パワーユニットの可能性

2000年に、私はハイゲンキの照射ヘッドに取り付け、強力にする部品:パワーユニットを開発しました。これができたことで、その後スティックヘッド、ミニスティックヘッド、アクアリフレッシャーなどの氣グッズが開発できたのです。パワーユニットの構造上のポイントはピラミッドとセラミック、マグネットで構成される基本部品ですが、中でもピラミッドの数を多くすることで通常のヘッドの250倍というパワーユニットまででき、今ではたくさんの方々に使っていただいております。さらに、私はより小型低価格で高出力が得られる構造を研究した結果、微小な突起からなる立体ピラミッドではなく、SASペンダントで使われている平面上に描いたピラミッド(ペンダント下の三角部分)でも同様の効果が得られることがわかったのです。これは大きな発見でした。なぜなら、世の中ではコンピュータに使われる集積回路技術が進んでおり、容易に微小なパターンを平面上に描くことが可能だからです。厚さ数十ミクロンの薄板に肉眼では見えないほどの小さな平面ピラミッドをエッチングという技術で描き、それを多数積層すれば従来とは比較にならないほど小型で大きな中継量が得られるわけです。私は昨年末までに試作・試験を繰り返し、「これは使える」と確信したのです。この技術を使うと、ハイゲンキの照射ヘッドばかりではなく、前述のいろいろな氣グッズが様変わりします。一つ一つが強力になるばかりではなく、安くできれば、より多くの方に使っていただけるかもしれません。少なくとも、センターにはたくさん置いて利用してもらうことができるわけです。宇宙からの光の中継量が飛躍的に上がる可能性があります。私は250倍のパワーユニットができたとき本紙347号(2003年10月2日発行)で、ある魂の話を紹介しました。その人が光の世界に逝かれるときの「人は初め、自分の事だけを考えて光を受ける。だけどその陰には私のようなたくさんの辛さや悲しさがあるんです。そのような人にも光を送れるような『人を愛せる人』にこれを使って欲しい。」という言葉です。光が増えれば、それに抵抗する影もあるでしょう。そういう意味では「神を信じ人を愛す」を心して使える人でなければ真価を発揮しないのかもしれません。しかしこの時期だから、それを理解してくれる人も多いのだと思うのです。遡れば、本紙154号(2000年1月3日発行)で述べたように「神を信じ人を愛す」、私も身を正す気持ちです。2月のうちに試作品として全国のセンターに配備できる予定です。まだ値段も決まっていませんが、今使っていただいているものが、できるだけ利用できるようにと検討中です。もう少し詳しい話は、2月11日の真氣光レッスンでもお話ししたいと思います。

(3)シューマンのトロイメライ

今の世の中は便利になりました。私のパソコンは、いろいろな場面で活躍してくれます。この原稿を書いて送るのも、いろいろな資料や写真を作成したり、保存するのにもこれがないと不便でなりません。資料の他に音楽もたくさん入っていて、ちょっとした息抜きや、頭の切り換え、ホテルに泊まった時のくつろぎの時間に聞いています。私が面白いと思っているのは、パソコンが無作為に曲を選んでスピーカーから鳴らしてくれる“シャッフル”という機能です。CDを一枚一枚プレーヤーに入れて聞いていた頃にはいつのまにか聞かなくなって、どこにあるのか分からなくなってしまっていた曲が、偶然のようにある日突然に出てきて、「こんな曲があったかな」と新鮮な気持ちで聞くことが出来るからです。その“シャッフル”ですが、原稿に取りかかる前に何か聞いてみようとしたところ、パソコンが無作為に選んだ曲は、フジコ・ヘミングのピアノ名曲集の中からシューマンの「トロイメライ」でした。これは彼女のベストアルバムで、3ヶ月くらい前に買ったのですが、いろいろ忙しくしているうちにゆっくり聞く時間も無く、すっかり忘れていたものです。美しい曲をじっくりと聞いた後、インターネットで何の気無しにシューマンについて検索してみると名言を残していました。「人間の心の奥底へ光を送ること?これが芸術家の使命である」という言葉です。私は、頭で理解するしないに関わらず、芸術によって人の心が癒されたり豊かになったりすることから、作った人や演奏する人を介して、見えない氣のエネルギーの一種が伝わるのだと考えています。そういう意味では芸術家も氣光師も似ています。話は代わりますが今月の研修講座で、ある受講生が、音感行法の素晴らしさを“いいとこ探し”で発表してくださいました。たしか「いつも音楽をシャッフルしてBGM的に聞いていたけれど、音感行法で音楽をじっくり聴くと良かった」という話でした。私も、その時「そのとおりだなぁ」と実感したのです。氣のエネルギーは、受信する側が、それをキャッチしようとすればするほど効率よく受け取れます。じっくり聞くことで、その曲に関わっているいろいろな人達の氣が伝わるのでしょう。私も時には、あれこれしながら…ではなくて、コンサートに行ったり音楽鑑賞ができる時間を作ろうと思ったのでした。同じように真氣光の氣も、時には家やセンターで、じっくりと受けてみるのがお奨めです。

