人に伝えるということ

 昨日から、私は真氣光研修講座のため沖縄に来ております。
沖縄での開催は今年で6回目、昨年からここ今帰仁を会場としています。
山間にある自然豊かなところで、昔は小学校と幼稚園だった後を完全リフォームして宿泊施設にしているので、広い芝生の校庭があったり、体育館があったり、そこに山羊がいて私達を出迎えてくれました。
朝5時前、ニワトリがコケコッコーとしつこく起こしてくれるので、ここでは目覚ましがいらなかったということを思い出した次第です。
ほんとうにニワトリさんは朝早くから、よく声が出るものです。
何羽いるのかわかりませんが、もう寝てはいられません。
せっかく起こしてもらったのだからと、この原稿を書き始めたというわけです。
 ところでニワトリは、何故鳴くのでしょう?オスがメスへの求愛のためとか、縄張りを知らせるため…と聞いたことがありますが、本能的にということ、つまり自分が声を出したいからということでしょう。
人の場合は、周りとの兼ね合いがありますから、そうはいきません。
本来自分の心に思うこと、つまり魂が自分の体を使えることで魂のエネルギーは増えるものです。
今の世の中は、いろいろな事を考えすぎて声を出したくても出せない、言いたいけれど言えないという人が多いような気がします。
人にものを伝えるのは、良いことも悪いことも、悪いことなら特にエネルギーのいることです。
自分の感情を相手に伝えて分かってもらいたいとか、その人のためになるから伝えたいとか、立場上言わなければならないことがあるとか、いろいろと伝える理由があるものです。
 私は、たくさんの人達に氣を送って来ましたが、既に亡くなっている人達の中には、伝えたいけれど、伝わらない、分かってくれない、分かってもらえない、そんな魂が本当に多いものです。
思っていても、体が無いのですから当然声にならないわけで、特に氣のエネルギーを失ってしまうと、気づいてもらえる方法がないのです。
体を持って生きているということは、言葉にして確実に相手に伝えられるということなのです。
 相手に対して不平や不満をため込む前に、自分が伝えようとする努力をどれだけしたのだろうか。
もっとこうしたらいいのに、このほうがいいのに、何故わからないのか、出来ないのかと思っても、相手がそうなのだから仕方がないということであり、相手が気づいて変わらない限りどうしようもないものです。
こちら側が伝えるタイミングと伝え方を工夫するしかないのですが、それを考え・伝えようとする努力が、まず自分自身の光となることを忘れてはいけません。
真氣光の応援を受けながらやってみることなのです。
(中川 雅仁)
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「普通」が普通でない?!

 私は、家で原稿が捗らない時には、気持ちを切り替えるために周りの環境や雰囲気を変えて、cafeでパソコンを開くことにしています。
この原稿も、そんな状態に陥り、駅前に場所を変えて書いているのですが、ここの近所は幼稚園や学校が多く、午前中はお母さん達の数グループに占領されてしまいます。
あっちから、こっちから時々、元気で大きな声が耳に入ってくるので、私としては非常に勉強?になるのです。
今日のキーワードは「信じられないよね、普通はさぁ~」です。
学校や先生のことを言っているのか、他のお母さんのことを言っているのかわかりませんが、自分達の価値観「普通」を基準に話が弾んでいるようです。
 ところで、この「普通」の思い違いで、イラッときたり、人を咎めてしまったり、不平や不満、心が平和でなくなってしまったりなど、いろいろな一見マイナスな出来事が起こるものです。
人と人との「普通」違いも、これが大きな規模になると国同士の戦争にまで発展することもあるでしょう。
「普通」わかってくれるはず、「普通」このくらい配慮してくれるはず…自分が、そうだから相手もそうに違いないだろうという思い違いです。
そして、この思い違いの真っ最中には、冷静に、客観的に状況をみられなくなってしまうのです。
相手と自分の「普通」は、違っていても全く不思議ではありませんし、違うのが当然かもしれないのです。
それは、どんな人にとっても「普通」を決めているものが、これまでの体験だからです。
皆、生まれてから今まで、生きて来た歴史が違いますから価値観も違うはずです。
さらには、先祖からの氣の影響もあるものです。
例えば代々続いてきた家が、武士の家系と農民や商人の家系では違うことでしょう。
今月号の月刊ハイゲンキ巻頭対談では「武士の生き方、死に方…」について取り上げましたが、日本人と欧米人、中国や韓国など近隣諸国の人達とも価値観が違っています。
それは先祖の思いも見えない氣として、私たちに影響を与えているからなのです。
 私たちの本質は魂ですが、体を持って生きているということは、他の体としっかり区別されるということです。
つまり一人ひとり、それぞれに体験があり、その体験によって考えることが皆違うということです。
そのような中で、少しでもわかり合えるようにと考え、伝え方を工夫したり真氣光を利用するなど、努力できることが大切です。
人と自分の相違点から学び合えることで、自分の体験していないことを共有でき、「普通」の範囲を広げるとともに、おもいやりの心を育めるということに繋がります。
そうやって、魂は成長するのだと思うのです。
(中川 雅仁)
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一つひとつの積み重ねを大切に!

