携帯電話のCMに犬が登場しますが、これまでもいろいろなCMに動物が登場してヒットしていますから、人とペットとの関係がいろいろな視点から研究されるのも当然なのでしょう。
先日、どこの大学の先生か忘れましたが、犬と飼い主が似ているということに注目して研究しているという記事を読みました。
この先生は顔の類似性ばかりではなく性格の類似性というのも面白いと、調査のための飼い主と犬の性格テストを開発していると書いていました。
犬の性格テストがどんなものかはわかりませんが、私も「これは、あり得る」と興味深く読ませてもらいました。
もともと自分の顔と似た犬に愛着をおぼえて犬を選ぶのかもしれないと前書きがありましたが、人間の夫婦も一緒に生活することで顔が似てくるという報告があり、それと類似性があるのではないかと調査・研究しているようです。
ところで、夫婦の顔が似る理由として上げられるのは、
(1)食べるものが同じだから(高脂肪食による肥満傾向など)
(2)気候が同じだから(日焼けや温度による影響)
(3)同じ体験をするから(喜んだり悲しんだりという感情が顔に刻まれる)
ということのようですが、私は、(3)に加えて「氣が関係している」と思っています。
どんな人からも見えないエネルギーとしての氣が波動として放射されていますから、長い年月の間に影響を受けて似てくるわけです。
ですから、姿形ばかりでなく性格のほうが似やすいのかもしれません。
さらには、犬のように従順で、飼い主に波動を合わせようとするペットは似やすいのではないかとも考察できます。
この氣という観点で見た場合、道具などのモノにも影響を与えることがあり、特に使い捨て文化が浸透した現代人には忘れてはいけないことだと思っています。
長年使っている物は、持ち主の氣の影響を受けますから、音楽家の楽器やスポーツ選手の道具、さらには板さんの包丁などなど、感謝して大事に使っているモノは、大きな力を持ち主に貸してくれるでしょうし、そうできないものは逆にモノからマイナスの氣の影響を受けてしまいます。
私は、生きている人の魂が持つエネルギーつまり氣が波動として伝わり、それが周りに影響を与えるので、自分自身の氣を高めることが重要だと思っています。
動物にも、モノにも、植物にも、良い影響を与えられるのが人間であり、特に人の氣のエネルギーが持つ潜在力は大きなものがあります。
それに顕著な効果を与えてくれるのが、真氣光だと思うのです。
(中川 雅仁)
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投稿者: 中川雅仁
(62)マイナスの氣の連鎖
いま私は、つくばみらい市で8月の真氣光研修講座を開催しております。きょうは3日目で、朝の「いいとこ探し」行法も、心に響く発表が続きました。
今月は、終戦記念日やお盆などがある特別な月ということからでしょうか、受講生の皆さんには、ご先祖に氣を送りたいという方が多く、真氣光のピラミッドとハイゲンキ照射ヘッドでつくる遠隔真氣光の装置を人数分配置したコーナーが、会場の後ろに自然のうちにできあがっておりました。亡くなった魂にもエネルギーを送れるのが真氣光のすばらしいところであり、さらにはそういう魂たちが生きている私たちに多くの学びを与えてくれることもあります。
ある時、私が氣を送っていると、氣を受けている人から出てきた魂がありました。「育った環境が恵まれなかったから何を努力しても駄目なんだ。だからこいつの人生も、めちゃくちゃにしてやる。」自分の一生が思うようにならなかったのでしょう。ヒガミや妬みという強いマイナスの思いがあるばかりに、光の世界に行けない魂でした。
私は、かける言葉も見つからず氣を送っていると「あー、自分もそうだったんだ、わからなかった」と言ったのです。その魂が説明するには、自分も何かマイナスの思いを持った魂に強く影響されて、生きているとき身の周りに良くないことがいろいろ続き、その結果、ひがんだり人を妬んだりするようになってしまったと言うのです。さらに、その魂は「もう遅いよ、こんなになっちまった、もうやり直せないよ」と泣きます。「今度は後悔したまま、ずっとこのままか、氣づく前の方が良かった。やっぱり駄目だ・・・俺はこいつにひどいことをしてきた」と言うのです。どんなことをして来たのかと聞いてみると、その魂は、小さい頃からその人に、怪我をさせたり、病気にしたり、時には友達に働きかけて仲違いをさせたり、たくさん悪いことをしてきたと言います。
