以前、弱り目に祟り目という諺について書きましたが、そういう時には「真氣光をしっかり充電していただくことが重要です」と、お話ししました。それとは反対の意味になるでしょうか、“渡りに船”ということわざがあります。必要としているときなどに好都合なことが起こることのたとえです。辞典には「川を渡ろうとして、身支度などの準備をしていたら、ちょうどうまい具合に渡し船が来たという情景であろう。…鎌倉時代の仏教説話に、この表現がある。」とあります。昔の人も、ちょうど良くいろいろな事が起こるということを、ずいぶん経験していたのでしょう。
私も時間も調べずに駅に行ったら、運良く待つことなしに列車に乗れたなど、渡りに電車(笑)という経験が良くあります。昔は渡し船が出る間隔も長かったでしょうから、昔の人にとっては、本当に好都合と感じられたことでしょう。確率的に考えると、そんな好条件に恵まれることはあり得ないはずなのに、本当に運良く事が進むということがあるものです。生駒での研修講座に来られた方々のお話を聞くと、そのような方がたくさんいらっしゃることに気がつきます。
このようなことが起こるのは、そのときの自分の力ではどうにもなりませんから、どこからかの見えないエネルギー、つまり氣の影響と考えられます。私達の周りにはプラスの氣もマイナスの氣も存在します。自分の心に同調してそれらが集まって来るのですが、何らかのプラスの氣の影響で、一見マイナスの現象を引き起こすマイナスの氣の影響が少なくなると、自分が思うことに対して後押ししてくれるプラスの現象が起こりやすくなるものです。真氣光というプラスの氣を受けることでも、そのような現象が多くなるようです。
私達の周りには、陰で支えてくれているプラスの氣、つまり見えない力があるものです。それはご先祖かもしれませんし、神様や守護霊さんかもしれません。“渡りに船”の状態になった時には、それらのお陰とその有り難さに氣づきやすいものですが、そうでないときにも何らかの応援があるものです。いつも見えない大きな力に支えていただいているということを忘れることなく、それらに感謝したいものです。さらにまた注意すべき事は、いつも“渡りに船”を期待していては駄目です。そのようなプラスの氣の環境に自分自身を置けるよう、日頃から真氣光をしっかり受け、洗心を頭に置いた生活が必要ということになるでしょう。
(24)酒を飲まされる
うちの近所に大学があり、駅前には新入生らしき学生が大勢、やけに陽気に集まっていました。どうも、クラブかサークルの新入生歓迎コンパの帰りのようでした。昔と今では、随分酒の飲み方も変わったと新聞に載っていました。酒を飲んで議論などというよりは、一気飲みが流行り、急性アルコール中毒になる学生もいるとか…。私も学生時代、友人が酒の飲み過ぎで動けなくなり、介抱したことを思い出しました。酒は百薬の長などと言い「適度の飲酒はどんな薬にもまさって効験がある」ということのようですが、飲み過ぎると大きな害につながります。良いのか悪いのか、我が家の家系は代々酒が弱かったようで(先代も弱かった)、私の場合ビール一杯ですっかり顔が真っ赤になってしまいます。
酒と言えば、「最近頭がくらくらする」と言うAさんに氣を送っていたところ、酔っぱらったご先祖様が出てきました。(後から聞いた話ですがAさんの家系はお酒がめっぽう強く、お祖父さんはお酒のために土地を手放すことになった程、とのことです。)口調が完全に酔っぱらっている感じなので、相当酒を飲んでいるとわかったのですが、まだまだ飲み足りないような口振りです。いろいろ言われていましたが、私はそれには答えず、ひたすら氣を送ることに専念しました。真氣光の光が十分届いたのでしょう。だんだん落ち着いて来られたのですが、最後に言われた言葉が印象的でした。「俺は楽しくて酒を飲んだことは一度もない。辛いから酒を飲んだけど、飲んでも飲んでも辛かった」仕事のことか、家族のことか、わかりませんが、その方には、とても辛いことがあったのでしょう。