「スゴいなー」と思います

 今週のい氣い氣ラジオでは、敬愛について、少しふれました。
敬愛と言うと何か難しい感じがします。
私は、人をみて自分には持ち得ない「スゴいなー」と思えるようなこと、それが発見できた時には、また少し自分が幸せになっていると思うのです。
宇宙は「愛」と言われますが、私は敬愛という言葉がフィットする気がします。
素晴らしいところや良いところを感じられるから、尊敬できる・敬えるということ、これなら周りのどんな人、動物にも植物にも、モノに対しても抱ける感情になります。
この時、私は自分の身に置き換えるような感覚、つまり想像力がポイントだと思うのです。
 昨日、あるスタッフですが、会社で購入した電気製品を、一ヶ月使ったけど電源が入らなくなったから返品したと報告がありました。
私なら、だいたいあれこれ修理を考えるだけで、返品ということを思いつきもしないし、そんな交渉力もありません。
まったくスゴいです。
 一昨日は、佐世保のセッションの帰路、私は長崎空港から羽田空港のチケットを買っていたのです。
空港に着いて自動チェックイン機から券が2枚出てきてはじめて、神戸空港経由ということが分かりました。
経由便だなんて想像もしていませんでしたので、たまたまその時LINEをしていた人に少しぼやいたのですが、すかさず空港で買える神戸の美味しいお菓子を知らせてくれました。
これまで私は、空港でお菓子など、買おうと思ったことがありませんでしたので、「立ち寄るという楽しみ方」その発想がスゴいなーと感心してしまいました。
 私は小・中学校時代に社会科の中でも、地理は好きで歴史は嫌いでした。
地図を見ると、どんなところで、どんな人が住んでいるのかと想像できて楽しいのですが、歴史は今の自分と、あまりにかけ離れているような気がして想像できなかったのです。
ところが、セッションなどで真氣光を送って、氣を受けている人の口を借りて出てくる魂達の話を聞いていると、昔の人々のことを自分の身に置き換えて考えるようになりました。
実際には同じ体験をしているわけではないので、どれだけ分かるかと言われれば疑問ですが、当時の状況で自分だったらどうしているだろう、そして自然に何とかしてあげたいと思うのです。
また、痛いとか、辛いという人に氣を送ることもありますが、人に比べ苦痛に弱い私には「我慢できないことだろうな」と、考えてしまいます。
今の自分ばかりではなく、昔の自分だったらなどと考えても、スゴいなーと思えることが多々あります。
垣根が消え氣も届き易くなるのだと思いますが、同じように宇宙も私たちに敬愛の心を持って真氣光を中継してくれているのですから有難いことです。

婚活や終活と氣のはなし

 先日、い氣い氣ラジオの番組収録で、婚活の話に続いて終活の話をしました。
昔は「〜活動」と言えば、就職活動ぐらいしか思い当たらなかったのですが、今や結婚に向けた活動を婚活というのは当たり前、略して〇〇活動、〇活、というのは普通の日本語になりました。
活発に動くということで、〇活でしょうが、昔は結婚も水面下で、そっと活動していた気がします。
私などは、結婚のための活動ということであれば直ぐに思い当たるのが花嫁修業ですが、今そんなことを言うと、多くの女子の反感を買うことがわかりました(笑)。
でも〇活が、活発に動くという意味があるとすれば、私は氣の観点が非常に大事だと考えています。
つまり物理的に体を使って動き回ったり探すということもありますが、心や精神性を高め、氣を調えたり、高めたりするような、ある種の修行と思って事に当たる期間にするぐらいの気持ちがないといけないと思うのです。
 活動には、就職したい、結婚したい、子どもが欲しい、……あの世に逝きたい迄、いろいろな目的があります。
先を見越した気がまえ、つまり目的が遂げれた後にも、幸せでなければいけません。
例えば、結婚した後、結婚生活が自分の心の弱さから相手の悪い所探しばかりに向かっていたとしたら、直ぐに離婚の危機が訪れるでしょう。
子どもが生まれても、育児に体力・気力が追いつかなければノイローゼになってしまうかもしれません。
先々不幸になるのが分かっている状態では、先祖をはじめ、いろいろなプラスの氣も応援できないというものでしょう。
体の状態や心の持ち方と氣のエネルギーは非常に関係がありますから、体・心・氣の三つの側面から「高める」ということをオススメしたいのです。
 特に終活の場合には、自分だけの力ではどうにもならない部分があり、どんな人も、いつお迎えが来るか分かりませんから、今すぐからでも準備をしなければいけません。
謝っておけば良かった、ありがとうと感謝の気持ちを伝えておけば良かった、心に思い残すことがあっては、死んでもそちらに意識が向いてしまい、光の世界には逝けませんから、生きているうちに、そうならないようにしなければいけません。
また嫌な事をされて「決して忘れてなんてやるもんか」と思っている人は、それが死んでも続くことになりますから、早めに忘れることです。
心配、不安などマイナス的な事を思ったり考えるなら、今のうちからもっと楽しい事に変えることですが、なかなかすぐにはできません。
しっかりと真氣光を受けることでも、手放しやすくなりますので、多くの人に利用して欲しいと思います。

