ひとくち歳時記「秋祭り」

 「秋祭り」は、収穫の感謝と来年の豊作を祈願する、土地の守護神のお祭りです。
農耕社会だった日本の村々で農耕儀礼と結びつくものが多く、田の神送りの意味もあります。
「神楽(かぐら)」は、神祭りから始まった神事芸能と言われ、「祈る心」を形にして芸能化されたものです。
現在では集落の祭りとして行われ、神事に伴う歌と踊りの方が主体となっています。
「田楽(でんがく)」は、民間の農耕芸能から出て、平安時代に遊芸化されたものです。
田植えの時に田の神を祭り歌い舞ったのが原形で、能楽のもとである「猿楽(さるがく)」との関係が深いものです。
味噌田楽焼きは豆腐などに練り味噌を塗って焼いたもので、田楽を舞う姿に似ていることに由来しています。
秋祭りの中でも「火祭り」は有名で、京都鞍馬の火祭り、那智の火祭り、秩父の夜祭りなどが代表的です。
火は祖霊を呼び、ケガレを焼き、祓い清めると言われています。
土地の守護神は、「鎮守様(ちんじゅさま)」と呼ばれ、土地の住民は、家内安全、五穀豊穣、交通安全などのお願いごとをするためにお参りします。
(本社 加藤)
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10月8日(土)気功体験会の訂正

 月刊ハイゲンキ10月号にてご案内しておりました気功体験会の開催場所に間違いがございました。
“10月8日(土)丸亀市”と掲載しておりましたが、正しくは【姫路市】での開催となっております。
詳細は大阪センター(06-6944-1261)までお問い合わせください。
ご迷惑をおかけいたしまして、大変申し訳ございませんでした。
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歳とともにマイナスの氣を寄せ付けない

 来週月曜日は敬老の日ですので、この時期は、おじいちゃん、おばあちゃんに意識を向ける人も多いのではないでしょうか。
敬老の日を祝うのに該当する年齢は幾つからでしょうか?という質問に、昔は還暦を過ぎたらというのが普通だったようですが、今では60歳はまだまだ現役世代ですから当てはまらないと考える人が多いようです。
では幾つなのでしょうか?お孫さんができたら・・・と答える人が多いようです。
そうすると、私などは孫どころか子もいませんので、いつまでも該当することはないのですが、年々老化はやってくるものです。
私も日々気をつけて、プラスの氣に満ちた老人になるべく、研鑽を積み重ねているところです。
(笑)
 ところで、年齢のわりに元気な人、歳よりも若く見える人など、若い時には余り違いが感じられないものが、歳とともに大きな違いになることがあるものです。
これは、年齢とともにマイナスの氣の影響を強く受ける人と、あまり受けない人との違いとも考えられます。
氣の観点から、どのようなメカニズムで、このような違いが出るのでしょうか。
大きく分けると二つの考え方がありますので説明しましょう。
 一つ目は、歳とともに自分自身の氣のエネルギーが弱まる結果、そこにマイナスの氣が作用しやすくなるということです。
氣のエネルギーが下がるというのは、見えない光のような氣が暗くなるということですが、これは心の状態がネガティブになるということに起因します。
希望、喜び、楽しみ、生き甲斐、トキメキなど、心が明るいほうに向かうことが必要です。
体は筋力低下など、老化によって出来ないことが多くなりますが、心は別です。
歳を重ねる毎に、ますます心を明るく持てるような何かを見つける努力が必要です。
 二つ目は、長年の積み重ねによるマイナスの氣が、次第に強い影響を与えるようになるということです。
小さなマイナスの氣も、次第に似たようなものを引きつけ、時間とともに大きな影響を与えるようになるものです。
自分はこんなもんだ・出来ないものだと諦めていたり、何となく嫌・苦手・面倒など、強くはないけれど気持ちが暗くなるようなことがポイントです。
できるだけ小さなうちに気がついて、それを消すように努力していくことです。
 どちらの場合も、外からプラスの氣である真氣光のエネルギーを取り入れられることで、自分の努力との相乗効果が得られるものです。
それによってマイナスの氣の影響を受けにくくなり、自分自身の魂の輝きが増します。
ひいてはそれが、御先祖様など、見えない氣の存在を、より一層明るくするのです。
(中川 雅仁)
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ひじサポーターで風邪が楽になりました

 先日、風邪をひいて、熱と咳で大変でした。
でも頑張って仕事をしていたのですが、半袖の制服でしたので、いつもよりクーラーが冷たく感じてしまい、余計に咳が出て、マスクをしていても皆さんに迷惑な感じになっていました。
その時、膝のサポートを外していたので、ひじにしてみたら、咳が止まり、体も温かくなり、驚きました。
夜中のクーラーも、ひじサポートをしていたら咳が出ず楽に眠れて良かったです。
ひじサポートのお蔭か、早く風邪も良くなり、感謝感謝でした。
(大阪 Mさん)
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自分が変わる事が大事