過度の酒は思考を麻痺させますから、飲むことで一時的に辛さが紛れます。しかし辛い気持ちはマイナスの氣となってどこかに存在し続けますから一時的には良いのですが、また出てきます。それを繰り返しているうちに、身体に負担がかかり亡くなったのでしょう。以前このシリーズ第20話(2003/1/30)に登場いただいたAさんですが、ご先祖はたくさんの恨みをかっていました。今回出てきた方は、恨みを持つたくさんの魂達の影響で辛い出来事が集中し、酒を飲むことになったのでしょう。酒に関して辛いご先祖がいらっしゃると、次の代もそれに引っ張られ酒を飲まされますから、Aさんの家系は代々飲まされて来たのかもしれません。真氣光の光が浸透し、ご先祖を恨む人々が光になってくれたお陰で、Aさんのご先祖の辛さも癒されたのでしょう。深い繋がりがあるものです。
(3)袖振り合うも他生の縁
毎回の事ですが、真氣光研修講座に集まって来られた方々を観ていて、その「縁」というものを痛切に感じるのです。特に“氣づきの場としての講座”で会う人ですから、お互いに何かを氣づかせてくれる存在という要素が特に強いのです。「袖振り合うも他生の縁」とは言いますが、講座の場合は、ご飯を食べるのも、夜寝るのも、お風呂に入るのも、誰かと一緒ですから、かなりの縁の深さということでしょう。
ところで、このことわざ「袖振り合うも他生の縁」ですが、古くは室町時代の文献にも記述があるものだそうです。その歴史が示すように、このことわざはとてもポピュラーなものだと思います。辞典で調べてみると、次のように書かれてありました。『ちょっとした人との交わりも、単なる偶然によるものではなく、深い宿縁から生じていると言うこと。「他生」は前世あるいは来世の意。「たしょう」は「多生」とも書かれるが、その場合は何度もこの世に生まれ変わる意。現代では同音の「多少」と間違えやすいが、仏教観に基づくことわざである。道を歩いている時に見知らぬ人と袖が触れたくらいのささいなことでも、それは前世からの因縁によるという意から。』
人も動物も、植物さえも、見えない氣の身体(魂)を持っていて、それは身体が亡くなっても存在し続けます。またそれは、違う身体を持って生まれ変わることもあるでしょう。私達は身体を持ったり失ったりしながら、学び続けるようです。学ぶと言っても教科書があるわけではありません。いろいろな「他のもの」との関わりの中で体験を通して自然に学ぶ仕組みです。簡単に他のものと言いましたが、家族や友人、たまたま会った人から、既に亡くなっているご先祖まで、多種多様です。ですから、よりたくさんの事を学びたいと考えるなら、出会って別れる、自分の周りの「他のもの」との関わりを意味のあるものとして、自分の成長の材料とすることなのです。
真氣光という氣を受けると、いろいろな縁がもたらす意味合いに氣づきやすくなります。同時に、自分の氣が変わることにより、周りの氣も変わります。自分をより成長させるために、関わりが深くなる縁もあれば、関わりが薄くなり違う人との新しい縁が生まれることもあるでしょう。真氣光は、そのどちらも、加速させるのです。
皆さんが真氣光に出会ったのも縁です。それは「…多大?の縁」かもしれません。これからも末長く、よろしくお願いいたします。
(23)平和を祈る
米英軍がイラク戦争に踏み切ってから21日。今日の新聞には「米軍がバグダット制圧」と大きな見出しが載っていました。早く戦争の無い世の中になってほしいものです。
