背中に氣を入れました

 昨日は、昼と夜の2回に渡り「会長のオンラインお茶会」を開催しました。
私は、朝から声の調子が悪かったのですが、昼からだんだんハスキーな感じになり、2時からのお茶会では少々聞きにくい声になってしまいました。
そして、夜8時からのお茶会では何とか声が出ているという、全くもって申し訳ない状況でしたが、熱心に真氣光をやってくださっている皆さんの参加により、パワーをいただきながら私もめげずに話していたら、今日はお陰様で、だいぶ元に戻りました。
ありがとうございました。
 真氣光をやっていても、一見良くない反応がでることがあります。
たとえ悪い現象でも、これは良くなる前に起きる反応だから、それを「好転反応」として捉えるようにと、お話ししています。
これは、何でもそう捉えて、氣のせいだから放っておけば良いということではありません。
時には、病院で処置をしてもらわねば、手遅れになることもありますから要注意です。
物理的な対処・対策とマイナスの氣の影響への対処とは、切り離して考える必要があります。
 先代は「出て来たものは必ず消える」と言っていました。
真氣光を受けている私たちは、光が浸透することで、暗いマイナスの氣が浮き上がり消えて行くことがあります。
時には、マイナスの氣が表面化することになり、それに意識が向けられるから氣が届きやすくなり、消えていけるようになるということもあります。
 例えば私たちの体の場合、外科的な処置によって光が届き、そこのマイナスの氣が取り除かれることもありますし、自動車などモノの場合には、事故が起きて修理をすることでマイナスの氣に光が届き消えていくこともありますが、氣を受け、そこに関係しているマイナスの氣をよりいっそう意識してみると良いのです。
 好転反応は、長引かせないことがポイントになります。
どんどん強い光を入れることですが、もう一つ大切な事は、気持ちが落ち込む、弱気になるなど周りから更なるマイナスの氣を集めてしまっては、悪い現象が長引くばかりになるということです。
 皆さんから、「会長は、好転反応ないのですか?」と聞かれることがありますが、私も気を許していると(身も心も真氣光をフルに使ってしっかり休めるということをしないと)こんなことになり、いろいろなことに気づかされます。
今回は、ミニローラーヘッドによる喉・胸コロコロに加え、背中にマイナスの氣を感じたので、アームハンドルにポイントヘッドの組合せと、ディスクヘッドを、たくさん使ってみました。
なかなか自分では出来ない首から背中・腰は、マイナスの氣が残りやすいところですので、皆さんもお気を付け下さい。

才能のはなし

 昨日、長野県岡谷での無料体験会とセッションに行って来ました。
諏訪湖のほとりも山の上のほうも、あちらこちらに桜がとても綺麗でした。
今年は、天気の具合で、一気に咲いているようです。
私の家の周りの桜は、すっかり花を落として、ふつうの木になっていましたので、もう一度、よいお花見ができました。
桜ほど日本人、いや世界的にも、老若男女、万民に愛されている木も珍しいものですが、私などは花が咲いて初めて桜だとわかるような次第です。
 「桜は花に顕れる」ということわざがあります。
辞典で調べてみると「ふだんは常人と変わらないように見える人が、何かの折に優れた才能を発揮することのたとえ。
他の木に交じっている桜は、ふだんはまったく目立たないが、一旦、花が咲けば一目でそれと分かるということから。
平安時代の『詞花集』にこの言葉が詠まれた歌があり、平家物語などにも見られる。
近世では常用されていたことわざである」と、あります。
たくさんのご先祖様たちも、桜の花には心を癒されていたことでしょう。
 この言葉の意味に「何かの折りに優れた才能を発揮する」とありますが、私は小さい頃、周りの子の才能を目の当たりにする度に「凄いなー、才能があったらいいなー」と、よく思っていました。
ある時、分かったのは、才能がもともとあったのではなく、続けてやっているとだんだん身に付いてくるものであり、その陰には、より高みを目指そうと磨いた、たくさんの努力があるということです。
 特に何の才能もない私が、真氣光という宇宙エネルギーを知り、興味が尽きぬまま、これを皆に利用して貰いたいと続けていますが、私は「気功家」ということですから、私をよく知らない周りの人から見れば、これも「才能」だと思うことでしょう。
真氣光は、真氣光研修講座を受けると誰にでも氣を出すことができます。
ただ私の場合、何年にも渡って、たくさんの人に氣を送りながら「宇宙からの真氣光は、どうなってんだろう」と考え、少しでも強い氣を中継するにはどうしたら良いのかを追求してきました。
自分では、よく分かりませんが、それを「才能」と思う人がいるかもしれません。
 私が考えるには、誰にでも才能はあるもので、才能にできるポイントは、好きになれることと、磨く努力を続けられるかどうかです。
アスリートなどは、体力的な限界があるから時間的な制約がありますが、我々は何年掛かっても良いのですから、自分に合った方法が見つかれば、何からでも才能が見出せるというわけです。
ちなみに真氣光を長い間続けておられる、このニュースの読者は、相当な才能の持ち主だと思うのです。