 第300回目の真氣光研修講座を石川県は能登半島・羽咋で開催しました。
39名の参加者の皆さん、ありがとうございました。
真氣光研修講座は1990年3月に気功師養成講座として伊豆下田で始まり、今年3月には25周年記念ということで、本紙でもご紹介しました。
この度の研修でちょうど300回という節目を迎え、もうこんなになっていたのかという驚きと、ここまで毎月連続してよく開催できたものだと、つくづく感じています。
 「ローマは一日して成らず」とは言いますが、どんな歴史も一朝一夕にできるものではありません。
一つひとつの積み重ねです。
先代の逝去、真氣光の波動的変化、2度に渡る大震災…研修講座も、いろいろなことがありました。
参加者が一人もいないということが一回でもあったら、続けられなかったことでしょう。
これまで1回1回に来ていただいた方々とご縁のある魂さん、そして龍村先生をはじめとする講師の皆様、会場を提供していただいた方々、たくさんの皆様のお蔭です。
ありがたいことに一年に何回も受講して下さる方、毎年受講してくださる方、人生の節目に参加してくださる方、真氣光にふれたくて初めて参加して下さる方たちが、たくさんいます。
こんなにも愛される真氣光研修講座に携われることは本当に幸せなことだと、私は思うのです。
そして、この300回は通過点に、この先、何百回と通づけるためにも、研修講座をさらに進化させていかなければなりません。
身の引き締まる思いです。
 ところで研修を終えると、早くも11月に入っておりました。
これから世間は、年の瀬という忙しい季節に向かいます。
イライラやセカセカなど、マイナスの氣の影響を受ける季節でもあります。
マイナスの心になるから、周りからマイナスの氣を集め、ますますその影響を受けるというマイナスのループに入ってしまいます。
そのような時こそ、考えるべきことと、考える必要の無いことをしっかりと切り分けて、今やるべきことをはっきりさせ、順番をつけて、慌てず騒がず冷静に、ある時は淡々と、一歩ずつ着実に乗り越えていくしかありません。
真氣光を利用しながら、そうやって毎日を送っていくことで、ある時気がついたら、大きく魂が成長していたという事になるのです。
そのようなことから、今月の氣配り画像は、毎日の積み重ねを大切にしていただきたく、この言葉を選びました。
 今年も年末には、毎年の恒例行事となりましたメンバーズの集いを開催します。
これもまた、一年ごとの積み重ねです。
たくさんの方に関心を持っていただけるようセールを開催します。
ぜひ多くの方に、参加していただきたいと願っています。
(中川 雅仁)
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人の一生の積み重ねを学ぶ

 先日、月刊ハイゲンキの巻頭対談の取材で、東京大学・史料編纂所教授の山本博文先生にお会いしてきました。
山本先生はテレビでもお馴染みの歴史学者で、テレビドラマや映画、漫画の監修などの他、たくさんの本を出されています。
私は、先生の書かれた「武士はなぜ腹を切るのか」という本を読んで、ぜひお話を伺いたいと思ったのです。
 私は20年の間、いろいろな人に真氣光を送って来ましたが、切腹で死んだ人の魂が関係しているのではないかと思われる人が、少なくないのです。
例えば、これまで何回もお腹を切らなければならないような手術をした人、お腹の左側(あるいは右側)が痛む、左(あるいは右の)腰あるいは腰から足にかけて痛む・痺れるという人などです。
その中には私が氣を送ることで、その人の口を借りて出てきた魂が、左腹に刀を刺した瞬間の痛みや、腹を切って死に至る時の右腰の痛みが残っていて苦しいと訴えることがあったのです。
このような場合、単に肉体的な痛みや苦しさだけの話ではなく、その時抱えていた遺恨など強いマイナスの思いが残ったがために、魂のエネルギーを失い、今でも辛く苦しい状態に置かれていることを生きている人に分かって欲しい、助けて欲しいということなのです。
 先生のお話によると、戦国時代など戦いで負けて切腹するということはあるけれど、むしろ平和になった江戸時代に切腹が多かったそうです。
まさしく責任をとって、もしくは責任を取らされて、死ななければならなかったというわけです。
日本人の意識の根底にある「死んだものを悪く思わない」という良い側面が、もし失敗したならば死んで全てを終わりにしようとするものを多くしてしまったのでしょう。
 そのような魂の中には、光り輝いているものもあれば、遺恨を残し、光を失い苦悩の中にいるものもあります。