先日の会長セッションで私が氣を送っていると、Aさんの顔がみるみる歪んできて、とても苦しそうな様子になったのです。足が重いようです。私は足の方に氣を送りながら、Aさんが何か言おうとしているので、耳を傾けました。「俺はもう歩けない。先に行ってくれ」と苦しそうな声です。どうやらたくさんの人達と一緒に歩いているらしいのです。私が「何かの旅の途中かな」と考えていると、今度は「家に帰りたかった」と苦しそうに言うのです。私は早く楽になってもらいたくて、一生懸命、何も言わずに氣を送りました。すると少しずつ話せるようになり、だんだん状況がわかってきました。彼は戦時中軍隊にいた人で、広い大陸(たぶんシベリアか満州)を仲間と日本に向かって、それはもう延々と歩いていたようなのです。しかし、飢えと寒さと極限にまで達した疲労で、もう一歩も足が前に出なくなったのです。仲間は彼を勇気づけようとするのですが、彼はもう付いて行けず、すでに死を覚悟したのでした。私は氣を送りながら「戦争は終わりました。ゆっくりしてください。」と言ったのですが、彼は苦しそうな顔のままで、まだまだ光が足りないようすです。仲間もみんな苦しんでいると言います。戦後半世紀以上が経過しています。私達には遠い過去の出来事ですが、彼らにとってはまだ終わっていなかったのです。私はたくさんの光が届くことを祈りながら氣を送り続けました。「勝っても負けても、戦争はイヤだ。前線で戦った人間は皆そう思っている。辛い、苦しい、帰りたいと思っても、口に出して言えなかった。誰も口にしなかったけど、みんなそう思っていた。ああ、だんだん楽になってきた。私のようなものが光の世界に逝けるなんて…。まだまだ仲間がたくさん苦しんでいる。私も少しでもたくさんの人を光に導きたい。よろしくお願いします。」最後、彼はそんなふうに言って光の世界に旅立ったのでした。私も微力ながら少しでも力になろうと、決意を新たに見送りました。
計らずも翌日午後からは、広島で囲む会を企画していただきました。私は早朝から空いている時間を利用して平和記念公園を巡り「すべての魂が光り輝くよう」世界平和をお祈りさせていただきました。素晴らしい快晴と満開の桜。今では広島に世界中から平和の波動が集まっています。かつてたいへんな経験をした、たくさんの魂さん達がこれからの地球に尽力してくれているような氣がして、何とも言えない気持ちになったのでした。
(2)弱り目に祟り目
各地を会長セッションで回らせていただくと、ずいぶん今年はインフルエンザが流行したようです(まだ流行している最中かもしれません)。私も一年のうちに何回かは感染して2~3日寝込んでおりましたが、昔に比べるとここ数年、有り難いことに風邪をひきにくくなったようです。油断は大敵なのですが、これも氣のおかげと感謝しています。最近もそうですが忙しい時に限って、次から次へと「どうしてもやらなければ…」ということが飛び込んでくるものです。
サラリーマン時代の私であれば、「どうして私ばかりやらないといけないの」とか「運が悪いなぁ」と不平不満とストレスで一杯になって体も疲れ、そうしているうちに風邪をひいていたかもしれません。これは、似たような氣が集まるという波動的な現象です。ですから自分にマイナスの氣を持てば持つほど、同じ波長の同調現象により益々自分のところにマイナスの事柄が集まってきて、どんどん苦しくなってしまうのです。
一般的にも、苦しい境地にある時に、さらに悪いことが重なることがよくあるものです。昔の人も、それを経験的にとらえていたのでしょうか?諺(ことわざ)に「弱り目に祟り目」というのがあります。この解釈は「目」を「境目」などの目と同じように、異なる状況に変わるところという意をもつ接尾辞と解し、「に」を位置を示す助詞と考えて、弱っている時に、祟る時、または、弱っているところに祟るところができるという意味ととらえるようです。岩波のことわざ辞典によりますと、「このことわざの先行形と見られるものに、弱った体に物の怪がつくという「弱めの霊気(りょうげ)」があり、江戸初期から常用のものであった。」ということです。
物の怪とは、何か怖い物のような気がしますが、どこにでもあるマイナスの氣のことです。「何かの原因で自分がマイナスになると外からマイナスの氣が集まってくる」と、江戸時代の人も感じていたのでしょう。外からマイナスが来るからさらにマイナスになり、それが新たなマイナスを集めるというマイナスの繰り返しです。そして、そういうマイナスの繰り返しの時は自分自身の力では、なかなか事態を改善できないものです。弱り目に祟り目の時は、外から少し強めの真氣光の氣を取り入れてください。
