真氣光枕2を新発売

私は、どちらかというと夜に弱く朝に強い方で、夜12時を回ると自然にまぶたが閉じてしまうタイプで、睡眠時間は6?7時間というところでしょうか。我が家の場合、お互いの弱点克服という点では、うまく出来ているのか妻はその逆で夜に強く朝に弱いのですが、困った事に時々私の寝入りばなにかくイビキが妻の睡眠導入妨害になると言うのです。どうも疲れたときにイビキをかくようです。その結果、彼女は私より早く寝ようと必死になり早寝早起き傾向になりつつあるのですから、イビキも決して悪くないと私は密かに思っていますが・・・。そんなこともあって、寝ている間にできるだけ氣を受けられるようにとの妻の指導で、私はクリスタルマットや真氣光枕、ハイゲンキヘッドやミニスティックヘッドなどを身の周りに配置しています。おかげさまで効果はあるようで、いつも熟睡、昼間もあまり眠くなりません。先日の新聞に載っていましたが「睡眠は8時間にこだわる必要はなく、個々人の体質で理想の睡眠時間が違い、日中の眠気に悩まされなければその人にあった睡眠時間」ということです。また「高齢になれば必要とする睡眠時間が短くなり、夏より冬が30分から1時間ほど長い」さらには『「長時間睡眠群」の方は、「短時間睡眠群」の方より熟睡感が少なく、抑うつ感やイライラ感が強い』とも付け加えています。そういう意味でも短時間睡眠=熟睡が重要で、それを得るには氣が効果的だと私は思っています。我が家の話に戻りますが、どうも妻は大きい枕の方が良いらしく、かつて使っていた真氣光枕もいつの間にか他の大きな枕に変わっていました。確かにデパートの寝具売り場を眺めても大きな物が主流のようです。ですから私は今度枕を改良するときには大きいサイズにしようと考えていたのですが、とうとうそれが真氣光枕?となって実現しました。改良のポイントは2つで、一つはサイズが一回り大きくなったこと、もう一つは中身のチップを工夫したことです。チップには、空洞のパイプ素材で通気性・放熱性にすぐれた特殊なポリエチレンチップを使用していますが、これが柔軟で復元力があり枕に何とも言えない適度な柔らかさを与えています。さらにはこのチップに消臭・防湿効果の高い活性炭に加えて、水晶の微粉を練り込み、真氣光の波動を記憶・増幅させています。これまでの枕も在庫がある限り販売させていただきます。寝ている間に真氣光を受ける強力な氣グッズとして、真氣光枕シリーズをぜひお試しください。

9.11の日の小旅行

先月下旬、会員さんから私は一冊の絵本をもらいました。「おきなわ島のこえ」(丸木俊丸木位里‘84年小峰書店発行、第16回講談社絵本賞など受賞)です。この絵本は、家族と生き別れて戦火から逃れる姉弟の視線で、住民の集団自決や旧日本軍による虐殺などの悲劇が描かれています。私は毎月沖縄センターでセッションを行っていますが、いつも日帰りの日程です。昨年の冬に月刊ハイゲンキの取材で美ら海水族館に行ったのですが、なかなか時間をとって旅行できないのが実状で、その前は確か2000年、ひめゆりの塔にお参りしたのを記憶しているほどです。私は、今週沖縄セッションのあと休みをとって、雨がかろうじて上がった11日に、朝から読谷村と平和祈念公園を回って来ました。読谷村では、1945年4月1日米軍が沖縄本島へ上陸した翌日、避難していた住民約140名中、83名が「集団自決」をしたチビチリガマへ行きました。そして毎年6月23日の「慰霊の日」に沖縄全戦没者追悼式が行われ、“沖縄戦終焉の地”となった摩文仁の丘にある「平和祈念公園」、さらには「ひめゆり平和祈念資料館」に行って来たのです。ちょうどその日の朝刊には、集団自決体験者証言「軍命あった」という見出しの記事がありました。内容は『沖縄戦時に旧日本軍が住民に集団自決を命じたとする大江健三郎氏の著書「沖縄ノート」などで名誉を傷つけられたとして、戦隊長と遺族が出版元と著者に損害賠償などを求めた訴訟の出張証人尋問が行われ、沖縄県渡嘉敷島での集団自決を生き延びた沖縄キリスト教短大名誉教授金城重明さんが、被告側の証人として証言。金城さんは、「軍命があったとしか考えられない」と述べた』というものです。この訴訟は、来年度の高校日本史の教科書検定で、文部科学省が「日本軍の強制があった」とする記述を修正させた根拠の一つとなったものでした。前述の絵本は函館在住のカナダ人教師らによって英訳され、英語圏の図書館に寄贈して平和教育の教材に活用してもらうという計画もあるそうです。正しい歴史を知り、多くの人が「もし自分がこれを体験していたら」と想像できれば、戦争は無くなることでしょう。図らずも9.11米同時多発テロの日でした。私は、ガマ(壕)の中で亡くなった人々をはじめ、沖縄の人々、当時日本各地から沖縄に来ていた人々、国籍を問わずここで亡くなった人々すべてに真氣光を送りながら、地球上の悲しみの波動が少しでも減ることをお祈りしたのでした。

