高次元からの応援を受けやすい生き方

昨日、真氣光研修講座が終了し、久しぶりに我が家に戻りました。東京も肌寒い日が続いた為か、しばらく家を留守にしていると家全体が冷えた感じでした。暖房を入れて部屋を暖めながらソファでボーッと、今回も感動のうちに終わった講座の事を考えておりました。いろいろな場面が頭を過ぎる中、受講生さんとの会話で「昔に比べ今の仕事はどうか」と聞かれたことが、再度私にサラリーマン時代のことを思い出させてくれました。私は学生時代からサラリーマン時代を通して、(当時下田での真氣光研修講座を受けるまで)、どちらかと言うと運が悪いことばかりを経験させられ「どうして自分ばかりこんな目に遭うのか、いつまでこんなことをやらなければならないのか」と、いつも考えていたように思います。自分の思い通りに行かず苦労する方向に進むと、必ずこの決まり文句が口をついて出てきていました。ところが今の生活では全くというほど、不平不満・いつまで続くのか分からない不安感や心配心などがありません。つまり幸せな生き方になったということでしょうか。それは強がりでも、そんな事を思わないように努力しようというものでもなく、ごく自然にその発想が無くなってしまったということなのです。それは研修講座での効果でした。先代から「自分の波動が周りの現象に影響を与える、まず自分が変わること」と習って以前の会社に戻ったのですが、前と同じような悪いことが起こっても、その時どのように自分が対処しなければならないのか、変わらなければならないのかを一生懸命に考えるようになっていたのです。昔の私は、悪い現象が起こるとマイナスの気持ちが起き、それがさらにマイナスの氣を呼び込んで悪循環に陥っていたのですが、それがいいとこ探しをするなどプラスの気持ちが格段に多くなったというわけです。私は先代が亡くなった後、特に希望することなく、右も左もわからないまま会長職に就きました。最初の頃は不安や心配が次々と襲ってきましたが、それらも意味あることとして真氣光を受けることで乗り越えられ、少しずつ自信と確信を得ることが出来ました。誰にでも高次元から、必ず何らかの応援があるのです。応援を受けやすくするには、どうすればよいのでしょう。あちらから見えやすいように少しでも波動を合わせる必要があります。マイナスの氣で魂にくもりが生じると、遠いあちらの世界からは見えにくくなり、光が送れないという状態になります。応援が欲しいというマイナスの状態の時こそ、いいとこ探しをはじめ洗心の指標がポイントになるのです。

まぁいいっかー

私は、全国あちらこちらに行っていますが、駅や空港など毎月一回は通るようなところばかりですので、道を間違えたり方向音痴などにはならない自信があったのです。ところが先日のこと、セッションが終わって次の目的地に向かうため、列車を利用して空港に向かおうとした時のことです。時間があまりなくてホームに駆け下り、咄嗟に来た電車に飛び乗ったのです。「良く乗れたなぁ」と思いながら、周りの風景に目を向けていると、何か変な感じです。しばらくして反対方向に向かう列車に乗ったことに気がつきました。次の駅で降りて乗り換えれば良いのですが、快速なのか、一駅が長く、全く止まりません。その間、私はどんどん心配と焦りの心が湧き上がってきたのでした。7時を少々回っていましたので、最終便の飛行機に乗れるかどうか・・・。それに乗れないと、明日のセッションには間に合いません。そう考えるとハラハラ、ドキドキして落ち着きません。しかしそのうちに、次の駅で列車が止まるまで私には何も打つ手がないのですから、諦めることにしたのでした。音氣を取り出して、運を天に任せることにしたのです。よく考えるとサラリーマン時代の私には、こういう考え方ができませんでした。考えてもどうしようも無いことを、あれこれ心配して、良い意味で「おまかせ」できなかったのです。結局その日は、15分後に次の駅で降りられ、反対側のホームに回るとすぐに列車が来て、飛行機にはギリギリで間に合い、事なきを得たのでした。その時、ある日の会長セッションでの出来事を思い出しました。私が氣を送っていると、氣を受けている人とは全く別な人(魂)が、その人の口を借りて出てきました。『最近、俺がどんなに苦しめても、こいつは「まぁいいっかー」って言っている。だから俺は、とことん痛くしてやったのに、こいつはトンと気にしない様子で「まぁいいっかー」っていう調子だ。心配なことを作ってやっても、どんなに辛い目に遭わせても「まぁいいっかー」、とうとう俺も根負けした。さらにはこいつ、最近とんでもない決心をしてしまった・・・。』と光の世界へ行ったのです。その方は、その日、ハイゲンキのバージョンアップを頼んだらしいのです。自分自身の心のマイナス部分に同調して、マイナスの氣が心配や不安な気持ちを起こさせます。彼らは、なんとかしてマイナス方向に引っ張ろうとするのです。しかし日頃真氣光を受けることで、考えて行動しなければいけないことと、「まぁいいっかー」と<おまかせ>しなければいけないこととの切り替えができるようになるのだと思います。皆さんはいかがでしょうか。