許せる寛大な心

 早いもので4月に入り、新年度がスタートしました。
電車の中で、新社会人だと思われる若い人が、先輩に連れられている姿を目にしました。
今年も、まだまだコロナウイルスの影響を受けています。
このような時に新しい生活に突入するのは、それでなくてもストレスになるところですから、よりいっそう頑張って欲しいものです。
 私は、サラリーマン時代に研究開発の仕事をやっていました。
上司は、仕事に対しては厳しい人で、入社してから30才近くまで、雑巾を絞るように鍛えられっ放しでしたが、今思えばあの上司が居なかったら私はどうなっていたのかといつも思い出します。
 簡単に言えば私の仕事は、あるモノの性能を上げるために「こうやったら良いかもしれない」と仮定して試作し、「実際にそうなるかどうか」実験して確かめてみる。
さらにダメなところの対策を考え→実験→評価このサイクルを繰り返すことでした。
 私は、上司の言うことよりも、自分で考えて、やりたいタイプでした。
実験で確かめるのに何日もかかりますから、最初の考えを間違って一週間を棒に振り、「何やってんだ!!」とフロア中に響く大声で怒鳴られたことが何回もあります。
最初は気落ちして、言われた通りにやるのですが、だんだんそれでは面白くなくなり、自分の考えを確かめたくなるのです。
やるとまた失敗して怒鳴られる…、次第に上司の言うことは早めに終わらせ、私の考えたことを副業のようにやるようになりました。
後でわかったのですが、上司は黙って見逃してくれていたのです。
 「失敗したから、もうやらない」では、何の成長もありません。
どんどんやって、練習を積み重ねないと決してうまくはいかないものです。
ですから、失敗したら反省も大事ですが、次にどう生かせるか、それを理解できたら、もう悔やまないことです。
 ある時わかったことには、それができるのも周りの人の「失敗を許してくれる寛大な心」のおかげでした。
上司も私にかなりの時間を割いてくれていたので、成長のための練習ができたというわけです。
かけがえのないものをいただいたのですが、お返しをしようにも、今となっては、もうどうにもなりません。
せめて自分も同じように見習わせていただくことだと、心している次第です。
 追記:4月より、FM西東京でのラジオ番組契約を終了し、新たにエス・エー・エス独自のPodcast「中川雅仁のい氣い氣ラジオ」として再スタートします。
西東京市への公共の電波にはのりませんが、全国の皆さんには、これまで通りの配信という方法で(接続先は変わります)、いつでも聞くことができますので引き続き利用していただきたいと思います。