 以前より氣を受けていると、戦っていた魂さんが出てこられます。
そのたびに「もう戦いは終わりました」と氣を送っていました。
でも普段の生活で私自身が「戦いは終わった」と強く思うことで、戦っている魂の方々に光が届くんだと氣づきました。
そう強く思い生活していると、私自身の心も軽くなり、よく笑うようになってきました。
職場が暗い雰囲気で、以前より戦っている魂さんがいると感じていたのも、私のせいだったと氣づき本当に反省します。
会長がおっしゃられている「自分が変わる事が大事」の意味が少しわかったような氣がします。
会長、スタッフの方々、会員の皆様に本当に感謝です。
ありがとうございます。
(大阪府 Kさん)
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犬が若く見られるのも嬉しいです

 今朝、散歩の時出会ったおばあさんに犬の年齢を聞かれ、「もうすぐ11才です」と答えると、「1~2才にしかみえないね~」と言われました。
確かに落ち着きのない犬です。
何にでも興味を示し、好奇心旺盛で、いつも遊んでくれる相手を探し、いない時は自分でボール遊びをしたかと思えば、いつの間にか眠っています。
家族の愛情と質の良いドッグフード、そしてペプチミンと、いつも氣に包まれているからだと思いました。
(沖縄県 クッキーのママさん)
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主人の耳鳴りに変化

 先日、主人の耳鳴りを何とかしたくて、会長の個人遠隔を大阪センターで受けました。
帰宅してから主人に「今日は耳鳴りどう?」と聞いてみました。
すると「それが、今日はしなかったんや、何かしてくれたん?」と言うので「はい!大阪センター行って氣を受けて来たんよ」と報告しました。
翌朝7時に、主人はいつも通りに、椅子に座り、背中を向けて私を待っていました。
(私は忙しくしてるので、つい忘れるんですけど)3分間、音氣を聴きながら、セラミックヘッドでコロコロしてあげて氣を入れてあげるのが日課です。
それから会社に行きますが、「今日はどんな?」と聞くと「今朝は鳴ってる」というので「今度は自分で氣を受けたら?」と体験会を勧めたら「そうやな、行ってみるわ」とすんなりOKしてくれました!その返事に驚きましたが、嬉しかったのです。
今後が楽しみです。
(姫路 Tさん)
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いいとこ探しから始めています

 京都研修講座、23年ぶりの参加でした。
4日間、真氣光の世界の中で、いい氣に包まれ身も心もすっきりして帰ってきました。
氣の大切さを再確認するとともに、新しい気づきもたくさん頂き、参加してよかったと心から思っています。
仕事で行き詰まっていた私は、きっとマイナスの氣に負けていたのだと思います。
でも講座の中で、涙とともにその氣が流れ出てくれました。
9月から2学期がスタート!子どもたちのいいとこ探しから始めています。
教室の中が良い氣であふれるように、まずは私の良い氣からですね。
自分の氣を高め、マイナスの氣を寄せつけないように、帰ってから毎晩氣を受けるようになりました。
(今までを反省(汗))自分の魂、まわりのたくさんの人々の魂がますます輝きますようにと願いながら、光を届けられる人になります。
ありがとうございました。
(高知県 Hさん)
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全ての人が輝ける

 昨日からリオデジャネイロで、パラリンピックが始まりました。
早速、柔道(視覚障害)男子60キロ級の広瀬誠選手が、今大会の日本選手メダル第1号、銀メダルを獲得したと、ニュースが伝えておりました。
パラリンピックのパラは、もともとParaplegia半身不随という意味だったそうですが、それ以外の選手も参加するようになったのでParallel平行とOlympicで「もうひとつのオリンピック」という解釈もされるようになったそうです。
いろいろなハンディを乗り越えて競い合う選手達の姿を見ると、オリンピックとはまた違う角度から、こちらも勇気や希望そして見えないエネルギーを貰います。
 ところで、もう間もなく皆さんのお手元に届く月刊ハイゲンキ10月号の私との巻頭対談のページでは、ファッションデザイナーの鶴田能史さんにお話をうかがいました。
鶴田さんは「テンボ」というブランドを立ち上げて1年も立たないうちに、東京コレクションデビューを果たしました。
「世の中全ての人へ」というのが、鶴田さんのコンセプトです。
障がいの有無や年齢、国籍を問わず、ありとあらゆる人にファッションを届けたいと、2015年のショーでは平和や人権についても踏み込んだメッセージを発信し、世界に衝撃を与えました。
ショーでは、プロのファッションモデルだけでなく、車椅子の人、重度障がいの人、目の不自由な人もモデルとして登場し、彼ら一人ひとりがイキイキと輝いていて、そのような場を作っている鶴田さんの素晴らしさが感じられるのです。
 先代もまた、「全ての人が幸せを感じて生きて欲しい」との思いがあった人でした。
もともと時計技術者の先代は、20歳の時に世界最年少で米国高級時計技術者認定試験に合格し、1962年26歳で身障者を対象に、日本で初めて時計技術者の養成学校を開校しました。
’76年に閉校になり、先代はその後いろいろな仕事をすることになりますが、’86年に夢を見て真氣光を始めることになりました。
 真氣光は、体ばかりではなく心にも作用しますし、体をもって生きている・既に体を失っているということにも関係ありません。
そういう意味では全ての人へと(あるいは動物や植物までも)、真氣光により先代の思いは、大きくその対象が拡がったのです。
私たちは、体をもって生きている間にしか、魂を効率良く輝かせることはできません。
体や心がいかなる状態であっても、それができるようにという宇宙からの応援が、先代の夢となって現れたのだと思うのです。
(中川 雅仁)
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