人の絆が強める光

先ほど私は真氣光研修講座を開催していた、つくばみらい市から帰宅したところです。今回は開催中に終戦記念日があるなど先の戦争で亡くなった人々、お盆の時期でもあったのでかつて苦労された先祖にあたる人々も、一緒に講座で真氣光をたくさん受けていかれたように思います。参加者の皆さんも毎日の生活で背負った重い荷物がどんどん取り外され、4日目には身も心もすっかり軽くなったようでした。毎朝の「いいとこ探し」行法での発表を聞いていると、話の内容の深さから、受講生同士の打ち解け具合がわかるものです。良かったこと、嬉しかったこと、そればかりではなく過去に起きた辛かったことや苦しかったことからの気づきを素直に話せることで、人と人との間にあった壁が取り払われていくのです。聞かせていただく私は毎回のように、大きな感動に包まれます。まるで大きな家族が、毎日一回食卓に集って、いろいろな話をしているような感じです。今年初めに上映された「幸福な食卓」(6/22DVD発売)という映画があります。あらすじは、次のようなものです。『中原家は、教師の「父さん」、専業主婦の「母さん」、兄の「直ちゃん」、佐和子の4人家族。母さんは家を出て、秀才の兄は大学に行かず、突然農業を始めた。ある朝突然、父さんは父さんをやめる。中原家は、必ず四人が顔を揃える毎朝の食卓の場で伝え合う……そんなささやかなルールを大切にしてきた家族でした。戸惑いながら生きる中学生の佐和子の前に、転校生の大浦が現れた。驚くほど単純な性格の大浦だが、いつしか佐和子にとっては心の支えとなっていた。2人はそろって同じ進学校に合格し高校生活を始める・・・・。一時は家族が崩壊していく危機に見舞われますが、あることをきっかけに家族の絆が強まります。』一人ひとりの魂は光をもっています。人と人との集合体にも、全体の光みたいなものがあり、誰かの光が弱くなるとそれを補い合うように周りから補填されます。つまり家族にも光があるのですが、心が通じ合い、絆が深まると、その光は大きく強さを増すのです。ですから、たとえばその家に恨みを持つようなマイナスの氣がはたらくと、それはまず家族をバラバラにして全体の光を弱めたいと思うのです。この映画で印象に残ったセリフ「気付かないところで守られてるから」ではないですが、いろいろな人達が家族の光を守ろうとしています。この映画の食卓のような、一同に会し氣を合わせることの重要性がわかります。そして、真氣光研修講座でのいいとこ探しのように、そのような場に真氣光を利用できると、さらに応援が強まるのだと思うのです。

心を強くする

広島に続いて長崎でも、今日、平和祈念式典が開かれ、原爆が投下された時刻に黙祷がささげられたとニュースでは報じています。前回の本紙面でもお話ししましたように今週、私はいつもよりは時間を多く割いて、真氣光をたくさん受け、原爆で亡くなった方々に氣を送り、冥福を祈りました。4月に当選した長崎の田上市長による平和宣言では、北朝鮮による核実験やイランの核開発疑惑など核をめぐる国際情勢には不安が募るなか、「被爆国のわが国においてさえも、原爆投下への誤った認識や核兵器保有の可能性が語られる」と現状を憂い、米国をはじめとするすべての核保有国が、自らの核兵器の廃絶に取り組むべきだと訴えたものでした。私が真氣光を送っていると、原爆で亡くなった人が、苦しみながら出て来たことが何度もありました。そのうちの一人の魂さんが最後に遺していった言葉を思い出します。「人の心は弱いものです。弱いから強くなろうとして、他を傷つける。一人ひとりが強くなれば、他を傷つけることも無くなる。」それを聞いて私は、核武装や戦争ばかりではなく、毎日の生活の中でも思い当たる事がたくさんあり反省させられました。洗心の指標の中にも、最初に掲げてあるのが「強く」であり、他への「咎め」は“心から無くすべき感情”に入っていますが、自分の心を強く持つということは、いざ実践となると本当に難しいものだからです。真氣光のエネルギーは、人の心を強くしてくれるものだと思います。自分自身の弱い心を発見したときに、音氣を聞いたり、ハイゲンキをすることで、少しずつ魂に光が入って、心が軽くなるのです。自分ではなく他のせいにしたり、他のほうに意識が向いていると、「気づきを得られずに、他を傷つける」ということになってしまうのだと思うのです。自分の弱い心のほうを見るのは、少々辛いことですが、焦点がそちらに定まれば光の応援が必ずあります。それを信じることなのです。また真氣光は、自分に取り入れ、さらには誰かに送れるのが特長です。私は今週、氣を送るという遠隔真氣光に集中してみて、「真氣光チタンプレート」という新しい氣グッズの効果を確認しました。それは2年目以上の正会員の方々に無料で配布しているハイゲンキ用パワーシートを改良したもので、縦7cm横10cm厚さ2mmのチタン板の裏一面にパワーシート同様の3連マークをエッチングにより千個彫り込んだものです。氣を送りたい人の写真、物などの上に置いて使うのです。これは水晶に代わる社内の波動調整用に私が試験的に作ったものなのですが急遽販売することにしました。一般価格36,750円、発売の時期についてはセンターにお問い合わせください。