そして最後に「でもこいつは、へこたれないんだ。何でだろう」そう言うとすぐに「そうか分かったよ、違うんだ。同じような体験をしても駄目になる奴と、そうならない奴がいる。自分だけが嫌な思いをしたわけじゃない、不幸なわけではなかったんだ。」真氣光のエネルギーがどんどん、その魂に氣づきを与えていきます。
「もうここで嫌がらせをするわけにはいかない、でもこんな悪いことをして天国にいけるはずもないし・・・」と言うので、私はどんな魂にも光は届くこと、自分の体験を生かしてこれからも人のためになれるということを伝えたのです。すると「白い光が見える」と言って、スーッと消えて行ったのでした。
重たいのにも理由(わけ)がある
最近は暑いので、ポケットには物は入れたくないし、手に持つカバンも出来るだけ小さいモノにしたいと出がけに悩んでいると、先日妻はバッグが重いのでビックリされたと言うのです。
よく聞いてみると、美容室で手荷物を預けるときに「中川さんのバッグは重いですね、何が入っているんですか?」と言われたのだとか。
私も知っていますが彼女のバッグには、お財布や化粧道具など一般的な物の他に、いろいろな氣グッズが入っているので重いのです。
最近は少なくなったようで、ホワイトセラミックヘッドが二つに照射ヘッドといったところでしょうか。
それでも普通の人に比べたら重いでしょう。
ところが、先日ある会員さんに聞いたら、ヘッドばかりではなく真氣光大判プレートも会社に持って行っているということなのです。
会社はストレスが多くなりがちですから、マイナスの氣が集まりやすいところです。
さらには会社の場所そのものがマイナスの氣の影響を受けていると、なおさらその傾向は強まります。
その方が、カバンが重くなるのに持って行かれるのは、身をもってその効果を体験したからだそうです。
この大判プレートは2007年に発売していますが、すでにたくさんの方々にご利用いただいています。
家ばかりではなく会社などでも、この大判プレートを使っている人が多くいらっしゃいます。
SAS三連マークが1万個エッチングという技法で刻印されているものですが、同様のマークが千個刻印されている小型のチタンプレートと比べより強力なので、たくさんの方々に氣を送りたいという用途には最適です。
そういう意味では会社など、対象となる人が社員やその家族、さらにはお客さんや取引先と幅広く、人数も多くなるところでは、その真価を発揮することでしょう。
この大判プレートやチタンプレートは、身体のない魂たちに、見えない光のような真氣光のエネルギーが届くようで、それを使う人の、身のまわりの霊的な存在など氣の環境を変えるという物になるわけです。
一方、身体を持っている私たちにとっては、自分自身の魂にエネルギーを取り入れるには各種ヘッドが効率的で、さらには氣を意識できればできるほど吸収力は上がるのです。
今年3月から、この大判プレート入りのストレッチマットを作り、研修講座では受講生一人ひとりに使っていただいております。
また、各地のセンターでも、この大判プレート入りストレッチマットを利用できるようにしましたので、ぜひ各種のヘッドとともにお試しください。
(中川 雅仁)
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北海道での研修講座を終えて
今週は北海道での真氣光研修講座を終え、少しゆっくりしたいところでしたが、名残惜しくも北の大地を後にして、その日のうちに暑い東京に戻りました。
研修講座には地元、北海道にお住まいの方々を中心に58名の方が集まってくださいました。
「研修が北海道であるおかげで参加できました」という嬉しい声をずいぶん聞かせていただきました。
私自身、数年前には、故郷北海道で研修講座を開催できるとは夢にも思っていなかったので、感慨深いものがありました。
研修会場は、札幌から1時間程、石狩平野の真ん中に位置する新篠津村の温泉施設でした。
真っ直ぐな道路、拡がる畑や水田、太い石狩川が広い大地を蛇行しながら流れていく様子が一望できるようなところです。
初めての北海道開催でしたが、大盛況のうちに終えることができました。
参加くださった方々、ありがとうございました。
皆さんのおかげで、たくさんの見えないご先祖様にも光が届いたようでした。
講座中には、アイヌの人たちの魂の声を感じた受講生がいらっしゃいました。
