プラスの氣の循環を多くしよう

東京オリンピックでは、日本選手の活躍がめざましく、私もテレビを見る時間が増えました。 どこの国の選手に限らず、私が「凄いな」と感心させられるのは、観ている側が「もうダメか?」と思われるような追い込まれた場面にも、強い精神力を持って気持ちを立て直す選手達のパワーです。 思わず力が入り、応援したくなるものです。 オリンピックでは、どのメダルを獲得できるのかということも関心事ですが、どんな競技、どんな選手にも自身との戦いのヤマ場があり、そこも見所と言えます。
 人の力でどうにもならないこと、全力を出し切って、もうどうしようもないことは、天にお任せして、ダメでも仕方がないと諦めることが大切ですが、そうでないことも諦めてしまう癖がつくと、何でも「まっいいか、仕方がない」と、なりがちです。 私なども、苦手なこと、面倒なことは、ついつい諦めモードになりやすいです。 しかし、氣の観点からは、何か問題など一見マイナスな出来事を乗り越えようとする途中が大事であり、その時にこそ見えない光のような氣のエネルギーが飛躍的に増え、そしてその後に直面している事態が大きく変わるのです。 ですから、いろいろな工夫をしてみることです。
 どんな工夫があるか考えてみると、自分からプラスの氣を出せると周りからプラスの氣が集まるのですから、自分の目標などハードルを最初から高くしないで、楽しいと感じられることを取り入れたり、良くできたと自分で自信がつくようにしたりなど、何かポジティブな心が持てるようにすることです。 少しでもそれができると、プラスの氣を出すからプラスの氣が集まる、良い氣の循環が出来上がります。
 真氣光を受けられる私たちは、氣を受けようとすることだけでも、プラスの氣を取り入れられます。 つまり良い氣の循環ができやすいわけで、さらにほんの少しでもポジティブな気持ちが持てると、大きくプラスの氣の循環が増える可能性があるわけです。
 そのようなことから、普段から真氣光を受け、良いところを探す「いいとこ探し」や「洗心のための指標」の「プラスの氣を引き寄せやすい心」=(強く、明るく、正しく、我を折り、宜しからぬ欲を捨て、皆仲良く相和して、感謝の生活)を持てるようにすることをお勧めしています。 また、なかなか問題となることが良い方向に変わらない方も、まずは真氣光を受ける事だけでも続けることです。 信じて努力するということが、まだまだ影響を与えていたいと画策するマイナスの氣を、やがて確実に光のほうへ向かわせるのです。

自分に良いものを取り入れ

私は、先週末の熊本での研修講座を終え、今週はセッションが多く入っているので少々忙しくしております。
研修期間中、私の場合、宿の食事が美味しいことで、つい宜しからぬ欲がでて食欲を上手にコントロールできず、いつも太り気味になってしまいます。
今回も体重が2キロ増し、栄養を過剰に摂取し、お腹に不要な脂肪を溜めてしまいました。
 ところで、研修では生活全てが行法ということで、起きた時、ご飯を食べる時、眠る時など、それに合わせたいろいろな誓いの言葉があり皆で唱和します。
その中でも栄養摂取の誓いは、一日に3回唱えるので、記憶に残っている人も多いのではないでしょうか。
 内容をみてみましょう。
「栄養摂取の誓い--栄養は自分に良いものを取り入れ、自分に悪いものを入れず、不要なものは出しきることであると知りました。
自分に取り入れて、良いものと悪いものを知っているのは 身体自身に与えられている、智恵であると知りました。
今からの私は、自分の内在智の教えに従って 自分に適し自分に必要なものを取り入れ 不要で不適なものは出しきるよう努めます。
……」
 この言葉で注目すべきは、自分の内在智の教えに従うという、あくまでも自分が主体で、自分が決めるスタイルになっている点です。
マイナスの氣の影響を受けてしまうと、内在智の教えが悪い方向に引っ張られますから、真氣光をしっかり受けるとともに注意を怠らず、内在智が狂わないようにしておかないといけません。
 さらに、この言葉の凄いところは、口から取り入れる食べ物だけに限らない点です。
私たちは、氣・体・心の三つの要素から成り立っていますから、体の栄養ばかりではなく氣や心にも栄養となるものを取れ入れると良いのです。
氣の栄養とはプラスの氣です。
心の栄養とは何でしょう。
良かったこと、力が湧いてくること、嬉しい、わくわく、いろいろあります。
これも自分が主体となって、良いものを取り入れ、悪いものを入れないようにすることです。
また、私たちは毎日いろいろなことに曝されていますから、いつも良いことばかりが起きるとは限りません。
気持ちが下がった時に、周りからマイナスの氣が集まってきて、さらにマイナス方向に引っ張られ気分が下がりますから、いかに気持ちを切り替えてポジティブになれるか、その訓練も大事です。
真氣光を受けることで、それも上手になるのだと思います。
 オリンピックが始まりました。
幾多の困難を乗り越えているアスリート達からも、たくさんの心の栄養をもらえることでしょう。
氣の応援ということで、良い氣をお返ししたいものです。