どちらの魂も、より一層の光を、生きている人からもらえることで、より輝きを増して、いま生きている人をサポートできるようになるのです。
 私は学生時代には歴史嫌いでしたが、氣を送ることで遭遇した数々の魂たちから、当時の人の心を学べました。
私たちはどう生きるか悩むこともあります。
しかし、たくさんの参考になる先人の人生があります。
人の一生の積み重ねを学ぶのが歴史であり、いま生きる人がそれを参考にして充実した人生を送れれば、光のようなプラスの氣が届き、先人の魂が輝き、その人生も報われるというものです。
さらに真氣光を受けることで、それが加速されるのです。
山本先生との対談の内容は、11月10日発売の月刊ハイゲンキ12月号に掲載の予定です。
もうしばらくお待ちください。
(中川 雅仁)
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失敗を恐れない・失敗を見守る

 初心者マークの車を見ると昔の自分を思い出します。
私は、車の運転は下手ですが全く苦になりません。
これは、私の父、先代のお蔭だとつくづく思うのです。
私が大学に入学し車の免許を取った時、先代は「どんどん乗りなさい」と、車を貸してくれたものです。
父は当時古い大きなベンツに乗っていましたから、何処かにぶつけたら修理代がとてもかかります。
実際、後方不注意でバックして後ろの電柱にぶつかりバンパーが大きく凹んだり、塀に擦って前から後ろのドアに大きく傷がついたり、そんなことが何回もありました。
しかし、そんな失敗に父は、嫌な顔一つしないで、いつの間にか修理していて、また貸してくれました。
失敗しないと練習にならない、つまり上達しない。
少しでも嫌な顔をすれば、車に乗りたくなくなるだろう。
私は、父のそんな気持ちがわかりましたので、ありがたいと思う気持ちと、より一層注意を払うようになったものです。
車の運転ばかりではありません。
私は、学生時代に、いろいろなアルバイトをやりました。
一時は勉強が疎かになり私の進学も危ぶまれ、母は心配しましたが、父は私を信用してくれていて社会勉強になると何事も後押ししてくれました。
 私の両親は全く性格が違い、母は慎重派で心配性、一方父は行動派で楽天家、私は幼少期に母と居る時間が長かったためか、もともとの性格は慎重派で心配性だと思います。
以前にもお話ししていますが、昔は「石橋を叩いてみるけれども、いろいろ心配になるので結局は渡らない」という性格でした。
しかし、中学、高校、大学さらには真氣光研修講座に参加するなど、父の影響を受けるようになって、どんどんその性格が変わっていったのです。
ですから、いろいろな事にチャレンジできるようになったのは、大きな広い心で私の失敗を見ていてくれた父のお蔭であり、そんな父に私も少しでも近づきたいと思うのです。
失敗は、勉強であり、それを体験することで掛け替えのないものが自分の身につくものです。
もし失敗したら、真の原因を突き詰めてはっきりさせ、後はその原因を取り除けるよう工夫する、あるいは同じ事を繰り返さないように練習するだけです。
 また、その人を気落ちさせたいと足を引っ張るマイナスの氣のせいで失敗することも少なからずありますので、真氣光を受けてもらったり、送ってあげるのも効果を発揮します。
でもマイナスの氣を完全に無くすことは不可能ですから、やはり失敗を繰り返しても自分に自信を付けて自らの魂を輝かせる方法抜きでは難しいのです。
真氣光を利用しながら、失敗を恐れない強い心、失敗を見守れる寛大な心を培いたいものです。
(中川 雅仁)
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第六感という氣のはなし

 このニュースの先週号で、妻の訃報をお知らせしましたが、たくさんの方からメールやお言葉をいただきました。
ありがとうございます。
今月24日に開催する偲ぶ会でご紹介させていただきたいと思います。
私はと言えば、これまで使っていた時間が少々空きましたので、これからの課題は、時間を有効に使い今まで出来なかったことにチャレンジするということでしょうか。
真氣光の光をより多くの方々に、そして私自身の魂磨きも、一層加速させなければ、あの世で妻に合わせる顔がありません。
 ところでこの一週間、しばらく連絡していなかった個人的な知り合いから、突然メールが届いたり、電話がかかってきたり、偶然ばったり出会ったりといった不思議なことが数件ありました。
私は、何らかのプラスの氣と、あの世からの妻の仕業だと思っているのですが、氣とは無縁な人達にも何らかの「虫の知らせ」が届いたのでしょうか!?