(22)光を装った影-3
センターの会長セッションでの出来事です。私が氣を送り始めると、ある女性が急にお腹が痛い、痛いと苦しがるのです。どしたのかと思って近くによって、お腹に手をあてると、「悔しい」と私に訴えます。どうして悔しいのかと思いながら、さらに氣を送ると「腹を刺された」と言うのです。「人のために良いことをしたのに、なぜこんな目に会うのだろうか」と私に尋ねるのです。どうもその人は、ある人のために何かをしてあげたのに、恩を仇で返され、刺し殺されたらしいのです。身体を無くした後は、悔しいという強いマイナスの思いのために、暗いところに長い間居なければならなかったのでしょう。「良いことをしてあげたのになぜだ」と、私にしきりに尋ねるので、わたしも返事に困って「なぜ良いことをしてあげたのですか?」と尋ねました。その人は少し考えていましたが「自分のしたことが後で、私の家族のためになると思った」と、答えたのです。良いことをしてあげれば、後でなんらかの家族への見返りがあるだろう。どうやら彼(?私の想像ですが)は、それを期待していたということらしいのです。そう答えた後彼は、結局は見返りという自分の欲で、人に良いことをしていたと気がつくのです。そしてそれは、本当にその人のためにはなっていなかったことがわかったのです。彼は真氣光の光を受けるうちに、氣づいて、間もなく光の世界に旅立って行きました。
良いことをしてあげたら、良いことをしてもらえる。単純に逆にとらえれば、自分にとって良いことをしてほしいから、良いことをしてあげる。私は彼を見送りながら「我々の毎日の生活の中にも、これはよくある事だなぁ」と考えていました。人は、見返りを求めて誰かのためになるのでは、本当の光を放つことにはならないのです。人に親切にする時、真氣光の氣を送る時や、ハイゲンキをしてあげる時も同じです。その人の喜ぶ顔が見たいから、それが嬉しいから、ただその人が良くなって欲しいから、純粋にそう思える時、本当の光が放たれるのでしょう。見かけは同じでも、心がそこに有るか無いかで、光の質は全く違います。本当の心が伴っていなければ、それは光を装った影になるのでしょう。
(21)光を装った影-2
(先週の続き)Aさんを恨んでいたヤドカリさん達は、相手の非道を分からせるため、結果的にA家の代々の人を恨んで来たのです。当時は仇討ちも認められていた時代です。「目には目を…」、やられたらやり返すのは当然のことだったかもしれません。しかしそれは一見正しいように見えて、結果的に恨みというマイナスの氣を出すことにより、マイナスの氣を引き付けます。どんどん影が集まり黒くなって、余計に苦しくなって行くのです。それがわからなかった彼らですが、どんどん真氣光の光が入って来て、その間違いに気づいたのです。子孫のAさんには何の関係もなかったこと、逆にこんなに心が軽く楽になったのは、Aさん達のお陰だったことが心からわかり、申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちをもって、光の国に行かれたのでした。
このヤドカリさんの場合は、最初は正義にも似た小さな恨みが、結果的に何百年もの永い年月にわたってマイナスを引き付け続け、より強力な影になったのです。今回こんなに深いところで苦しんでいたヤドカリさんに氣が届いたのは、Aさん達が日頃から一生懸命真氣光を充電してきた結果だったのでしょう。
時代が変わり今では、恨む、恨まれるということが、身の回りに少なくなっているかもしれませんが、似たような事は私達の身近な生活の中にもよくあることです。たとえば「相手の間違いに気づかせる」という一見正しいことをしているようでも、執拗に相手を咎めたり、怒ったり、非難したり、マイナスの感情をぶつけてしまうことなどです。相手のことを考えているというプラスの氣つまり光を装っていながら、自分にも相手にもマイナスの氣を溜め込ませる影になっている場合です。