さくら舞い散る頃

皆さんは、もうお花見をしましたか?私も、カメラを片手に散歩をしながら、お花見をしてきました。今月の気配り画像は、その時に撮った桜の花を選んでみました。我が家の近くの公園に咲いていた、桜の木です。少々風は冷たかったのですが、良く晴れた平日の午後でした。若いお母さん達が子供達を公園で遊ばせながら、お花見をしていました。その向こうでは、大学生の女生徒二人がサックスの練習です。桜とサックスの音、さらには賑やかな子供達の声が、妙にミックスされて、私を平和な気持にさせてくれました。カメラを持っていると、どの花を撮ろうかと枝振りに注意が行きますから、上を見すぎて首が痛くなるほどです。文字通り“お花見”です。サラリーマンに成り立ての頃は、お花見と言えば先輩に場所取りを命ぜられたものでした。会社の近くの公園にゴザを持って行って場所を確保するわけですが、ゴザの下がデコボコしているようだと叱られるので、桜の花と言うよりは、ひたすら地面の方ばかりに気を取られていたのを思い出します。先輩達も花を見るよりビールの方が大事でしたが、毎年必ずお花見は欠かしませんでした。テレビでワシントンの桜のニュースをやっていました。あちらも桜が満開で、たくさんのお花見客で溢れています。その中でキャスターが、桜の枝を折って花を持ち帰る人が多く、木を管理する人たちが困っているという話をしていました。日本人が桜の木の下で飲み過ぎるというのもいかがなものかと思いますが、どんなにその下で酔っぱらっても枝を折るという発想にはならないもので、きっと日本人には桜を慈しむ心が自然に備わっているのでしょう。木などの植物も氣のエネルギーを発しています。こちらが木から良いエネルギーをもらおうと受信状態になると急激にその吸収力は高まります。美しい花をつけた桜であれば、もっと吸収力は上がるでしょう。そういう意味ではお花見は、日頃の疲れを癒す究極のヒーリングなのかもしれません。私が生まれ育った札幌では、ゴールデンウィークを過ぎないとお花見はできません。ですから小さい頃の記憶では、桜の花と卒業や入学のシーズンとはまったく関連が無いものでした。しかし、東京に住んで20年以上になりますと、すっかり季節感が変わってしまいます。桜が散る中を、真新しいランドセルを背負った小さな子供達が歩き始めると、今年も良い季節になったという嬉しさが湧き上がってくるものです。どことなくウキウキと何かにチャレンジしたくなるような希望に溢れる氣を感じるこのごろです。