時間とマイナスの氣の話

先日、このコロナ禍で飛行機の欠航があり、札幌から大阪へ予定の便で飛べなくなりました。
調べるとLCC(格安航空会社)便が千歳から関空に飛んでいることがわかり、初めての経験でしたが予約したのです。
当日、このLCC便が遅れて、関空到着が夜の11時になりました。
大阪方面の最終電車まで時間がなく、これを逃すと空港近辺で泊まらなければいけなくなります。
ところが降りたLCCターミナルは鉄道まで遠いためバスで移動しなければならず、さらにはJRと南海を間違えて改札に入ってしまうミスもあり、最後はエスカレーターを走って降りて、間一髪で間に合ったのでした。
結局、最後はタクシーも利用するなどして時間を節約し、予約していた大阪センター近くの宿に着いたのが午前零時半でした。
お風呂に入って直ぐに寝ましたが、後から省みて、あまり慌てずマイナスの氣を引き寄せることなく時間を使えたこと、よく間に合ったものだとプラスの氣の応援を感じた次第です。
 タイムを競うスポーツの世界では、零コンマ何秒という時間との戦いが普通ですが、このような私も時間との勝負になる時があります。
仕事や原稿の締め切りなど予定どおりに物事が進まないと、次に支障がでますので、焦り、イライラ、セカセカ、不平不満、心配など、いろいろなマイナスの氣を引き寄せやすい心に陥りやすくなるのですが、厳密に言えば、マイナスの氣に付け入る隙を与えないという自分の心との勝負です。
 時間は普通に流れているのに、それに合わせて、人の心は変化するもので、特にマイナス方向にいく時が問題です。
24時間をできるだけプラスの氣を集める心持ちにしたいものです。
今は平和な時代ですが、天災や人災があります。
その昔は多くの戦いの歴史がありました。
時間の流れとともに、多くの苦悩のうちに亡くなった魂たちがマイナスの氣となって、この地球に溜まってしまっています。
ですから、生きている私たちの心の持ちようが、この影響を受けたり、さらに増幅させることにも繋がるのです。
 そうならないためには、事前の準備をしっかりする、失敗も練習と考えて次に生かす工夫を怠らない、いま悩む問題なのかどうかをよく考え、マイナスの氣の付け入る隙を作らない等、目に見える対策も大事ですが、日頃から真氣光を受けマイナスをプラスに、心に余裕を作っておくことです。
 今日から阿蘇での研修講座が始まります。
この地ではもう十数年開催しておりますが、より遠い過去に遡って氣が届きます。
古い時代から心が解放されない多くの魂達のためにも、たくさんの光を受け、一瞬一瞬を大切に、まず私たちが変わっていくことなのです。