現れたものは消える

 昨日、会員用サイトから申し込んでいただく、オンラインによる会長のお茶会を昼の部、夜の部と開催し、私も参加者の皆さんとおしゃべりができて楽しめました。
夜の部で出た話では、まだ真氣光を始めて間もない方が、好転反応が恐いので氣中継量の大きな氣グッズを持つのを躊躇しているという話がありました。
他の参加者の皆さんは真氣光歴20年以上の方々でしたから、体験談をいろいろ話してくれました。
氣グッズによって全ての人がキツくなるわけでもなく、その人とご先祖の状態によりますから、これは一概には言えません。
基本的に私は、氣グッズを購入するのは、ご本人の意思が大事だと考えていますが、真氣光を本当に信じている人なら、少しぐらい悪い事があってもやめないでしょうから、どんどん強い真氣光を受けられる環境にして、仮に好転反応が出ても早く終わらせるようにしたほうが良いと考えています。
 このことについて、先代がよく言っていた「現れたものは必ず消える」という言葉を思い出します。
好転反応とは、暗いマイナスの氣に、ある程度光が浸透していく過程で、⑴自分の辛い気持ちを分かって欲しい⑵真氣光の光が入って来ないように抵抗したい…から起きる現象ですが、出て来たマイナスの氣は必ず光に変わり大きく物事が好転するわけです。
⑴の場合、マイナスの氣と同じようなところが痛くなったり、辛くなる、不安になる等似たような気持ちになります。
⑵では、①恨みを持っていたり、②宗教など違う光を利用していた頑な魂だったりと、⑴よりは強いマイナスの氣が影響していますので反応もキツくなりがちです。
好転反応が恐いとか嫌だと強く思う人は、⑵のマイナスの氣の影響を受けている可能性も考えられます。
 真氣光も長い歴史があり、その間にたくさんのマイナスの氣がプラスの氣に変わっていきました。
そのようなプラスの氣は、自分達が真氣光で変われたという体験をもとに、深い所に潜んでいるような強いマイナスの氣にも光が届くよう応援してくれる存在に変わっています。
また、氣中継器もずいぶん変わりました。
ハイゲンキ2型に比べて、最近の6型や3型プラスは、とんでもないくらい大きな氣中継量になっているわけです。
 そして、そのようなものを使えている人は、マイナスの氣の影響があるかもしれませんが、既にプラスの氣の応援がとても強くなっていますから、先代の言葉「現れたものは消える」サイクルも早くなっています。
ですから、真氣光を受け、マイナスの氣の性質をよく理解して、何事も良いと思うことを決心して実行していくことです。
それが自分と自分の周りを明るくする速度を益々上げることでしょう。

後に唱える誓いの言葉

 今日から神戸での11回目の真氣光研修講座が始まりました。
こちらの施設が「今月限りで取り壊し」ということで、これまで十数年の思い出も感じながらの開催となります。
今回は初めて受講される人も多いので、私は基本的なことも省かないで、お話ししようと思っています。
 ところで、基本と言えば講座で最初の講義は龍村先生が、呼吸など体の基本についてヨガの話をしてくれます。
呼吸無しでは生きてはいけないのに、普段は意識もしていないということで、初めて受講される方はけっこう目からウロコの話でしょう。
呼吸の話ばかりではなく、私もお恥ずかしい話ですが、年齢とともに体が以前より動かなくなって、何気なく動かしていた体にも意識が向くようになりました。
体は動かさないと筋力が落ちたり、硬くなったりします。
更には、体を動かすことにも癖があり、右ばかり使ったり、一部の筋肉ばかり使ったり、バランスが悪くなって痛みが出やすくなることもあります。
私の場合、一部の筋肉に負担がかかりコリが出やすくなる座り癖、どちらの足を先に出して体重を掛けるか等の立ち癖、無理・無駄のない姿勢…等を考えるようになり、左足ばかり使っていたこと、右腕側や背中に筋力はあるのに硬くなっていることに、ある時気がつき修正するように心掛けています。
若い時には適度に筋力もあり、体も柔らかかったので、無理もきいたということから意識もしていませんでしたが、永年の癖の蓄積で、将来痛みが出やすい、故障しやすい体にしてしまっていたと、反省した次第です。
 研修講座は、氣・体・心、三つの側面から、自分ばかりではなく周りをも幸せにできる人を養成するものです。
講座最終日、最後に唱える誓いの言葉に、「社会奉仕の誓い」というのがあります。
抜粋しますと「……今私は、自分の心身が整い、浄まり高まり、強まっていること、自分の生命(いのち)が喜んでいることを、実感しております。ただ今からの私は、『生活を即修業の場として、全てのご縁を師とし、最上の生き方の工夫と、努力をしながら』人間としての本当の生き方…を、一歩一歩実践し、自他共に、悦びのある道を歩み、広く社会に、寄与させていただくことを誓います」とあります。
特に私が気に入っているのは『』のところです。
真氣光のエネルギーを受けるとともに、いろいろな工夫点に気がつき努力していくこと、それが周りのマイナスの氣の環境をもプラスに変えていきます。
かつて研修を受講された方は思い出していただくとともに、今週末はお彼岸ですので、ご先祖との氣の距離が近くなりますから、そちらも意識していただければと思います。