先代の誕生日

今年は、NHKの大河ドラマ「風林火山」の原作で知られる作家、井上靖の生誕100周年にあたるそうです。きょう3月22日は、先代の誕生日で、同じような表現をすれば生誕71周年というところです。何人かの会員さんに聞いてみたところ、「先代の命日(12/11)は覚えているけれど、誕生日は知らなかった」という人が多いようです。いつの日か、生誕100周年のイベントでもできればよいですが、まだまだ先の話ですね。ところで先代が遺した言葉といえば私は、「神を信じ人を愛す」の言葉と*治療哲学を思い出します。私たちは、良いことが起きたときには、神様のお蔭と思えるのですが、一見マイナスな出来事が起きたときには神も仏も無いと思うものです。「神を信じ…」とは、そのようなときでも、私たちを生かしてくれている大いなる宇宙(神)を信じ何かの氣づきを与えてくれていると思えること。あるいはいかなる時でも、宇宙から届く真氣光という光を信じるということです。そうすることで、遠く宇宙の彼方から送られて来る波動をキャッチできるということでしょう。求めることによって、入ってくるのが氣のエネルギーの本質です。それを伝えたくて、治療哲学を作ったのだと思うのです。真氣光は病気を治すだけに止まらないということから、今では治療哲学を配布しておりませんが、その根本的な考え方は忘れてはならないことです。その全文を記しておきますので、病気に限らず、辛い・苦しい状況に置かれたとき、思い出していただけると幸いです。ちなみに、生誕とは人が生まれることですが、巷にはウルトラマンシリーズ生誕40周年、ドラゴンクエスト生誕20周年等々、人に限らずいろいろ幅広く使われ宣伝されているようです。それならば昨年がハイゲンキ生誕20周年の年だったわけで、大きくクローズアップすれば良かったものを、すっかり忘れていたことが悔やまれます。*治療哲学の全文『もしあなたが治せないと考えるなら、あなたは治らない。あなたがどうしてもと考えないなら、あなたは治らない。あなたを病魔に勝たせたいと思っても、あなたが勝てないと考えるなら、あなたは健康への勝利を得られない。もしあなたがいい加減にやるなら、あなたは全快しない。あなたがこの病魔との戦いに勝つには「私は必ず治る」「あなたは必ず治るんだ」という、お互いの強靱な信念と信頼によってはじまり、その絆が遙か宇宙の波動を呼び醒ますことによってきまるのだ。』

アクアシリーズ新発売

先週、「新しいパワーユニットを発売します」とご案内しましたら、皆さんからたくさんの注文をいただきました。発売日の10日は東京の会長セッションでしたが、当日東京だけで43個の1000倍パワーユニットを付けさせていただきました。ありがとうございました。目下のところ、連日注文を受けたユニットをピッチを上げて製作しております。ところで、このパワーユニットはエッチングという技術によって平面ピラミッドを用いた新しい素子が開発できたことで実現したものですが、これはいろいろな氣グッズに応用できるとすでにお話ししました。今日は、これをアクアリフレッシャーに応用し、新しい氣グッズ、アクアクリップとアクアシリーズのバージョンアップ部品ができましたので少し説明します。現在販売しているアクアリフレッシャーは、どこにでも持ち運べる小さなタイプのミニA型と大きめなF型の二種類です。それぞれ通常のハイゲンキ100個分、500個分の氣中継素子を使い、水道管に取り付けて管の外から強力な真氣光のエネルギーを水道水に注入するものです。私は、新しく開発した素子を利用して、小さな物はより小さく、大きな物はより強力にできないかと考えたのです。つまりアクアミニA型よりも更に小さく手軽にするにはどうするか?今販売しているミニA型やF型に装着して強力にできるバージョンアップの方法はないだろうか?という二つのポイントについて、いろいろ試行錯誤を繰り返してきたのです。まず、もっと手軽にアクアリフレッシャーの良さを体験して欲しいと思い、アクアクリップという全く新しい氣グッズを考えました。新しい素子を利用すると通常の照射ヘッド数十個分の素子であれば極薄の板にも組み込めます。私は洗濯ばさみからヒントを得て、水道管や蛇口に指で簡単に挟み込んで留めるようなものはできないかと思ったのです。いろいろ試作した結果、5cm×2cm×2cmほどのステンレス製で通常の照射ヘッドの50個分に相当する氣中継素子を装着したものができました。私は出張が多いのですが、これならばまったくかさばりません。お値段もこれまで以上に安くできますので、入門用として試してみたい方にも最適です。また薄くできるという特長を使って、薄板にたくさんの素子を積層して組み込むバージョンアッププレートができました。(ミニA用は通常の素子500個分、E・F型用は通常の素子2500個分を使用)これを使うと従来販売してきたアクアミニA型とアクアリフレッシャーE型、F型を、誰でも手軽に強力なアクアリフレッシャーにバージョンアップできます。ともに今月末には販売できる予定です。