また受講生のお一人が、会場近郊のアイヌの人たちの歴史について詳しく、いろいろとお話しくださいました。
明治初期、800人を越えるカラフトアイヌの人たちが、樺太から強制移住させられ、そのうち半数以上の人たちが慣れない土地での疫病により、差別や偏見を受けながら亡くなったとのことです。
北海道にはたくさんの先住民族であるアイヌの人たちがいましたが、ここにもたくさんの悲しい歴史があります。
明治に入って急速に開発が進んだ北海道は、新天地を求めて本州から渡ってきた人たちによって開拓されましたが、この土地特有の歴史があります。
希望に燃えて移住した人たちの中にも、住み慣れた土地を後にしなければならない辛い理由があったり、どこの地にもあるようですが戦い、強制移住や強制労働といった話もたくさんあったようです。
このような出来事に巻き込まれた人たちには、“自分の意思ではどうにもならない”という思いも強くあったことでしょう。
どんな人にも、自分の意思、自分の力だけでは、どうにもならないことがあります。
特に自然が相手の場合には、どうすることもできませんが、長い冬をじっと耐えて春が来るのを待つように、先ほどのアイヌの魂たちは、光が来るのを待っていたように感じました。
真氣光が宇宙からもたらされた理由は、既存の何ものでも解決できないことが、多くなってきたからだと思うのです。
つまり、どうしようもできないことを、宇宙からの手助けと、自分自身の努力によって、“幸せなこと”にしていくのが真氣光だと思うのです。
ですからたくさんの人に活用してほしいと思います。
(中川 雅仁)
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お盆向けの氣グッズ
明日から7月の真氣光研修講座が始まります。
そして、子どもたちはもうすぐ夏休みなんですね。
学生時代は、待ちに待ったというほど嬉しいものでしたが、そんなトキメキ!?も無くなって、ずいぶん日が経つような気がします。
毎日、仕事に追われていると、心の余裕と一緒に季節感も無くなってしまいますから、注意が必要です。
そんなことを考えていたところ、近くのスーパーに買い物に行くと、お盆向けの商品が一番目立つところに陳列されていました。
「ご先祖を気持ちよく迎えるために盆棚の飾りを」東京では7月にやるのだとか。
我が家もそうですが都会特有の住宅事情から、きちんと飾ることはできないところも多いでしょう。
しかし、ご先祖に意識を向けるお盆という風習は残って欲しいものです。
先日の真氣光レッスンでもお墓についての質問がありましたが、特にこの季節はご先祖様について、質問されることが多いものです。
私は、氣を送ることでたくさんの魂さんたちに出会った経験から、分かることをお答えしています。真氣光は氣を受けている人の魂のエネルギーを増やします。
その結果、その光のようなエネルギーは周りにも及ぶようになり、家族や友人、先祖へと自然に届いていくのです。
ですから、お墓が遠くてなかなか行けない、お墓や仏壇が無いなど、いろいろな悩みがあっても、真氣光を受けることでそれらが解決していくのですから有難いことです。
ところで私たちの先祖を遡ってみると、お墓に入っている人ばかりではなく、限りがないほどたくさんのご縁ある魂さんがいるものです。
戦いで亡くなった、いろいろな事情で手厚く葬られることなく亡くなったなど、光が届いていなかった魂さんも多いのですが、真氣光の素晴らしいところは、そのような方々にも光が届くことなのです。
ところで、この季節にいろいろな氣グッズの中でも、注目されるのが水晶やチタンプレート、大判プレートです。
これまでにもこれらをお墓や仏壇に入れたところ、こんなに変化がありましたという、報告をたくさんいただいています。
私たちが意識できることで、そちらに真氣光のエネルギーが集中的に届いていくということだと思います。
仏壇が無いお宅でも「○○家へ」と刻印したチタンプレートや水晶が仏壇代わりになってくれることがあります。
何も無いよりは、何かお参りできるモノがあることで、私たちは意識しやすくなるものです。
先祖を思うプラスの氣が、真氣光のエネルギーと一緒になり、届きやすいところから順に、限りないほど上の世代へと届いていくのです。
ぜひお試しください。
(中川 雅仁)
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(61)光を失った魂が増えている