先祖に感謝の氣をおくろう

私は、今月の気配り画像に「先祖に感謝の氣をおくろう」と書きました。先祖とは、○○家のような家系的な先祖もそうですが、もう少し広く考えて過去に生きた日本人、さらには国籍も取り払って単に「先人」とでも言いましょうか、自分が思える範囲でよいのですが、そのような先祖に感謝の気持ちを持つことで、プラスの氣を送ろうということなのです。特に今週、私の場合は、‘45年(昭和20年)8月6日午前8時15分広島での原爆で亡くなった人々(同年12月末で14万人が死亡と推定)、9日午前11時2分長崎での原爆で亡くなった人々(同年12月末で死者7万3884人、負傷者7万4909人)に氣を送りたいと思っています。私が氣を送っていると、被爆した魂さんたちが、氣を受けている人の口をかりて出てくることがあります。苦痛に喘ぐ低い唸り声で、ただただ辛くて身の置き場が無いという感じです。先日などは、真氣光が届いていくと「もう苦しまなくてよいのか?」と私に聞いた後、「さぁ、みんなで逝こう」との言葉を最後に光の世界に行かれたのでした。62年経っても終わること無く、まだまだたくさんの人々が、苦しみの中にいるようなのです。今の日本の平和は、犠牲になっていただいた方々のおかげです。私たちが少しでも苦しみを理解し平和への思いを強くできること、さらには真氣光の光が少しでも届くことを祈ることで、たくさんの人の心が癒されるのです。今日の新聞によりますと、『安倍首相は被爆者代表らと、6日に広島市で開かれる原爆死没者慰霊式・平和祈念式の出席に先立ち、5日夕に同市内で会談する意向だ。歴代の首相は、原爆の日に合わせて被爆者代表らと面会してきたが、01年を最後に途絶えていた。首相も当初「スケジュール上の都合」で欠席する考えを示していた。6月に久間章生前防衛相が原爆投下を「しょうがない」と発言したことで、被爆者団体は首相との面会を強く求めていた。』とありました。とても良かったことです。私は、‘02年に米国ニューメキシコ州サンタフェ市近郊でセミナーを開催したときに参加してくれた母と子を思い出します。(本紙296号2002.10.3付参照)男の子は甲状腺の病気でした。母親のおじいさん達が、日本に落ちた原爆を作った近くの研究所で働いており、彼らも体を悪くして亡くなったとのことでした。当時原爆は3発作られ、一つはニューメキシコ州での実験で、残りは広島、長崎で使われたということです。真氣光は宇宙からのエネルギーです。その真氣光が、先代の時代からチェルノブイリ原発事故や原爆で「ヒバク」した人達と深いご縁があるのは、何か宇宙の大きな意思が働いているとしか思えないのです。

