(58) 雨降って地固まる

 私は、10年以上会員を続けている方から体験談を伺う「真氣光とともに10年」という月刊ハイゲンキの記事を毎月取材しています。
いろいろな方から話を聞いていると「雨降って地固まる」ということわざに当てはまる事例をよく耳にするのです。
これは、私の取材ばかりではなく、真氣光に関わっている全てというぐらい多くの人の話に共通していることで、その内容と言えば、最初は何か良くない事があるのですが、真氣光をどんどん取り入れていくと、それが解決するばかりではなく、さらに良い結果に繋がったという話なのです。
 「雨降って地固まる」ということわざを辞典で調べてみると、「いざこざや、もめごとが起こっても、それがかえって良い結果や、以前より良い状態をもたらすこと。
文献上の初出は安土桃山時代」とあります。
昔の人は「悪いことばかりではないから、物事を深く捉えるようにしよう。
一見悪いことも良いことに繋がることが多いから、そうなるように努力してみよう」と考えたから、この言葉がことわざになっているのでしょう。
 さらには、目には見えない氣という観点から考えてみると、どんな人にも守護霊や神様など、何か見守ってくれているプラスの氣の存在というものがあって、それらによって私たちは、助けられたり、より成長できるように導かれたり、生かされているとも考えられるのです。
 真氣光を送っていると、氣を受けている人が反応して、その人の口を借りて霊的な存在(マイナスの氣)が出てくることがあります。
なかには、その人の先祖に苦しめられたと恨みを持ち、未だに苦しいから子孫まで恨み、悪い出来事を集め不幸にしようとするものもあります。
しかし、真氣光のエネルギーが作用すると、苦しいから恨むというマイナスの氣が、次第にラクになり、そればかりか逆に恨んでいた人からラクにしてもらっていることに気づき、感謝しながら最後には守護霊のような存在のプラスの氣に変わるのです。
つまり真氣光によって、その人を取り巻く氣の環境がマイナスからプラスに大きく変わるということになり、これが「雨降って地固まる」を、多くの人が体験している理由なのです。
 22日土曜日から3日間に渡って真氣光メンバーズの集いを開催します。
参加することによって、たくさんの真氣光を受けることができます。
今現在、何か問題を抱えている人、あるいは何も抱えていない人も、自分のマイナス的な部分をより意識し、集まってくる強いエネルギーを利用することで、マイナスをプラスに、「雨降って地固まる」を体験していただきたいと思うのです。
多くの方の参加をお待ちしております。
(中川 雅仁)
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年貢の納め時という時期

 私は、今週火曜日の夕方に米国から帰国しました。
テキサス州オースチンでの2泊3日の真氣光&沖ヨガセミナーは、ボストンの桑原浩榮先生と現地在住のメアリー・ニコシアさんの主催で、地元やカナダから鍼灸師やカイロプラクター、気功家、病院勤務など医療に携わっている方が多く、総勢十数名の参加となりました。
自然に涙されたり、声が出たり、体が動いたりなど、真氣光を受けることで体や気持ちがラクになり、マイナスの氣はプラスに変わるということを体験によって理解していただけました。
セミナー開催地のテキサス州は、奴隷が多かった米国南部にあります。
たまたま私は、飛行機の中で、リンカーンという実話をもとにした映画を観ていました。
リンカーン大統領は、南北戦争の中、奴隷制度廃止の憲法を困難のうちに成立させ、最後には暗殺されてしまいます。
基本的人権が失われ、たくさんの苦しみや悲しみ、辛い気持ちを抱えたまま亡くなった多くの人がいたのです。
参加者の中にも、そのようなご縁を持つ方がいたことでしょう。
私は、今後益々生活の中で、真氣光を活かして欲しいとお話ししました。
 帰国後、水・木曜に個人セッションを行いましたが、ここでも人権を失い苦痛の中で亡くなった農民の魂が出てきたのです。
