私は、19日~22日まで名古屋駅からJRとタクシーで2~30分「あいち健康プラザ」というところに来ています。
今年初めて愛知で真氣光研修講座を開催することができ、地元の方を中心に定員一杯50名ほどの受講生が参加してくださいました。
今回の研修講座は、お彼岸も近いということで、それを意識して先祖や家族に氣を送りたいと受講された方も多く見受けられました。
ところで、ご先祖様とは何代くらい前の人たちを言うのでしょう?私は、この真氣光を知る前は、出身地北海道は歴史が浅いこともあって、せいぜい4~5代前のご先祖くらいしか頭にありませんでした。
ところが氣の世界を知るようになってからは、どれくらい前に遡れば良いのか見当がつきません。(実際には過去に生きた方、全員ですから頭の中に規制をつける必要は無いのですが)
遠い昔に生きていた人が、氣を受けている人の口を借りて出てこられることがあります。
今回の講座開催地「愛知」というところは、時代が戦国の世であれば、日本の中心ともいえるべき土地です。
織田信長、豊臣秀吉をはじめ徳川家康と、時代の頂点に君臨した人たちが深く関わったところです。
そのような力ある人を出せた土地ということは、それだけ強い応援のエネルギーもたくさん味方したということでしょう。
しかし力で頂点を極めたということは、その蔭で多くの人たちが苦しみを味わったということでもあり、逆に恨みなどたくさんのマイナスの氣とご縁の深い土地でもあるわけです。
戦国時代には、ここから多くの人が日本全国に出陣しているでしょうし、泰平の世・江戸時代に変わっても、ここを出身とした人たちが各地で要職についています。
まさしく愛知という土地で研修講座を開けるということは、氣の観点からいうと、光を日本全土に拡げることにも繋がるということなのです。
先月の研修講座が終わった後に、私が氣を受けていると「とうとう愛知の地に来るか、心せよ」と低い声が聞こえたのでした。
それは真氣光のエネルギーが強くなって、潜んでいる強いマイナスのエネルギーにもやっと打ち勝てる準備が整ったという意味でもありますし、「油断すると危ないぞ」という警告でもありました。
私も真氣光と洗心を心がけ、スタッフにも「精進して」と伝えたのです。
今回から一人一枚の大判プレート入りストレッチマットを用意しましたので、皆さん氣をより強力に受けられているようです。
図らずも最終日の22日は先代の73回目の誕生日です。参加者全員のより輝いた笑顔を見られるよう、この世での役割をしっかりと果たして、先代に良い報告をしたいと思っています。
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投稿者: 中川雅仁
ホワイトデーですか?
昨日の夕方のこと、用あってデパートに行きましたら、会社帰りのサラリーマンの男性3人がハンカチ売り場の前で固まっておりました。
「ん~」、「そうですね~」、「確かにエコバックもありですかね・・・」たまに発せられる会話をつなげ、私なりに推測してみました。
年齢の関係から同期ではなく同じ部署の所属長を含む男性陣、三人寄れば文殊の知恵と言いますが、どうやらバレンタインデーのお返しで、何か買わなければならないのですが、なかなか決まらないという感じです。
暗く悩んでいる風でもないのですが、売り場の前で会議中です。
どんなものが女性達に良いのか?ダイエットブームだから食べる物よりは使える物の方が良いだろう。
あれこれいろいろ考え、辿り着いた先がここだった、私も痛いほど気持ちがわかります。
男性は女性に比べて(注:私だけかもしれませんが)、特にこのようなプレゼントものを買うのが苦手というか下手なのだと思います。
どこに難しさがあるかを考えると、もらう相手の心の状態を推測しなければならないという、一種曖昧なところだと思うのです。
これが家電製品のように、製品の仕様を比較してまとめられた機能表から、どの機能が良いからこれを選ぶというのと訳が違う、それが困難にさせている点です。
相手が使っているところなどを想像して、「良さそうだ」という曖昧なところには、機能ばかりではない雰囲気、つまりある種の氣を感じる必要があるのです。
人を思うということは、氣が届くということ、恨みや怒りではマイナスの氣が届いてしまい良くありませんが、喜んでもらえるようになどプラスの心であれば、プラスの氣が届きます。
