水に流せないときには真氣光

今朝のテレビニュースでは、イラクで米軍撤退後の爆弾テロが相次いでいると報じていました。
今日は9.11同時多発テロが起きた日ですが、あれから何年も経過しているのに、悲しい報道は続いています。
私は2001年、テロが起きた日から2週間後、ニューヨークでのセミナー開催で渡米しました。
世界貿易センタービルの残骸が、まだ煙を出しており、それを前に氣を送ったことを昨日のことのように覚えています。
 当時米国は報復という言葉のもと、国全体が団結する方向にありました。
その中でのセミナー開催だったのですが、私の洗心とマイナスの氣・プラスの氣の講義中、受講生たちとの質疑応答は、怒り・恨み・悲しみなどテロの話でもちきりになったのです。
しかし、そんな受講生たちも真氣光を受けていくうちにどんどん変化して、最終日には恨みよりは光を送ろうという気持ちに変わっていったことが、私の心にとても印象に残っています。
 報復と恨みの念は、ほんとうに強いマイナスのエネルギーで、人類の誕生以来数々の戦争があったおかげで、すっかりこの地球にしみ込んでしまっています。
日本でも、数々の戦(いくさ)がありましたから、たくさんの魂が憎しみや恨みの心をもっています。
そして私たちは、知らないうちに、その影響をうけてしまっているのです。
 ところで日本語には、「水に流す」という素晴らしい言葉があります。
流れる水には浄化力があるのですが、全ての穢れや邪悪なものを川などで清め流してしまうことが語源だそうです。
昔むかしから日本人は、災いや祭り、祈りの時、思いを込めていろいろなものを川に流してきました。
そして人と人の間に生じるマイナスの感情もまた「水に流す」ということで収める考え方をしてきたわけです。
都合の悪いことは何でも「水に流して」忘れ去ってしまうという、悪い意味で使われることもあるのですが、本来の意味は、穢れや邪悪なもの、つまりマイナスの氣を流し清め、光の方向に進むための意味で使われてきたのでしょう。
 私たちは、日頃恨みや憎しみには気がつかなくても、「水に流せない」と感じることがあるものです。
逆に、このような時はマイナスの氣の影響を受けていると考えられます。
確かにそこには、そう簡単にはできない、たいへんな事情があるのかもしれません。
しかし、マイナスの氣のあるところには、大量にマイナスの氣が集まる傾向が強くなっているのが、現代の氣の環境です。
このような時代だからこそ、真氣光をたくさん受け、氣の環境を良くし、少しでも身軽になりたいものです。
(中川 雅仁)
[menu][次へ]