かったことでしょう。
私も「受験日に合わせて氣を送って下さい」という遠隔真氣光の申し込みをいろいろ受けていましたので、ご家族の気持ちが良く分かります。
受験や入学に始まり、クラス替え、就職、人事異動、引越と、この季節は心配や不安といったマイナスの氣が多くなる時期だと思います。
私は、工学博士の故関英男先生の洗心の指標に基づいて、氣を下げない心の持ち方について真氣光研修講座で説明しております。
マイナスの氣の影響を受けてしまう感情の中に「心配心」があります。
先々のことを考えて、今できることを着々とやっていけることは、とても重要なことです。
しかし、先々のことを考えているようで、それがただの心配事になってしまい、今の生活もままならなくなってしまうことがあります。
人は生きる上で、この先何が起きるかわからない不安から、必要以上に心配したり、どうしても良い方に考えられないといったこともあるものです。
そして、その不安を打ち消すために、いろいろな事をしようとするのです。
しかし、その不安というマイナスの気持ちだけで動いてしまうと、その思考と行動もマイナスの氣の影響を受けているので、なかなかうまくいかずにプラスの結果にはなりにくいのです。
事の始まりは、その心配であっても、それをプラスに変えることはできるのです。
その時にどうすることが良いのか、マイナスの感情だけで物事を判断していないか、自分以外の他のためになっているのか、などを客観的に見て考えられているかが重要なのです。
得てして、その人の為だから私はこんなに心配していると思っていても、よく考えてみると自分がこうして欲しいだけかもしれないし、自分が心配したくないだけかもしれないのです。
何が良いことなのかを少し冷静に考えることは、とても大切なことです。
そしてもう一つ、どうしてもそのように自分の感情がマイナスに傾いてしまうようなことがあれば、それは何か自分とは別のエネルギー(マイナスの氣)の影響を受けていることもあるのです。
そのような時には、何かが影響を与えているかもしれないと、真氣光を受けながらそれを意識してみることです。
それを続けることで少しずつマイナスの氣が消え、自分の気持ちも変化していることに気づくのです。
ただ心配するのではなく、それらのことをしっかりと考え行動することが大切です。
(中川 雅仁)
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自ら考え行動しよう
昔から日本人は、人と比較したり、人に自分がどう映っているかを大事にしてきたところがあります。
他人に笑われたくない、恥をかきたくない、これが日本人の行動を規定する、つまり、正しいかどうかで行動を決めるのではなく、世間がそれをどう思うかで自分の行動を決めるというもので「恥の文化」とも言われます。
私は、それによってマイナスの氣となってしまった先祖も多いのではないかと思います。
ところで客観的に自分を見ることと、人に自分がどう映っているのかを気にすることは似ているようで大きな違いがあります。
客観的に見るとは、自分の行動や判断がはたして正しいのか、人に迷惑をかけたり、人を傷つけたりしてはいないか、自分の良心に従っているのかなどと常に自分を主として他にどのような影響を与えているかを見つめることです。
では、人に自分がどのように映っているかということを気にした行動はどうでしょう。
常に人の目を気にして、人の言動を基準にしたもので、すべてが周りの人や環境によって決まってしまうのです。
もちろんそこには、なりたい自分、こうあるべき自分があって、それが軸となり、人の目や言動を気にして自分の評価としているのでしょう。
それはとても前向きで努力をしているように見えますが、やがてなりたい自分ではなく人に良く思われたいだけの中身のない、他人任せの人生を送ってしまうことにもなるのです。
氣の観点、つまり見えないエネルギーから見てそれはどういうことかというと、自らの魂のエネルギーがとても小さく萎んでしまい、他の魂のエネルギーをいつでも受け入れ可能な状態となっているということです。
それが良い氣(エネルギー)なら問題ないのですが、だいたいはその人につけ込んで何とかうまくやってやろうとする、マイナスの氣のことが多いのです。
なぜなら自らの魂のエネルギーが弱くなっているところに同調して入ってくるものだからです。