自分が発している氣と同じものが同調して集まって来るのですから、自分にも良い氣が集まることになるものです。
この方々の職場は、さぞかし良い職場であろうと思って見ていたのでした。
まだ、しばらくは時間が掛かりそうでしたので、結果がどうなったのかはわかりませんが、この三人の男性は偉いと思います。
「義理を感じて」ということかもしれませんが、普通なら「面倒だ」とか「適当に」と思ってしまうところでしょう。
心の余裕がなければ、なかなかできないことです。
以前聞いた話には
「宇宙から応援は来ていますが、自分のことだけしか考えていない人には、ひらめきは起こらない。自分のことだけで、他に余裕が無くなっている、そのような人にはひらめきのエネルギーを入れるのは難しい。」
三人の方々、良い買い物ができたことでしょう。
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春は縁が広がるシーズン
私が行きつけの近所の蕎麦屋ですが、先日も妻とのディナーにでかけました。
蕎麦の前にちょっとビールのつまみを頼んで待っていると、オーダーしていないワサビのおひたしが出てきたのです。
「?」二人で顔を見合わせていると、お店の店員さんが「私、卒業するので今週一杯なんです。いつも来てくれているので、お礼に」とのこと。
「えーっ辞めちゃうの」。
その蕎麦屋ではローテンションを組んで3~4人のアルバイトが日にちを変えて一人で店を切り盛りするかたちです。
小さい店ですが、お客さんが多い時はたいへんです。
それでも彼女は気が利いて、明るく、清々しく・・・そのことをいつも妻と話していたんです。
これまで何回も会いましたが、話したことはなかったので、まさか女子大生でそれも4年生、就職を控えていたとは、まったく分かりませんでした。
3月は卒業のシーズンですね。
別れがあって出会いがある。
昔は、何だかワクワクするような感覚があったのですが、しばらく何だか寂しい感じだけが残っていました。
妻はそんな私を見て、それは年をとったということで、“おじさん”になった証拠だと言います。
話は変わりますが、今週日曜の会長セミナーを最後に仙台センターが閉所になりました。
仙台センターは狭いので、真氣光の時間にも横になる空間もないほどでしたが、たくさんの皆さんが集まってくれたこと、本当にありがとうございました。
仙台では、今後も毎月の私の真氣光セッションとスタッフによる気功体験会で月に2回はお邪魔します。
ですから皆さんとはお別れということではないですが、センターの建物とはお別れになるわけで、‘95年の開所以来、いろいろなドラマを見てきたであろう建物にも、感謝の氣を送らせていただきました。
月刊ハイゲンキにも書きましたように、今回の閉所は人員の都合によるものですが、諸事情が解消し良い場所が見つかれば又再開できると、私は一時閉所の気持ちですが、やはり何となく寂しい。
強くないアルコールの酔いとそんな気持ちも重なったので、蕎麦屋の彼女の話は、私の心にジーンと来ていたのかもしれません。
妻によれば「今日のあなたは“おじさん、みょうに黄昏れるの巻”」だということで、笑っておりました。
会えなくなることで縁が薄れるというわけでもありません。
さらにはまた違う出会いもある。
そうやってご縁は広がるものでしょう。
だから黄昏れもまた良しということです。
真氣光を受けていると、そんなふうに、いろいろな応援が感じられるのです。
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真氣光ビギナーズ(4)真氣光の進化
前回(2/6発行)、真氣光の源となる宇宙から「・・・あなたたちは、自分の心を客観的に見ることが苦手のよう。感情に流されるので、嬉しいことがないといけないのでは?・・・」と教えてもらったという話を書きましたが、今月真氣光に新しい波動が加わりましたので、もう少し説明したいと思います。
例えば、私たちは嫌な人がいたり嫌なことがあると、何とか回避したいと、まず思ってしまうものです。また嫌なことが、辛くストレスになり体に悪いと理由を付けて取り除きたくなったり、自分は何も変わらないで、何も変えないで、それも良いことだとこじつけていたりします。
私たちの周りの人や物事、起きる現象は、すべて「その人の魂をより強くする」という理由があって存在しているのですが、周りに存在するマイナスの魂の影響を多く受けてしまうと自分の心を客観的に見ることができなくなり、嫌だと思う心が先行し、ストレスだと感じやすくなるのでしょう。