神戸に、たくさんの光が届きますように

私にとっては今年早々の一大イベント、新しい場所・つくばみらい市での真氣光研修講座が、受講生の皆さんのお蔭で16日感動のうちに終了することができました。皆さん、ありがとうございました。研修最後の日、いいとこ探しの時間に、大阪から来ていた受講生の一人が阪神大震災の話をしたのです。私は研修講座への連日の準備と初めての場所での研修に心が奪われていて、その時まで明日17日が12年前の震災の日だということをすっかり忘れていたのです。彼女の言葉にハッとさせられました。というのも、偶然にも研修講座が終了した翌17日は、月刊ハイゲンキの対談取材で芦屋にある甲南女子大学の奥田和子教授を訪ねる予定になっていたからなのです。17日朝、行きの新幹線で私は、音氣でたくさんの氣を受けました。最初、頭に浮かぶのは、突然の出来事で命を落とされた方々の悲しみや辛さです。12年の歳月が経過しましたが、まだまだ光の必要性を感じ、被災された皆さんに少しでも光が届くように祈りました。気のせいか京都に着いたあたりから私に伝わってくる感じが変わってきて、新大阪に着いた頃は、すっかり明るい感じになったのです。キャンパスは、遠くに神戸の街が見下ろせる高台にありました。不思議なご縁を感じながら、これからも震災という出来事を決して忘れてはいけないと思いながら、心の中で氣を送りました。大学は女子大ですので、足を踏み入れた経験の無い私は少々緊張しました。被っている帽子、履いている靴、通り過ぎる学生が、私の卒業した学校とは随分違います。私は小学生の頃、極度の緊張症で、特に女性の前では顔が真っ赤になって何も言えなくなるほどだったものですから、何処か緊張してしまうのです。しかし奥田先生はとっても親しみやすい方で、「宗教からみた食のあり方」についてリラックスしてお話を聞くことができました。私の氣の話にも興味を持っていただいて、対談の最後には「もう一ヶ月早かったら生徒に講義をしてもらえたのに」というお言葉をいただきました。お若く見えた先生も70歳とのこと、この3月で退官されるというのです。「こんな良い先生が居なくなるなんて、学生達も寂しくなるだろうな」と思いながら、私は女子学生の前で極度に緊張して講義をする自分自身の姿を想像して、「一ヶ月遅くて良かった」と胸を撫で下ろしたのでした。そのことを妻に言うと「あなたは少し自意識過剰。あなたのような叔父さんは、学生達にとってはその辺の壁ぐらいにしか思っていないわよ」とのお言葉。(笑)対談の模様は月刊ハイゲンキ3月号に掲載予定です。お楽しみに。