ラベンダー畑から

月刊ハイゲンキのカラーページ「新紀行」の取材で富良野に行って来ました。花々が見頃で、観光客でたいへん賑わっておりました。私は以前にも行ったことがあるのですが、ラベンダーで有名なファーム富田は、ずいぶん大きくなって変わっておりました。もう20年ぐらい前になりますから、当たり前のことですが・・・。ラベンダーの栽培は約50年前からとのこと。一時は天然香料が合成香料に押され栽培を断念する農家が続出。「生かしたい一心が、物づくりの道を教えてくれた」と言うことですが、国鉄のカレンダーで紹介されたのをきっかけに訪れる人が多くなり、オイルの抽出から化粧品や石けんの製造を手がけ苦境を脱したとのことです。ラベンダー畑に辿り着くと、目に奇麗な色彩が飛び込んでくるとともに、何とも言えない良い香りがしてきます。ハーブ効能事典を調べてみると「ラベンダーティーとして飲用すれば頭痛緩和、リラックス効果、失神やめまいも緩和する。またエッセンシャルオイルは消毒、鎮痛、沈静(例えば虫刺されや小さな火傷、凍傷、刺し傷)等に有効。マッサージオイルに混ぜたものは、炎症、皮膚のただれ、喉の痛み、リューマチ、不眠症、うつ病などの芳香療法の際に使われる。」とあります。真氣光の化粧品オイルと石けんにも使われています。普通いい香りを嗅ぐとリラックスしストレスは解消され、いやなにおいを嗅ぐと不快になりストレスは増幅されると信じられていますが、一概にそうともいえないようです。ストレスの原因を身体の酸化ととらえ、唾液中の抗酸化物質が増えているとストレスを解消でき、逆に低下していれば身体の酸化が進みストレスがたまっていくと考えた実験が「においと香りの正体」(外崎肇一著)に紹介されていました。アロマテラピーで使われる芳香を嗅がせると抗酸化物質は徐々に増えていくが、嗅ぐのをやめると以前の数値にすぐに戻ってしまい、逆に不快なにおいを嗅がせると抗酸化物質の量はそれほど減らず、嗅ぐのを止めると抗酸化物質が一気に増加するということです。においには慣れがあり、いやなにおいから解放されてホッとするのが、抗酸化物質の増加につながっているということで、この実験での結論は、人にとってストレス解消の良い方法は「変化」だというのです。そういう意味では、短い時間でもホッと一息できた今回の取材は効果があったのかもしれません。来月の月刊ハイゲンキでは、できるだけ写真をたくさん掲載します。良い香りはお届けできませんが、良い氣をお届けします。リラックスのための「変化」になりますでしょうか。お楽しみに。

真氣光は氣づきのエネルギー

私は、今週月曜日まで3泊4日の真氣光研修講座を開催しておりました。講座期間中、大きな台風と地震がやって来ましたが、幸いにも受講生には大きな影響もなく本当に良かったと胸を撫で下ろしました。ただ一部の地域では大きな被害が出ていると、帰宅してからテレビ報道で知りました。SASのセンターからの報告では直接被害に遭われた方はいらっしゃらなかったようですが、ご親戚やご友人の中に被災された方がおられるかもしれません。心よりお見舞い申し上げます。この地震では原子力発電所もストップしてしまいました。想定外の揺れだったとのことでしたが、特に大自然の前ではこの「想定外」はつきものですから人類にとって「これで万全である」というおごりは禁物です。ところで毎回の研修講座で、私が必ず話していることの一つに「神を信じ人を愛す」の話があります。先代が遺した言葉ですが、真氣光を実践する上でこの言葉無くしては始まりませんから、講座ではそれが持つ意味の説明に時間をかけているのです。「神を信じ」の言葉には、私たち一人ひとりは、大宇宙や自然あるいは高次元の存在とも言える神のような、何か大きな存在に生かされているということを信じるという意味が込められています。ですから先代が亡くなる前によく言っていたのですが、「身のまわりに起こること、特に一見マイナスの出来事は全て、私たちの魂の成長のために神が与えてくれた意味のあること」ということです。しかし、なかなかその意味には氣づけないものです。でも与えられたことに、こちらから氣づこうとしなければ氣づきのチャンスが無駄になってしまうのです。この時、氣づくためのポイントは、マイナスの出来事のせいにするのではなく、自分がどう変われば良いかを考えることにあります。先代は大きなヒントを遺しています。「人を愛す」です。家族や友人など身近な周りの人との人間関係において、自分がどこまで人を愛せるか?プラスの氣を発信できるか?という観点でも考えてみることなのです。高次元からの真氣光のエネルギーは、魂に入り成長を促します。音氣等の氣グッズやハイゲンキ、さらにはそのバージョンアップが力を貸してくれます。氣づきのチャンスだと頭でわかっても心からそう思えない時、心がそれを許さない時があるかもしれません。どんな心の状態でも、まず氣を受けようとすること、そして十分に氣を受けながら考えることによって、いろいろなことに氣づけるのです。ハイゲンキの源は宇宙に繋がっています。何か大きな力が助けてくれるのです。