嫌だと感じるのはどうしてか?それを変えるには、自分がどうすればよいか?昔にも似たような事があったなど、自分の小さい頃からの課題がそこに隠れているかもしれません。自分の心の中をもっと分析してみる必要があるでしょう。そして自分が解決しようと行動したことでプラスに変わったというように結果に出すということが重要で、体に出ている現象などもプラスに向いていくことがあるものです。氣づきが出て、その人の魂の強さとなり、そうなれば、そこに来ている魂も本来の場所に行くことができるのです。見過ごさないということ、解決して欲しいと周りの霊的な存在も思っているものです。
私はたくさんの魂たちに会ってきましたが、彼らは苦しみや恨みなどマイナスの感情はあっても、光が欲しい早く楽になりたいと必ず思うもので、それは魂の通り道なのです。それを分かって、生きているうちに強い魂になっていればよいわけで、そうすることで、死んでから行きたいところに行けるということになります。
生きているときに、たまたまストレスが無く幸せだからといって、死んで楽になれるというものでもありません。ただ楽しいだけでは駄目なのです。時には難問が立ちはだかることもあるでしょう。越えられないハードルは与えられないのですから、それは、その人が以前よりも成長できた証ともとれます。真氣光を受け氣づいて行動できることでエネルギーが増えて、たとえ周りが何も変わらなくても“幸せと感じられる心が湧き上がる”のです。表面的には辛くても一生懸命に生き、人の為に何かできるのです。真氣光が進化し、それがより顕著になったのです。
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(27)昔取った杵柄
私の父、先代は、元は時計技術者でしたが、‘86年に真氣光という宇宙からのエネルギーを集めるハイゲンキの作り方を夢で教わりました。‘95年に亡くなるまでのおよそ10年間、気功という分野に新しい風を吹き込むと同時に、医療ばかりではなく環境問題やエネルギー問題にも目を向け、氣づきの重要性と「すべて起こることには意味がある」と言い遺したのです。父は中学を出て時計技術を習得したのですが、その技術が無ければハイゲンキはできていなかったでしょうし、真氣光も無かったかもしれません。
私は、父が亡くなり突然この会社を引き継ぐことになりましたが、元は電機会社の研究開発部門で働くエンジニア、この会社に転職して3年ばかりが経過しているときで、35歳の経験も乏しい私が何故父の偉業を引き継ぐことになったのか、最初はわかりませんでした。そのうちに誰よりも自分が真氣光というエネルギーを体験しなければと思うようになり、一生懸命に真氣光を受けました。そして、ある時わかったのです。すべては理由があって起きていて、遙か昔から計画されていたということ。つまり宇宙がこの地球にエネルギーを送りたくて、父に氣の中継器をつくらせたこと。そして元エンジニアである私が、それを引き継ぎ、氣中継器の性能をさらに向上させて、たくさんの人たちに利用してもらうという役割があるということを。
「昔取った杵柄」ということわざがあります。辞典には『過去に鍛えた技量は年月を越えても十分に使うことができるというたとえ。「杵」は穀物などを臼に入れてつくための道具で「柄」は杵の手で持つ部分の呼称。つまり、若かりし時に餅つきなどで鍛え抜いて習得した腕前ということから。』と、あります。
私の場合、確かに昔の技量が活きました。当時はただ目の前の事に立ち向かっていたことが、点と点を繋げると線になって、さらには方向性を持つ矢印に変わるように、はっきりとわかったのです。サラリーマン時代の経験が無ければ、今の音氣CDや真氣光DVD、クリスタルマットに真氣光チタンプレートなど大半の氣グッズ、さらにはパワーユニットをはじめスティックヘッドやホワイトセラミックヘッドに至るまでの全てを思いつくことは無かったでしょう。
技量と言うと狭くなるので、経験という言葉で置き換えても良いように思います。どんな人にも無駄な経験はなく、年月を越えて、それが活きるのではないでしょうか。その時にはわからなくても、後になって全ては繋がっていると気がついたとき、私たちを生かしてくれている、この宇宙の大いなる存在に感謝せずにはいられないのです。