彼らは「働いても、働いても…」と、重い年貢に苦しめられた辛さを強く訴えていましたが、最後には真氣光によってラクになり、光の世界に逝かれました。
その時、私の頭に「年貢の収め時」という言葉が浮かびました。
江戸時代まで農民は、年に一度、年貢を納める必要がありました。
しかし、天候や災害で思うように作物を収穫できない、働き手が足りていないなど、年貢を払えない家も少なくなかったようです。
滞納が見つかれば、最後は無理してでも年貢を納めるか、受刑するかを選択しなければならず、これがこの言葉の由来です。
つまり、もともとは納めていなかった年貢を清算する時期のことを指すもので、これが物事の見切りをつける時期という意味になりました。
 この年末に向かう時期は、このような年貢やお金、見切りをつけなくてはいけなかったことなどによって、悲しみや苦しみのうちに亡くなった、多くの人がいたことでしょう。
世界中には、現代においても、まだまだ人権が確立していないことが多いのですが、私たちの先祖は、たくさんの苦しみを抱えながらも、命のバトンを私たちに繋げてくれています。
私たちは、恵まれています。
努力できることもたくさんあります。
感謝の光とともに、真氣光の光が届きますようにと、お祈りしたいと思うのです。
(中川 雅仁)
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真氣光のエネルギーを集中させよう

 私は、米国テキサス州はオースチンでの2泊3日のセミナーのため、まずは乗換地のロサンゼルスに向かっているところです。
あっという間に師走に突入し、毎年恒例の慌ただしさに加え、出張前ということもあり、やらなければならないことが目白押しの状態でした。
現在、真氣光プレートブースターが303台、プレートブースターミニ282台の累計出荷となり、年末の真氣光メンバーズの集いに向け、例年にも増して、真氣光のエネルギーは強くなっています。
光が増えると暗い影のようなマイナスの氣は存在できなくなり浮かび上がる、いわゆる好転反応が、現れることがあります。
私は、月刊ハイゲンキの真氣光教室で説明しましたが、マイナスの氣はちょっとした隙に集まるようにして現れます。
そのような時には、真氣光のエネルギーも集中させる必要があります。
マイナスの氣を意識して光を集める気持ちに加え、氣グッズを活用するのです。
家族の中の誰かがポイントになっていることもありますので、私はハイゲンキミニ・ハンドルタイプのパワーアップサービスを始めることにしました。
(正会員価格170,100円税込)ハンドルタイプは円筒状アクリルの中にエッチングシートが1枚入っている構造でしたが、シートを10枚に増やしてパワーアップさせるというものです。
もともとハイゲンキミニは、真氣光のエネルギーを一人に集中させるものですが、日光を虫眼鏡で集めるように、その集中度を上げるのです。
人は必ず周りの家族や先祖などの影響を受けているので、一人だけ光を受ければよいというわけではありません。
ハイゲンキや各種プレート、さらにはブースターなどで周りにも光を行き届かせてはじめて、今回のパワーアップサービスは効果を発揮することでしょう。
(中川 雅仁)
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来年1月より研修講座を2泊3日で開催します

 毎月開催している真氣光研修講座は、通算336回の開催を終え、今年8月には2回目となる東京センターでの3日間に短縮した講座を開催しました。
私は、前述した真氣光の波動の高まりを鑑み、これまで3泊4日で開催していた真氣光研修講座を、来年の1月から、2泊3日に開催期間を短縮することにしました。
一日目の朝から三日目の夕方までと3日間をフルに使い集中させることで、氣づきの場をできるだけ変えることなく、受講される皆様にとって時間的制約の少ない講座の提供が可能となります。
なお、受講料は従来通りとさせていただきますが、過去2回の経験に工夫を加え、より充実したものにしたいと考えています。
多くの方の参加をお待ちしております。
(中川 雅仁)