真氣光と強い心で弱い自分に打ち勝つ

 今週の火曜日まで、東京センターでの2泊3日の真氣光研修講座を開催しておりました。
今回は緊急事態宣言が発令されたこともあり、東京センターで受講する人を最小限にして、オンラインがメインの研修となりました。
私と龍村先生も一部を除いてオンラインで参加するなど、これまで以上にオンライン化が進んだ研修でした。
以前でしたら、私が自宅から講義をするなど考えてもみなかったことでしたが、SASにとっても大きな収穫となりました。
参加者の皆さん、ありがとうございました。

 ところで、研修講座で使う行持集の中に、「ネイティブ・アメリカンの祈り」があります。
2011/5/27のこのニュースでも紹介しておりますが、以前ニューヨークでのセミナーで、この「祈り」を知り、行持集に掲載するようにしたものです。
内容を紹介しますと

「おお、偉大なる霊(スピリット)よ。風にその声を聞けしもの。
そして世界に生命を授けたまうもの。私の願いを聞きたまえ!私は小さく弱きもの。
あなたの強さと叡智を求めている。
・・・<中略>・・・
私は強さを求める。私の兄弟より偉くなるためではなく、私の最大の敵である己自身と闘うために。私がいつも清い手とまっすぐな瞳であなたのもとに向かう用意ができるように。
そして夕日が沈む如く私の命が尽きるとき、私の魂が恥じらいなくあなたの元に行くことができるように」

と、あります。

 「自分の最大の敵である己自身」と言っているのは、自分に影響を与え、魂の輝きを妨げているマイナスの氣です。
その影響を受けると、良いことは分かっていたり、しなければいけないのに行動できない、素直になれない、苦手意識などの他、「洗心のための指標」にある「マイナスの氣を引き寄せやすい心」が多くなります。
たとえ誰かのせいで嫌な気持ちになるような時にも、自分にマイナスの氣が無ければ、それに気を取られることはありません。
また、どんなにたいへんな問題に直面しても、マイナスの氣の影響を受けなければ、沈着冷静に最小限の被害で難局を乗り越えられます。
どんなに強いストレスも適度なストレスに変わるのです。
この祈りの内容は、自分に影響を与えているマイナスの氣が分かっている場合にも、いつもは隠れていて何かの時に現れるマイナスの氣の場合にも、どちらも手ごわいものですから、偉大なるスピリットの強さと叡智を求めるというものです。
 私は講座で「洗心のための指標」の「プラスの氣を引き寄せる心」に分類される「強く」を解説していますが、己自身に潜むマイナスの氣に気がつき、それに打ち勝とうとすることが大事です。
真氣光もそれを応援してくれるのです。