一年の計は元旦にあり

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。一月も3分の1が過ぎましたが、今年初めての真氣光ニュースですので、ご挨拶させていただきました。私は今月すでに、会長セッションで大阪、名古屋、仙台のセンターを周り、今週末からいよいよ“つくばみらい市での研修講座”が始まりますので、それに向けて準備をしているところです。皆さん、この年末年始は、どのようにして過ごされたでしょうか。主婦の方の中には、忙しかったという方、あるいは十分休息し体調を整えたという方もいらっしゃることでしょう。私が会長セッションでお会いした皆さんは、いろいろな事が良い方向に進んでいる人が多かったようです。年が変わり真氣光のエネルギーそのものが、より一層高まっているように感じました。私は、日頃出来ない仕事を年末ぎりぎりまでやっていましたが、年始は真氣光を十分に受ける時間がとれ、ゆっくり過ごす事ができました。今年はたくさんやりたい事があり、いろいろ決意した次第です。前々からやりたくてもできなかった事が、年が変わる事でできるような氣になるという事があるものです。このような場合、ご先祖様や守護霊さん、さらにはご縁のある見えない存在からのいろいろな応援もあっての事だと思うのです。「来年は良い年にしよう」と思いながら頑張って来たのは、私たちばかりではありません。このような見えない“氣の存在”の方々のほうが、もしかすると強く念じていたのかもしれないのです。そのような気持ちを受けて、年頭に決意や決心ができるという事は、とても良い事でしょう。前述の年頭の話ではないのですが、先日また決意が増えました。(笑)夫婦でイタリアンレストランに入ったのですが、ランチの時間でとても混んでいて30分程待ちました。私はすっかりお腹が空いて、それに氣を取られたのか、知らないうちに言葉少なになり、ぶっきらぼうになっていたのです。妻が「そんなに怒ったような口調でオーダーしなくてもいいんじゃない?」と一言。別に怒っていたわけではないのですが、「ニコニコ笑っていたわけでもなかったかな」と考えていると、パスタが運ばれて来ました。食べていると妻が笑いながら、具に入っている蟹の量が随分違うと言うのです。偶然でしょうが私の皿にはそれらしきモノが見あたりません。すっかり反省しました。身体的にマイナスの状態にあるときには、心もマイナスに傾きやすくなります。そのような時こそ「心に余裕を」微笑みが重要です。簡単そうな事ですが、なかなか難しい課題です。

(2)「微笑みのひと」

早 いものでもう11 月ですね。今年も残りが少なくなって来ました。私は、いつも週末は地方に出張のことが多いのですが、先日珍しく日曜日朝の山手線に乗りました。私がいつも乗るのは夜の電車で、ほろ酔い気分もしくは疲れたサラリーマン、携帯やゲームに夢中の若者が多いのですが、その日はいくぶん空いた車内に清々しい朝の雰囲気を感じておりました。二人の子供とお母さんらしき人が乗ってきたからです。小学校高学年の男の子はリュックを背負い、小学校1 ・2 年生の女の子はお母さんに寄り添うように立っています。真ん中に立っているお母さんの笑顔の表情が、私にはとても印象的だったのです。山手線を半周一緒に回りましたが、家族は特に何かを話しているわけではないのですがお母さんの絶え間ない微笑みが、私にはとても幸せな感じを与えてくれたのでした。と ころで、明日から真氣光研修講座が始まりますが、私はいつも講座の中で作っている物があるのです。すでに受講した方はおわかりでしょうが、受講生の写真の中から良いものを予め選んでおいて、最終日前日の夜に音楽をバックに写真を一枚一枚(スライドショーという)お披露目するのです。毎回のことですが、研修が終わりに近づくと皆さんの表情がどれも素晴らしくて、写真を選ぶのがたいへんです。そ のスライドショーに数年前から使っている曲が、今井美樹が歌う「微笑みのひと」です。この曲は‘02 年に放映されたNHK の連続ドラマの主題歌でした。当時番組に寄せるメッセージの中で彼女は「…微笑は誰もができる、素敵な気持ちの表現です。日々の中で、それぞれの人の微笑が心に花を咲かせ、柔らかな幸せの波動が、隣の人にも伝わって、そしてまたその隣の人にも伝わって…そんな風に広がっていけるといいな…と思います。…」と言っています。私はアップテンポの明るい曲調と歌詞が気に入って使っています。歌詞は「♪微笑みを絶やさぬ人は ときめきを絶やさぬ人 どんな苦しみも乗り越えて 幸せを掴むでしょう♪争いに満ちた世界も 微笑みを交わすだけで きっと優しさを取り戻すSMILE CAN CHANGE THIS WORLD 微笑みの力どんな時も 信じている 喜びも そして悲しみも 笑顔で包んで 抱きしめるの♪」受講生一人ひとりの笑顔の中には、乗り越えたいろいろな辛さ悲しさがあります。このスライドショーの時間には、私はその笑顔にいつも感動してしまいます。生駒での開催も後2 回と思うと、季節とともに少し寂しい気がしますが、この5 日間また心残りのないように気合いを入れていこうと思います。