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目には目を歯には歯を

 体と心と氣は、相互に強い関係があります。
ですから、体のいろいろな部位にマイナスの氣の影響を受けると、その部分の見えない光のような氣が下がり体の調子が悪くなることがあります。
時には、私たちの心と、マイナスの氣の心や気持ちが関係することがあり、それが体の症状となることがあるものです。
例えば、地団駄を踏んで悔しがると言いますが、悔しがったり怒ったりして激しく地を踏むような気持ちのご先祖がいたり、ご先祖が誰かにそのような思いを向けられていると、その人に悔しい気持ちが多くなったり、足が痺れたようになるのです。
さらには、歯を食いしばると言いますが、苦痛や無念さなどを懸命にこらえてきた方の影響を受けると、歯の調子がわるくなったり、かみ合わせや額関節症のような症状がでたりなど、すべてがこのようになるとは言えませんが、とても興味深いことです。
マイナスの氣は、苦しさや辛さを生きている人に知って貰いたい、分かって貰いたい、恨んでいる魂であっても思い知らせてやりたいということですから、体の部位と心や思いとの間に何らかの関係性が生じるのでしょう。
 ところで、目に症状が現れる場合は、悲しいマイナスの氣の影響が多いものですが、やられたからやり返す、「目には目を歯には歯を」という言葉に関係することがあります。
この言葉を調べてみると、『受けた害に対して、同等の仕打ちをもって報いること。
ハムラビ法典の言葉。
旧約聖書の出エジプト記などにも見え…』とありました。
私たちは、やられたらやり返すものだと、それを正当化する時の言葉のように捉えていますから、マイナスの氣も、それを知っているのでしょう。
 やられたからやり返したり、倍返しなどにすれば、その時気持ちはスッキリするかもしれませんが、さらなる強い報復の連鎖となって、後々の自分や家族、子孫にまで及ぶものになります。
私は「償え」と言うマイナスの氣にも、「それを繰り返しても苦しくなるだけだ。
その代わり、この子孫に光を送って貰い、ラクにして貰ったらいい、それができますよ」と言い、真氣光を送っています。
どんどん光が届くうちに、自然に恨みの気持ちが消えラクになるものですから、最後、光に向かって逝くときには感謝の気持ちをむけてくれるのです。
目や歯に症状はなくとも、何かおかしいと感じたときには、背後のマイナスの氣を意識して、自分がじっくりと真氣光を受けることです。
マイナスの氣に光が届かなければ、同じようなことが繰り返されてしまうからなのです。
(中川 雅仁)
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ご先祖に力をもらっています

 気象庁は先日「エルニーニョ現象が発生したとみられる」と発表し、暖冬になる可能性が高く、この1週間の気温も全国的に平年並または高いと予想しています。
東京では朝晩少し寒くなってきたという今日この頃ですが、「足が冷え、足先にしびれを感じる」という方が、セッションに来られました。
氣を受けると、寒いところで一生懸命に働いていたご先祖が、辛さを分かって欲しいと出て来られ、氣を受けることでラクになり光になって逝かれました。
 私のご先祖も、北海道ですから、さぞかし寒かっただろうと思います。
私は、除籍謄本をとり真氣光フレームの中に入れているのですが、謄本を見ると、いろいろなことがわかりました。
私の祖父の、さらに祖父にあたる人が明治初期、富山から札幌の丘珠という地域に渡りました。
それから、石狩川に沿って遡るように開墾できる土地を求め移住して、曾祖父の時代に、先代が生まれた今の深川市の山間の部落に落ち着きます。
本当に山の中ですから、交通も医療もなく、冬は馬そりが最も強力な交通手段だったとか…、今は、ブルドーザーなど機械がありますが、当時は主には人力で木を倒し、根を取り払い藪を切り開いて畑をつくったのでしょう。
 私の父・先代もそうですが、東洋医学の治療家だった祖父も働き者で、95歳で亡くなりましたが、亡くなる直前まで仕事をしていました。
