秋ですね、先日私は妻に付き合って美術館巡りをしてみました。
芸術は爆発だと言った人がいますが、こんなことを表現する人がいるのか、これはどうやって無から誕生したのかと、感心してしまいます。
私は、感じるよりも頭で理解したくなる性格ですので、時々「これは何を表しているのか、さっぱりわからない」と、頭を抱えることも度々です。
特に現代アートは、摩訶不思議な世界を感じたのでした。
江戸、明治、大正・昭和・・・と時代が進むうちに段階的に、さらには急激に、人々は自由を謳歌できるようになりました。
情報化が進み、自分の個性を発信できるようになり、それに波長を合わせる人同士が、昔に比べ簡単に繋がりあえるようになったのです。
一つの枠にはめられるのではなく、いろいろな考え方が受け入れられるようになって、私たちの心はどんどん多様化していると言えるでしょう。
それは、この地球にとって必要なことでもあるわけで、それぞれを尊重して、それを生かし合い、相互に補間し合って、より発展していかなければならないということなのでしょう。
しかし、その多様化が、魂の世界では弊害となって目立ってきているのかもしれません。
あちらの世界の方々も、身体は無くなってしまったけれど、私たちと同じ心の持ち主ですから、徐々に多様化しているわけです。
ここに居る人がそこに居る人とミックスすることがないように、魂もまたくっつきあって一つの魂になることはありません。
皆一人ひとり全く違う心を持ち合わせていて、それは多様化しているのですから、大きく違うこともしばしばです。
同じ寂しい気持ちで引き合って来た魂も、ある魂は光の世界が素晴らしいと、あちらに行けたとしても、次の魂は必ずしもそうとは限りません。
全く違う価値観を持っているとすると、その気持ちに至るまでの心の変化は、千差万別、人の数だけあるはずです。
これは光を送る私たちにとっても重要なことで、十把一絡げにしてはいけない、一人ひとりの魂が持つ心を丁寧に大事に扱うということは、それだけ難しいことでもあります。
私は、ホワイトセラミックヘッドの誕生によって、一つ一つのいろいろな細胞に真氣光の波動が入り込むようになったと説明しております。
真氣光のエネルギーも、ただ強いだけではなく微細な波動になることで、一つ一つの細胞と同じように、多様化されたいろいろな魂にも光が届く時代になったのです。
自らの魂に真氣光のエネルギーが充電され、それが周りのご縁のある魂にも光が届くことで、氣づきが得られるのですから、氣づきの種類もいろいろなものがあるでしょう。
今日から真氣光研修講座が始まりました。
そんなことを意識して、私も講座に臨もうと思います。
(中川 雅仁)
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