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気が向く・氣を向ける
毎年の友人との年賀状ですが「今年は会おう」と書いていてもなかなかお互いに時間が取れなくて先延ばしになり、気が向かないわけではないのですが、もう何年にも渡って実現しないことがあります。気が向くという言葉を辞書で調べると「ある事をしたい気になる」、つまり、意識がそちらに向いて、それがとてもしたい気になるということで、さらに「えぃ」と決心しないと行動できない、ただ考えているだけではいつまでも行動できないものです。先日、ある人が「何年間もずっとそのままになっていた倉庫を片付けました」と言っていましたが、「掃除は良いことなので、やろう」と思ってから随分時間がかかったとか…。
私たちは良いことをただ待っているだけでは、守護霊さんのようなプラスの氣の存在も応援の手だてが無いのです。たとえばある方の体験で「前日やっていた問題が入試問題にそのまま出ました」という人がいました。前日も勉強した、つまり努力できたから、それに向けて守護霊さんのような存在は応援できたのです。私たちは考えているだけでは、魂の輝きにならず、思うように成長できないものです。どんなに簡単なことでも、思っているだけとやってみるのは大違いです。やってみられることで、またその時の体を通しての体験から、違う氣づきにもつながるというものです。
私は、特にマイナスの氣が関係しているときには、行動になかなか移せないものだと思います。マイナスの氣にとっては、行動されるとその方の魂の光が大きく増え自分の居場所が無くなるので、何とかそれを阻止しようということが起こるわけです。やらなければならないことが意識に上ってから気が向き、決心して行動する。真氣光を受けていると応援が受けやすいのですが、これは、行動に移す前段階にも言えることです。気が向くような状態になるまで、意識して氣を向けていく、真氣光を受けながら実現に向けて必死になって考えてみることです。
しかし、その人にとってそうならないほうが良い場合には、守護霊さんのような存在によって気が向かないようにさせられているということもありますから、全ての出来事に当てはまるというものではありません。プラスかマイナスかは、日頃から真氣光をしっかり受けていくことによって、自然に最適な選択になるでしょう。さらには、真氣光を受けるということについても、何か「気が向かない」とか「忙しい、面倒くさい」という時がありますから注意してください。これはマイナスの氣の影響ですから、そういう時は、よりいっそう氣を受ける必要があるのです。
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真氣光ビギナーズ(3)真氣光と洗心
先代の時代には、工学博士の故・関英男先生が、洗心の指標について真氣光研修講座で講義をしてくださっていました。
私もプラスの氣・マイナスの氣を集める心の持ち方ということで、よくお話ししています。「強く、明るく、正しく、我を折り、よろしからぬ欲を捨て、皆仲良く相和して、感謝の生活」という、いつも持つべき正しい心をできるだけ持つようにして、「憎しみ、妬み、そねみ、うらやみ、呪い、怒り、不平、不満、疑い、迷い、心配心、咎めの心、いらいら、せかせか」という心から無くすべき感情はできるだけ少なくしましょうというものです。
例えば「笑う門には福来たる」という言葉に代表されるように、プラスの心にはプラスの氣が集まり、マイナスの心にはマイナスの氣が集まります。
できるだけプラスの氣に同調して生きようということですが、生きていくということは、いろいろなことがあるものです。
私は、自分がマイナスの心になっているのがわかったら、まず真氣光を受けて下さいとお話ししています。
そうすると、徐々にマイナスの心が減って来るのです。
私には、氣を受けていると、真氣光の源である宇宙から、教えてくれる存在があります。
彼らが言うことには、
「たくさんのエネルギーを受けてもらえるようになり、私達は喜んでいます。
体の不調が出ている人もいるでしょう。
安定してくれば、益々多くのエネルギーを送れると思います。
人には心が有るので、たいへんになるのでしょう。
私達のエネルギーに焦点を合わせてください。
そうすれば効率よく送れる。
あなたたちは、自分の心を客観的に見ることが苦手のよう。