ムッときたら氣の充電

4月26日付のこの紙面で、私はある新聞の特集記事「夫に言われて傷ついた一言」(1位は「君も太ったね」)について書きました。先日その新聞に今度は「妻に言われてムッとした一言」という記事が載っていました。どうも妻の言葉への夫の不満も取り上げてほしいという声が新聞社に多数寄せられたようです。結果は、1位「うちにはお金がない」「生活費が足りないわ」274人、2位「あなたはいつもそうなんだから」220人、3位「おなかが出てきたわね」203人…と、アンケート結果は15位まで続くのですが、我が家でも時々耳にする言葉が入っております。一方、妻に言われてうれしかった一言は、1位「ありがとう」411人、2位「いつもご苦労さま」「お疲れさま」300人、3位「いってらっしゃい」266人、4位「さすが!」183人、5位「早く帰ってきてね」180人…と、感謝や労いの何気ない一言が続きます。記事によりますと、短い一言は「長い言葉と違って、夫側が『本音は何だ?』など裏読みをせずに済むので素直に聞ける良さがある。妻が自分の味方であることが口調からも伝わり効果的」だそうです。男性も女性も嫌な言葉の中には、体型のことが入っていたり、「一生懸命やっているのに、これ以上どうすればいいんだ」という自分の気持ちをわかってもらえない事への不満が根底にあるようです。私は、妻の言う事に対して、つい「ごもっともです」と思ってしまう癖がついてしまったのか、滅多にムッとすることはないのですが、やはり疲れているときなどに聞くと嫌味の一言でも返してやろうかという気になるものです。マイナスの言葉にはマイナスの氣が集まり、プラスの言葉にはプラスの氣が集まります。言葉について、できるだけお互いに気をつけることが望ましいのですが、なかなか行動に移すのは難しいものです。私は、同じような事を相手から聞いても聞き流せるときと、やけに心に引っかかるときがあるということから、そのことを自分自身の状態に気づけるチャンスととらえるべきだとお話ししています。ムッとしたときには自分自身の波動を変えるよう、一呼吸置いたり、相手を思いやる気持ちを持てるよう努力することで、一つ魂のステップアップができるものです。もちろん、心に余裕を持つために少し多めに氣を受けることも忘れてはなりません。夫婦という身近な人との間で練習ができると、魂の成長も早くなるということでしょう。また、第三者に対してムッとしている相手を目の当たりにしたら、気づかぬうちにマイナスの氣をためてしまいますから、心に余裕を取り戻せるようお互いに注意し合えると最高ですね。

バカンス

今年も半年が過ぎ、7月に入りました。ニュースによりますと「成田国際空港会社は5日、夏休み期間中(7月13日?9月2日)の空港利用者が、過去最高の427万人に達するとの推計を発表した。9月2日が日曜日で小学校などの夏休みが長くなるため、前年比で約5万人増えるとみている。」ということです。この推計、休みが2日長くなると、こんなに増えるの?という感じですが・・・。旅行会社など夏の観光についての宣伝が目を引きます。インターネットで検索してみると、フランス政府観光局のサイトには「頑張った自分にごほうびするなら、フランスでのバカンス!」と銘打って、あちらこちらの美しい風景や食べ物の写真が掲載されています。ちなみにバカンス、バケーションを百科事典で調べてみると、「欧米では労働者の休暇の過ごし方の形として頻繁に使われるもの。平素の煩瑣な仕事の世界から解放されて、完全な休暇を楽しむライフスタイルのこと。休日とは違い、長期にわたり仕事や普段の生活の場所から離れ、田舎やリゾートに出かけて、そこに滞在型の休暇を楽しむもので、日本人の団体や家族での海外旅行のような周遊、回帰型の移動旅行とは異なったもの。」とあります。長期で留守にすると、いろいろなことが気になってしまい、私などにはもしかしたら無縁のことかもしれません。フランスでは景気回復策として、60年以上前からバカンス法を制定して国が奨励してきたという歴史があります。近年、日本でも徐々に言われていることなのですが、なかなか現実には難しいものがあります。バカンスについて、フランス人ジャーナリスト、ドラ・トーザンさんが書いている文章を見つけました。『人生を前向きに生きるためにバカンスは欠かせません。精神的ストレスを癒すには、日常から離れることが必要。仕事も肩書きも年齢も忘れ、素の自分を取り戻すのです。いいエネルギーと新しいものの見方を身につける事で、周りの人にもいい影響を与えます。大切なのは「今この瞬間を味わう」こと。翌日のことは気にせず、ひたすら今を楽しむ。そして偶然の出会いを楽しむこと。・・・日常生活では得られない新鮮な時間を、親子で共有することもできます。』これを読んでいて、まるで真氣光研修講座のことを言っているように思いました。バカンスのように何週間もの長い休みをとれない方に、真氣光のエネルギーが短い時間でも癒しを与えます。この夏、日常を離れ、思い切って3泊4日の研修講座を受講してみませんか。