(55)嫁がせたくない

長い人生には、大事なことを決心し行動しなければならない節目が何度かあるものです。そのような時には、自分なりの結論が出るまで、いろいろと思い悩みます。当の本人ばかりではなく相手がある場合、さらには家族や友人などいろいろな人が関係するときには本当にたいへんです。まわりの人達の思いと自分の気持ちを鑑みて、進むべき道を選択するのですが、強い心が無いと決心・行動がなかなかできないことがあるものです。さらにはそこに、ご先祖様のような目には見えない魂達も関係してくることがあるので、話はますます複雑です。先日、こんなことがありました。A さんは結婚することになり婚姻届を取り寄せたのですが、なかなかハンコが押せないと言うのです。「自分でもヘンだと思うのですが…」と、会長セッションの前に話していました。セッションが始まってしばらくすると、A さんの口を借りて「行かせたくない。…この人に頼ってきたのに、居なくなるのは寂しい、誰を頼れば良いのか?」と、ご先祖の一人が出てきたのです。今 に比べ昔は物が無く不平等な社会でしたので、亡くなった後も苦しみの中で、少しでもそれを分かってほしいと願う先祖たちがいるものです。生きている人はどんな人も、亡くなっている人に、見えない光のようなもの(氣)を分けています。さらに先祖を大事に思う人がいることで、それが大きな光となって届いていくのです。このような先祖の中には、苦しみの中からやっと楽になれたので、少しでも近くに居てほしいと、その人が結婚しないよう、あるいは結婚しても戻ってきて欲しいと望むのかもしれません。A さんの場合、真氣光によって、この数年でご先祖たちに急速に光が充電されていたのでしょう。私が氣を送るうちに、どんどん彼らの気持ちが変わって来たのです。まず、A さんのおかげで自分たちには、もう光が十分に届いていたということを言い始めたのです。それは既に頼らなければいけない状況ではなく、これからは本当の意味でA さんを見守り、それによって自分たちも成長していく段階にきたこと。さらに、AさんはB さんの家に嫁ぐことで、そちらにたくさんの光を増やすことができるということであり、それが自分たちの歓びになるということだったのです。人 生には選択しなければならない、いろいろな道があります。人によって皆状況が違いますから、答えは一様ではありません。自分自身で決心しなければならいのですが、真氣光を受けることで、先祖にも光が届き、その答えがより明確になるのかもしれません。

強い意志が大事

 私は学生時代から、計画通り物事を進めるのが苦手でした。
ついつい甘えが出てしまい、いつしか仕事が遅れがちになって、いつも最後の最後で何とか頑張って間に合わせるということになっていました。
会長になってからのことですが、ある時こんなことがありました。
どうしても書かなければならない原稿があったのですが、その日はまったく何を書いたらよいか浮かんできません。
どんどん時間だけが経っていくのですが、まったく話がまとまらないのです。
夜遅くなってきたものですから眠気も増して、ますます頭はもうろうとしてきます。
しかし、眠ってしまっては穴をあけてしまうことになりますから、その時は気力だけで起きている感じでした。
そろそろ夜が明けるというのに、そんな調子で自分自身と格闘していたのです。
そのうちに寝不足からなのか、胃のあたりが気持ち悪くなってきました。
仕方がないので私はハイゲンキを持って来て、お腹に当てることにしたのです。
しばらく当てていると、グーッと気持ち悪い感じが増してきて、咳が出たかと思うと何も出ないのですが、何かをもどすように胃の中の空気を出していました。
何やら悪い氣が出たという感じです。
その後、何だかスッキリして、机に戻ってしばらくすると良い案が浮かんできて、結局原稿の方は何とかなったのでした。
 そのとき初めてわかったのです。
私は知らない間にずいぶんマイナスの氣の影響を受けてしまっていて、それらに話がまとまらないよう邪魔されていたのです。
マイナスの氣の中には自分の思う通りに身体を使いたいと思う霊的な存在もあるでしょう。
彼らは自信を失わせ魂のエネルギーを下げさせて、いつまでも権力をふるっていたいのです。
私は、そんなこととは夢にも思わず、「できない、できないかもしれない」と焦っていたのでした。
そしてさらにわかったことは、最初に重要なのは気持ち、つまりマイナスの方向に引っ張られても抵抗しようとする強い精神力だったのです。
それがマイナスの氣を引きはがすきっかけになり、さらにハイゲンキを当てられたことで、それが促進されたと思うのです。
 どんなときも、何かをやろうという強い意志には光が集まります。
そして真氣光の光が、それを後押ししてくれるのです。
「気合いだ、気合いだ…」というアニマル浜口のかけ声ではありませんが、ここ一番という時には、そうやって自分自身の気持ちを強く持つことが必要な時があるようです。
(中川雅仁)

