氣になる本 『念ずれば花ひらく』

世の中には良い詩集がたくさんあり、ふとしたときに目にできることで、とても心が緩むものです。今日は、我が家の本棚にあって思い出深いものを、紹介したいと思います。坂村真民さんの「念ずれば花ひらく」(サンマーク出版)という詩集です。先代が亡くなり私が会長になったばかりの‘96年10月から‘98年にかけての話です。当時ご本人に快諾いただいたと聞いておりますが、月刊ハイゲンキに詩を掲載させていただいていたのです。 昨年12月に97歳で亡くなられたのですが、いつかどこかで紹介し、感謝の気持ちを伝えたいと思っていたのですが、今になってしまいました。真民さんは熊本に生まれ、8歳の時、小学校の校長をしていた父親の急逝によりどん底の生活に落ち、5人兄弟の長男として母親を助け、幾多の困難と立ち向かい、甘えを許さぬ一徹さを身につけたと紹介されています。 続けますと、「昭和6年、神宮皇学館(現皇学館大学)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につき、36歳、全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩作に専念する。四国移住後、一遍上人の信仰に随順して仏教精神を基本とした詩の創作に転じる。」と、あります。斎藤茂太著『プラス思考がその人を強くする』という本の中で、斎藤氏は真民さんが挫析と劣等感をバネに詩をつくって来たことに共感し、心から敬意を表し、次のように言っています。「真民さんの詩や文章には、人を包み込むようなあたたかさがある。それは真民さん自身が本物だからなのだ。」「どん底を見てきた人は、人間に対する眼差しに慈愛が満ちるのだろう。」 私も先代が亡くなった直後の、右も左もよくわからない時でしたから、真民さんの詩にはずいぶん励まされました。氣の観点から読んでも、共感できる詩がたくさんあります。ハイゲンキ誌での初回を飾ったのが、この「念ずれば花ひらく」ですが、いつかこの紙面でも紹介しました先代の「治療哲学」にも通じるものがあります。さらには次号に掲載された「すべては光る」という詩ですが、まさしく万物に宿る氣というものを表現しています。「光る/光る/すべては/光る/光らないものは/ひとつとしてない/みずから/光らないものは/他から/光を受けて/光る」詩を読んでいると、真民さんがきらきらと輝いているようです。私は詩集を開くたびに、ご縁をいただけたことに感謝し、ますます光り輝きますようにと、お祈りするのでした。

アメリカ、メキシコを回って来ました

私は、先月25日の大阪でのセッションを終え、翌日朝早く成田を出発、米国、バハマ、メキシコを回って、火曜日の夕方帰国しました。今年で12回ほどになるでしょうか。恒例になりましたが、龍村和子さんが米国で沖道ヨガと真氣光のセミナーを企画しており、それに参加するためです。今回は、米国マイアミからバハマ、フリーポートを往復する船中での3泊4日のセミナー、その後メキシコでの2泊3日のセミナーが主な目的でした。参加者は船でのクルーズがニューヨークやボストン、サンフランシスコなどから30人ほど、メキシコがニューヨークや現地メキシコの人を中心に15人ほどでした。限られた日程でしたが、今回は受講生とともに、私も現地での観光を少々楽しむことができました。 このような船中でのセミナーや、米国を離れメキシコでのセミナーは初めての企画です。私自身は十年ほど前にバハマやメキシコには行っており、いろいろ懐かしい思い出がありますが、今回もまた新たな体験ができました。その一つは3千人が乗った大型船でのクルーズです。船での生活は、食事や娯楽など至れり尽くせりの豪華なもので、乗客はゆったり船旅を満喫している様子でした。それを横目で見ながら私たちは朝6時から夜9時過ぎまで貸し切りの部屋でセミナーをやっていたのですが、時には船長が主催するディナーパーティーや寄港地でのフリータイムなどがあり、いつものセミナーとはちょっと雰囲気が違いました。 もう一つはメキシコでのセミナーです。会場のホテルはメキシコシティから1時間半ほどのテポストランというところにあったのですが、この辺りにはよくUFOが出没するという、ちょっと面白い不思議な街なのです。古い街並みに世界遺産に指定されている修道院などがあり、周りには切り立った山が散在しています。切り立った崖のような山の頂上には、古いピラミッドがあるのです。私たちは、3kmほどの道のりを登ったのですが、たまたま全員がピラミッドに着くとちょうど夕方5時(日本時間6/2の朝7時)で、ピラミッドの上から世界に真氣光を送る事が出来ました。これらの内容は来月の月刊ハイゲンキ誌面で紹介する予定です。 毎回、海外でのセミナーで感じることは、セミナーや旅行を通じて不思議なご縁でお会いする人たちです。それぞれの祖先を遡れば、いろいろな国がルーツになり、その数は計りしれません。真氣光は本人を通してご縁のある人や祖先に光を送り、苦しみや悲しみを取り除きます。短い時間にあちらこちらを周りながら、ますます全世界に光が行き渡りますようにと、祈ったのでした。