 この場合の「虫」は何かと思い、調べてみました。
『「虫」は、古く、人間の体内に棲み、意識や感情にさまざまな影響を与えると考えられていたもので、潜在意識や感情の動きを表す。
「虫がいい」「腹の虫が治まらない」などの「虫」も、この考えから生じた語である。
これら「虫」の付く言葉の多くが悪い事柄に用いられるのは、生まれた時から人体に棲み、人が眠っているすきに体内から抜け出して、その人の罪悪を天帝に知らせるという道教の「三尸(さんし)・三虫(さんちゅう)」に由来するためと考えられる』と、あります。
「虫の知らせ」は悪いことに使うものですが、この言葉を含めた「第六感」という、本来人に備わっている感覚は、まさしく見えないエネルギーである氣というものを感じて生じる「氣のなせる技」だと、私は考えています。
人は昔から氣を感じていたということなのでしょう。
 今日から12日の月曜日まで、熊本県は阿蘇で真氣光研修講座を開催しています。
私の最初の講義は、皆さんによる簡単な自己紹介から始まります。
毎回参加者の方のお話を聞いていると、まさしく第六感によって、この場に導かれるようにして来られる方もいらっしゃいます。
 第六感で感じられる氣も、プラスの氣、マイナスの氣、どちらの影響によるものかということが大事です。
どちらの氣に波長を合わせられるかは、日頃の私たちの心の持ち方できまります。
少しずつ、自分の心をマイナスの事柄には囚われない、プラスの方に意識が向くことを多くしていくことです。
さらには、毎日の生活の中で、しっかりと真氣光の氣のエネルギーを受けることで、プラスの氣に波長を合わせやすくすることが大切なのです。
(中川 雅仁)
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いつも光の方へvol.2

 私は、8月の氣配り画像に「いつも光の方へ」という言葉を入れました。
これは、たまたま妻がこの言葉を考えて、私の撮った写真からヒマワリの花畑を選んだのです。
その妻、中川みどりが去る9月24日朝7:00に亡くなりました。
ちょうど京都で開催する真氣光研修講座初日にあたる日でしたが、私は妻の旅立ちを見送り、講座開催にも間に合うことができました。
妻の「真氣光をしっかりお願いします」という思いを感じましたので、受講生の皆さんには、講座をすべて終えた最終日の挨拶で、お知らせした次第です。
 妻は15年ほど前から、たびたび体調不良を訴えておりましたが、10年前に骨髄異形成症候群と診断されました。
この病気は血球を作れなくなる血液の癌で、妻の場合は血小板数が極端に低いという状態でしたが、輸血するなど特別な治療もすることなく定期的に受診する程度で、昨年夏まで何事もなく研修講座でのスタッフや「月刊ハイゲンキ」の制作などをしておりました。
しかし、病状が進み今年1月に骨髄移植、その後の経過は順調でしたが、8月中旬より感染症を併発し一時危篤状態に陥りました。
9月に入りその感染症を克服、会話ができるまで持ち直しておりましたが、臓器や血管のあちらこちらに負担が掛かっていたのでしょう。
最期は眠るように静かな旅立ちでした。
 「いつも光の方へ」は、私への言葉になりました。
毎日の生活には、楽しいこともあれば辛いことも、光もあれば影もあります。
真氣光のエネルギーを十分に受け、それを利用して光の方向をしっかりと選択していこうと努力すること、妻は先代のもと次の役割を担っていることでしょうから、私もこれからますます精進しなければなりません。