1000 倍パワーユニットの発売

2月1日発行507号の本紙に、“パワーユニットの可能性”と題して、昨年から私が開発してきた新しい小型強力タイプのパワーユニットの話を取り上げました。いろいろなところで、「待っています」との声をいただきました。中には人づてに聞いて「今年中にできますか?」と私宛にメールしていただいた方もいらっしゃいます。返事が遅れましたが、やっと用意ができて発売できることになりましたので、お知らせします。パワーユニットは段々に強力なものができて、これまで10,50,250倍というものを販売してきましたが、今月10日より新素子を用いて、10倍に加え新しい100倍、1000倍という3種類のパワーユニットを販売することになりました。250倍というパワーユニットは50倍パワーユニット5個から構成されていたのですが、新しい素子を使うと1000倍のパワーユニットでも見た目は10倍や50倍パワーユニットと変わりません。つまり強力になったけれど小さくでき、その分安くできるという特長があるのです。さらに、この1000倍のパワーユニットには、照射ヘッドの中に所有者の名前を入れたゴールドパワーシートを装着して、確実に中継されるように工夫しています。また、すでにパワーユニットを装着している人のために、これまで同様バージョンアップという、いま使っていただいているパワーユニットをそのままにしてユニットの中身だけを交換するという方法で、できるだけ安く100倍、1000倍にできるサービスを用意します。すでに250倍のユニットを使っている方は、特に軽くしたいという要望が無い限り、今後の拡張性を考慮し、お持ちのユニットの一部分を新素子に交換させていただきます。パワーユニットについては、すべて私の手作りです。注文していただいてから、私が部品を用意して組立・調整しますので、お渡しできるまで1週間から10日ほど時間がかかります。ご了承下さい。真氣光は宇宙からのエネルギーです。使っていくうちに自分ばかりではなく周りへと、光が届く範囲が拡がっていくのです。ですから理解しながら無理なく段階的に、氣という光を取り入れられるようバージョンアップというサービスを用意しています。センターにも1000倍のパワーユニットを準備しました。ぜひお試しください。

今年の暖冬から思うこと

今日から3月に入りました。昨日までで、気象庁が定義する「冬」が終わり「春」に入るということです。関東地方は気象庁が1876年(明治9年)に観測を開始して以来初めて、都心で雪のない「冬」になったそうです。3月に入っても暖冬傾向は続くと見られており、雪なし記録はさらに更新されそう‥とのことです。今年はテレビでも、雪のないスキー場や、冬眠しない熊、一足早く咲き始めた花々などの映像が映し出されておりました。私も各地で、「今年の天気はどうですか?」と挨拶代わりに聞いてみるのですが、何処でも「温かい」との返事です。全国的な暖冬ですね。寒さに弱い人にとっては、温かいことは過ごしやすくて良かったということになるのでしょうが、地球温暖化の影響と考えると楽観視はできません。2月に入って、ある会員さんから『ゴア元米国副大統領の映画「不都合な真実」を観ましたという』というお便りをいただきました。(お便りは5月号の月刊ハイゲンキに掲載予定)私も興味があったので、早速観に行ってきました。先日のアカデミー賞の発表では、長編ドキュメンタリー賞など2部門でオスカーを受賞した評判の映画です。内容は、ゴア氏が世界各地で行ってきたスライドを使った環境問題講座を中心に、彼の私生活映像が組み込まれて構成されています。温暖化が急速に進んでおり、やがて人々の生活に大きな影響を与えることを、たくさんの写真や図表で説明する説得力のあるものです。印象に残ったものを上げると、山頂部分にわずかに残るだけのキリマンジャロやヒマラヤの氷河。急速に溶けているグリーンランドの氷、5?6メートル上昇した海水面により北京や上海近郊、ヨーロッパ、マンハッタンの多くが水に沈むなどの映像です。どれもが不安になるようなことばかりなのですが、これらの現実を直視し、どう対処したらよいのかを真剣に考えなければならない時期に来ていることを映画は伝えています。地球の上には、環境問題ばかりではなく貧困や食糧問題、HIVなどの病気の蔓延・・・いろいろなものが複雑に絡み合って存在しています。特に環境問題は、私たち先進国の、できるだけ多くの人達が意識を合わせて取り組まなければ効果がありません。洗心の中のいつも持つべき正しい心の項目に、「皆仲良く相和して、感謝の生活を送る」という項目があります。不安や他への批判は、マイナスの氣となってしまいます。私もできることをもう一度見直そう。今年の暖冬のニュースが、私にそんな思いを起こさせたのでした。