その祖父は、ある冬に積もった雪を除け、硬くなった土を掘って、少しずつコツコツと潅漑のために川の流れを変えてしまったと叔父たちが話していました。
私は、父をはじめ、そんなことができる祖父やご先祖を誇らしく思い尊敬しています。
また、そんな先祖に思いを向けると、少々朝が早くても、どんなに体が疲れていても、不平・不満・愚痴など、こんな事ぐらいで弱音を吐いてはいられないという気持ちになるばかりか、ご先祖が力を貸してくれるように思うから不思議です。
体と心と氣は相互に関係しています。
たぶん、体は疲れてマイナスのほうに傾いていても心が疲れない、つまり心がプラスの氣を引き寄せ、体を氣の面からケアするカタチになるとともに、真氣光を受け外からも氣を補充するので、仕事が出来ているのだと思うのです。
 昔々は電気も機械もなく、水や食料も不十分など物質面ばかりではなく、無理矢理戦いに駆り出される・奉公に出される・嫁がされるなど自由もなければ人権もない、たいへんな時代を乗り越えて来た、ご先祖が一生懸命に生きてくれたお蔭で私たちが存在しています。
今は今で現代特有の辛さがあるかもしれませんが、恵まれているプラスの部分に目を向け、真氣光を受けながら乗り越えていただきたいのです。
(中川 雅仁)
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氣のエネルギーを大きく増やそう

 昨日から、富士山での真氣光研修講座が始まりました。
私は、一昨日からこちらに来たのですが、散歩を兼ねて研修施設そばのスターバックスまで歩いてみました。
コーヒーを飲みながら、ふと見ると、僅かなスペースに毎年開催されている『富士山「絆」フォトコンテスト』での作品が十数点、展示されていました。
富士山登山での風景や友人・家族の写真なのですが、山頂で嬉しそうに映っている写真などがありました。
私も、サラリーマン時代(25歳の時)に、組合主催の富士山登山のイベントに参加したことがあり、それを思い出しました。
会社の同僚達に誘われて、仕方なく重い腰を上げたのですが、今思えば、その時に登っておいて良かったと思います。
それからは、仕事が忙しくなってしまい、そのうちに結婚したり、サラリーマンを辞めたり、先代が亡くなったり、いろいろなことがありましたから、富士山に登るという機会は、もう無かったことでしょう。
今では、体力が落ちていますので、はたして山頂まで辿り着けるか(笑)疑問です。
遠くから見ると、なだらかそうな山ですが、日本一の山だけあって、いざ登ってみるとけっこうな急勾配で、当時やっとの思いで、何とか山頂まで辿り着いて、ご来光を拝みました。
登り切った達成感と、眼下の景色で、とても気持ち良かったという記憶が残っています。
 よく人生は、山登りに例えられます。
私は、氣のエネルギーというものが、生まれてから死ぬまでの間に、下から上へ富士山の稜線のように増えて行くものだと考えています。
ただ順調に増えるのではなく、いろいろな問題に直面して悩み、苦しみ、時には体調を崩して一時的に氣が落ちるのですが、そこから気づいたり、回復して、前よりも氣のエネルギーが上がる…そうやって上がったり、下がったりを繰り返しながらジグザグに、少しずつ上がっていくのです。
私は、真氣光のエネルギーを受けることによって、そのピッチが上がると言っています。
真氣光をやっていても、時には直面する問題に悩み、体調を崩すこともありますが、宇宙からのエネルギーを取り入れることで早めにクリアできるのです。
 私も、いろいろな問題に直面しましたが、真氣光のお蔭で、これも何か意味があることかもしれないと、気持ちを大きく落とすことなく、前向きに乗り越えられてきました。
つまり、早めにクリアし、次に進むことができたのでしょう。
そうやって、頂上という死に向かって氣のエネルギーを大きく増やしながら、最後はどんな思いが湧いてくるのか?…出来れば希望を胸に光のほうに進みたいと思うのです。
(中川 雅仁)
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人にはそれぞれの輝きがある