(73)七転び八起き

 先日、自転車に乗っていて、危うく転びそうになりましたが、足で踏ん張って何とかバランスを戻せました。
老化した体にしては、よくやれたものでした。
(笑)バランス感覚と言っても、脳が記憶しているほど体が動いていないから転びそうになるわけで、昔とは少し違ったことが原因です。
子どもの頃は、よく転んでいましたが、自転車の運転が未熟だったのと、恐いもの知らずというか、危険な運転をしたからであり、転ぶということから、たくさんの収穫を得ていたように思います。
 この転ぶということでは、「七転び八起き」という諺があります。
辞典には「何度失敗してもめげずに頑張ること。
武士道精神を謳った江戸中期の『葉隠』に用例がある」とあります。
このような諺があるのは、昔から「めげずに頑張れると大きな成長がある、ダメージはあるが失敗を恐れるな」ということがあるからでしょう。
 マイナスの氣は失敗を促し、後悔させて何もできないように仕向けるものです。
そうすることで、自分の意のままに、いつまでもその人に影響力を持って存在できるからです。
しかし、自分の力でこれに打ち勝てると、見えない光のような氣のエネルギーは増え、以前にも増して、そう簡単にはマイナスの氣の影響を受けないように成長できます。
一方、このようなマイナスの氣に強い影響を受けてしまうと、失敗するのが恐いから何もしないという人になってしまいます。
失敗もないけれど、成長もないわけで、次第にマイナスの氣の影響が強くなって、行動や考えをコントロールされるようになり、結局は自分の氣が大きく落ちるようになってしまいます。
 ところで実際には、七転び八起きは分かっていても、失敗してしまうと、反省し過ぎてしまい、後悔に発展することもあるでしょう。
どのようにして立ち直るかということがポイントになるのですが、やはり真氣光を受けて、マイナスの氣の影響を小さくすることが第一に挙げられます。
失敗してしまったのですから、これを次に生かすことしかできません。
どうすれば良いのか、しっかりと考えることです。
それを成し遂げられた時の自分をイメージできたり、それまでの細かなステップを頭に描いておくことも、簡単に諦めないで続けられるポイントです。
また、周りにポジティブな人がいることも大事です。
私たちは、人の失敗にも敏感なものです。
見守るという温かい眼差しを忘れて、あれこれダメ出しをしたり、咎めてみたり…。
私の場合、先代のポジティブ思考と失敗への寛大さが、亡くなった後も思い出す度に、私に大きな力をくれているように思えるのです。

大切なのは自分が変わろうとすること

 真氣光を受けていくと、恨みを持つマイナスの氣や、光を嫌うマイナスの氣の抵抗にあい、事態がなかなか好転しない時があるものです。
それは、真氣光を始めてまだ間もない人と長年続けてきた人、背景にあるマイナスの氣の強さや、家族の状況などで、みな違います。
私は総じて、そのような時は、強い心を持って自分と周りに真氣光を取り入れるとともに、自分の考えや行動を積極的に変えようとすることだと考えています。
 マイナスの氣は、暗く重いものの上に軽いものというように、いろいろなものが層状に重なっています。
真氣光を始めると、光が浸透して比較的軽いマイナスの氣からプラスの氣に変わります。
そしてさらに真氣光が浸透するとともに、先に逝かれたプラスの氣の力によって、その奥にある、より暗い氣も、やがては光に変わっていくのですが、重いマイナスの氣であればある程、恨みや苦悩、苦痛などのマイナス感情を変えられず、中には強い意思を持って暗いままで居続けようと抵抗するものもあります。
 そのような時、私たちは、ハイゲンキを使いたくなくなったり、氣を受けられなくなったりすることがあります。
マイナスの氣はその人が光を増やせないようにするとともに、更なるマイナスの氣を集めようと、その人にマイナスの感情が起きるよう仕向けるのです。
ですから、こういう時こそ、強い気持ちを持ってマイナスの氣に打ち勝つよう、そちらを意識して、自分をはじめ家族などにも真氣光を取り入れなければなりません。
そして、ここで特に重要なことは、強いマイナスの氣は巧妙ですから、その人の意識を占領して気づかれないようにする、つまり我々は上手くやられてしまうことが多いということなのです。
 私は、本紙やセミナー、真氣光研修講座で、そのヒントとなることを解説しています。
特に研修講座では、その最も基本となるところを洗心のための指標のマイナスの氣を引き寄せやすい感情として説明していますが、既にそれらの影響を受けていてそのような感情が強くなることもあるのです。
憎しみ、嫉み‥ここにあげられている項目のほとんど、例えば怒り、不平不満、咎めの心などは、周りの人との間で生まれてくる感情です。
つまり他人の影響で自分が陥る感情ですから、「あの人が悪い」と思ってしまうところです。
しかし、人のせいにしていると、自分にマイナスの氣の影響があるとは微塵も思わず、だから氣は届かずにマイナスの氣は更に引き寄せられる、という具合にマイナスの氣の思う壺にハマります。
真氣光を受けるのはもちろん、自分をどう変えていったら良いのか、しっかり考えることです。
大切なのは自分が変わろうとすることなのです。