グッと来る

先々週、ときめきの話を書いたところ反響が多く、何人かの方から感想をいただきました。ありがとうございます。ときめきを模索中の私ですが、また似たような話がありました。先日、車に乗っていたところ、あるラジオ番組が耳に入りました。パーソナリティーが『「あの人のこんなところにグッと来る」もしくは「あの人のこんなところにガクッと来る」という話をメールやファックスで募集しています』と言っていたのです。たまたま信号待ちでしたので、私は隣の妻の顔を見て、「最近グッと来ることあったかな?」と聞いてみたのですが、やがて二人で宙を見つめたまま「ん?ん」と考え込んでしまったのでした。グッと来るとは、好印象の感情が胸から湧き上がってくるということでしょうか?寂しいことに二人とも、すぐには何も思いつかなかったのです。ラジオでは、どんな話が集まってくるのだろうと注意深く聴いていると、「冷蔵庫の余りものから、すぐにおいしい料理を作ってくれる妻にグッと来る」というファックスが読まれていました。私は「なるほど」と感心してしまいました。次に読まれた男性からの便りは「八重歯がかわいい彼女の笑い顔を観てグッとくる」という話でしたが、思わず「ホーッ」と唸ってしまうほどでした。我が家の場合、結婚して20年ですが、お互いに相手に対しては慣れっこになっているためか、グッと来る感覚を見つけるのは少々難しそうです。仮に見つけることができても、照れくさいものですから、私などは素直にそれを表現できません。ラジオでは、ガクッと来る話も募集しておりましたが、その時間では集まらなかったようで、他にもたくさんグッと来る良い話が紹介されていました。まさしく毎月の研修講座で行っている“いいとこ探し”の人物編のような番組のテーマで、後々心に温かいものが残りました。研修講座の“いいとこ探し”でも、家族や職場の同僚や友人に対して、グッと来るような良い話が出てきます。また発表しているその人に、周りの人達がグッと来ることがよくあり、時にはグッと来すぎて涙してしまうこともあるほどです。その場の氣と言いましょうか、一人が発するプラスの氣がきっかけとなり、集まり始めるとどんどん相乗効果的に増えていくことがわかるのです。それを考えると、やはりまず自分ですね。私も妻や家族、まわりの人達に「Good(グッド)くることを、たくさん見つけなければ」と、あらためて探してみたのでした。皆さんは何か思いつきますか?