最近は、考えられないような凶悪な犯罪が多いですね。
いろいろなことがあると慣れてしまったのか、少々の事では驚かなくなってきました。
さらにはテレビや新聞のニュースを真剣に見たり読んだりしていると、どんどん気持ちが暗くなりますから、防御反応のように自然に遠ざけていたりします。
私はこの数年、強い危機感を抱いていることがあります。
それは亡くなって肉体を失ってしまったのに、あの世といわれる世界に帰れない、エネルギーを失った魂が増え、地球上にいろいろな弊害をもたらしていることです。
病気ばかりではなく、常識では理解できないような事件や事故など、さまざまな問題が私たちの身のまわりに生じているのも、このことと無縁ではないと私は考えています。
この地球では、飢餓やそれによる病気で毎日2万5千人ちかくが亡くなっています。
飢餓や紛争のない日本でも、交通事故や自殺などで毎年百万人以上の人が亡くなります。
亡くなった人の魂は、まわりに存在するマイナスに傾いた魂の影響が強いと自らの魂もエネルギーを失うのです。
つまりマイナスの氣が分厚く蓄積してできてしまった暗い霧のようなものに閉ざされて、立ち往生する状態です。
むこうからの光も届かず、またこちらの魂のエネルギーも弱くて、行くべきところを見つけることもできない。
魂は霧のなかで、たったひとり、ここはどこなのだ? と自問自答しながらどこにも行くことができません。
魂の世界は、死のない、無限とも思える時間が続く場所ですから、迷いは深くとてもつらいものです。
こうした光を失った魂は、自分がどこにいるのかもわからず、自分自身ではどうすることもできません。
身近な血縁者や縁ある人にすがったり、ときには自分とよく似た波動を持つ人の体に入ってしまうこともあります。
それによって体調不良や病気になったり、ストレスが増えたり人間関係が悪化する、などなど・・・「魔が差す」こともあり得るでしょう。
昔に比べると、よほど自分がしっかりしていないと、ほんの少しの「隙」にマイナスの氣が同調してきて雪だるまのようになりやすいのです。
今、縁あって真氣光を知ることになった皆さんが毎日の生活の中で真氣光を受けていただくということは、自分自身の魂のエネルギーを強めて「隙」をつくらないばかりか、周りにもたくさんのエネルギーを与えることになります。
ですからハイゲンキをはじめ、身のまわりのあちらこちらに氣グッズを配置して活用していただきたいと思うのです。
(中川雅仁)
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すべてのことには意味がある
今、新しい本を作っていて来月には出版とのことです。
私は、しばらくのあいだ連日の原稿書きに追われ、少々頭の中がおかしく(笑)なっていましたが、やっと一段落といったところです。
「もう原稿はうんざり」と言いたいところですが、根が好きなんでしょうか?こうやってこの原稿を書いています。
ところで、私が本を出すなんて、サラリーマン時代には考えられないことでした。
でも不思議なものですが、その時代には会社での実験と報告書の納期に追われるあまり、自由な生活ができる(当時はそんなふうに見えた)小説家になりたいと思ったものでした。
今では、いつも原稿に苦しんでいる私を見て、妻がニヤニヤしながら「あなたの希望どおりになったじゃない」と言うのです。
私は返す言葉もありません。
当時そんなことを思ったのも意味があったのでしょうか。
ところで、こういうことになったのも先代が‘95年12月に亡くなったからでした。
その年の3月、先代は一度倒れたのですが、6月には驚くほどの早さで復帰し、亡くなるまでの半年で、セミナーを開いて全国を回りました。
少し体に不自由な部分が残っていたので、私はどの会場にも付き添って行きました。
そのときの話の内容は、自分が病に倒れた経緯に始まり、氣づきというものの重要性まで、病に倒れたという一見マイナスの出来事ですが、おもしろおかしい話にしていました。
何回も聞くうちに、私の頭の中にこびりついた言葉が「すべてのことには意味がある」というものでした。
先代は、すべてのこと、たとえ悪い出来事が起こっても、それには意味があり、それに気がつくことが重要だということを話していました。
どんな人も「すべてのこと」の一番始まりは、生まれたということでしょう。