感情に流されるので、嬉しいことがないといけないのでは?そんなにマイナスではないのに、嬉しいことに基準を合わせるので、それ以外の時に不満になるのでは?だから常に楽しくなければ満足できないのでは?それと魂の成長とは、あまり関係がない。
嬉しい、楽しいに関わらず、チューニングをこちらにあわせてくれれば、こちらは送りやすいのです。
逆に言えば、プラスの気持ちと真氣光の受けやすさとは関係がないのです。
辛い気持ちでも良いのです。
シンプルに真氣光のエネルギーを欲しいと思いさえすれば良いのです。
受け手の条件にとらわれないのですから、強い光です。
いつでもどんなところでも、あなた達の気持ちに関わらず送ります。
信じてくれれば、それで良いのです。」
ということです。
どんなにマイナスの状態であっても、人は氣づくことによって、大きく魂の輝きが増すのです。
それを促してくれるのが真氣光です。
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同志のような存在
日曜日の会長セッション、福岡は雪でした。「今日はキャンセル続出かも・・・」そんな雲行きにも関わらず、皆さん変わらずに集まってくださいました。バスで宮崎・大分から来てくださった方もおられ、本当にありがたいことです。会長セッションとは月に一度、私が集まって来られる方々に氣を送るという日です。一般の方もいらっしゃいますが、会員の方が多いのです。ここで「会員」とは、氣中継器を持っている方で、たいていは「昔はたいへんだった」という方です。どんな人にも生きていく上で、身体のことや人間関係、仕事や家族、一見マイナス的なことが多々ありますが、宇宙からのエネルギーを取り入れ、自分のエネルギーを増やすことで自分ばかりではなく周りをも変えていこうと、日々前向きに取り組んでいる人たちです。真氣光の源となる宇宙は、私ばかりではなく、そのような人たちを一生懸命に応援しています。この日は、さらに大きくプラスの方向に進めるように、私が会員の皆さんのお手伝いを、月に一度各地でさせていただいているという感じなのです。「会員」とは一人ひとりがこのエネルギーを利用して周りのマイナスの氣をプラスに変えている、つまり影に覆われがちなこの地球上で光の灯台のような存在です。ですから私にとっては「同志」と言うような感覚なのです。
ところで月曜日は、月刊ハイゲンキの取材で両国国技館のそば、墨田区横網(よこあみ)町公園にある東京都慰霊堂に行ってきました。「1923年9月1日に起こった関東大震災の犠牲者5万8千人の慰霊記念堂として竣成。その後’45年3月10日の東京大空襲で約7万7千人が犠牲となり、この堂の納骨堂を拡張して遺骨を奉安し東京都慰霊堂と改め永く諸霊を奉安することになった。」という由来の慰霊堂です。私は、犠牲になったたくさんの人々の魂に多くの光が届くように、さらには二度とこのような不幸な出来事が起こらないようにと、お祈りさせていただきました。宇宙が伝えてくる話には、真氣光という強いエネルギーは日本にしか送れなかったというのです。それは、この国が、二度の原爆、沖縄戦、東京大空襲・・・人類史上これほど悲惨なことは無いという体験をすることで、もう二度と戦争はしないと決めた、地球上で唯一の国だからということなのです。真氣光のエネルギーはどんどん強さを増しています。会員の皆さんの魂に深く強く光が届くことで、どんなマイナスにも揺さぶられることのない魂の輝きとなり、それがご縁のある人を通して周りに届き、そしてこの地球を変えていくのです。
念のため
先日の米国大統領の就任式には、オバマ大統領に夢を託す人たちが全米から200万人、厳寒のワシントンに集まったと、テレビや新聞が報じておりました。すごいですね、米国民の熱氣を感じます。その就任式で、大統領が宣誓の一部、「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行し」という文言を間違ったまま復唱してしまったということで、多くの法律専門家は「有効」としたけれど、念のためにやり直したということでした。やり直した分だけ、しっかりと氣が入ると同時に氣が届き、たくさんの応援とともに良いスタートを切って欲しいものです。