(58)苦しむ武士たちに光を

1868年9月8日(旧暦)に明治天皇が即位していますから、武士の時代が終わって百数十年になろうとしています。しかし今なお、セッションなどで私が氣を送っていると武士の魂が出てくることがあります。私がA さんに氣を送っている時に出て来た魂さんは、戦に負けて亡くなった今もなおA さんの家に戦いを挑んでいる武士でした。「死んでなお苦しんでいる者の気持ちがわかるか。死んでからが、もっと苦しい。私は神も仏も信じておるし、悪いことをしたこともない。自分が悪人なら諦めもつく。」私は、氣を送りながら「心が少しは軽くなりませんか」と聞いてみたのです。すると「心は軽くなどなってはならぬ。心は腹の底に据え、何があっても動かさない。弱音を吐くことも、ひるむこともならぬのじゃ。」使命を持って生まれ、小さい頃から武士の長としての教育を受けてきたのです。私には彼の辛さが少しばかりわかったような気がしました。しばらく氣を送り続けていると彼は話し始めました。「そうか、もうすべては終わったのだ。死んだ時にもう終わっておる。それまでどんな人生でも自分自身で納得をすれば良かった。死んでからは何もできぬ、それでよしと、すればよかったのだな。戦で命を落として、満足のいくはずがない。しかし悔いてもしょうがあるまい。よくも悪くも、それが私の人生であった。それに気づかせてくれた、感謝である。私に付いて来てくれた者たちも同じ気持ちであったろう。もう良い、良しとしよう。自分だけが苦しいと思っていたが、私は感謝しておる、大将の私がそんなことで皆の者を苦しめておった。皆の者、もうよい、もうよい。刀を捨てぇい、よくやってくれた。成仏しようではないか。これが光というものか、皆の者、こちらに進もうではないか。もうよい、皆の者もうよい、かたじけない。さらばじゃ」真氣光の光が、自然に氣づきを与え光の世界に導いたのです。A さんは自分の病気ばかりではなく家にもいろいろな不幸な出来事が続いておりましたが、真氣光で少しずつ解決してきたところでした。ご縁のある魂たちは、「見過ごさないでほしい、解決して欲しい」と皆思っています。大事なのは日頃の真氣光の充電に加え、変えられない過去については自分を成長させてくれた良いところをみつける姿勢、これからのことについては行動して自ら変える努力をするということ。そうすれば身体に出ている現象もプラスに向き、気づきが出てその人の魂の強さになるでしょう。その人の魂が強くなれば、そこに縁あって来ている魂も本来の場所に行けるのです。