 生前、妻は研修講座やセミナーなどを通して、会員の皆様にはたいへんお世話になっておりましたから、一言お礼が言いたかったことと思います。
妻に代わりまして皆様に心からお礼申し上げます。
 そして最後に、約30年、公私ともに支えてくれた妻に、心からの「ありがとう」の言葉を贈ります。
 追記:「月刊ハイゲンキ」11月号の特別ページで詳しくお知らせするとともに、10/24(土)に「偲ぶ会」を東京センターで開催する予定です。
全国のセンターや会員の皆様にも映像を配信しますので、ぜひご参加ください。
(中川 雅仁)
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思いやりはプラスの氣のエネルギー

 先日、ある大手チェーンのカフェでパソコンに向かい原稿を書いていると、隣の席に30代の男性が座り、まもなくして少し若い女性がやってきました。
初めて会うらしく挨拶をしていたのですが、男性はパソコンを見ながらいろいろ質問を始めました。
どうやら、このカフェの向かいに出来た行列が出来ている大繁盛パン屋のアルバイト面接のようです。
もう採用は決まっているらしく、お店の注意事項を打合せしています。
私は急ぎの原稿があったので、それに集中しようとしたところに、「このカフェの店員のようにしてもらっては困るんです」という言葉が耳に入り、「何?」と興味が湧きました。
繁盛店で忙しくなればなるほど、待っている人が気になり目の前の人のことに氣を使う余裕は無くなるものです。
しかし、若者からお爺さんやお婆さんまでいろいろなお客さんがいるので、その人に合わせた話や接客のスピード、配慮を持って接客してほしいということなのです。
それは氣の観点からも、とても大事なことですので、思わずうなずいてしまいました。
 忙しい状態は、マイナスの氣の影響を受けているということです。
自分に氣のエネルギーの余裕が無くなるから相手のことを考えられなくなり、マイナスの氣を発しやすくなって相手も不快になるという悪循環となります。
ところが、相手のことを気遣おうとする思いやりはプラスの氣を発します。
良い氣が相手に届くばかりか自分にもプラスの氣が集まるというプラスの氣の循環に変わるのです。
 真氣光研修講座では、たくさんの真氣光のエネルギーを受けて、自分と自分の周りの氣のエネルギーを増やし高めることで、まわりの人や事柄までも変えられるという人を養成する講座です。
真氣光のエネルギーを外から入れて、自分に氣のエネルギーを充電して体や心に余裕を作ることに加えて、たとえば相手のことを思いやり手足や言葉など体を使ってそれを伝えられるなど、体や心をプラスの方向に使うことで自らも氣のエネルギーを増やせると効率が良いものです。
 昨日から京都での研修講座が始まり、今朝は初めての氣づきの時間(いいとこ探し)がありました。
発表する人の時間だけではなく、それを聞く人が思いやりを持って聞けることで、プラスの氣の効果が倍増されました。
この講座は、時間が進むうちに参加者の氣も高まり、あちらこちらで、いろいろな思いやりが増えてくるものです。
今までに研修を受講したことがある人も、この研修に波長を合わせ、お宅でも思いやりを持った行動で自分自身の氣を高めて欲しいと思います。
(中川 雅仁)
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宝くじの話から

 明日から、土曜・日曜に加え敬老の日、秋分の日を含めた5連休の人も多いのではないでしょうか?