(56)収容所に向かう列車

会長セッションでA さんに氣を送っていたところ、急に腰を押さえ痛みを我慢するような仕草になりました。すぐに私はご縁のある魂の影響だとわかり、何を訴えたいのかと耳を傾けたのです。苦しみが強くて、なかなか声にならないのですが、氣を送り続けているとやっと「嫌だ、死にたくない」、次に「乗りたくない、嫌だ、乗りたくない」と繰り返していることがわかりました。船なのか?飛行機なのか?と尋ねると、「列車」だと言うのです。どこに向かう列車なのか?聞いても苦しみがこみ上げてきて、なかなか答えられません。さらに氣を送っていると、やっとの思いで絞り出すように発した言葉が「収容所」だったのです。その魂は、氣を送るうちに次第に楽になっていき、苦しみの中にまだまだたくさんの人が居ることを私に伝え、それを最後に光の世界に逝ったようでした。第二次世界大戦中には、強制収容所での大量虐殺がありました。この人も収容所で亡くなったのでしょう。「乗りたくない」と言うことは、列車で送られ殺されることへの強い恐怖が魂に刻まれたということだと思います。私は、亡くなった後も消えなかった苦しみに真氣光の光が届いたことの悦びと、戦争の無い平和な世界の有り難さを感じたのでした。 私 は以前、ある会員さんからもらった絵本を思い出しました。それは「エリカ 奇 跡のいのち」という題名で柳田邦男が翻訳したものです。要約すると「大戦中、ナチスによって貨車で強制収容所に送られていたユダヤ人の一団の中にいた若い母親が、生まれて二〜三ヶ月の赤ちゃんを、せめてこの子だけでも生き残ってほしいと毛布でくるんで、すし詰めの貨車の換気口から投げ捨てたところ、偶然目撃した沿線の村の住民が、奇跡的に怪我もしなかった赤ちゃんを拾って、密かにエリカと名付けて育てた。戦後50 年目にドイツを旅行していたアメリカ人女性作家が、たまたまエリカと出会い、その半生記を聞いて絵本ができた」というものです。 貨 車の中では、どんなに辛く悲しい状況だったことでしょう。その中で母親が、我が子を思うが故に絶望の中で一縷(いちる)の望みをかけてとった行動、そして危険を冒して拾い育てた村人の心。日本は、経済的に豊かで、平和な国になりましたが、死に直面することが減った分だけ“いのち”に対する思いが希薄になっていると思えてならないのです。真氣光は人にとって一番大切な“いのち”(魂)に直接エネルギーを与え、心を変えていくのだと思います。