近況報告ー思い通りになる・ならない

 今日から、岡山での真氣光研修講座が始まりました。
私は、昨夜、こちらに到着しましたが、前日にはYouTubeの生中継で、山梨の小原田さんのところへ行っていましたので、昨日家を出る前は朝から忙しくしておりました。
溜まっている洗濯物・・部屋の中や台所も綺麗にして、床屋にも行きたい・・でも全て順調に進みました。
荷物をまとめ、残り野菜で昼ご飯を作り、ゴミ捨て完了。
あとは不在通知が入っていた宅配便の営業所に寄って駅に向かう手はずです。
しかし、その辺りから思い通りにならなくなってきました。
営業所では宅配物が見つからず、なかなか品物が出て来ません。
少しイライラを感じましたが、気を取り直して駅へ。
JRから京急に品川駅で乗換え、羽田空港から空路、岡山へ向かう予定ですが時間がありません。
電車の中でチェックすると品川駅からの快特電車に間に合えば大丈夫、飛行機に乗れます。
ところが、品川駅でスイカのチャージ不足、改札を通過できない!慌ててチャージを済ませ、ホームに駆け上がったのですが、タッチの差で電車が行ってしまいました。
「これは間に合わない」次の飛行機を検索してみると、夕方しかありません。
ホームで、スマホ片手にちょっと考えましたが「これは新幹線で行け」ということかと、すぐに飛行機はキャンセルし、新幹線の切符を購入しました。
この時に「長時間にはなるけど仕事をしながら、できるだけ車中を楽しもう」と、気持ちの切り替え・決断ができたのは、我ながらアッパレでした。
 着いて感じたのは、岡山・総社での研修はこれで5回目ですが、信仰している古い魂たちが真氣光を嫌がっているようでした。
宇宙からのエネルギーは、あまりにも光の質が違い、彼らの思うようにならなくなるようで受け入れがたいのです。
私は先週声が出なくなり、まだ少し咳が残っていたのですが、今日はスッキリです。
どうも「様子を見てみるか」と、受け入れていただけたようなのです。
 ところで、今回のYouTubeの配信は、我々にとってはチャレンジでした。
カメラを持って外に出て生中継する方法で、いつものようにパソコンを使わないのです。
時間ギリギリまで準備が終わらず焦りましたが、無事配信できました。
プラスの氣の応援によって何とかなったので、胸を撫で下ろした次第です。
しかし、時には飛行機に乗れないなど、自分の思い通りにならないことがあるもので、そこにはマイナスの氣の抵抗・邪魔する力が働いているかもしれません。
思い通りになった時には大いに感謝、思い通りにならなかった時には気持ちの切り替えが大事、マイナスの氣を引き寄せないことがポイントです。

背中に氣を入れました

 昨日は、昼と夜の2回に渡り「会長のオンラインお茶会」を開催しました。
私は、朝から声の調子が悪かったのですが、昼からだんだんハスキーな感じになり、2時からのお茶会では少々聞きにくい声になってしまいました。
そして、夜8時からのお茶会では何とか声が出ているという、全くもって申し訳ない状況でしたが、熱心に真氣光をやってくださっている皆さんの参加により、パワーをいただきながら私もめげずに話していたら、今日はお陰様で、だいぶ元に戻りました。
ありがとうございました。
 真氣光をやっていても、一見良くない反応がでることがあります。
たとえ悪い現象でも、これは良くなる前に起きる反応だから、それを「好転反応」として捉えるようにと、お話ししています。
これは、何でもそう捉えて、氣のせいだから放っておけば良いということではありません。
時には、病院で処置をしてもらわねば、手遅れになることもありますから要注意です。
物理的な対処・対策とマイナスの氣の影響への対処とは、切り離して考える必要があります。
 先代は「出て来たものは必ず消える」と言っていました。
真氣光を受けている私たちは、光が浸透することで、暗いマイナスの氣が浮き上がり消えて行くことがあります。
時には、マイナスの氣が表面化することになり、それに意識が向けられるから氣が届きやすくなり、消えていけるようになるということもあります。
 例えば私たちの体の場合、外科的な処置によって光が届き、そこのマイナスの氣が取り除かれることもありますし、自動車などモノの場合には、事故が起きて修理をすることでマイナスの氣に光が届き消えていくこともありますが、氣を受け、そこに関係しているマイナスの氣をよりいっそう意識してみると良いのです。
 好転反応は、長引かせないことがポイントになります。
どんどん強い光を入れることですが、もう一つ大切な事は、気持ちが落ち込む、弱気になるなど周りから更なるマイナスの氣を集めてしまっては、悪い現象が長引くばかりになるということです。
 皆さんから、「会長は、好転反応ないのですか?」と聞かれることがありますが、私も気を許していると(身も心も真氣光をフルに使ってしっかり休めるということをしないと)こんなことになり、いろいろなことに気づかされます。
今回は、ミニローラーヘッドによる喉・胸コロコロに加え、背中にマイナスの氣を感じたので、アームハンドルにポイントヘッドの組合せと、ディスクヘッドを、たくさん使ってみました。
なかなか自分では出来ない首から背中・腰は、マイナスの氣が残りやすいところですので、皆さんもお気を付け下さい。