その家に、その土地に、そしてこの時代に生まれた、・・・大きな意味があるのでしょうね。
先代は、その時は分からなくても後になって意味があったと思えるものだとも言っています。
自分自身で生まれる場所を選んでくると言う人もいますが、私は神とも言うべき宇宙の大いなる存在が、その人の魂の成長に最適な場所を選んだのだと思います。
そういう意味では、切っても切れない縁がある、親子という関係は、もっとも根本的な氣づきの原点とも言えそうです。
父である先代が教えてくれた、この真氣光というエネルギーは、私自身の毎日の生活に無くてはならないものです。
まだまだこの先、いろいろな意味があることに巡り会いそうです。
(中川 雅仁)
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(28) 紺屋の白袴
猫の手も借りたいほど忙しい日々が続いており、私は少々気持ちにも焦りが出ておりました。
原稿を書こうとパソコンに向かったのですが、何から手を付けて良いやらわかりません。
咄嗟に妻に、何かおもしろい話はないかと訊ねていたのです。
どうも苦境に立たされると、その台詞が口から出るらしく、妻からは「紺屋の白袴」との返答です。
妻曰く「焦るときはマイナスの氣の影響を受けているのだから、氣を受けてくださいと、あなたはいつも言っているではないですか」「音氣でもかけたら」とのこと。
私は痛いところをつかれ、早速音氣CDをセットして、パソコンに向い、このことわざの意味を調べてみたのでした。
辞典には『自分の専門のことや技量を自分には用いないことのたとえ、医者の不養生』とあります。
私にとっては何かの教典のようなお言葉です。
少々反省しながら、これは自分への戒めとして、似たようなことをずいぶん前に決心したことがあったと思い出しました。
この話は、研修講座ではよく皆さんにお話しているのですが、先代が亡くなり、私が会長になったばかりの頃です。
当時皆さんには「毎日ハイゲンキを使うと良いですよ」とお話をしていましたが、私自身疲れたり体の調子が悪いときにはハイゲンキをしていましたが、今のようにいつもは使っていなかった時期でした。
30代ですから、まだ今よりは若かったということもあり、疲れも一晩寝ると取れたような気がしていました。
ところがマイナスの氣は知らないうちに溜まるもので、あるとき右の腕がしびれて全く上がらなくなってしまったのです。
寝返りを打つのも痛くて熟睡できないという状態です。
私は、その時には、祈るような気持ちでハイゲンキを一生懸命に使ったのでした。
おかげさまで、その後順調に回復して一週間ほどで何事もなかったかのようになりました。
そして、これは「毎日ハイゲンキをやりなさい」と先代に教えられたと思ったのです
(先代も晩年脳溢血で倒れてからは、右側が不自由でしたから)。
私の場合、会長という立場ですから、真氣光については皆さんに向かって立派なことを言わなければならないわけですが、その分、自分自身の行動が上の方からも観られているような感じがします。
真氣光の波動が少しずつ強くなっています。
ですから、ますます私も精進しなければならない気持ちと、そうすることで、皆さんにもより強い氣を利用していただけると思うのです。
(中川 雅仁)
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地球人という生命
何気なくつけたテレビで、大学の先生が「生命とは何か」という話をしていました。良く考えれば、非常に定義が難しいものです。
その先生は、「自分で動く・予想もしない動きをする」という点に着目して、ロボットなどに応用しようと研究しているようでした。
私はこれまで、氣を送ることでたくさんの魂たちに遭遇してきましたが、彼らは体というものが無いので動きという視点では捉えられません。
しかし、自分自身の意思や心を持ち、こちらが思ってもみなかった言葉を伝えてくるのですから、やはり生命だと思うのです。
そう考えると、この地球には、私たちのご先祖様のように目には見えないけれど、エネルギー体としてのたくさんの生命が存在することになります。
ところで私は、氣を受けていると、自分の意識とは全く違う何かがメッセージを伝えてくることがあります。
彼らはエネルギー体ですので、姿かたちはありません。
宇宙にもたくさんの生命が存在しています。
こんな言葉を聞いたことがあります。