研修講座通算200 回

‘90年3月から始まった真氣光研修講座ですが、次回2007年6月で通算200回を数えることになります。講座の開催場所は伊豆下田市、奈良県生駒市そして今の茨城県つくばみらい市と変わって、講座の内容も少しずつ変化し17年が経過しました。はじめは医療気功師養成講座ということで始まった真氣光研修講座です。当初医療に関心のある人、携わる人のための講座だったのですが、講座に行くと病気が治るということから、いろいろな人が参加するようになり、健康回復講座も同時に開催されるようになりました。私は‘92年に研修講座を受講し‘93年後半にはスタッフとして参加するようになりましたから、私自身も13年以上になりました。下田の時代には今とは内容がずいぶん違い、朝にマラソンの時間があり、途中息が続かず朝食に遅れると味噌汁の具が無くなってしまったなどということも思い出されます。しかし、開講当初から変わっていないことは、「健康な人も病気の人も真氣光のエネルギーをたくさん受けて自分自身の波動を変えよう」ということです。それによって周りにも良い氣が届くようになるわけで、先代は周りに良い氣を送れる“氣光師”をたくさん養成して氣の環境を少しでも改善したいと願ったのだと思います。下田の時代には気功師養成・健康回復と二つの講座が存在しておりましたが、‘94年にはそれらが統合され真氣光研修講座となりました。氣を送らせていただくことが自分自身の成長に繋がります。真氣光のエネルギーもより一層高まり、‘97年からは、受講生全員で真氣光の発光練習をするようになりました。私は、この通算200回を記念して、受講していただける方に何か記念品をプレゼントしたいと、あれこれ考えていました。記念の品ですから直ぐには手に入らない物が良いし、もちろん真氣光の氣を中継する物でないと意味がありません。何か無いものだろうかと、いろいろ探した結果、ガラス製の卓上型写真入れ(フォトフレーム)に決めました。ガラスの表面に私が「ますます光り輝きますように」の文字を刻印して、裏面にはSAS3連マークが100個エッチングされているパワーシートの小さいものを貼ります。家族やご縁のあった場所などに写真を使って氣を送りたい、つまり遠隔真氣光をする時には便利なものです。受講した方々が氣光師として益々活躍していただくにも最適かと思います。多くの方々の参加を、お待ちしています。

池袋の森に行ってみました

先日、会議の合間の雑談で「会長、池袋駅北口から徒歩5分、池袋の森って知ってる?」と新聞の切り抜きを見せられたのです。記事には森のように木が茂っており、確かに森と書かれています。池袋北口付近は、25年ほど前に先代が北海道から初めて東京に出てきて事務所を構えた場所で、私がこの会社に入社した’93年には、事務所もその近辺にありました。ですからその界隈は詳しいつもりでおりました。住所から推測するに、風紀上あまり好ましくない店が建ち並んでいるようなところです。家に帰ってから「森」という響きが気になって調べてみたところ、平成9年4月に開園した約454坪の区立の公園でした。元々は、東京大学名誉教授であり、林政学博士の島田錦蔵博士の住宅だったとのこと。早速次の日、行ってみることにしました。入り口は、とても狭く見落としてしまいそうです。細い通路を抜けると、研究用に植えられた色々な樹木が植えられた森になっており、見上げると大きなユリノキも植えられてあります。森の奥には、井戸水を汲み上げた、トンボを繁殖させているトンボ池があり、ログハウスの観察室が置かれてありました。都会には木が貴重です。小さな森ですが、とても有難く思えたのでした。森という言葉には、何かわくわくするような雰囲気があります。私だけでしょうか?それは、小さい頃読んだ童話の世界の影響かもしれません。今の子供達はどうなのでしょう。スイスでは、十年ほど前から「森の幼稚園」が取り入れられたという記事を読んだことがあります。家にはたくさんのおもちゃやテレビ。山国のスイスには、目の前に森があるのに親が率先して連れて行くことが少なく、自分の子供を自然に触れさせたいと親が目覚めたというのです。秋には気温はマイナスにまで下がるとのことですが、子供達は防寒着をしっかり身にまとって、いろいろな遊びをするといいます。森の園児たちは怪我をしないし風邪もひきにくい。運動能力や創造力が高いという報告もあるそうです。木々をはじめ、いろいろな生き物たちの中での体験は、人が作り出せないものにたくさん接することで、自然や宇宙の偉大さを知り、大きな学びがあると思うのです。人も自然の一部ですから、良いエネルギーも受けられることでしょう。考えてみると、ハイゲンキを通して宇宙から降り注ぐ真氣光のエネルギーを受けることも、自然に接するということになるのかもしれません。これからアウトドアには良い季節です。外でも家でも、良いエネルギーをたくさん受けたいものです。