才能のはなし

 昨日、長野県岡谷での無料体験会とセッションに行って来ました。
諏訪湖のほとりも山の上のほうも、あちらこちらに桜がとても綺麗でした。
今年は、天気の具合で、一気に咲いているようです。
私の家の周りの桜は、すっかり花を落として、ふつうの木になっていましたので、もう一度、よいお花見ができました。
桜ほど日本人、いや世界的にも、老若男女、万民に愛されている木も珍しいものですが、私などは花が咲いて初めて桜だとわかるような次第です。
 「桜は花に顕れる」ということわざがあります。
辞典で調べてみると「ふだんは常人と変わらないように見える人が、何かの折に優れた才能を発揮することのたとえ。
他の木に交じっている桜は、ふだんはまったく目立たないが、一旦、花が咲けば一目でそれと分かるということから。
平安時代の『詞花集』にこの言葉が詠まれた歌があり、平家物語などにも見られる。
近世では常用されていたことわざである」と、あります。
たくさんのご先祖様たちも、桜の花には心を癒されていたことでしょう。
 この言葉の意味に「何かの折りに優れた才能を発揮する」とありますが、私は小さい頃、周りの子の才能を目の当たりにする度に「凄いなー、才能があったらいいなー」と、よく思っていました。
ある時、分かったのは、才能がもともとあったのではなく、続けてやっているとだんだん身に付いてくるものであり、その陰には、より高みを目指そうと磨いた、たくさんの努力があるということです。
 特に何の才能もない私が、真氣光という宇宙エネルギーを知り、興味が尽きぬまま、これを皆に利用して貰いたいと続けていますが、私は「気功家」ということですから、私をよく知らない周りの人から見れば、これも「才能」だと思うことでしょう。
真氣光は、真氣光研修講座を受けると誰にでも氣を出すことができます。
ただ私の場合、何年にも渡って、たくさんの人に氣を送りながら「宇宙からの真氣光は、どうなってんだろう」と考え、少しでも強い氣を中継するにはどうしたら良いのかを追求してきました。
自分では、よく分かりませんが、それを「才能」と思う人がいるかもしれません。
 私が考えるには、誰にでも才能はあるもので、才能にできるポイントは、好きになれることと、磨く努力を続けられるかどうかです。
アスリートなどは、体力的な限界があるから時間的な制約がありますが、我々は何年掛かっても良いのですから、自分に合った方法が見つかれば、何からでも才能が見出せるというわけです。
ちなみに真氣光を長い間続けておられる、このニュースの読者は、相当な才能の持ち主だと思うのです。

許せる寛大な心

 早いもので4月に入り、新年度がスタートしました。
電車の中で、新社会人だと思われる若い人が、先輩に連れられている姿を目にしました。
今年も、まだまだコロナウイルスの影響を受けています。
このような時に新しい生活に突入するのは、それでなくてもストレスになるところですから、よりいっそう頑張って欲しいものです。
 私は、サラリーマン時代に研究開発の仕事をやっていました。
上司は、仕事に対しては厳しい人で、入社してから30才近くまで、雑巾を絞るように鍛えられっ放しでしたが、今思えばあの上司が居なかったら私はどうなっていたのかといつも思い出します。
 簡単に言えば私の仕事は、あるモノの性能を上げるために「こうやったら良いかもしれない」と仮定して試作し、「実際にそうなるかどうか」実験して確かめてみる。
さらにダメなところの対策を考え→実験→評価このサイクルを繰り返すことでした。
 私は、上司の言うことよりも、自分で考えて、やりたいタイプでした。
実験で確かめるのに何日もかかりますから、最初の考えを間違って一週間を棒に振り、「何やってんだ!!」とフロア中に響く大声で怒鳴られたことが何回もあります。
最初は気落ちして、言われた通りにやるのですが、だんだんそれでは面白くなくなり、自分の考えを確かめたくなるのです。
やるとまた失敗して怒鳴られる…、次第に上司の言うことは早めに終わらせ、私の考えたことを副業のようにやるようになりました。
後でわかったのですが、上司は黙って見逃してくれていたのです。
 「失敗したから、もうやらない」では、何の成長もありません。
どんどんやって、練習を積み重ねないと決してうまくはいかないものです。
ですから、失敗したら反省も大事ですが、次にどう生かせるか、それを理解できたら、もう悔やまないことです。
 ある時わかったことには、それができるのも周りの人の「失敗を許してくれる寛大な心」のおかげでした。
上司も私にかなりの時間を割いてくれていたので、成長のための練習ができたというわけです。
かけがえのないものをいただいたのですが、お返しをしようにも、今となっては、もうどうにもなりません。
せめて自分も同じように見習わせていただくことだと、心している次第です。
 追記:4月より、FM西東京でのラジオ番組契約を終了し、新たにエス・エー・エス独自のPodcast「中川雅仁のい氣い氣ラジオ」として再スタートします。
西東京市への公共の電波にはのりませんが、全国の皆さんには、これまで通りの配信という方法で(接続先は変わります)、いつでも聞くことができますので引き続き利用していただきたいと思います。