 氣は、誰もが持っている、目には見えないけれど、光のようなものだと、私はお話ししています。
光が強くなり、眩しいように光ると、それは輝くということになります。
私は、氣の観点から、この「輝き」に着目していますので、きょうはその話をしましょう。
輝きについて考えてみると、例えば停電などで部屋が真っ暗な時には、豆電球でも眩しいように感じますし、それまで暗かった電球が僅かに明るくなっても輝きですから、輝きとは絶対的な光の強さではなく、周りや、それまでの状態との相対的な話だと思うのです。
 氣は、波動的な性質があって、似たような氣のものは集まり易いという性質がありますから、暗いものは、より暗くなったり、どんどん大きく拡がったりする傾向があります。
その中で、少しでも光があるもの、相対的に明るいものを探して輝きを見つけること、つまり相対的に良いところを見つけることは、氣を高めるためのポイントになると言えます。
 氣の光が増えるということは、体が良くなったり、心が明るくなったりというように、氣と体と心は強い関係があります。
ですから、いつも胃の調子が悪かった人が、ほんの少しでも調子の良い日が見つけられれば、それは「氣の輝き」に関係することになりますから、大いに感謝して、心をプラスにすると、さらに「氣の輝き」が増えるというわけです。
さらには、胃の調子は悪くても、腸や肝臓など周りの内臓が元気な状態であれば、それに感謝できます。
また、いつも心配ばかりしている人が、少しでもそれが気にならなくなったら、それは「輝き」ですし、怒りやイライラなど他のマイナス的な感情に浸ることなく、いつも感謝の生活ができていれば、それも「輝き」と言えるでしょう。
そうやって、まずは他の人と比較することなく、自分自身の「輝き」を見つけることです。
 さらには、自分ばかりではなく他の人にも、これが適用できます。
いつも怒ってばかりいた人が、少しでも穏やかになったなら、この「輝き」をしっかりと認め、いいとこ探しができると自分自身の「輝き」にもなりますし、子どもさんに対して、不得意な教科はあるけれど、何か得意なものが発見できれば、それは親子の「輝き」に繋がります。
 また、この「氣の輝き」には、たくさんのプラスの氣が関係していますし、真氣光のエネルギーも応援してくれていますので、それらにも感謝する毎日を送りたいものです。
 マイナスの氣に気がついてプラスに変えていくことは大切なことですが、プラス(光)の部分をより強くしていくことも、とても大事です。
それには「輝き」を見つけることだと思うのです。
(中川 雅仁)
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(57)人間万事塞翁が馬

 今しがた宅配便でステレオのリモコンが届きましたので、今日はこの話にします。
私は、テレビを見るよりはステレオで音楽を聴いているほうが多いのですが、先日ステレオのアンプの電源が入らなくなりました。
「氣のせい」かと思い、数々の対策を試みましたがダメで、仕方なく宅配便でメーカーに修理に出したのです。
1週間程すると、アンプ本体のソフトをバージョンアップしたら正常になったということで、無料で戻って来ましたが、同梱したはずのリモコンが入っていません。
電話で確認すると、メーカーで紛失したということがわかり、最新型の機能アップしたリモコンが送られて来たというわけです。
結局、私は宅配便に出した僅かなお金で、新型リモコンが手に入ったわけで、すごく得をしたことになるのですが、人生は長いもの、「人間万事塞翁が馬」ということわざを思いだしたところです。
 このことわざを辞典で調べてみると「吉凶も禍福も予測は不能なので、災難も悲しむことはなく、幸運も喜ぶことではないということ。
中国・漢代の故事」とあります。
私たちは、ついつい短いスパンで、運がいいとか、悪いとかと物事を捉えてしまいます。
特に、悪いことが目の前に現れた時に、「どうして!」とマイナスの気持ちになってしまうのです。