(4)ハナミズキ

今日から、つくばみらい市での真氣光研修講座が始まりまし★★★★★た。ゴールデンウィークということもあり、朝早く荷物を積み込んで車で家を出たのですが、高速道路に入るところで断続渋滞35kmの表示にびっくり。遅刻しないで行けるのか不安になりましたが、途中混んではいたものの無事到着。ホッと胸をなで下ろすとともに、6日の帰路が少々恐い感じです。ところで渋滞が延々と続くと疲労に加えイライラも出てきて、自分からマイナスの氣を出すと同調作用により、マイナスの氣を周りから集め、余計に疲れてしまうものです。ですから車の中では、できるだけ楽しむ方がよいのですが、実際にはなかなか適当な方法がありません。家内と二人で車に乗りますと、時々助手席で気持ちよく居眠りをしてくれますが、こっちまで眠気が襲ってきます。どうしようもない、そのようなときには、歌詞のある曲を大きめな音量でかけて大きな声で歌うようにしています。私はカラオケにも滅多に行かないので、歌をあまり知りません。選曲は、もっぱら家内の担当で、彼女の歌を聴きながら私も後に従うというスタイルです。先日は、一青窈(ひととよう)さんのハナミズキという歌を歌っておりました。この歌は一青窈の5枚目のシングルであり、2004年2月にリリースされたものです。当初私は、これは片思いの歌かと思っておりましたが、ある時テレビで楽曲誕生のエピソードを本人が解説しており、アメリカ同時多発テロ事件発生時に、ニューヨークにいた友人からのメールをきっかけに書いた詞であったことを知りました。さらに、「ハナミズキ」は明治45年に当時の東京市長だった尾崎行雄が日米友好の印として、ワシントンに桜を贈った返礼として贈られたものだということ、ワシントンは桜で彩られ、日本の公園には花水木が花をつけている…何年もかかってお互いの思いが、花として実を結んでいるというのが美しいなぁと思ったとのこと。ちなみに「ハナミズキ」の花言葉は「返礼」だそうです。♪僕の我慢が/いつか実を結び/果てない波が/ちゃんと止まりますように/君とすきな人が/百年続きますように♪昔々から繰り返し続いている殺し合いの波。巻き込まれてしまった人々には、たくさんの苦しみや悲しみが今もなお残っていることでしょう。今日は憲法記念日です。憲法改正の議論が叫ばれる中、テロや戦争の無い平和な世の中になりますようにという、見えない魂達の思いが聞こえて来そうです。

一言の難しさ

先週の土曜日、早朝から飛行機に乗っておりました。私はよく機内で新聞を読むのですが、その日は別刷りの特集記事「夫に言われて傷ついた一言」というタイトルが私の目を引きました。1位は「君も太ったね」403人、2位は、体調が悪いのに「ごはんはないの?」318人、3位「家にいるんだからヒマだろ」260人…と、アンケート結果は15位まで続くのですが、ここまで時々私が口にしていた(かもしれない?)言葉ばかりだったのです。1番目の体型については、妻自ら「太った、太った」と連呼していますから、私は「そうだ、そうだ」とばかりに言っていたものですが、考えてみれば「人からは言われたくない」ものですよね。このアンケートでは「夫に言われてうれしかった一言」も同時に調査されており、ちなみに1位「おいしいね」「ごちそうさま」710人、2位「家のごはんが一番おいしい」384人、3位「いつもありがとう」375人、このあたりまでは私も口にしている(と思う?)言葉ですが、4位「がんばってるね」304人…6位「君と結婚してよかった」283人…8位「えらいと思うよ」と感謝や労いの言葉がいろいろ続くと、感じてはいても実際に言葉にするのは難しいものがあります。10位の「今日は一段とかわいいね」には20代も50代も同様に喜んでいると新聞では分析していますが、我が家の場合、突然そんな事を言ったものなら「何か良からぬ事を企んでいるのでは…」と、紛争の種になりそうです。しかし、日頃から言葉の難しさを痛感し、特に感謝の言葉が足りないと反省する私にとって、この新聞記事はとても勉強になったのでした。真氣光研修講座では毎朝「いいとこ探し」行法をやっておりますが、受講生の中には家に帰り留守を守ってくれた家族に感謝の気持ちが伝えられたとの報告があります。氣を受け、いいとこ探しで発表するなどプラスの氣を発する努力が、素直になれないというマイナスの氣を浄化するのだと思います。マイナスの言葉にはマイナスの氣が集まり、プラスの言葉にはプラスの氣が集まります。私もその事は、よく頭の中には入っている事なのですが、特にいつも一緒にいる家族には甘えが生じてしまい、ついマイナス的な言葉をかけているものです。新聞にも「互いに言い返すなど思うことをぶつけたほうが、理解が深まるという。口をつぐみ、沈黙の貝殻に閉じこもるとよくない。」と結んでありましたが、一見マイナス的な事をお互いの氣づきにする事が大事ですね。深いご縁だからこそ、そうやって磨き合えるようになっているのでしょう。夫婦に限らず、ご縁を大切にしたいのものです。