大志を抱け

 私の母校、北海道大学は、いろいろなことで世の中に知られていますが、構内に農場がある関係で敷地面積が広く、観光地としても有名です。
私が小中学生の頃は家が近かったので、よく自転車で乗り入れ、緑と自然が溢れる広い構内を遊び場にしていました。
北大と言えば札幌農学校時代、初代教頭を務めたクラーク博士の「少年よ大志を抱け」という言葉も有名でしょう。
 札幌では、羊ヶ丘にあるクラーク博士の全身の銅像は有名ですが、北大の中央ローンという芝生の広場にも胸から上の銅像があります。
札幌駅からも近いので、観光客にとっては見逃せない観光スポットです。
 私が小学生の頃のことです。
朝早く、先代と北大構内に散歩に行ったのです。
当時は学生運動が盛んになっていた時期で、椅子や机などで建物の入口にバリケードのようなものができていたり、あちらこちらにビラが貼られていたりしました。
中央ローンのクラーク博士の胸像も、胸の下の台座となっている部分が何枚ものビラが貼られ埋め尽くされていました。
先代は、それを見て、どこからかバケツとタワシを借りて来て、水をかけながらゴシゴシこすり、ビラを全て綺麗に剥がしたのです。
その時に、胸像の台座の部分に彫られていた「少年よ大志を抱け」という言葉を教えてくれました。
その頃の私には、難しくてよくわかりませんでしたが、「ここに貼ったらダメだ」と、一生懸命に掃除していた姿は、私の中ですごく印象に残りました。
北大に入学して幾度となく、この銅像を目にしましたが、いつも当時のことが思い出されました。
ある時、ことわざ辞典に、この言葉について書かれている部分を見つけました。
この言葉は、立身出世を意味することと思われるけれど、人間が人間として当然身につけなければいけない、全てのものに対して、大志を抱けと言っているのだということです。
 「大志」という言葉を辞書で調べてみると、「大きな志。
将来や未知なものに対する遠大な希望」と、あります。
大志とは、もちろん若い人に必要な事ですが、良く考えると将来のない人はいません。
たとえ体を失い、死んでしまったとしても、つまり魂となってしまっても意識は残ります。
まだまだ先が続くということであり、将来というものがあるわけです。
ですから、生きている私たちなら、どんなに老いてしまったとしても、「遠大な希望」を持つことができるし、持つべきだと思うのです。
 魂を輝かせる努力をし、自分がある程度輝くことができれば、他の人が輝くお手伝いが出来ることで自分自身がさらに輝けます。
これに終わりはありません。
真氣光を利用して、それを加速させていきたいものです。

自分の光が周りに拡がる

 7月号の月刊ハイゲンキ誌、真氣光教室のページで紹介しましたが、配管を通る水に真氣光のエネルギーを注入して氣光水にするアクアリフレッシャーI(アイ)型を7月より発売します。
これまでのものに比べ大きく性能を向上させたのですが、形状をそのままに氣中継量を半分にして価格を下げたハーフタイプも用意しましたので、7月号で解説したフルタイプとの2種類のラインナップになります。
これまで発売した多くのモデルに接続して利用することで、お安くなりますし、真氣光35周年記念セール第4弾として、今回のI(アイ)型すべてを対象に3万5千円引きとさせていただきますので、ぜひこの機会をご利用いただければと思います。
 私は、氣というものは目には見えない、科学でもとらえられない光のようなエネルギーだと説明しています。
すべてのものには氣があり、動物にも植物にもモノにも、空間にも地面にも、いろいろなところに氣があります。
そして誰もが体の中に、この氣のエネルギーを持っているのですが、光のようなものですから、明るい方から暗い方へ、光が吸収されることになり、自分よりも明るい氣をプラスの氣、暗い氣はマイナスの氣とすると、プラスの氣からは光をもらい、マイナスの氣には光を与えます。
 また、真氣光という宇宙からのプラスの氣は、氣中継器ハイゲンキや氣グッズを使って空間から無尽蔵に取り出せます。
氣グッズを使うということは、使うその人の光を増やすことはもちろん、そこに縁あって繋がっている家族や先祖、モノや土地など、いろいろなところに光を届けるということになるわけです。
そして、その外から取り入れる光が強ければ強いほど、届けられる対象は広がり拡散するのです。
 エスエーエスでは、昨年よりハイゲンキ6型、3型プラスと真氣光にとっては主力商品を発売してきましたが、今回発売するI(アイ)型は、これまでの氣中継器製作技術の最上位に位置するものになります。
新型コロナウイルスばかりではなく、世界的にマイナスの氣がまん延している、このような時だからこそ、氣中継量の大きな氣グッズが世の中に必要であり、人にとって欠かすことが出来ない水を通して、自分に集まる光が周りに拡がることが求められているのだと、私は思うのです。