(1)「Tears in Heaven」

音 楽は人を楽しませたり、リラックスさせたり、時には落ち込んだ気持ちを元気にさせてくれたり、音・リズムそして詩を通して、素晴らしい氣を運んでくれます。今 週の月曜日、ニューヨークを離れる最後の日の朝食を、私たちはブロードウェイにあるリンカーンセンター近くのカフェで取りました。ベーグルにスクランブルエッグ、少しのフルーツとコーヒーというセットメニューを注文して席に座って待っていると、それまでの陽気な曲に代わり曲調の違うこの曲「Tears in Heaven 」(ティアズ イン ヘブン)が流れ出したのです。私は思わず聞き入りました。こ の曲はエリック・クラプトンが、‘91 年にニューヨークの高層アパートから4 歳の息子が誤って落ちて亡くなってしまった悲しみを歌ったものです。‘93 年に年間最優秀曲に選ばれ、この曲を収録した「アンプラグドUnplugged 」も最優秀アルバム賞を獲得しました。十年以上昔の話になりますが、私もCD を買ったり武道館での来日コンサートに行ったことを思い出します。Would you know my name If I saw you in heaven?(もし天国でお前に会ったら、お前は私の名を覚えてるだろうか)という歌詞で始まるのですが、息子と過ごす時間が少なく何もできなかったのではないかという後悔と、悲しみを乗り越えて前向きに生きようとする姿が伝わって来る曲です。タイトルの「Tears in Heaven 」はサビの部分に出てきます。Beyond the door,there’s peace I’m sure,and I knowthere’ll be no more tears in heaven.ドアの向こう、つまり、天国には、安らぎの世 界があり、そこでは、涙などあり得ない、と言っています。少 しスローダウンしたやさしい曲調に、私はこの曲が作られた背景と昨日までのセミ ナーのこと、そしていろいろな人達の笑顔を思い出していました。不思議な縁で会った人 達、日本に居たら到底会うことが無かった人達、宗教もルーツも違う人達。そこに繋がる たくさんの国々に及ぶ先祖。そんな事を考えていると曲はいつしか終わり、再びアップテンポの曲調に代わっていました。店内は何事もなかったかのように活気づいていて、気がつくと満席です。私以外の5 人は、クラプトンの曲が流れたことに気がついたのか、気がつかなかったのか、みんな特に気にも留めない様子で、「今日はjewish holiday (ユダヤ教の休日)だ」という話から、そのうちにホロコーストで犠牲になった人達の話に発展していったのでした。私が偶然のように聞いたクラプトンの曲は、真氣光の光とともに天国から見守ってくれているたくさんの人達からのプレゼントのように感じたのでした。

