以前、交通事故の保険金が下りて、真氣光研修講座に参加出来たのですが、今回は通院の分で予想以上にお金が入ったので、念願だったホワイトセラミックペンダントを手に入れる事が出来ました。
購入の為「貯金宣言」をした直後で、こんなにも早くペンダントが手元に来るとは思ってもみませんでした。
大切な宝物なので、金属製のリボンでデコレーションして楽しんでいます。
(Sさん)
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無料体験会をネット中継いたします
真氣光のおかげです
我が家は貸し事務所が1軒有るのですが、2年前に借り手が出られてからずっと空いたままになっておりました。
試しに貸し事務所の写真をハイゲンキのポケットに半年程入れておりましたら、そのおかげか無事借り手が見つかり契約を済ませる事ができました。
家賃は以前の半分以下ですが、10年以上の契約が取れ感謝しております。
それから、もう一つ大きな事が有りました。
研修を受ける迄、躁鬱病(双極性障害)で病院に通院し薬を服用しておりましたが、受講後は薬を止め、昨年3月(受講1年後)には病院にも行かなくても良いようになりました。
これで、治療費や会社に提出する診断書も書かなくて済み経済的に楽になりました。
会長・龍村先生・スタッフの皆様感謝です。
(Wさん)
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お薦め映画『Remember Me(リメンバー・ミー)』
2001年ニューヨーク。
安アパートで暮らす22才のタイラーは出口の見えない苦悩の中にいた。
兄の自殺、弁護士の父との確執、父の愛を失った妹、9才で母を目の前で射殺された恋人のこと…。
突然大切な人を失っても人生は続く…。
悲しみのどん底の中で、何の意味を見出せるのだろうか…と、みなそれぞれが傷ついていた。
ただ悲しみにうちひしがれて立ち止まっているだけでは何も変わらない。
「すべての行動は無意味かもしれない、それでも行動すべきだ」とガンジーの言葉が心に響く。
葛藤しながらも前に進んでいこうとするタイラーとその周りの人々。
学生から社会人になる22才という年代の抱える心の問題、どこにでもある家庭問題、いつ大きな事故や事件にまきこまれないとも限らない…
それぞれのシーンで人生とは何なのか、「辛さを抱えながらも、それでも前を向いて生きていく…
苦しみの中で無意味かもしれないけれど、勇気をだして行動することで何かが変わり、意味を見出せるのかもしれない」と考えさせられます。
最後に出てくるグラウンドゼロは何を意味するのか…
この時期に公開されるのも偶然ではないような気がします。
Remember Me(リメンバー・ミー)
配給:ツイン 8月20日公開
公式サイト
(高橋)
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先祖に見守ってもらうためには
浜松での真氣光研修講座を終え、東京での無料体験会と、お蔭様で今週は「大忙し」という感じです。
毎年、お盆の季節に研修講座を開催しておりましたが、今年は1週間程早め、初めての浜松での研修講座となり、私にとっても意義深いものとなりました。
参加して下さった41名の皆さん、ありがとうございました。
その土地に関わりのある、たくさんの御先祖にも光が届き、さらには参加して下さった受講生をはじめ、真氣光にご縁のある皆さんにも力を貸してくれる存在になっていただけたと思います。
先日、テレビドラマを見ていると、子供が誘拐された場面で仏壇に手を合わせて、「無事に帰って来られるように見守って」と、亡くなったお爺さんに、お婆さんが手を合わせているシーンがありました。
体を失っても心を持った見えないエネルギー体(氣)という、昔から魂と呼ぶ存在として人の命は残ります。
ですから御先祖は、私たちを助けたい、見守りたいと思ってくれる有り難い存在なわけです。
しかし、そのような気持ちがあっても、なかなかそうできないことがあるものです。
生きている私たちは、亡くなったら苦しい気持ちなど一切無くなって、どんな人も見守って力を貸してくれるようになるものだと誤解しているフシがありますが、体が無くなると魂のエネルギー状態によって、できることが決まってしまうのです。
生きている時の気持ちが、そのまま残りますから、苦しい・辛い状態で亡くなった人は、ずっとそのような気持ちのまま魂のエネルギーも失ってしまっており、助けたくても助けられない、どうしようもできない状態のまま存在し続ける人も少なくはありません。
さらには、その家に恨みを持つような魂たちの影響を強く受けて亡くなっているような場合には、なかなか子孫を見守れる状態にまでなれないということもあるのです。
真氣光は、まず受ける人の魂に浸透して、その見えない光が、やがてその人に縁のある魂たちにも届きます。
その時に、「あの人に…」とか「先祖に…」など届けたいところを意識できることで、より強い光が届くことになります。
お墓参りや帰省などで何かと忙しい時期ですが、14日(日)には真氣光レッスンを開催します。
このレッスンでは「真氣光カレッジシリーズ」の講義と、申し込みいただいた方には私が遠隔真氣光を送らせていただいております。
ご自身は元より、気になるご家族や御先祖様に真氣光のエネルギーが必要と思われる方には、ぜひお薦めです。センターに来ることが難しい場合でも申し込んでいただけますので、最寄りのセンターに気軽にお問い合わせください。
(中川 雅仁)
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ご先祖様からの応援?
泥棒さんにも届いた真氣光?