全力を出しきって生きる

 休日、私は掃除・洗濯に始まり運動もして、何やら大忙しな状態なのですが、今日から愛知での真氣光研修講座が始まるということで、昨日も朝早くから家を出るまでの間、時間との勝負になりました。
忙しい時には、忙しいことが舞い込んで来るのは氣の性質ということは分かっていますが、少々焦り気味になるものです。
しかし、私の場合、それが時間に追われてストレスになるというのとは違います。
ここに、「気持ちの持ちよう」が関係していると思うのです。
 ところで、皆さんが受講しようと集まってくださる研修講座ですが、氣は決心したところから届くと、よく説明しています。
氣のグッズも購入しようとお金を支払ったところから氣は届きはじめます。
これは、氣が私たちの心に同調して集まるからなのです。
何を意識するか?そして何となく意識するのか・強く意識するのか?そんなことに関係するのです。
研修講座では、プラスの氣を引き寄せマイナスの氣の影響がなくなるよう、誓いと反省が重要だとして、研修で配っている行持集には、数々の誓いのことばを載せ、強く意識できるよう毎日唱和するようにしています。
この誓いのことばの最初にあるのが、目覚めの誓いです。
「ただいま私は、目覚めさせていただきました。
目覚めたということは生きるに充分な体力の与えられていることであります。
私は今日一日、あらゆることに全力を出しきって、生きることを誓います。
(先生!おはようございます、皆さん!おはようございます)」
 私たちは、知らないうちに生まれ、気がついたら毎日を生活しています。
そして、通常は自分の意志で死んでいくわけではありません。
それは、この宇宙の中で、何か大きな存在によって生かされているということです。
そして、その大いなる存在によって「目覚めさせていただく」とは、私たちを生かそうとしてくれているから目覚めているわけで、だから「全力を出し切って生きる」ということが大事ということになるわけです。
全力で、目の前に起きることを処理するのですから、少々忙しくても、それは当たり前なことです。
さらには、常に全力を出しきっているかと考えてみると、そうでないことも多々ありますから、そう考えると凄く忙しくても、そうでないときの分を考慮すれば、当然のことになるのです。
前向きに考えられると、プラスの氣が集まり応援の力が働きやすくなりますが、仕方なく嫌々やればマイナスの氣が集まり、それがストレスとなります。
ですから私は、朝、目覚めたからには全力を出しきって生きることを、いつも心掛けたいと思うのです。

よろこぶ顔が見たい

明後日の日曜日6/20は、父の日ですね。
母の日にはカーネーションという定番ギフトがありますが、父の日にはどうしよう?と、プレゼントに困るという人も多いようです。
特に氣の観点からは、既にお父さんが亡くなっている方にも、「こんなことをしてくれた」「あんな風だった」と思い出せることで、良い「氣」というプレゼントが贈れますので、ぜひやっていただきたいと思います。
私も今日は、先代である父の話をしたいと思います。
 父は、若い頃、家族みんなでドライブに出かけるのが好きでした。
ある時などは、夜中のうちに家を出て、高原のような所で車中泊したのです。
私と妹は、夜寝ている間に車の中に移動させられていて、全く気づきませんでした。
私たちは、朝起きると周りが別世界です。
ビックリするのと同時に嬉しくて大はしゃぎ、今でも楽しい思い出の一つになっています。
父は、家族ばかりではなく、他の人にも同じように、何か思いがけないような楽しいことをするのが好きな人でした。
そこには、「人のよろこぶ顔が見たい」という気持ちが、根本にあったように思います。
 私は、高校・大学と進むうちに、父にいろいろして貰っても、素直に表現できなくなっていました。
妹達は嬉しい時には大喜びできるのですが、私はと言えば、内心は嬉しいのに、どこかクールさを気取って「べつに・・」などと言っていたように思います。
父にしてみれば、何かしてあげて喜ばれると、余計にしてあげたくなっていたのだと思います。
今となって考えられるのは、素直さに欠け、どこかひねくれていたような私は、マイナスの氣の影響を受けていたのかもしれません。
 父の「人のよろこぶ顔が見たい」という思いは、ハイゲンキの作り方を白髭の老人から教わって、ますます加速していきます。
ハイゲンキをしてあげたら、こんな風に良くなったと、よく家に帰って来ては嬉しそうに話しておりました。
さらには、手から氣を出して治療する気功家になりましたが、どこでも氣を送っては、喜ばれたり感謝されると、もっとしてあげたくなり、セミナーや治療で会員さんの間を走り回っていました。
 このような父だからこそ、夢の中に白髭の老人が出て来て、真氣光を教えてくれたのでしょう。
そして、この私も、'92年に真氣光研修講座を受講して、真氣光という良い氣を受けるうちに氣の良さが分かり、会長職を引き継げたから、会員の皆さんを通して、人が幸せになるから自分も幸せになれるという、本当に貴重な体験をさせていただいていると思うのです。