現れたものは消える

 昨日、会員用サイトから申し込んでいただく、オンラインによる会長のお茶会を昼の部、夜の部と開催し、私も参加者の皆さんとおしゃべりができて楽しめました。
夜の部で出た話では、まだ真氣光を始めて間もない方が、好転反応が恐いので氣中継量の大きな氣グッズを持つのを躊躇しているという話がありました。
他の参加者の皆さんは真氣光歴20年以上の方々でしたから、体験談をいろいろ話してくれました。
氣グッズによって全ての人がキツくなるわけでもなく、その人とご先祖の状態によりますから、これは一概には言えません。
基本的に私は、氣グッズを購入するのは、ご本人の意思が大事だと考えていますが、真氣光を本当に信じている人なら、少しぐらい悪い事があってもやめないでしょうから、どんどん強い真氣光を受けられる環境にして、仮に好転反応が出ても早く終わらせるようにしたほうが良いと考えています。
 このことについて、先代がよく言っていた「現れたものは必ず消える」という言葉を思い出します。
好転反応とは、暗いマイナスの氣に、ある程度光が浸透していく過程で、⑴自分の辛い気持ちを分かって欲しい⑵真氣光の光が入って来ないように抵抗したい…から起きる現象ですが、出て来たマイナスの氣は必ず光に変わり大きく物事が好転するわけです。
⑴の場合、マイナスの氣と同じようなところが痛くなったり、辛くなる、不安になる等似たような気持ちになります。
⑵では、①恨みを持っていたり、②宗教など違う光を利用していた頑な魂だったりと、⑴よりは強いマイナスの氣が影響していますので反応もキツくなりがちです。
好転反応が恐いとか嫌だと強く思う人は、⑵のマイナスの氣の影響を受けている可能性も考えられます。
 真氣光も長い歴史があり、その間にたくさんのマイナスの氣がプラスの氣に変わっていきました。
そのようなプラスの氣は、自分達が真氣光で変われたという体験をもとに、深い所に潜んでいるような強いマイナスの氣にも光が届くよう応援してくれる存在に変わっています。
また、氣中継器もずいぶん変わりました。
ハイゲンキ2型に比べて、最近の6型や3型プラスは、とんでもないくらい大きな氣中継量になっているわけです。
 そして、そのようなものを使えている人は、マイナスの氣の影響があるかもしれませんが、既にプラスの氣の応援がとても強くなっていますから、先代の言葉「現れたものは消える」サイクルも早くなっています。
ですから、真氣光を受け、マイナスの氣の性質をよく理解して、何事も良いと思うことを決心して実行していくことです。
それが自分と自分の周りを明るくする速度を益々上げることでしょう。