昨年の12月末に泥棒に入られました。
被害届を警察に出し、ハイゲンキの中に「泥棒さんの魂が輝きますように」と紙に書いて入れておいたところ3ヶ月後に警察から泥棒が捕まり取調中で、調書にサインをもらいたい旨の電話がありました。
そして今月事件が解決し、その泥棒さんが謝罪して盗んだお金も返したいとの事で自宅にこられました。
まだ17才の少年で母親と一緒でした。
30件くらい盗みに入ったらしいのですが未成年だったので逮捕はされなかったようです。
話を聞くと美容師になりたいとの希望があり、家庭的にもすこし苦しいところがありそうだったので返してもらったお金の一部を美容師の専門学校に行く費用の足しにして下さいとお母さんに貯金しておいて下さるようお願いして渡しました。
しっかり更生してくれる事を願った日でした。
真氣光は泥棒さんにもしっかり届いたのだとうれしかったです。
(Nさん)
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アリさんのお蔭で氣づきがあった
ここ1ヶ月位、自宅にアリが入ってくるのでとても困っていました。
色々と対策をしてみましたが変わりません。
先日、夜寝る時にふと「そう言えばSASシールを貼ったらアリが入って来なくなったっていう体験談を見たことがあった!」と思い出し、何ヶ所かに貼ってから寝ました。
翌朝、主人が確認をしたところ、どこにも1匹もいなかったのです。
とても驚きました。
そして主人に「またシールを買ってきてくれ」と言われたのです。
今までは剥がされることもあって目立たない所に貼っていたのですが、このことで堂々と貼ることができ、家をさらに良い氣で満たせます。
アリのことを嫌だなあと思っていましたが、アリのお蔭で氣づきがあったのです。
その後は感謝の気持ちで氣を受けさせて頂きました。
(Yさん)
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ホワイトセラミックヘッドで身体が柔らかく!
ある日、開脚前屈をしようとした夫が、前屈どころか後ろに倒れそうになるくらい身体が硬くなっていることに気づきました。
「高校の頃は床にあごがついたのに・・」なんて言っても、今、身体は硬くて痛くて運動不足を実感。
少しストレッチをするのに「はぁ、はぁ」とたいへんそうで、身体の硬さはそう簡単には変わりません。
そこで、ホワイトセラミックヘッド・ローラータイプで背中と腰と足の後ろ側を多めにコロコロ。
その後でストレッチに挑戦してみました。
するとコロコロをする前より少し身体が柔らかくなり後ろではなく前に傾きました。
ほんの少しですが、変化があったことでコロコロパワーを実感。
開脚前屈はまだまだ出来そうにありませんが、毎日少しずつストレッチとコロコロをしようとがんばっています。
同時に氣を充電できるのも良いところです。
(かにさん)
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みんなが尊い存在です
空港や駅などで、夏休み旅行の家族連れを多く目にする季節になりました。
子供達にとっては嬉しく楽しい、大人にとっては夏バテも手伝って少々疲れ気味になる夏休みという感じでしょうか。
子供向けにテレビ番組では恐い話で涼しくなろうという企画や、納涼祭りではおばけ屋敷があったりと、霊とか魂といったことがすごく身近な話題になる季節でもあるようです。
昔から、おばけは必ず「うらめしや」と言って出てくるものと決まっていますが、海外のおばけは何と言うのか、最近私にとっては興味があるところです。
何故この決まり文句なのでしょう。
辞典で調べてみると「うらめしいなあ」が語源らしいのですが、生きている時に誰かに何かをされて「恨む」あまりに成仏できない魂が多かったのでしょうか。
真氣光を受けていると、思ってもみなかった自分とは明らかに別人格の人の気持ちが湧き上がってきたり、イメージできたり、さらにはその人の言葉を自分の口を使って伝えたりすることがあります。
私は真氣光を送っていて、そんな現象を目の当たりしてきました。
たいていの場合それは、その人に影響を与えていた魂です。
そういう意味で、私はこれまで、たくさんの既に体を失った魂というものに遭遇してきました。
中には恨めしいという魂もいましたが、その多くは苦しい、辛いという魂達でした。
魂のエネルギーが下がり体を失うと、生きている人に力を借りないと、自分の力ではどうすることもできないという状態になるのです。
中には、辛くも苦しくも無いという言うけれど、出口が見つからずに、ただ彷徨うだけの魂も居ました。
話を聞いていると、それも辛いものです。恨めしいばかりではなく、怒りや心配、他者への咎めなどで魂のエネルギーを下げてしまい、辛く苦しい状態の魂達にも真氣光のエネルギーが浸透すると、口を揃えて「光が見えて来た」と言い、次第に辛さ苦しさから解放され、光の世界から私たちを「見守る」と言ってくれる存在に変わります。
原爆の日、終戦の日、お盆…この8月には生きている私たちが、既に亡くなっている人に向かって黙祷したり手を合わせ意識することが多い月です。
それは氣が届きやすいということでもありますが、反対にあの世の魂から見れば、普段よりは意識してもらえることで、あちらとこちらが近くなるということでもあります。
体が無くなっても「人の思い」は魂というかたちで残ります。
体は無くても心が存在し続けるということ、ある期間に恨みを持っていたとしても、どんな人も魂も尊い「命」であり「人間」です。
すべての命が光り輝くよう、真氣光を送っていきたいと思います。
(中川 雅仁)
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