昨日の朝、親友が亡くなったと連絡があり、私は「もう会えないのか」と思うと悲しみで一杯になってしまいました。 彼とは、中学から予備校、大学まで、共によく遊び、いろいろなことを学んだ仲でした。 社会人になっても、時々家にやって来て面白かった昔話をしては、私を楽しませてくれる、気使いの上手い男でした。 彼は3年前にガンがわかり、このコロナ禍で会えない状況が続く中もメールで近況をやり取りしていたのですが、「連絡が来ないなぁ」と、ちょうど気になっていた矢先でした。 彼には、してもらったことは多いのに、何もしてあげられなかったと、いろいろな後悔が湧いてきて悲しくなります。
いま私にできることは、真氣光を受け、彼に送ることです。 音氣をかけながら氣中継器ハイゲンキを胸の上に置き、目には見えないけれど光のような真氣光のエネルギーをイメージしながら、自分にエネルギーを取り入れ、彼に送っておりました。
人の体の中には、目には見えないけれど、光のような氣のエネルギーがあります。 人はいつか体を失いますが、体が無くなっても、心(意識)とともに氣のエネルギーは残ります。 意識が死後も継続するのですが、死んだからといって急にそれが変化することはありません。 辛い気持ちが強ければ、氣のエネルギーが落ち暗い魂となって、ずっとそれが続きます。 気持ちの切り替えが、生きている人よりも難しいのです。 だから、生きている人が、故人のお墓参りをしたり供養をするわけです。 気持ちが明るくなれば、氣のエネルギーとともに自由になる度合いも増え、天国とも言うべき、光に満ち溢れたところに逝かれます。
真氣光という、この宇宙からの見えない光のエネルギ−は、先代が白髭の老人の夢に教わり氣中継器ハイゲンキを作ったのが始まりです。 空間からエネルギーを取り出す機械ですが、これを使うことで、私たちの体の中ばかりか既に体を失っている魂にもエネルギーが浸透し氣を高めます。 そして、この真氣光を集中的に受けると、誰でもこの氣を出せるようになるのです。 真氣光を人に送ることで、その人の口を借りて、思いも寄らない言葉が出てくることがあるのですが、私はそれを魂の言葉として聞くことで、このような魂のしくみと真氣光というエネルギーの役割がわかりました。
遺された人が、悲しんでばかりいては、亡くなった人は気になってしまい光の世界には逝けません。 真氣光は魂に浸透するエネルギーですから、私のような者の救いとなります。 私自身、真氣光を受けながら、彼の旅立ちを力一杯応援したいと思うのです。