心の老化と真氣光

 スマホで確定申告ができるようになって、今年もまた便利さを実感したところです。
最初は、恐る恐るといった感じだったと記憶しています。
この手の操作は、間違って押したらマズイなど、心配や不安感から考えすぎてしまうと全く手がつけられませんね。
 ところで昨日は、オンラインソフトZoomを使って、昼と夜の部、2回にわたり、メンバーの方を対象に1時間の「会長のお茶会」をやりました。
20人ほどの人が集まってくれたでしょうか。
全国の人があっという間に集まれて、なんだか楽しかったです。
会員用サイトの新着情報に告知して、そこから入って貰う方法で、月に一度は、やりたいと思っています。
スマホで入って下さった方も多かったように思います。
スマホは難しいところがありますが、基本的には電話の延長ですから、なんと言っても慣れること、分からない時には人に聞いたり検索して調べればよいので、考えすぎないで触ることです。
今は、ネット検索で調べれば何でも教えて貰えますから有難いものです。
私のサラリーマン時代には、分からない事があれば、社内の分かる人に聞くか、本を探すか、大型コンピュータにアクセスして文献検索するしかありませんでした。
研究開発という仕事は初めての事に直面することが多く、いま考えると「調べる」ということに多大な時間を使っていました。
知っている事を共有(シェア)してもらえる、つまり人と人が繋がりやすくなることで計り知れない恩恵があるものですね。
 スタンフォード大学の心理学教授カーステンセンが提唱する「社会情動的選択性理論」という学説では、人間の心には「若い心」と「老いた心」の2種類があり、物事への関心事が変化していくとされています。
若い心を持つ人は「何を新たに獲得できるか」に関心を持ち未知の人々との交流を厭わず、老いた心を持つ人は「どのようにして現状を保つことができるか」に関心を持ち慣れ親しんだ人脈・経験の範疇から外に出ない傾向にあるのだそうです。
私は、老いた心ではリスクも少ないですが、より良い方向に変われるチャンスも減ることが問題だと思うのです。
 真氣光を始めると、マイナスの氣の影響が減って、たとえばストレスになっていたことが、そうでもなくなるというようなことが多々あり、以前とは違う自分を発見できたりするものです。
そういう意味では、昨日まではダメだったけど、今は平気になったということがあるものです。
真氣光を受け、プラスの氣の応援を受けながら、幾つになっても自分が良いと思えることを行動に移し、魂が輝く方向に変わって行きたいものです。