残暑お見舞い申し上げます

東京もまだまだ暑い日が続いております。皆様いかがお過ごしでしょうか?私は先日、千葉の方まで車で行かなければなりませんでした。場所はだいたいわかっていたのですが、面倒なので道案内は車に付いているナビにおまかせしたのです。途中、首都高を通るルートなのですが、暑い日ですから車で移動している人が多いのか非常に混んでいます。ナビはときどき「最新の渋滞情報を考慮して再検索しております」と言って、いろいろ考えているようですが、最初に選んだルートを変えるつもりはないようです。私はそれに従ったのですが、私の頭の中に浮かぶルートとはずいぶん違います。「大丈夫かなぁ」と思っていると、案の定、車は渋滞でストップです。「頭悪いなぁ、このナビは」私は、イライラが出ていたのか、ぶつぶつとそんなことを口走っていたようです。しばらくすると、運転の疲れか、今度は腰が痛くなってきました。それを口にすると、横で聞いていた家内がすかさず、「あなたはさっきから文句ばかり言っているわよ。洗心の御法度の心、咎めや怒りからくる腰痛じゃないの?」笑いながら続けて「あなたは、機械に向かってよく文句を言っているもの」、私は「???」。良く考えるといつぞやも、デパートのエレベータが何基もあるのに全部同じようにしか動けないから待ち時間が長くなると「無能呼ばわり」したところを家内に指摘されたばかりでした。私はサラリーマン時代、機械を改良する職種でしたので、そのときの性分が抜けないのでしょうか、機械ものに対しては悪いところばかりが目につくようです。ナビにしてもエレベータにしても、これらが無かったことを考えたら、とんでもなく不便を感じるはずです。いろいろ便利なものが出てくると、それが当たり前になってしまって、もっと便利になる方向にばかり頭が行き、まず満足し感謝するということを忘れてしまいます。「いかん、いかん」と少々反省したのでした。そんなことをあれこれと考えているうちに、腰の痛みもいつしか消えておりました。私の咎めや怒りの心がいけなかったのでしょう。新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原子力発電所が全面停止し、電力の供給余力が少なくなっている関東地方です。東京の8月いっぱいは残暑が厳しい見通しで、電力供給の綱渡りはしばらく続きそうだとニュースでは報じています。我が家でも微力ながらの節電をしていますが、家電製品はずいぶん節電型に置き換わっていても電気製品の数が増えていることに大きな反省をしているところです。

人の絆が強める光

先ほど私は真氣光研修講座を開催していた、つくばみらい市から帰宅したところです。今回は開催中に終戦記念日があるなど先の戦争で亡くなった人々、お盆の時期でもあったのでかつて苦労された先祖にあたる人々も、一緒に講座で真氣光をたくさん受けていかれたように思います。参加者の皆さんも毎日の生活で背負った重い荷物がどんどん取り外され、4日目には身も心もすっかり軽くなったようでした。毎朝の「いいとこ探し」行法での発表を聞いていると、話の内容の深さから、受講生同士の打ち解け具合がわかるものです。良かったこと、嬉しかったこと、そればかりではなく過去に起きた辛かったことや苦しかったことからの気づきを素直に話せることで、人と人との間にあった壁が取り払われていくのです。聞かせていただく私は毎回のように、大きな感動に包まれます。まるで大きな家族が、毎日一回食卓に集って、いろいろな話をしているような感じです。今年初めに上映された「幸福な食卓」(6/22DVD発売)という映画があります。あらすじは、次のようなものです。『中原家は、教師の「父さん」、専業主婦の「母さん」、兄の「直ちゃん」、佐和子の4人家族。母さんは家を出て、秀才の兄は大学に行かず、突然農業を始めた。ある朝突然、父さんは父さんをやめる。中原家は、必ず四人が顔を揃える毎朝の食卓の場で伝え合う……そんなささやかなルールを大切にしてきた家族でした。戸惑いながら生きる中学生の佐和子の前に、転校生の大浦が現れた。驚くほど単純な性格の大浦だが、いつしか佐和子にとっては心の支えとなっていた。2人はそろって同じ進学校に合格し高校生活を始める・・・・。一時は家族が崩壊していく危機に見舞われますが、あることをきっかけに家族の絆が強まります。』一人ひとりの魂は光をもっています。人と人との集合体にも、全体の光みたいなものがあり、誰かの光が弱くなるとそれを補い合うように周りから補填されます。つまり家族にも光があるのですが、心が通じ合い、絆が深まると、その光は大きく強さを増すのです。ですから、たとえばその家に恨みを持つようなマイナスの氣がはたらくと、それはまず家族をバラバラにして全体の光を弱めたいと思うのです。この映画で印象に残ったセリフ「気付かないところで守られてるから」ではないですが、いろいろな人達が家族の光を守ろうとしています。この映画の食卓のような、一同に会し氣を合わせることの重要性がわかります。そして、真氣光研修講座でのいいとこ探しのように、そのような場に真氣光を利用できると、さらに応援が強まるのだと思うのです。