プラスの氣の応援を感じよう

 東京は、天気の良い日が続いています。
私は、晴れの日は外に出歩きたくなる性分ですから、朝から太陽の光が差し込んでくると、どうも寝ていられません。
本当は、もう少し寝たほうがいいのですが、起き出して、近くの公園まで走っています。
気持ちが良いと、目に入るものも違います。
昼間は気がつかなかった綺麗な花が目に付いたり、鳥が鳴いているのも心地良い感じがします。
昨日は、公園のベンチで休んでいると、大きな蝶がフワフワ飛んできて、目の前の葉っぱに止まりました。
もう蝶が飛ぶ季節なのか?と、不思議な感じになりました。
そんなことを体験すると、ますます気持ちが良くなるのです。
自分が心地良くてプラスの氣を発するから、周りからそれに応じた氣が集まる、これは氣の性質です。
 私は、写真を撮るのも好きですが、同じ公園でもカメラを持って歩くのと、カメラを持たないで歩くのとでは、見える景色が違うものです。
この現象を解説すると、カメラを持って歩くと、知らないうちに、美しいもの、綺麗なものは無いかと探している状態になります。
つまり、自分の気持ちのほうが求めているので、「私を撮って」と言っているような花が、目に飛び込んでくることになります。
外界は変わらずに存在しているのに、こちらの見る目が違うと、全く見えるものが違うということです。
忙しいときには、周りを見る余裕もありません。
鳥が鳴いていても聞こえないし、目の前に綺麗な花が咲いていても気にもとまらないのです。
 ところで、確率的に考えて、とんでもなく低い確率で起きる現象は、私は「氣のせい」と考えるようにしています。
これを、もう少し分類すると、マイナスの氣のせい、プラスの氣のせいがあります。
悪い出来事は、マイナスの氣のせいで起こり、この場合は「マイナスの氣が出て来たのだから消えて行く」と考え、あまり記憶に止めないことです。
一方、蝶が飛んできて目の前に止まるのは、「わー綺麗だ」と気持ちが良くなるからプラスの氣のせいです。
この時には応援の氣を感じ、感謝するなどして記憶に残すとよいでしょう。
 雲の形や太陽の見え方など自然現象で、美しいものを目にする人も多いようです。
そのようなものばかりではなく、本来何処にでも、目に見える・耳に入る、あるいは香りなど、心地良い感じや感覚で、私たちはプラスの氣の応援を感じられるはずなのです。
プラスの氣を感じられると、それらの応援を受けやすくなり、ますます良い方向に導かれます。
まずは、真氣光のプラスの氣を取り入れ、気持ちに余裕を持てるようにして、プラスの氣の応援の兆しを見逃さずにキャッチしましょう。
ますます幸せになるためのポイントです。