高次元からの応援を受けやすい生き方

昨日、真氣光研修講座が終了し、久しぶりに我が家に戻りました。東京も肌寒い日が続いた為か、しばらく家を留守にしていると家全体が冷えた感じでした。暖房を入れて部屋を暖めながらソファでボーッと、今回も感動のうちに終わった講座の事を考えておりました。いろいろな場面が頭を過ぎる中、受講生さんとの会話で「昔に比べ今の仕事はどうか」と聞かれたことが、再度私にサラリーマン時代のことを思い出させてくれました。私は学生時代からサラリーマン時代を通して、(当時下田での真氣光研修講座を受けるまで)、どちらかと言うと運が悪いことばかりを経験させられ「どうして自分ばかりこんな目に遭うのか、いつまでこんなことをやらなければならないのか」と、いつも考えていたように思います。自分の思い通りに行かず苦労する方向に進むと、必ずこの決まり文句が口をついて出てきていました。ところが今の生活では全くというほど、不平不満・いつまで続くのか分からない不安感や心配心などがありません。つまり幸せな生き方になったということでしょうか。それは強がりでも、そんな事を思わないように努力しようというものでもなく、ごく自然にその発想が無くなってしまったということなのです。それは研修講座での効果でした。先代から「自分の波動が周りの現象に影響を与える、まず自分が変わること」と習って以前の会社に戻ったのですが、前と同じような悪いことが起こっても、その時どのように自分が対処しなければならないのか、変わらなければならないのかを一生懸命に考えるようになっていたのです。昔の私は、悪い現象が起こるとマイナスの気持ちが起き、それがさらにマイナスの氣を呼び込んで悪循環に陥っていたのですが、それがいいとこ探しをするなどプラスの気持ちが格段に多くなったというわけです。私は先代が亡くなった後、特に希望することなく、右も左もわからないまま会長職に就きました。最初の頃は不安や心配が次々と襲ってきましたが、それらも意味あることとして真氣光を受けることで乗り越えられ、少しずつ自信と確信を得ることが出来ました。誰にでも高次元から、必ず何らかの応援があるのです。応援を受けやすくするには、どうすればよいのでしょう。あちらから見えやすいように少しでも波動を合わせる必要があります。マイナスの氣で魂にくもりが生じると、遠いあちらの世界からは見えにくくなり、光が送れないという状態になります。応援が欲しいというマイナスの状態の時こそ、いいとこ探しをはじめ洗心の指標がポイントになるのです。