(57)足をすくわれていた?

左足に限って、いろいろな不調に見舞われていたA 子さん。小学生の時に転んで、膝を大きく切るアクシデント以来、何度も転んだり足首を捻挫したりしていたと言います。本人曰く「不注意と言われればそれまでですけど、あまりにも左側に集中するので変だと思っていました。でも特に気にしてはいませんでした」よく話を聞くと、それは何か大事な事の前に起こっていたと言うのです。例えば、友人の結婚式でスピーチをしなければならないのに、その前日に洗濯物を干していて何かにつまずき竿を持ったままバランスを崩して大転倒。足首を捻挫したのですが、彼女はすかさずハイゲンキを当てたと言います。私もいろいろ経験がありますが、外傷など物理的な怪我にけっこう効くのです。彼女も最初はどんどん腫れて来たので、これは病院に行かないと大事になるかもしれないと思ったらしいのです。しかし、予想に反してハイゲンキが効果を発揮し、痛みと腫れが引いたと言います。翌日の結婚式も少々腫れていたけれど事なきを得たと言います。そんなA 子さんに、私が氣を送っていると、突然左足を揺らし始めます。そのうちに痛そうに顔を歪めて唸り始めました。私は、彼女にご縁のあった魂が、何かをわかってほしいのだろうと直感しました。案の定、「(今まで)苦しかった」と、訴え始めたのです。話を聞いていると、どうも小さい時に落馬して足を痛めたお姫様のようです。満足に歩くこともできず、正座もできず・・・結局お嫁にも行くことができずに、暗い気持ちのまま亡くなったのでした。永い年月が過ぎましたが、気がついたらA 子さんの所に来ていたようです。「少しでも私の苦しさをわかって欲しい」という気持ちや、少しは「私がこんなに苦しいのだから、この人も少し苦しんだらいい」という気持ちもあったかもしれません。A 子さんが楽しいと感じている時や、何か重要な事があると、いろいろな事を起こしていたようです。しかし氣を受けているうちに左足の動きも小さくなり、だんだん楽な表情に変わっていきます。最後にフッと何かが消えていったように、A 子さんは我に返ったのでした。A 子さんは、もしかしたら人生のいろいろな局面で、足をすくわれていたのかもしれません。今回このようなかたちで魂さんが浮かんで来られたのは、日頃から真氣光を充電して来た結果です。私は「怪我をした直後にハイゲンキを当てていたのも、魂さんの心を穏やかにする大きな効果があったと思いますよ」と、お話ししたのでした。