日々の行動を変えていこう

昨年11月から毎週配信しているYouTubeライブですが、多くの方に見ていただいているようで、お礼申し上げます。
メンバーの皆さんの中には、どことなく笑みを浮かべながら、YouTubeで公開している映像[密着48時間]還暦経営者のルーティンと題した「60才男ひとり暮らし」を、「見ましたよ」と声をかけていただきます。
若い方からは「うける」とのことで、私としては少々恥ずかしいところもあるのですが、これを企画制作してくれた辻くんには「無駄な気を使うことなく」(笑)よくまとめてもらったと思っています。
 このYouTubeですが昨年11月に、「面白そうだ」と思い、始めたことですが、皆さんに氣を知ってもらうには、とても良いツールになっていると感じています。
何事も、その時々の一つの思いですが、それを行動に移せたこと、それが次第に蓄積していくことで、今にしてみると大きな変化に繋がっていることが良く分かります。
 2015年の年頭のこのニュースにも書きましたが、日々の行動の中に大きな変化の種が隠れています。
仕事、健康、人間関係……自分を変えたい、変わりたい、今のままではダメだと分かっていて、自分が変わることさえできれば全てのことが上手くいくように思います。
でも、どう変われば良いのか?変わり方が分かりません。
全く違う環境に身を置き、変わらなければいけないように自分を追い込んだり、やったことのないことに挑戦してみたり、内からか?外から変えるのか、まず変えてみる、それはそれで良いですし、それで効果が感じられることもあるものですが、それがその場限りでは、本当に変われていないことが多いのです。
 氣の観点から言えば、環境を大きく変えなくても、生活の中での一瞬一瞬、毎日毎日の積み重ねがとても大事だということであり、私も肝に銘じていることです。
マイナスの氣は、その人が変わっていくことを邪魔するように働いていますが、プラスの氣は少しでも良いほうに変われるよう応援してくれています。
自分の心に素直に、今できること、やった方がいいと思うこと、こんなふうになりたいと思っている自分に向かって、日々淡々と、あるいは黙々と努力・行動することでしかありません。
次第にマイナスの氣が影響を及ぼせなくなるのです。
そのうちに、目に見える人、見えない人、いろいろな応援が働いて、着実に変化していきます。
最初は僅かな変化に、なかなか気がつけないものですが、ある時ふと、自分が変われていることに気づくことになるのだと思います。
宇宙からの真氣光のエネルギーも応援していますから、確実に変われるのです。

(74)聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥

 政府の緊急事態宣言が、延長されると報道されています。このコロナ禍で、昨年早々から、うちのマンションでも「エレベータの中での会話は控えてください」との張り紙があります。
私などは、もともと会話をすることも少なかったのですが、話はマズイということで、住人同士の会話も減っている気がします。
また、先日からコンビニで買い物をする時、今までは決済手段を「ペイペイで支払います」と店員さんに伝えていたのですが、ディスプレイ上を自分で選択する方法に変わっていました。
ますます話すことがなくなりました。
 初めての人と話す場面で一番多いのが「何かを聞く」ということかと思います。
自分が分からないから人に尋ねるということですが、今では、人に聞くよりスマホで調べたほうが確かですから、これさえも少なくなっていると思います。
気がついたのですが、私などは余程困らないと、知らない人に聞くことがありません。
どこか気恥ずかしいと思っている感じがします。
私ばかりではなく、一般的に女性に比べ男性は話さない人が多いですから、どこかにへんなプライドがあるのでしょうか?私から見ると女性は、世間話等、いろいろな情報交換が上手です。
「よく、そんなことまで話せるなぁ」と思うぐらい、一見無駄に思えるような話から気心を知るなど、より深い情報にアクセスしている感じです。
 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ということわざがあります。
頭で考えればよく理解できるのですが、気軽に聞くのは難しいものです。
このことわざを辞典で調べると「江戸時代初期から見られる。
知らないことは恥ずかしがらずにどしどし聞きなさいとするこのことわざには、昔の日本人の知識に対する考え方がよく現れている」とあります。
 私は、いつも皆さんに「頭で考え良いと思う事をなかなか行動できないのは、マイナスの氣の影響です」と、説明していますが、まさしく私が聞けないのは、これに当てはまる事案です。
人は人と関わることで成長できるものであり、そのようにして良い方向に変わっていくのを邪魔しようとするマイナスの氣が存在します。
ですから「恥」と感じるのはマイナスの氣の影響でしょう。
 ところで、情報としての会話ばかりではなく、会話を楽しむことにより良い氣を与え、良い氣を貰う氣の交流が可能になり、このような時だからこそ皆が、それをより意識していくことが大事です。
SASでは、センターばかりではなく、オンラインでの無料体験会など、いろいろな機会を作っていますので、ぜひご参加ください。
私も、マイナスの氣の邪魔には負けないように努力したいと思うのです。