心を強くする

広島に続いて長崎でも、今日、平和祈念式典が開かれ、原爆が投下された時刻に黙祷がささげられたとニュースでは報じています。前回の本紙面でもお話ししましたように今週、私はいつもよりは時間を多く割いて、真氣光をたくさん受け、原爆で亡くなった方々に氣を送り、冥福を祈りました。4月に当選した長崎の田上市長による平和宣言では、北朝鮮による核実験やイランの核開発疑惑など核をめぐる国際情勢には不安が募るなか、「被爆国のわが国においてさえも、原爆投下への誤った認識や核兵器保有の可能性が語られる」と現状を憂い、米国をはじめとするすべての核保有国が、自らの核兵器の廃絶に取り組むべきだと訴えたものでした。私が真氣光を送っていると、原爆で亡くなった人が、苦しみながら出て来たことが何度もありました。そのうちの一人の魂さんが最後に遺していった言葉を思い出します。「人の心は弱いものです。弱いから強くなろうとして、他を傷つける。一人ひとりが強くなれば、他を傷つけることも無くなる。」それを聞いて私は、核武装や戦争ばかりではなく、毎日の生活の中でも思い当たる事がたくさんあり反省させられました。洗心の指標の中にも、最初に掲げてあるのが「強く」であり、他への「咎め」は“心から無くすべき感情”に入っていますが、自分の心を強く持つということは、いざ実践となると本当に難しいものだからです。真氣光のエネルギーは、人の心を強くしてくれるものだと思います。自分自身の弱い心を発見したときに、音氣を聞いたり、ハイゲンキをすることで、少しずつ魂に光が入って、心が軽くなるのです。自分ではなく他のせいにしたり、他のほうに意識が向いていると、「気づきを得られずに、他を傷つける」ということになってしまうのだと思うのです。自分の弱い心のほうを見るのは、少々辛いことですが、焦点がそちらに定まれば光の応援が必ずあります。それを信じることなのです。また真氣光は、自分に取り入れ、さらには誰かに送れるのが特長です。私は今週、氣を送るという遠隔真氣光に集中してみて、「真氣光チタンプレート」という新しい氣グッズの効果を確認しました。それは2年目以上の正会員の方々に無料で配布しているハイゲンキ用パワーシートを改良したもので、縦7cm横10cm厚さ2mmのチタン板の裏一面にパワーシート同様の3連マークをエッチングにより千個彫り込んだものです。氣を送りたい人の写真、物などの上に置いて使うのです。これは水晶に代わる社内の波動調整用に私が試験的に作ったものなのですが急遽販売することにしました。一般価格36,750円、発売の時期についてはセンターにお問い合わせください。

先祖に感謝の氣をおくろう

私は、今月の気配り画像に「先祖に感謝の氣をおくろう」と書きました。先祖とは、○○家のような家系的な先祖もそうですが、もう少し広く考えて過去に生きた日本人、さらには国籍も取り払って単に「先人」とでも言いましょうか、自分が思える範囲でよいのですが、そのような先祖に感謝の気持ちを持つことで、プラスの氣を送ろうということなのです。特に今週、私の場合は、‘45年(昭和20年)8月6日午前8時15分広島での原爆で亡くなった人々(同年12月末で14万人が死亡と推定)、9日午前11時2分長崎での原爆で亡くなった人々(同年12月末で死者7万3884人、負傷者7万4909人)に氣を送りたいと思っています。私が氣を送っていると、被爆した魂さんたちが、氣を受けている人の口をかりて出てくることがあります。苦痛に喘ぐ低い唸り声で、ただただ辛くて身の置き場が無いという感じです。先日などは、真氣光が届いていくと「もう苦しまなくてよいのか?」と私に聞いた後、「さぁ、みんなで逝こう」との言葉を最後に光の世界に行かれたのでした。62年経っても終わること無く、まだまだたくさんの人々が、苦しみの中にいるようなのです。今の日本の平和は、犠牲になっていただいた方々のおかげです。私たちが少しでも苦しみを理解し平和への思いを強くできること、さらには真氣光の光が少しでも届くことを祈ることで、たくさんの人の心が癒されるのです。今日の新聞によりますと、『安倍首相は被爆者代表らと、6日に広島市で開かれる原爆死没者慰霊式・平和祈念式の出席に先立ち、5日夕に同市内で会談する意向だ。歴代の首相は、原爆の日に合わせて被爆者代表らと面会してきたが、01年を最後に途絶えていた。首相も当初「スケジュール上の都合」で欠席する考えを示していた。6月に久間章生前防衛相が原爆投下を「しょうがない」と発言したことで、被爆者団体は首相との面会を強く求めていた。』とありました。とても良かったことです。私は、‘02年に米国ニューメキシコ州サンタフェ市近郊でセミナーを開催したときに参加してくれた母と子を思い出します。(本紙296号2002.10.3付参照)男の子は甲状腺の病気でした。母親のおじいさん達が、日本に落ちた原爆を作った近くの研究所で働いており、彼らも体を悪くして亡くなったとのことでした。当時原爆は3発作られ、一つはニューメキシコ州での実験で、残りは広島、長崎で使われたということです。真氣光は宇宙からのエネルギーです。その真氣光が、先代の時代からチェルノブイリ原発事故や原爆で「ヒバク」した人達と深いご縁があるのは、何か宇宙の大きな意思が働いているとしか思えないのです。