(19)怪我の功名

先月のことです。人と待ち合わせをしておりました。私は車で高速道路を走って目的地に行こうとしていたのですが、ちょっとよそ見をしている間に、案内表示板を見落として、道を間違え遠回りの道路に入ってしまっていたのです。高速道路ですから、後戻りするわけにはいきません。「失敗したなぁ、時間がかかるだろうから待ち合わせ時間に遅れます」と電話しようか等と考えながら走っておりました。すると、どんどん道が空いてきたのです。間もなくすると、道路状況を現す電光掲示板が見えてきて、さっきの道が大渋滞していたという事がわかりました。結局、私はその後順調に走り、待ち合わせ時間の1分前に目的地に着くことが出来たのでした。なんと有難いことだったか、もし道を間違えなかったら1 時間は違っていたでしょう。これはまさしく怪我の功名です。私は、このような“怪我の功名”も氣と関係があると思っています。
ところで、このことわざについて調べてみました。意味は(1 )間違ってやってしまったことが思いがけずよい結果となること(2 )なにげなく行ったことが偶然良い結果を生むことのたとえ。とあり江戸時代初期から使われていたようです。かなり昔から使われていますから、それを体験してきた人が多いのでしょう。2000 年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹筑波大名誉教授のエピソードは、実験の指示を取り違えた大学院生がとんでもないものを作ってしまった失敗がきっかけで、とんでもないものが発見されたというものでした。2002 年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは、間違えて試料を混ぜてしまい、「どうせ捨てるのも何だし」と言って実験したところ見事成功したというものでした。
世紀の大発見などには、この“怪我の功名”的といえるものが多いように思います。普通に考えるなら、手段、方法、過程に誤りがあれば、好結果を得る可能性は極端に低いわけです。しかし二人の科学者のように「常識の枠にとらわれない考え方」や「行動力」に加え「失敗からどれだけ学べるか」というものの見方ができる人だったからこそ発見できたのでしょう。さらにそれだけではなく、私には大きなプラスの氣つまり人智を越える何か大いなる存在が介在していたと思うのです。私たちには一見マイナスともいえることが、いろいろと押し寄せて来ます。時には失敗もあるでしょう。しかし、不平や不満といったマイナスの氣を自ら発することなく日々努力できることが、いつしか大きなプラスの氣を呼び込むことに繋がります。真氣光というプラスの氣 も、それを後押ししてくれるのです。

(54)永い年月を遡って届く光

今月7 〜9 日に開催したリーダー研修で、全国的な傾向として説明した魂のお話です。昨年から、私が氣を送っていると、とても強い恨みをもった魂達が浮かび上がって来ることがあるのです。その人たちが生きていた時代は、想像するに4 〜500 年前、つまり室町・戦国時代のようです。ある日の会長セッションで出てきた魂は、代々その家を恨み続けていて「一族を一人残らず殺すまでは…」と拳を握りしめ絞り出すような口調で言っていました。どんな場合でも出てきた魂達は真氣光を送っていると、だんだんその恨みと苦しみが減ってきて穏やかになり、最後には光の世界に旅立っていくのですが、最初の印象から察するに相当な恨みがある人たちだと、私は感じたのです。彼らの言う一族とは血筋や家、名字が同じなどという関係ばかりでなく、血縁関係になくてもかつて親しい間柄だったり一緒に戦っていたなど、少しでも縁のある人は全て一族と見なすということのようなのです。歴史にうとい私には、当時の人達がどうしてそのような強い恨みの念をもたなければならなったのか、よくわかりませんでした。そんな話をしたところ、ある人が清水克行著「喧嘩両成敗の誕生」(講談社選書)という本を貸してくれました。こ の本を読んで、いろいろな事がわかりました。日本の中世と言われるこの時代には、絶対的な権力者がいないばかりか、法が整備されていないがために、たくさんの人達の命が犠牲になっていたのです。大名から庶民まで刃傷沙汰は日常茶飯事で、今では想像もできないほど人命が軽んじられていたのです。実力者とのコネがものを言い、力の無いものは集団で戦い、切腹しなければ自分の正当性が主張できないような時代で、復讐が果てしなく繰り返されるのです。そんな中世が生んだ究極のトラブル解決法が、喧嘩両成敗法だというのです。話 は変わりますが、私は毎週NHK の大河ドラマ「功名が辻」を楽しみに観ています。激動の中を懸命に生き、死んでいく人達を観ると思わず涙してしまうこともしばしばです。今のこの平和な日本は、一足飛びにできたのではなく、歴史上たくさんの犠牲から成り立っているということをつくづく感じます。テレビ等で多くの人々が当時の事を知ることは、見えない光のような氣となって、少しずつ当時の人たちの魂に届きます。さらには真氣光という光を毎日受けることは、強い恨みをも自然に溶かします。永い年月を遡って光が届いたのは、皆さんの光が強まった結果だと、私は思うのです。