応援のエネルギー

 私は、熱海での真氣光研修講座を日曜に終え、翌日から個人セッションやYouTube、社内の仕事に取り組んでおりました。
体のほうは熱海でゆっくりして欲しかったようですが、先代ゆずりなのか、心のほう(せっかちな性分)がそうさせないものですから困ったものです。
 研修は急遽、例年開催していた伊豆山神社そばから港近くにあるホテルに会場を移したのですが、熱海在住の受講生さんから、近くにも神社があると教えていただきました。
調べてみると会場から900mのところに熱海今宮神社というのがあり、伊豆山神社も源頼朝と縁の深い神社でしたが、こちらも深い縁があったようです。
 神社のHPより抜粋しますと『大和時代の「仁徳天皇」の御世(313ー399年)の創建。伊豆の国に配流の身であった「源頼朝」は追手から逃れ伊豆山中に入ったものの力尽き、もはやこれまでと観念するも水が湧き出ているのを発見。口にしたところ、みるみるうちに気が体中に満ち渡り、力を得、再び立ちあ上がり麓を見ると大きな楠と神殿が建つのを見つけ、額づいて成功開運を祈願。その後、頼朝は無事に追手から逃れ平家を滅ぼし源氏を再興。1200年に頼朝の命により社殿が再建』ということです。
来月は、平家ゆかりの地、神戸での研修講座を予定しています。
直接的には非常事態宣言による日時や開催場所変更でしたが、何か深い意味があったのかもしれないと、考えながらの帰宅となりました。
頼朝が成功開運を祈願したということですが、人生いろいろな場面で窮地に陥ることがあるものです。
しかし、諦めない心と、そこに何らかの応援のエネルギーとが組み合わさることで、窮地を脱するばかりか、飛躍を遂げられるということがあります。
このコロナ禍で、たいへんな状況の方もいると思いますが、希望の光があることを忘れないで欲しいと願うのです。
 ところで私は、家に居る時には、テレビを観るより、いろいろな音楽を聴いています。
音楽のジャンルはクラシック、ジャズ、ポップス、ハワイアン、Jポップなどです。
世界がコロナ禍に沈む中、、いろいろなミュージシャンが活躍しています。
平原綾香&ダニエル・パウターの「Save Your Life」という曲も、先の見えない日々を送る人々の思いに寄り添うようなフレーズが日本語詞と英語詞を交ぜて歌われる楽曲で、制作は、海を越えてリモートで進められたそうです。
音楽もそうであるように人の手によって、いろいろなものが応援のエネルギーとなり得ます。
そして、私たちには宇宙からも強力な応援として真氣光のエネルギーが送られています。
ぜひ多くの方に活用して貰いたいと思うのです。

死んでいる知識と、それを生かすには

 今日から熱海での2泊3日の真氣光研修講座が始まります。
会場の都合で急遽、いつもの伊豆山神社横の研修会場から、熱海港にある熱海海浜公園そばのホテルに会場が移りました。
少し早い桜の花が堪能できて、こちらも素晴らしいです。
ここのところ東京センターでの開催やオンラインでの開催でしたから、今回のような地方での開催は、昨年10月京都での研修以来ということで、私も少々わくわく気味です。
今回の受講者は、初めての人や若い人、オンラインでの参加という方もいらっしゃいます。
かつて受講した経験のある方は、行持集を見るなど意識をこちらに合わせていただいて、一緒に氣を受けてみるとよいでしょう。
 ところで、私は研修講座で配布している行持集は、受講後も活用して欲しいと言っています。
何回も読んでいるうちに、その意味の深さに気がつくことが多いのです。
その中でも、きょうは「実行の誓い」についてお話ししたいと思います。
行持集から抜き出してみましょう。
 『実行の誓い___行ずることを抜きにした教えは、無きに等しいものであることを、知らせていただきました。
行を伴わない知識は、死んでいる知識であるという事にも、気づかせていただきました。
真実を把握する道は、知行合一であることを 自覚させていただきました。
ただ今からの私は、すべてのことを、意識的に行じさせていただきます。
良き教えは数多く教えられております。
実行してこそ教えが生き、自分の身にもつくのであると知りました。
今からの私は、良き教えの実行者になることを誓います』
 ただ聞いているだけでは身につかない、行動に移さないと何も分からない。
だから意識的に行動するということです。
研修講座では、この「知行合一」、知ることと実際に行うことの両方を大事にしています。
氣や真氣光は、目には見えない科学でも捉えられない、有るのか?無いのか?分からないようなものです。
これは体験を通してしか知ることはできません。
また、氣を受けようとハイゲンキのヘッドを当てても、深く信じている人が当てた場合と、疑いを持つ人が当てた場合とでは氣の吸収量が違うように、氣は意識するということが非常に大きな鍵となります。
ですから、実行の誓いでは「意識的に行じさせていただきます」とあります。
私は、氣や真氣光のことを皆さんに教えるという立場ですが、いざ自分にそれを当てはめ、この研修講座で教えていることを毎日の生活の中で行じると、行じることでさらに未熟な部分が見えて来て、まだまだだと感じます。
「良き教えの実行者」を追求すること、これには終わりがないのだと思うのです。