ですから大切なことは、まず自分が考え、自分が良いと思ったことを自らの責任において行うことを習慣とすることです。
大人も子供も、みんなに必要なことなのです。
どうしても人目が気になってしまう場合には、マイナスの氣の影響を強く受けていることが原因ということもあります。
最初は小さな「人目を気にする」だったことが、どんどんマイナスの氣を引き寄せることで、その影響を強く受けてしまうようになるものです。
そのような場合には、自分の気持ちだけではなかなか改善し難いので、真氣光の氣のエネルギーを自分自身にとり入れ、自分のエネルギーを強くしながら気持ちを変えていくことをお薦めします。
(中川 雅仁)
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少しでもプラスになる行動を心がける
人は何か行動することで、ふと氣が動き、その時から違ったエネルギーで考え行動することがあります。
例えば、誰かに話しかけられたり、電話がかかってきたりといった場合です。
また何か考え事や仕事でとても集中している時にも、ふと何か自分ではない何かが手伝ってくれているような感覚になることもあるでしょう。
私は、見えないエネルギーである氣というものには、私たちにプラスあるいはマイナスに作用するプラスの氣・マイナスの氣があると説明しています。
どんな人も周りにあるプラスやマイナスの氣の中で生活しているのですから、できるだけプラスの氣の影響を受けやすくし、マイナスの氣の影響を受けにくくしたいものです。
せっかく真氣光というプラスの氣のエネルギーを受けていても、いつもマイナスの氣とたくさんのご縁を作っていては、良い氣の効果もなかなか現れないからです。
そのような氣の観点から注意しなければいけない状態というのが、何も考えずに何の目的も持たずに、ただフラフラしたり、ボーッとしていることです。
この時は自分の意思や意識が非常に弱く、希薄になっている状態なので、他の特にマイナスの氣のエネルギーの影響を受け易くなっているときです。
ですから、そのような状態で、氣の良くない場所や、良くない人と一緒にいると、すぐにその影響を受けてしまうばかりか、どんどんと自分の体に入り込んでしまうのです。
さらにもっと良くない状態は、強いマイナスの感情を表しながら氣の良くない所に居たりすることです。
さらに言えば、強い咎めの感情を持ちながらゴミに埋もれた部屋を掃除する、友達の不平・不満・愚痴につられて自分も人の悪口を言う、怒りを露わにした売り言葉にカーッとなって買い言葉で返す・・・等々。
マイナスの感情が、それらのマイナスと同調して、さらに強力なものにしてしまうからです。
だから大切なことは、できるだけいつもしっかりと目的をもって生活することです。
それは自分自身をプラスの方向に成長させたいと強く思い、少しでもプラスになる行動をとることを心掛けることです。
何か格好を付けたり、斜に構えたり、冗談でも悪いことはしてはいけないのです。
マイナスに同調して何もいいことはないということを肝に銘じて生きてほしいと思います。
真氣光を受けているから大丈夫などと、そんなにマイナスの氣のエネルギーを甘く見てはいけないのです。
知らないうちに、マイナスの氣の強い影響を受けてしまうということもあるからです。
(中川 雅仁)
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(69)いろいろなことを自分の氣づきのきっかけにする
真氣光研修講座や私のセッションで、集まっていただいた方の中には、真氣光を受けるうちに、その人とは全く違う人が、その人の口を借りて出てくることがあります。
集まる人たちにも必ず見えない部分での縁がありますので、時には会場のあちらでもこちらでも似たような御先祖が、苦しみの声を上げるということもあります。
時には歴史的に有名な人の名を語ることもあったりすると、そのことだけに興味を持つ人や妄信する人、見えないエネルギーが恐いとか怪しいなど、そんなものに関わりたくないと身構えてしまう人、いろいろな人がいます。
私は、その人の語る名前が「嘘なのか本当なのか、どちらでもいい」という立場でお話を聞くようにしています。
名前がどうであれ、その人の苦しみや辛さなどを感じることで、“自分に必要な氣づきが与えられるはずだから聞くことになっている”と考えるからです。