携帯電話に氣を

私は、うっかり忘れものをするということがあるらしく、家を出るときに家内が必ず「「財布持った?鍵は?携帯は?」と声をかけてくれるのです。有り難いことです。いつぞやは、財布は持っていたけれど中身が何も無いということもありましたが(笑)・・・。この、家を出るときの点検はサラリーマン時代からですから、もう20年近くになります。携帯電話がチェック項目に入るようになったのは、いつからでしょうか?おかげさまで私の場合忘れることは滅多に無いのですが、持っていても充電されていなくて使えなくなっていることがしばしばありますので、こちらは要対策というところです。今や携帯は、必需品になりました。公衆電話が街中から姿を消していますから、電話をしなければいけないときにはこれが無いと本当に不便です。私はあちらこちらからメールが来るので、メールの送受信機能も重宝しております。さらには出張のための飛行機や電車の予約、最近では、電車やバスに乗るのも、コンビニでちょっとしたものを買うのも「おサイフ携帯」ということで、ますます依存症になりつつあるのです。ある調査会社が街頭で『あなたは1日に携帯電話の画面を何回見ますか?』と、100人にアンケートを取ったそうです。結果は10回以上が46人、30回以上39人、50回以上9人、中には100回以上の人も・・・。私は時計の代わりに携帯で時間を確認しますから、それを入れると私も30回以上になるかもしれません。電車に乗っていても、携帯を見ていない人は居ないくらいです。現代人にとって、とても必要なものになってしまいました。肌身離さず使われる携帯電話に何とか良い氣を・・・と考えてできた一番最初の氣グッズが真氣光チタンゴールドシールだったのです。氣グッズばかりではなく本紙も2003年10月からファックスに加え、携帯電話にも配信するサービスを始めました。また昨年4月からは氣配り画像を待ち受け画面用に毎月一回配信し、氣を受ける道具にしてもらうというサービスも始めたのです。最近の携帯は音楽を聞くこともできるので、音氣を録音して聞けるようにしたいという要望もありました。そこで従来のチタンゴールドシールを小さく改良して、さらには音氣の音の波動に合わせて真氣光の氣が中継されるよう、ミニチタンゴールドシールを今月発売しました。これだけ大人から子供まで携帯電話が生活の一部になった今、少しでもそこから良い氣を受けていただけるように、これからも考えていきたいと思うのです。

氣になる本 『念ずれば花ひらく』

世の中には良い詩集がたくさんあり、ふとしたときに目にできることで、とても心が緩むものです。今日は、我が家の本棚にあって思い出深いものを、紹介したいと思います。坂村真民さんの「念ずれば花ひらく」(サンマーク出版)という詩集です。先代が亡くなり私が会長になったばかりの‘96年10月から‘98年にかけての話です。当時ご本人に快諾いただいたと聞いておりますが、月刊ハイゲンキに詩を掲載させていただいていたのです。 昨年12月に97歳で亡くなられたのですが、いつかどこかで紹介し、感謝の気持ちを伝えたいと思っていたのですが、今になってしまいました。真民さんは熊本に生まれ、8歳の時、小学校の校長をしていた父親の急逝によりどん底の生活に落ち、5人兄弟の長男として母親を助け、幾多の困難と立ち向かい、甘えを許さぬ一徹さを身につけたと紹介されています。 続けますと、「昭和6年、神宮皇学館(現皇学館大学)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につき、36歳、全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩作に専念する。四国移住後、一遍上人の信仰に随順して仏教精神を基本とした詩の創作に転じる。」と、あります。斎藤茂太著『プラス思考がその人を強くする』という本の中で、斎藤氏は真民さんが挫析と劣等感をバネに詩をつくって来たことに共感し、心から敬意を表し、次のように言っています。「真民さんの詩や文章には、人を包み込むようなあたたかさがある。それは真民さん自身が本物だからなのだ。」「どん底を見てきた人は、人間に対する眼差しに慈愛が満ちるのだろう。」 私も先代が亡くなった直後の、右も左もよくわからない時でしたから、真民さんの詩にはずいぶん励まされました。氣の観点から読んでも、共感できる詩がたくさんあります。ハイゲンキ誌での初回を飾ったのが、この「念ずれば花ひらく」ですが、いつかこの紙面でも紹介しました先代の「治療哲学」にも通じるものがあります。さらには次号に掲載された「すべては光る」という詩ですが、まさしく万物に宿る氣というものを表現しています。「光る/光る/すべては/光る/光らないものは/ひとつとしてない/みずから/光らないものは/他から/光を受けて/光る」詩を読んでいると、真民さんがきらきらと輝いているようです。私は詩集を開くたびに、ご縁をいただけたことに感謝し、ますます光り輝きますようにと、お祈りするのでした。