「なぜ地球人はモノを作るのが好きなのか、モノに囲まれゴミをたくさん作り宇宙に打ち上げ、なんとも興味深い」彼らには体が必要ないのですから、モノは必要ありません。しかし、地球人は愚かなわけではないと私は思います。
まだまだ進化の途中です。
確かに不必要に多くを所有したくなる我欲は不要ですが、体を維持しなければならないのですからヒトにとってモノは不可欠です。
サルなどの動物と違って生まれてすぐから、着て、食べて、住んで・・・すべてにわたってモノがなければ生きてはいけません。
モノが悪いわけではなく、利益至上主義の中での「売れるモノ」という見方しかできなかったために、宇宙的に調和のとれたモノが作れなかっただけなのです。
良いモノを作ろうと、自分の意識を高めることも、モノを通してたくさんの人が協力することもできます。
そのモノや、それに携わった人に感謝することもできます。
不自由な体を持っているがゆえに、強い心が芽生え、魂のエネルギーは大きく増えるのです。
マイナスのほうに意識がぶれることもありますが、それをクリアしたときにはプラスに意識を転換し、魂のエネルギーを飛躍的に向上させることもできます。
さらにはマイナスのほうに意識が向いた人をサポートすることで、大きく自分自身のエネルギーを増やすこともできるのです。
マイナスがあるから強いプラスもできる。
プラスの意識しか持ち合わせない宇宙人には興味深い研究対象でしょう。
真氣光は人の心に働きかけマイナスをプラスの状態に変えるエネルギーです。
特に現代のヒトという生命には、無くてはならないエネルギーだと私は思うのです。
(中川 雅仁)
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阿蘇での研修講座から
私は、11日~14日まで熊本・阿蘇で第224回真氣光研修講座を開催しております。
昨年もこの場所で開催しましたので2度目になります。
今回は、九州ばかりでなく東京や東北、北海道から36人の皆さんが参加してくださいました。
梅雨時期にも関わらず研修初日から晴れ間が見え、私も阿蘇の雄大な自然を満喫しております。
2日目の今朝は、今回初めてのいいとこ探しとなりました。
先月真氣光を知ったという方も手を上げてくださり、予定の時間が足りないぐらいでした。
十年前から、さらにはそれ以上前から真氣光を始めたという人も、たいへんだった時期を乗り越え、今は幸せになれたというお話を発表してくださいました。
いろいろな縁ある方のお話は、どれも学びになります。
私は発表を聞きながら、以前に真氣光を送っていて出てきた一人の魂さんの話を思い出しました。
その方が真氣光の光について言われたことを要約してみます。
「魂のことが分からない人に、この光のことは真に分かるはずがない。魂が肉体を離れて、どのような状態になっているか、死んでみなければ分からないだろうから、見えないエネルギーというものがどのように関わっているか理解しにくいであろう。この真氣光で魂が光に変わることが自分自身で感じられれば良いのだろうが、自分の考えや欲望で見えないエネルギーというものを感じようとすると駄目だ。自分にとって都合の悪いこと、一見良くないことが出て来ても、ただ一つのものを求める。そうすれば悪いことは起こらない。見方を変え解釈をつけて、自分の都合で良い見えないエネルギーをあれこれ選んで使っていると、一時的には都合の良い現象を見せてくれても、結果は幸せにはなれない。 『強く』ということがある。自分を信じ前に進むこと。辛い道でも強く進むということである。難しいであろう。何を信じたら良いか、分からないのが人の心というもの。しかし、結果を見ると良い。その時は辛くとも、後になれば良かったということ。その時は、楽しく幸せなことであっても、後になって自分や周りが幸せでないことがある。自分が辛くとも、自分を信じて心を強くもつということは、自分に都合の悪いことが起きたり、またマイナスの氣によって弱味につけ込まれても動じないことだ。」
ベテランの受講生さん達が言っていた、ただ一筋に真氣光をやって来て良かったという「結果」は、自分自身を信じて心を強くもてた現れだと思います。
そして、その言葉が、またたくさんの人たちの『強さ』にもなるのだと思うのです。
中川 雅仁
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