まぁいいっかー

私は、全国あちらこちらに行っていますが、駅や空港など毎月一回は通るようなところばかりですので、道を間違えたり方向音痴などにはならない自信があったのです。ところが先日のこと、セッションが終わって次の目的地に向かうため、列車を利用して空港に向かおうとした時のことです。時間があまりなくてホームに駆け下り、咄嗟に来た電車に飛び乗ったのです。「良く乗れたなぁ」と思いながら、周りの風景に目を向けていると、何か変な感じです。しばらくして反対方向に向かう列車に乗ったことに気がつきました。次の駅で降りて乗り換えれば良いのですが、快速なのか、一駅が長く、全く止まりません。その間、私はどんどん心配と焦りの心が湧き上がってきたのでした。7時を少々回っていましたので、最終便の飛行機に乗れるかどうか・・・。それに乗れないと、明日のセッションには間に合いません。そう考えるとハラハラ、ドキドキして落ち着きません。しかしそのうちに、次の駅で列車が止まるまで私には何も打つ手がないのですから、諦めることにしたのでした。音氣を取り出して、運を天に任せることにしたのです。よく考えるとサラリーマン時代の私には、こういう考え方ができませんでした。考えてもどうしようも無いことを、あれこれ心配して、良い意味で「おまかせ」できなかったのです。結局その日は、15分後に次の駅で降りられ、反対側のホームに回るとすぐに列車が来て、飛行機にはギリギリで間に合い、事なきを得たのでした。その時、ある日の会長セッションでの出来事を思い出しました。私が氣を送っていると、氣を受けている人とは全く別な人(魂)が、その人の口を借りて出てきました。『最近、俺がどんなに苦しめても、こいつは「まぁいいっかー」って言っている。だから俺は、とことん痛くしてやったのに、こいつはトンと気にしない様子で「まぁいいっかー」っていう調子だ。心配なことを作ってやっても、どんなに辛い目に遭わせても「まぁいいっかー」、とうとう俺も根負けした。さらにはこいつ、最近とんでもない決心をしてしまった・・・。』と光の世界へ行ったのです。その方は、その日、ハイゲンキのバージョンアップを頼んだらしいのです。自分自身の心のマイナス部分に同調して、マイナスの氣が心配や不安な気持ちを起こさせます。彼らは、なんとかしてマイナス方向に引っ張ろうとするのです。しかし日頃真氣光を受けることで、考えて行動しなければいけないことと、「まぁいいっかー」と<おまかせ>しなければいけないこととの切り替えができるようになるのだと思います。皆さんはいかがでしょうか。

さくら舞い散る頃

皆さんは、もうお花見をしましたか?私も、カメラを片手に散歩をしながら、お花見をしてきました。今月の気配り画像は、その時に撮った桜の花を選んでみました。我が家の近くの公園に咲いていた、桜の木です。少々風は冷たかったのですが、良く晴れた平日の午後でした。若いお母さん達が子供達を公園で遊ばせながら、お花見をしていました。その向こうでは、大学生の女生徒二人がサックスの練習です。桜とサックスの音、さらには賑やかな子供達の声が、妙にミックスされて、私を平和な気持にさせてくれました。カメラを持っていると、どの花を撮ろうかと枝振りに注意が行きますから、上を見すぎて首が痛くなるほどです。文字通り“お花見”です。サラリーマンに成り立ての頃は、お花見と言えば先輩に場所取りを命ぜられたものでした。会社の近くの公園にゴザを持って行って場所を確保するわけですが、ゴザの下がデコボコしているようだと叱られるので、桜の花と言うよりは、ひたすら地面の方ばかりに気を取られていたのを思い出します。先輩達も花を見るよりビールの方が大事でしたが、毎年必ずお花見は欠かしませんでした。テレビでワシントンの桜のニュースをやっていました。あちらも桜が満開で、たくさんのお花見客で溢れています。その中でキャスターが、桜の枝を折って花を持ち帰る人が多く、木を管理する人たちが困っているという話をしていました。日本人が桜の木の下で飲み過ぎるというのもいかがなものかと思いますが、どんなにその下で酔っぱらっても枝を折るという発想にはならないもので、きっと日本人には桜を慈しむ心が自然に備わっているのでしょう。木などの植物も氣のエネルギーを発しています。こちらが木から良いエネルギーをもらおうと受信状態になると急激にその吸収力は高まります。美しい花をつけた桜であれば、もっと吸収力は上がるでしょう。そういう意味ではお花見は、日頃の疲れを癒す究極のヒーリングなのかもしれません。私が生まれ育った札幌では、ゴールデンウィークを過ぎないとお花見はできません。ですから小さい頃の記憶では、桜の花と卒業や入学のシーズンとはまったく関連が無いものでした。しかし、東京に住んで20年以上になりますと、すっかり季節感が変わってしまいます。桜が散る中を、真新しいランドセルを背負った小さな子供達が歩き始めると、今年も良い季節になったという嬉しさが湧き上がってくるものです。どことなくウキウキと何かにチャレンジしたくなるような希望に溢れる氣を感じるこのごろです。