6/9から鹿児島県は姶良市の「真氣光庵あかり」がスタートしました。 この「あかり」につきましては、3/25付の1233号に創設の経緯を書きました。 私は、毎月一回の真氣光レッスンの時には、センターに出向くことにしたのですが、先月は熊本センターに行き、そのついでに鹿児島にも寄ってみたのです。 その様子を私のYouTubeチャンネル「それ、気のせいです」で紹介していますので、ぜひご覧下さい。 当日は、スタッフ河地さんのお兄さんご夫婦も来てくれて取材が出来ました。 映像編集の関係から全収録が入らず続編ができてしまいましたので、またの機会にアップしたいと思います。
ところで、河地さんに話を聞いている中で、既に亡くなっているお母さんが、真氣光を受けている時に出てきて、「この家を使って欲しかった」と伝えて来たという話があります。 今日はこれをたとえに氣と真氣光の話を説明します。
私は、見えない、科学でも捉えられないけれど何かしらの働きがある、ですからエネルギーと言っていますが、このようなものの総称を氣と定義しています。
氣は、いろいろなところに存在していて、私たちは、それを感じることができます。 目には見えないけれど光のようなものと考えると分かりやすく、明るい氣は心をラクにして、暗い氣は気持ちをネガティブにします。 自然の中で清々しいと感じたり、嫌な雰囲気の場所があったり、思いや念みたいなものも氣です。 また、私たちの体の中にも生命エネルギーと呼ばれる氣があり、この氣は死を迎え体が消滅しても、氣として残ります。
真氣光は、この空間や宇宙にある氣ですが、氣中継器や氣グッズを使って取り出すことができ、それは私たちの氣を増やす方向に作用することが経験的にわかっています。 真氣光を受けると、自分の中の氣が高まる(明るくなる)ばかりか、周りにも明るい氣が増えるのですが、いつも真氣光を受けることで、この明るい氣が力を貸してくれることも多くなります。 周りに存在する氣を感じやすくなることもあり、周りの氣つまり魂など霊的な存在が真氣光を受けている人の口を借りて声として出てくることがあります。 河地さんのお母さんは、伝えておきたい気持ちが強かったので知らせて来たのだと思います。 明るい氣となっている魂は、氣のエネルギーが増えているので、できることも多くなりますから、河地さんたちに、自分の思いを伝えるばかりか、その前からいろいろなことを計画してくれていたのでしょう。 このように、私たちは真氣光を受けることで、ご先祖にも氣が届き、たくさんの応援をいただけるということになりますから、良いことを見つけ、感謝という明るい氣を送りたいものです。