声と心をつなぐ氣

2月の研修講座が今週の月曜日に終わりました。やはり以前より一日少ない3泊4日は、時間的にもアッという間です。その研修講座には、いつも音感行法という音楽に触れる時間を設けておりますが、今月は‘90年の開講以来、通算196回を通して初めての出来事、講座の中で合唱団をお迎えすることができました。その合唱団とは、月刊ハイゲンキや本誌でも何回か話題に上っているSASミュージックサークルの皆さんのことです。メンバーの皆さんも研修講座を受講したことがある、いわば同窓生、氣をお分けする実習も体験している方々です。私はこれまで何回か、ミュージックサークルの皆さんの歌声を聞いたことがありますが、当日はいつもにも増して素晴らしい出来栄えで、そのハーモニーに感心してしまいました。施設のホールの関係もあったのでしょうか?男性の低音が良く響いていたように思いました。皆さん結成当時は合唱などやったこともない人ばかりだったと聞いていますが、そのような事は全く感じさせないものでした。私は音楽が好きで、いろいろなジャンルのものを聞きますが、合唱曲も好きなものの一つです。特に思い出すのは、街ではメジャーな合唱団に入っていた小学生のときの友人です。彼は、ボーイ・ソプラノという声ばかりではなく、見た目もかっこ良くクールな感じで、クラスの女子の憧れの的でした。当時私は野球好きの少年で、全くタイプが違ったのですが、彼に仲良くしてもらったおかげで、合唱というものにも興味を持つことができ、ずいぶん幅が拡がったように思います。昨年の今頃発売になった「クワイヤーボーイズ」という3人の少年グループが出した、同名タイトルのCDがあります。その解説書によりますと、ボーイ・ソプラノは変声期を迎える前のわずかな時間だけ許される特別な存在で、ヨーロッパを中心に高い人気を得ていると言います。特にイギリスではほとんどの教会に聖歌隊があり、名高い大聖堂には高いレベルの少年聖歌隊が古き良き伝統を受け継いできたが、21世紀に入り少年達の興味もサッカーや、ゲームに向き、聖歌隊には向かなくなっているとか…。合唱とは一人ひとりの声という氣が、全体との調和の中で、歌う人と聴く人を心地良くさせ、皆が一つになるような共鳴現象を感じることができるのだと思います。身体は一人ひとり別々ですが、魂や氣という観点からは、すべてのものが繋がっています。たくさんの人が声を揃える合唱は、潜在意識の中からそれを思い出させるのかもしれません。今の時代だからこそ必要なもの。SASミュージックサークルの皆さんのますますのご活躍を祈っております。

ときめきって・・・?

女性スタッフと雑談をしていたときの事です。「最近会長は、ときめいたことあります?」と聞かれて私は「うーん」と唸ってしまいました。“ときめき”という言葉は、相当長い間忘れていた感覚です。彼女の説明によると、あるテレビ番組で、最近流行のアンチ・エイジング“若さ”を保つ秘訣が“ときめき”にあり、ということで、“ときめき”によって免疫力がどれだけ上がるかという実験をやっていたというのです。「気分の高揚や若き日の感動がよみがえる“ときめき”は、日々の暮らしに疲労感を覚える熟年世代に、張りと潤いを与える」というわけです。落語などの笑いが、免疫力を上げるという効果も調べられています。熟年奥様方で構成される「氷川きよしファン」が黄色い声援をおくる前後で、免疫力の数値が上がるということは当然あり得るでしょう。これらは、心が身体を変えるということに着目しているのです。以前、私は本誌111号(‘99年3月11日)で“小さな幸せ”について書いたことがありました。これもあるテレビ番組の中でSMAPのメンバーが、ファンからの「小さな幸せを感じるのはどんな時か?」という質問に答えていたという話から、「我々の場合小さな幸せって何?」とスタッフみんなに聞いてみると、とても意外な答えが返ってきたという話でした。その時、私自身、なかなか小さな幸せが思いつかなかったものでした。しかし、今回のテーマは、それ以上の難問題。“ときめく”って何???っていう感じです。辞書で「ときめく」を引いてみると「喜びや期待などで胸がどきどきする。心が躍る。」とあります。・・・無いですね、ドキドキが・・・。「胸がどきどきする」などと妻に言おうものなら、動悸・息切れ=心臓病と思われてしまいます。ですから「ときめいたことあります?」という質問は、すっかりオジさん化している自分を発見してしまったのでした。答えに困っていた私に、彼女がある熟年スタッフにこの質問をしてみたという話をしてくれました。「三船俊郎のファンで、その頃はときめいたわねー」とのこと。なるほど、私もかつては「女優の○○さんのファン」などと言っていたと当時を思い出したのでした。私はこの記事を書くに当たり、直接聞いてみました。「○○さん、三船俊郎のファンなんだって?」「えー嫌だ、会長、どこでそんな話・・・」少女のような恥じらいに、アンチ・エイジングの効果を強く感じたのでした。私も“ときめく”ことを探してみたいと思います。