初心者マークの車を見ると昔の自分を思い出します。
私は、車の運転は下手ですが全く苦になりません。
これは、私の父、先代のお蔭だとつくづく思うのです。
私が大学に入学し車の免許を取った時、先代は「どんどん乗りなさい」と、車を貸してくれたものです。
父は当時古い大きなベンツに乗っていましたから、何処かにぶつけたら修理代がとてもかかります。
実際、後方不注意でバックして後ろの電柱にぶつかりバンパーが大きく凹んだり、塀に擦って前から後ろのドアに大きく傷がついたり、そんなことが何回もありました。
しかし、そんな失敗に父は、嫌な顔一つしないで、いつの間にか修理していて、また貸してくれました。
失敗しないと練習にならない、つまり上達しない。
少しでも嫌な顔をすれば、車に乗りたくなくなるだろう。
私は、父のそんな気持ちがわかりましたので、ありがたいと思う気持ちと、より一層注意を払うようになったものです。
車の運転ばかりではありません。
私は、学生時代に、いろいろなアルバイトをやりました。
一時は勉強が疎かになり私の進学も危ぶまれ、母は心配しましたが、父は私を信用してくれていて社会勉強になると何事も後押ししてくれました。
私の両親は全く性格が違い、母は慎重派で心配性、一方父は行動派で楽天家、私は幼少期に母と居る時間が長かったためか、もともとの性格は慎重派で心配性だと思います。
以前にもお話ししていますが、昔は「石橋を叩いてみるけれども、いろいろ心配になるので結局は渡らない」という性格でした。
しかし、中学、高校、大学さらには真氣光研修講座に参加するなど、父の影響を受けるようになって、どんどんその性格が変わっていったのです。
ですから、いろいろな事にチャレンジできるようになったのは、大きな広い心で私の失敗を見ていてくれた父のお蔭であり、そんな父に私も少しでも近づきたいと思うのです。
失敗は、勉強であり、それを体験することで掛け替えのないものが自分の身につくものです。
もし失敗したら、真の原因を突き詰めてはっきりさせ、後はその原因を取り除けるよう工夫する、あるいは同じ事を繰り返さないように練習するだけです。
また、その人を気落ちさせたいと足を引っ張るマイナスの氣のせいで失敗することも少なからずありますので、真氣光を受けてもらったり、送ってあげるのも効果を発揮します。
でもマイナスの氣を完全に無くすことは不可能ですから、やはり失敗を繰り返しても自分に自信を付けて自らの魂を輝かせる方法抜きでは難しいのです。
真氣光を利用しながら、失敗を恐れない強い心、失敗を見守れる寛大な心を培いたいものです。
(中川 雅仁)
[menu][次へ]