私は・・・といえば年初から、あたふた仕事をしておりましたが、念のためにスタッフにちょっと確認しておけばよかったことを言い忘れ、そのことが原因で手痛い失敗をしてしまいました。世の中、不景気だということでマイナスの氣が多くなっているこの頃ですから、忙しくてもより一層「念のために」とか、「念を入れて」「氣を入れて」ということが、マイナスの氣に同調しない心の持ち方だと反省した次第です。
ところで最近は、年のせいなのか?忘れっぽくて、特に咄嗟に言葉が出て来なくて困ります。「んー、あの、その・・・」年のせいにしてはいけないですよね、私より年齢が上のたいていの人はしっかりしているのですから。私の場合仕事上、人の名前がすぐに出て来ないのが困るのです。スタッフに「最近○○さんは元気?」と聞くところを、名前が出て来ないばかりに、「あの、その、えーっと、あそこに住んでる・・・お母さんと一緒に来られた・・・・もと○○の病気だった・・・」結局、話を聞いている人はわけがわかりません。周りの人の邪魔をしてはいけないと思うと、だんだん気軽に聞けなくなる始末。どうも脳が一時休止しているようです。このようなときは「考えた方が良い、思い出そうとすることで脳が活性化する」ということを本で読んだものですから、思い出そうと必死に頑張っているわけです。しかし、これは悪いことばかりではなく、思い出そうとしている間、その人の顔は頭の中にしっかりとイメージしているわけですから、「たくさん氣が送られている」ということになるかもしれません。運動不足が頭に悪影響を与えているようですから、それはそれで対処しようと思います。さて、氣になる人が頭に浮かんだら“念のため”に遠隔真氣光をお薦めします。もう一つ正会員の皆さんは、同居家族はもちろん同居していない2親等までのご家族が別居正会員として登録できますので“念のため”登録されることをお薦めします。少しずつでもしっかりと氣は届いていくでしょう。
つらい体験に同調するマイナスの氣
今週は、このニュースが始まってちょうど600号目になります。皆様、読んでいただいてありがとうございます。過去にどんなことがあったかと思い、12年前の古い記事を読んでみると、今となっては恥ずかしことばかり書いておりました。(今でもお恥ずかしいのですが・・・)こんなことがあったかなぁと、すっかり忘れていることも少なくありません。私は、もともと記憶力が弱いのか、どうも忘れやすいたちのようで、妻がしっかり記憶していることでも、「そうだっけ?」という有様です。とくに私の失敗で彼女が迷惑したことなどは、私はすっかり忘れており、家では「まったく都合が良い人」ということになっております。
ところが先日、新聞を見ていると「お年寄り つらい記憶は忘れがち?」という新聞記事に目が止まりました。「お年寄りは若い人に比べ、嫌な記憶を消すのが上手らしいことが、米デューク大の研究でわかった。お年寄りは辛い記憶をするとき、若い人とは別の脳の部分を使っていて、過去がバラ色に見えやすいらしい・・・。MRIで脳を観察したところ、お年寄りは若い人に比べ、記憶に関連し、感情をつかさどる部分より、高度な思考をつかさどる部分が活発に働いていた。」というものです。私も、無意識のうちに上手に脳を使っていたのかもしれません。(笑)
ところで、私が氣を送っているとよくあることですが、つらい記憶を意識していなくても、その体験による波動的な同調作用によって、集まってきたマイナスの氣が身体に隠れていることがあります。例えば昔のことで、ご本人は「そんなに辛くはなかったけれど・・・」ということにも、マイナスに傾いた魂などが関係していて、それが自分のエネルギーが下がった時などに、身体や身のまわりに一見マイナスの出来事を引き起こしたりする場合です。
それが真氣光を受けることで、時には涙や痛みが出たりなどの好転反応がともなうこともありますが、結局潜んではいられなくなって、すっかり消えてしまうのです。日頃から氣を受けながら年を重ねることで、身も心も真の意味でバラ色、つまり幸せを感じられるようになるというわけですから、真氣光のエネルギーを活用してほしいと思います。
さて、この真氣光ニュースは、昨年よりパソコンや携帯メールに限り一般の方の購読も可能になりましたが、このたびSASのホームページ上に真氣光ニュースというサイトを開設し、過去の私の記事などが見られるようになりました。携帯にも対応しておりますが、パソコンからはキーワードによる記事検索も可能ですので、ぜひご利用下さい。
これからも真氣光ニュースを宜しくお願いいたします。