ラベンダー畑から

月刊ハイゲンキのカラーページ「新紀行」の取材で富良野に行って来ました。花々が見頃で、観光客でたいへん賑わっておりました。私は以前にも行ったことがあるのですが、ラベンダーで有名なファーム富田は、ずいぶん大きくなって変わっておりました。もう20年ぐらい前になりますから、当たり前のことですが・・・。ラベンダーの栽培は約50年前からとのこと。一時は天然香料が合成香料に押され栽培を断念する農家が続出。「生かしたい一心が、物づくりの道を教えてくれた」と言うことですが、国鉄のカレンダーで紹介されたのをきっかけに訪れる人が多くなり、オイルの抽出から化粧品や石けんの製造を手がけ苦境を脱したとのことです。ラベンダー畑に辿り着くと、目に奇麗な色彩が飛び込んでくるとともに、何とも言えない良い香りがしてきます。ハーブ効能事典を調べてみると「ラベンダーティーとして飲用すれば頭痛緩和、リラックス効果、失神やめまいも緩和する。またエッセンシャルオイルは消毒、鎮痛、沈静(例えば虫刺されや小さな火傷、凍傷、刺し傷)等に有効。マッサージオイルに混ぜたものは、炎症、皮膚のただれ、喉の痛み、リューマチ、不眠症、うつ病などの芳香療法の際に使われる。」とあります。真氣光の化粧品オイルと石けんにも使われています。普通いい香りを嗅ぐとリラックスしストレスは解消され、いやなにおいを嗅ぐと不快になりストレスは増幅されると信じられていますが、一概にそうともいえないようです。ストレスの原因を身体の酸化ととらえ、唾液中の抗酸化物質が増えているとストレスを解消でき、逆に低下していれば身体の酸化が進みストレスがたまっていくと考えた実験が「においと香りの正体」(外崎肇一著)に紹介されていました。アロマテラピーで使われる芳香を嗅がせると抗酸化物質は徐々に増えていくが、嗅ぐのをやめると以前の数値にすぐに戻ってしまい、逆に不快なにおいを嗅がせると抗酸化物質の量はそれほど減らず、嗅ぐのを止めると抗酸化物質が一気に増加するということです。においには慣れがあり、いやなにおいから解放されてホッとするのが、抗酸化物質の増加につながっているということで、この実験での結論は、人にとってストレス解消の良い方法は「変化」だというのです。そういう意味では、短い時間でもホッと一息できた今回の取材は効果があったのかもしれません。来月の月刊ハイゲンキでは、できるだけ写真をたくさん掲載します。良い香りはお届けできませんが、良い氣をお届けします。リラックスのための「変化」になりますでしょうか。お楽しみに。