しかし、それは良くなる前に起きることかもしれませんし、さらに長い目で見ると、何が幸か不幸かわかりません。
そんなことに一喜一憂することなく、私たちを生かしてくれている大いなる存在に対し、何事にもただ感謝する姿勢が大事なのでしょう。
 私たちの周りには、私たちを応援しようとするプラスの氣と、私たちの邪魔をするように働くマイナスの氣が存在していて、自分の気持ちに応じて、それらの影響を受けるのです。
プラスの氣ばかりではなく、マイナスの氣もあるのですから、良いことが起きて有頂天になっているとマイナスの氣に足をすくわれますし、悪い出来事が起きた時には、気持ちを切り替え良いことに意識が向かないと、プラスの氣の応援は受けにくくなってしまいます。
たいへんな時に、なかなかそれは難しいのですが、私たちには真氣光があるので、ヘッドや氣グッズを使って、まずはプラスの氣を取り入れて欲しいのです。
「いいとこ探し」をしようと努力を続けるうちに良いことが見えてきます。
 幸?不幸?…最終的に体を失った後、光のほうに行けるか、暗くて苦しいほうに行ってしまうか、なのだと思います。
それまでの間、少しでも自分と自分の周りの氣を明るくできるように日々を過ごすことだと、私自身も精進の日々です。
(中川 雅仁)
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体にプラスの氣を送る

 少しずつ寒くなってきて、上着を着る季節になりました。
私は、自分のお腹の出っ張り具合が目に入りにくくなることで、つい悪い姿勢になったり、貯めてしまった脂肪に意識が向きにくくなる自分を発見しました。
氣の観点からも、体を意識することは、とても良いことで、時々目にする「結果にコミットする…」の宣伝も良い刺激になります。
今ではフィットネス、ストレッチ、ヨガ、くびれを作るための体操…、体にアプローチするための多種多様な方法が紹介され、多くの人の意識が心身の健康に向くようになっています。
私は、そこに氣という観点も加えて貰えたらいいなぁと思っています。
 真氣光研修講座では、ヨガの第一人者・龍村修先生の指導の下、1990年の開講時から今も変わらずにヨガを取り入れています。
これは、氣と体と心の三つの要素が密接に関係し合っているので、良い氣をただ外から取り入れるばかりではなく、体をとおして心つまり意識や精神性を向上させていくことで、よりいっそう氣の高まりが早くなるということからなのです。
 例えば、普段私たちは自分の意思で体を動かしているから分かり難いのですが、体と心は別物です。
内臓などは意識することなく動いてくれていますし、病気や怪我をすれば動かそうと意識しても動かないことがあるのです。
ですから、食べ過ぎ、飲み過ぎ、食後の一服…ゲーム、スマホ…等々、心では気持ち良さや喜びを感じていることも、内臓をはじめとする体は迷惑と感じていることが多々あるでしょうし、せっかく備わってくれている筋肉なども、ちゃんと使ってあげることなく退化させ、使えないようにしてしまうのです。
つまり、体に対して労りや感謝するなどのプラスの氣を与える氣遣いを忘れ、痛くなったり動かなくなっても、「なんで…」と、つい文句を言ったり、落ち込んだりしてマイナスの氣を引き寄せてしまいます。
 私は、年齢が進み体の機能が落ちることで次第に悪い習慣に気がついて反省し、感謝など心が放つプラスの氣を向けられるようになりました。
しかし、今までの蓄積もありますし、まだまだマイナスの氣の影響を受け易くしている部分もありますので、そのような所にも真氣光を利用してプラスの氣を向けると良いと考えています。
体の中の氣は、均一な状態ではなく、氣の滞りと呼ばれるような、外界からのマイナスの氣の影響によって暗くなり、コリや痛み・違和感を感じるようになっているので、ヘッドを当てたり手に持ったり、氣グッズを利用し、できるだけ対象を絞って、そのようなところに氣の光を集中させるイメージをするとよいのです。
ぜひ、お試しください。
(中川 雅仁)
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