私達は魂を成長させるために体を持って生きています。ですから、逆に考えると完璧な人など身の回りには存在せず、どんなに光り輝く人でも何らかの影があるということになります。そしてよりいっそう魂の光が強まると、強いライトに照らされた物のように、影も強く浮かび上がるのです。最初は光を装っていて見つけにくいものです。しかしそれに気づき、そのままにすることなく、その影をマイナスとして受け止められた時から、それは光へと変わる準備を始めます。真氣光を充電するうちに少しずつ魂は成長していくのですから、周りの人にも自然に気づいていただけるような工夫が、できるようになるのです。
(20)光を装った影-1
真氣光を送っているとその人とは全く違う人(既に亡くなっている人の魂)が、氣を受けている人の口を使って出てくることがあり、私はヤドカリさんと呼んでいます。いろいろな事情をもつヤドカリさんがいて、このコラムで紹介していますが、よくある「事情」の一つに「恨んでいる」というのがあります。先日の出来事をお話ししましょう。もう何年も一生懸命真氣光を続けてくれているAさんご夫婦ですが、毎回センターでの会長セッションに二人仲良く参加してくださいます。奥さんが霊的に敏感な方で、氣による反応を通して、私にもいろいろな気づきをいただいております。その日も氣を受け始めると低い唸り声のようなものが出始め、隣で横になっているご主人の胸を掴むのです。私は「これは何か恨みがあるんだな」と直感しました。もう少し氣を送っていると「おまえにはわかるか。俺達の苦しみが。おまえにわかるか。」と叫び始めたのです。どうやらご主人のご先祖は、かつて広い畑を持つ有力な農家で、まわりの小さな農家などに、お金を貸していたらしいのです。しかし不作などで借金を返せなくなった家に対し強引な返済を迫り、できない家は畑を取り上げたのです。畑を失った一家は飢えと苦しみの中、A家に対する恨みを持って亡くなったのでしょう。そのようなことが繰り返されて、Aさんの家は大きくなったのです。お金を貸したら返してもらうのはあたりまえのことですが、そこに行き過ぎた部分があったのでしょう。出てきたヤドカリさんは何代にも渡って、何百年も恨んでいると言います。そういう方がたくさんいたために、その後Aさんの家は、いろいろなマイナスの出来事が絶えなかったようです。彼らはAさんに分からせたくて、当然のこと、正しいことをしていると思っているのです。私にも、どうしようもないほどの憤りや辛かった気持ちがよくわかります。何も言えずに、真氣光が彼らに届き、光り輝いてほしいと、ただひたすら祈りました。しばらくすると、そのヤドカリさんはAさんの他に何代も恨んで来たけれど、一向に氣が晴れず、かえって苦しみが増していることに気が付くのです。さらに氣を受けるうちに、自分たちは、すごく当然のことと思ってしていたことが、実は大きな間違いだったということが分かり始めたのです。(次週に続く)
(1)病は氣から
ことわざ(諺)には、古くからの人生の知恵を表現した言葉の技とか、処世のための短い有効な教訓などの意味づけがなされています。それは古くから人々の生活に密着したものとして、受け継がれてきたものです。日本人には古くから「氣」という概念がありますから、ことわざの中にそれを垣間見ることもできます。
氣と言えば「病は氣から」という、ことばがすぐに思い出されるでしょう。ことわざ辞典で調べてみると、「病気は気持ちの持ち方一つで、重くも軽くもなるということ。病気と言えばとにかく身体の具体的な故障だけが問題視されがちだが、それには人の気持ちのありようも大きく関わっているものである。例えば病人が病気を悪い方にばかり考えれば実際の症状も悪くなり治るものも治らない。ことに胃は精神面の影響を最も受けやすいところで、胃潰瘍はしばしばストレスによって生じると言われる。正にこのことわざの正しさを科学的に証明しているものと言える。ことわざとしては古く、太平記に異表現『病は氣より起こる』が見えている」とあります。太平記といえば南北朝時代。当時は今よりさらに断定調に、氣の重要性が表されていたようです。そして、そんな昔から言われている言葉は、現代の医学でさらに証明されつつあります。