後に唱える誓いの言葉

 今日から神戸での11回目の真氣光研修講座が始まりました。
こちらの施設が「今月限りで取り壊し」ということで、これまで十数年の思い出も感じながらの開催となります。
今回は初めて受講される人も多いので、私は基本的なことも省かないで、お話ししようと思っています。
 ところで、基本と言えば講座で最初の講義は龍村先生が、呼吸など体の基本についてヨガの話をしてくれます。
呼吸無しでは生きてはいけないのに、普段は意識もしていないということで、初めて受講される方はけっこう目からウロコの話でしょう。
呼吸の話ばかりではなく、私もお恥ずかしい話ですが、年齢とともに体が以前より動かなくなって、何気なく動かしていた体にも意識が向くようになりました。
体は動かさないと筋力が落ちたり、硬くなったりします。
更には、体を動かすことにも癖があり、右ばかり使ったり、一部の筋肉ばかり使ったり、バランスが悪くなって痛みが出やすくなることもあります。
私の場合、一部の筋肉に負担がかかりコリが出やすくなる座り癖、どちらの足を先に出して体重を掛けるか等の立ち癖、無理・無駄のない姿勢…等を考えるようになり、左足ばかり使っていたこと、右腕側や背中に筋力はあるのに硬くなっていることに、ある時気がつき修正するように心掛けています。
若い時には適度に筋力もあり、体も柔らかかったので、無理もきいたということから意識もしていませんでしたが、永年の癖の蓄積で、将来痛みが出やすい、故障しやすい体にしてしまっていたと、反省した次第です。
 研修講座は、氣・体・心、三つの側面から、自分ばかりではなく周りをも幸せにできる人を養成するものです。
講座最終日、最後に唱える誓いの言葉に、「社会奉仕の誓い」というのがあります。
抜粋しますと「……今私は、自分の心身が整い、浄まり高まり、強まっていること、自分の生命(いのち)が喜んでいることを、実感しております。ただ今からの私は、『生活を即修業の場として、全てのご縁を師とし、最上の生き方の工夫と、努力をしながら』人間としての本当の生き方…を、一歩一歩実践し、自他共に、悦びのある道を歩み、広く社会に、寄与させていただくことを誓います」とあります。
特に私が気に入っているのは『』のところです。
真氣光のエネルギーを受けるとともに、いろいろな工夫点に気がつき努力していくこと、それが周りのマイナスの氣の環境をもプラスに変えていきます。
かつて研修を受講された方は思い出していただくとともに、今週末はお彼岸ですので、ご先祖との氣の距離が近くなりますから、そちらも意識していただければと思います。

大切なのは自分が変わろうとすること

 真氣光を受けていくと、恨みを持つマイナスの氣や、光を嫌うマイナスの氣の抵抗にあい、事態がなかなか好転しない時があるものです。
それは、真氣光を始めてまだ間もない人と長年続けてきた人、背景にあるマイナスの氣の強さや、家族の状況などで、みな違います。
私は総じて、そのような時は、強い心を持って自分と周りに真氣光を取り入れるとともに、自分の考えや行動を積極的に変えようとすることだと考えています。
 マイナスの氣は、暗く重いものの上に軽いものというように、いろいろなものが層状に重なっています。
真氣光を始めると、光が浸透して比較的軽いマイナスの氣からプラスの氣に変わります。
そしてさらに真氣光が浸透するとともに、先に逝かれたプラスの氣の力によって、その奥にある、より暗い氣も、やがては光に変わっていくのですが、重いマイナスの氣であればある程、恨みや苦悩、苦痛などのマイナス感情を変えられず、中には強い意思を持って暗いままで居続けようと抵抗するものもあります。
 そのような時、私たちは、ハイゲンキを使いたくなくなったり、氣を受けられなくなったりすることがあります。
マイナスの氣はその人が光を増やせないようにするとともに、更なるマイナスの氣を集めようと、その人にマイナスの感情が起きるよう仕向けるのです。
ですから、こういう時こそ、強い気持ちを持ってマイナスの氣に打ち勝つよう、そちらを意識して、自分をはじめ家族などにも真氣光を取り入れなければなりません。
そして、ここで特に重要なことは、強いマイナスの氣は巧妙ですから、その人の意識を占領して気づかれないようにする、つまり我々は上手くやられてしまうことが多いということなのです。
 私は、本紙やセミナー、真氣光研修講座で、そのヒントとなることを解説しています。
特に研修講座では、その最も基本となるところを洗心のための指標のマイナスの氣を引き寄せやすい感情として説明していますが、既にそれらの影響を受けていてそのような感情が強くなることもあるのです。
憎しみ、嫉み‥ここにあげられている項目のほとんど、例えば怒り、不平不満、咎めの心などは、周りの人との間で生まれてくる感情です。
つまり他人の影響で自分が陥る感情ですから、「あの人が悪い」と思ってしまうところです。
しかし、人のせいにしていると、自分にマイナスの氣の影響があるとは微塵も思わず、だから氣は届かずにマイナスの氣は更に引き寄せられる、という具合にマイナスの氣の思う壺にハマります。
真氣光を受けるのはもちろん、自分をどう変えていったら良いのか、しっかり考えることです。
大切なのは自分が変わろうとすることなのです。