私もこの休みには九州、沖縄などあちらこちらにセッションや無料体験会で回る予定です。
ところで今週は敬老の日を前に、先日の私の体験をお話しします。
 私は、出先で現金の持ち合わせが無いことに気がつき、急遽銀行に立ち寄ったのですが、そこでの出来事です。
お婆さんが2人、年は80代くらいでしょうか、楽しそうに話しながら宝くじ売り場の前に並んでいたのです。
私は、悪いとは思ったのですが、すごく興味がありましたので、耳をダンボのようにして聞いておりました。
お二人は、近くの病院に通っているようなのですが、よく東京都の宝くじをここで買っているようなのです。
「また入院しないといけない」「少しでも買わなきゃ、当たらない」「当たったら老後の足しにする」といった会話の一部が耳に入りました。
 私は話を聞きながら、氣の観点から、宝くじの良い買い方を考えていました。
まず第一に、買う時と当選日だけしか関心がないのでは、氣の効果は得られません。
できるだけ長い間、夢を見る、つまり楽しめたほうが良い事になります。
そして、もう一つは当選していなくても、がっかりせずに、また次に向かって楽しむことです。
私たちは、毎日いろいろな事を思い、考えていますが、大きく分けて楽しくてウキウキするようなプラスの心の状態と、辛くなったり暗くなるマイナスの心の状態です。
その心の状態に合わせて、プラスの氣あるいはマイナスの氣が集まるものです。
彼女達は持病があるということで、悩まなければならないこと、将来への不安もあるでしょう。
そのようなマイナスの氣、一辺倒になるところを、宝くじでプラスの氣に変えていたのです。
さらには他にもマイナスの気持ちを乗り越えられることがあるから、楽しそうに会話ができていたのだと思うのです。
 楽しいことを考えられるきっかけは、いろいろあります。
どんな場所にいても、どんな状況でも、その気になれば可能です。
もっと簡単に、自分にあった楽しめる材料があるかもしれません。
さらには、なかなかそれが見出せない人も、まずは真氣光のエネルギーを受けることで、プラスの氣をたくさん取り込むことができます。
そして少しずつ、プラスの氣を取り込む心を多くしようと努力することです。
 いつも楽しいこと・良いことばかりではありません。
辛い時、苦しい時を乗り越え、魂のエネルギーを増やすようにして、年を重ねたいものです。
真氣光は、それをより一層促してくれるのです。
(中川 雅仁)
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遠隔真氣光は意識して…

 きょう、東京では久しぶりの青い空が見られました。
関東、東北地方では大雨による洪水の被害が甚大だとニュースでも取り上げられています。
被災地の皆様には心よりお見舞い申し上げます。
 先週末私は、仙台、札幌と回って来ましたが、札幌ではセッションの他に、月に一度の真氣光レッスンがありました。
真氣光レッスンは、私の講義に加え、遠隔真氣光で参加していただいている皆さんに、私が遠隔で氣を送るというもので、2002年に始めました。
今でこそ遠隔真氣光は随分一般的になりましたが、当時は会員の皆さんによく説明して理解してもらう必要があったものです。
これまで私自身、数え切れない程たくさんの遠隔真氣光をしてきましたが、札幌からの帰りにちょっとした体験をしましたのでお話しします。
 私の飛行機は、集中豪雨のため羽田空港が混雑しているとのことで遅れていたのですが、無事出発準備が整い滑走路でしばらく待機しておりました。
私はちょうど10時の真氣光の時間になったと思い、真氣光の光をイメージしようと思っていると、飛行機が動き始め、離陸することになったのです。
その時の加速感が、いつものイメージをとてもリアルなものにしてくれたようで、宇宙からの光にピタリと波長を合わせられたという感覚が、いつも以上に得られました。
思い込みかもしれませんが、氣のエネルギーを受信できたということは、たくさんの氣がいろいろなところに送れたかもしれません。
これまでも自分なりに意識の仕方を工夫していたのですが、今回のちょっとした体験がヒントになったようで、それ以来その感覚を大事にしているところです。
 遠隔真氣光で氣を送る際には、私は意識というものが非常に大事だと思っています。
真氣光のエネルギーをホースのように中継して誰かに送るということなのですが、まずたくさんの見えない光をどう受けられるか、その次に対象となる人に光が集まるイメージをするのですが、ヘッドや氣グッズも使い自分なりに工夫をしてコツを掴んで欲しいと思います。
 遠隔真氣光では、対象となる人に見えない光が入り、さらには増えた光が周りのプラスの氣やマイナスの氣など見えない存在にも届くということになります。
プラスの氣はもとよりマイナスの氣も辛さや苦しみから解放され応援の力を貸してくれるようになるのです。
私は、遠隔真氣光は、真氣光のエネルギーが中心となって、その方の周りに応援する力を増やすものだと考えています。
ですから、そのような方々に対する感謝の気持ちも忘れてはいけないのです。
(中川 雅仁)
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