今月12日には、月刊ハイゲンキ(98年1月号)で対談させていただいた筑波大名誉教授の村上和雄先生により「笑いが遺伝子を活性化し、健康をもたらすという」仮説を、実験を交えて検証するイベント「笑いと健康」がつくば市で開かれました。吉本興業のB&Bの漫才と、筑波大名誉教授のまじめな講演という異例の組み合わせに、約千人の観客が集まり、一部参加者を被験者にして、笑いの前後での血糖値や遺伝子の変化を調べるため、血液の採取が行われています。
「病は氣から」を氣の観点から解説してみましょう。人の心から発せられる見えないエネルギーである氣は、プラスに作用したりマイナスに作用したりします。感謝や喜び、慈悲などの心から発せられる氣はプラスで、自分の身体や心ばかりでなく他人にもプラスに作用します。一方、不安や心配、怒りなどの心からはマイナスの氣が発せられ自分や他人にマイナスに作用するのです。私たちには古くからの経験により無意識に捕らえていることが、科学という目で次々に検証されていくのでしょう。
(19)「家]嫁ぐということ
中川家という兄弟の漫才師がテレビに登場しておりました。「…家」とは、面白いネーミングです。ましてや中川とは、つい応援したくなるから不思議なものです。どこかご先祖の方で繋がりがあるのでしょうか。どちらかというと「中川」は、シンプルな名字ですから、あちらこちらに同じ名前の人がいてもおかしくはないでしょうが…。
さて、我が家のご先祖の話ですが、私の4代前のご先祖が富山から北海道に移り住んだところまでは何とか辿れるのですが、もうその先になるとよくわかりません。唯一の手がかりとなるお墓も4代前からのものですから、その前はどんな人がいたのか皆目検討もつきません。そういう意味で、石に文字が刻まれ長い年月にも風化しにくい墓というものの価値を感じます。後々の子孫が墓の前で手を合わせてくれることは、多くの光をもたらしご先祖のよろこびになるのでしょうから。
氣を受けて出てくる魂さんの中には、ご先祖のことを恨んでいるという事がよくあります。土地を取り上げられたとか、ひどい仕打ちをされたとか、たいていはご先祖とは他人、つまり違う「家」の人々の恨みをかっている場合です。しかし、同じ「家」つまり身内の中にも強い恨みや憎しみがあったのです。先日、氣を送っていると出て来られた方は、もう2百年あまり前に生きていた方でした。当時の日本は今以上に「家」と「血のつながり」を大事にしておりました。家督相続のため本家の血を絶やさないように、養子縁組等いろいろな工夫がなされた時代です。その結果、いろいろな悲劇が生まれました。つまり、そのとき強いマイナスとなって出てこられたのは、その「家」に嫁いで来たお嫁さんだったのです。話はこうです。本家筋の立派な「家」に嫁いだ彼女は、所詮は血のつながりのない嫁として、いじめられ肩身の狭い、悲しく辛い一生を送ることになったのです。自分の一生がそんな風になったのも、「家」というものがあったからと、死んでからその家系にマイナスの感情を抱くのです。少しでも自分の気持ちがわかって欲しくて、代々嫁いで来た人を自分のように寂しい思いにさせました。またその「家」が途絶えるよう、つまり男の子が育たないように等、マイナスの方向に引っ張ったのです。しかし彼女にも真氣光の光が届き、憎しみや悲しみが薄れていくと同時に、自分のしていた愚かさに氣づきました。自分が寂しいから他人も寂しくさせるのではなく、自分が辛い思いをしたからこそ辛い嫁の立場がよくわかり、本当の意味で力になれることに気がつくのです。最後に彼女は嬉しそうに「自分にできることがあった。光になって見守る」と言ったのでした。