真氣光は氣づきのエネルギー

私は、今週月曜日まで3泊4日の真氣光研修講座を開催しておりました。講座期間中、大きな台風と地震がやって来ましたが、幸いにも受講生には大きな影響もなく本当に良かったと胸を撫で下ろしました。ただ一部の地域では大きな被害が出ていると、帰宅してからテレビ報道で知りました。SASのセンターからの報告では直接被害に遭われた方はいらっしゃらなかったようですが、ご親戚やご友人の中に被災された方がおられるかもしれません。心よりお見舞い申し上げます。この地震では原子力発電所もストップしてしまいました。想定外の揺れだったとのことでしたが、特に大自然の前ではこの「想定外」はつきものですから人類にとって「これで万全である」というおごりは禁物です。ところで毎回の研修講座で、私が必ず話していることの一つに「神を信じ人を愛す」の話があります。先代が遺した言葉ですが、真氣光を実践する上でこの言葉無くしては始まりませんから、講座ではそれが持つ意味の説明に時間をかけているのです。「神を信じ」の言葉には、私たち一人ひとりは、大宇宙や自然あるいは高次元の存在とも言える神のような、何か大きな存在に生かされているということを信じるという意味が込められています。ですから先代が亡くなる前によく言っていたのですが、「身のまわりに起こること、特に一見マイナスの出来事は全て、私たちの魂の成長のために神が与えてくれた意味のあること」ということです。しかし、なかなかその意味には氣づけないものです。でも与えられたことに、こちらから氣づこうとしなければ氣づきのチャンスが無駄になってしまうのです。この時、氣づくためのポイントは、マイナスの出来事のせいにするのではなく、自分がどう変われば良いかを考えることにあります。先代は大きなヒントを遺しています。「人を愛す」です。家族や友人など身近な周りの人との人間関係において、自分がどこまで人を愛せるか?プラスの氣を発信できるか?という観点でも考えてみることなのです。高次元からの真氣光のエネルギーは、魂に入り成長を促します。音氣等の氣グッズやハイゲンキ、さらにはそのバージョンアップが力を貸してくれます。氣づきのチャンスだと頭でわかっても心からそう思えない時、心がそれを許さない時があるかもしれません。どんな心の状態でも、まず氣を受けようとすること、そして十分に氣を受けながら考えることによって、いろいろなことに氣づけるのです。ハイゲンキの源は宇宙に繋がっています。何か大きな力が助けてくれるのです。

ムッときたら氣の充電

4月26日付のこの紙面で、私はある新聞の特集記事「夫に言われて傷ついた一言」(1位は「君も太ったね」)について書きました。先日その新聞に今度は「妻に言われてムッとした一言」という記事が載っていました。どうも妻の言葉への夫の不満も取り上げてほしいという声が新聞社に多数寄せられたようです。結果は、1位「うちにはお金がない」「生活費が足りないわ」274人、2位「あなたはいつもそうなんだから」220人、3位「おなかが出てきたわね」203人…と、アンケート結果は15位まで続くのですが、我が家でも時々耳にする言葉が入っております。一方、妻に言われてうれしかった一言は、1位「ありがとう」411人、2位「いつもご苦労さま」「お疲れさま」300人、3位「いってらっしゃい」266人、4位「さすが!」183人、5位「早く帰ってきてね」180人…と、感謝や労いの何気ない一言が続きます。記事によりますと、短い一言は「長い言葉と違って、夫側が『本音は何だ?』など裏読みをせずに済むので素直に聞ける良さがある。妻が自分の味方であることが口調からも伝わり効果的」だそうです。男性も女性も嫌な言葉の中には、体型のことが入っていたり、「一生懸命やっているのに、これ以上どうすればいいんだ」という自分の気持ちをわかってもらえない事への不満が根底にあるようです。私は、妻の言う事に対して、つい「ごもっともです」と思ってしまう癖がついてしまったのか、滅多にムッとすることはないのですが、やはり疲れているときなどに聞くと嫌味の一言でも返してやろうかという気になるものです。マイナスの言葉にはマイナスの氣が集まり、プラスの言葉にはプラスの氣が集まります。言葉について、できるだけお互いに気をつけることが望ましいのですが、なかなか行動に移すのは難しいものです。私は、同じような事を相手から聞いても聞き流せるときと、やけに心に引っかかるときがあるということから、そのことを自分自身の状態に気づけるチャンスととらえるべきだとお話ししています。ムッとしたときには自分自身の波動を変えるよう、一呼吸置いたり、相手を思いやる気持ちを持てるよう努力することで、一つ魂のステップアップができるものです。もちろん、心に余裕を持つために少し多めに氣を受けることも忘れてはなりません。夫婦という身近な人との間で練習ができると、魂の成長も早くなるということでしょう。また、第三者に対してムッとしている相手を目の当たりにしたら、気づかぬうちにマイナスの氣をためてしまいますから、心に余裕を取り戻せるようお互いに注意し合えると最高ですね。