私が、研修講座やセッションで個人ではなくグループで氣を受けてもらうようにしているのは、一人の癒しや氣づきが、その場にいる他の人にもプラスに働く、つまり相乗効果というものが大きいと考えるからです。
見えないエネルギーの中に思いのエネルギーというものがあります。
例えばある人のことを思い出していたら、その人から電話がかかってきたり、会うはずもない場所でばったり会ったり、そんな経験は誰にでもあるでしょう。
見えないエネルギーというと何か怪しい感じがして信じられない人がいるかもしれませんが、これも見えないエネルギーの作用の一つです。
では、強く思えば、念ずれば何事も思い通りに行くのでしょうか。
残念なことにそう都合良くはいかないものなのです。
思いの中でもどんな思いなのかということが一つのポイントになってきます。
先に言ったように、たまたま偶然のようにして起きたことも、その人にとってこの先重要なことであり、そこから何かに気づくということでもあるのです。
そして、その時どのような感情を持っていたかということも重要なことなのです。
良い思いだけではないかもしれません。
何かしらのマイナスの思いがあったかもしれません。
それをヒントに何かに気づくということが大切であり、それは直接その人や物事に関係がなくてもいいのです。
氣づきとは自分自身のためのものだからです。
そのように考え、探してみることで気づけることも多くなるでしょう。
そうすれば日々の生活の中で少しずつでも行動に変化が出てくるはずです。
偶然やちょっと不思議なことの中にも実生活に役立つ行動や思考を変える氣づきのきっかけがあるのです。
(中川 雅仁)
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意思や思いが価値観を育てる
テレビや新聞では連日、ソチ冬季五輪の話題で持ちきりです。
特に今朝は、フィギュアスケートの男子ショートプログラムで、羽生選手が高得点をマークし首位発進したニュースで「100点超えは国際大会では史上初」とアナウンサーも興奮気味に伝えておりました。
インタビューでご本人は、高得点が取れて本当にうれしかったということに続いて、「脚が五輪ということもあってちょっと震えていて、まだ自分が思い描く演技にはほど遠い。きょうはまず喜んで、明日に向けてしっかり体を休めて、いい演技がしたい」と答えており、私は周りに影響されることなく自分の価値観に基づいて行動しようとする羽生選手の姿勢に感銘を受けました。
この羽生選手、幼少期にロシアのプルシェンコ選手を見て憧れを抱き、今回その両選手が初めて五輪の場で戦うという展開になったということで注目されているとの事前報道もありました。
ところで憧れとは別に、人は他の誰かと比べるのを止めた時、本当の意味で成長できるのかもしれません。
でも自分一人では、どのように成長してよいかわからないので、そこから生じる不安などから、他の誰か、周りの人とついつい比べてしまうのです。
揺るぎのない絶対的な価値観を持っていれば、いちいち他と比べて、落ち込んだり、羨んだり、妬んだりしなくても済むはずですが、その自分だけの価値観もすぐには持てるものではなく、やはりいろいろ迷っては、わからなくなるのです。
では、どうすれば自分だけの価値観を見出すことができるのでしょうか。
すぐにこれだというものを見つけるのは少し難しいでしょう。
でも「自分はこうしたいのだ」という意思を持って物事にあたっていると、いろいろと気づくことがあるのではないでしょうか。
人に言われたことをそのまま素直に受け止め、その通りに上手にできることだけを考え行動していると、ふと我に返った時、自分は何故このようなことをしているのだろうと虚無感さえ覚えてしまうことがあります。
だからそこには自分の考えや思いがなくてはいけないのです。
それに基づく行動が、氣のエネルギーとなって自らの魂の輝きを促すのです。
そして周りにあるマイナスの氣を遠ざけます。
ですから、自らの意思があれば、何かフワフワとしたような不確実な気持ちのまま物事をすることがなくなってくるはずです。
そして物事の善し悪しを他と比べて決めてしまうことも少なくなることでしょう。
自分の考えで行動し責任をもって生きることで自分だけの価値観が成長し、やがて自らの魂の成長にも繋がっていくのです。
それには宇宙からの真氣光のエネルギーを是非活用してください。
(中川 雅仁)
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